第212話 表彰を受ける・お祝いをする

 その週の金曜日は2学期の終業式だった。終業式は毎期末、体育館で行われるのだが、今回はいつもと違うイベントがあった。羽海と雫、美月の3人が、踏切からおばあさんを救助した件で、警察署の署長さんから表彰を受けたのである。警察としては年末年始で忙しい上に、年が明けてからでは時間が開いてしまうから、さっさと表彰してしまえといったところなのだろう。実にスピード表彰である。


 全校児童が見守る中、署長さんから表彰状を受け取るのはかなり緊張したが、無事、受け取り、舞台を降りた。その後の校長先生の話が長かった。


 表彰状を手にした美月と雫はさくらと帰宅する。


「それにしても空手道場に見学に行くだけでこんな大事件になるとは、よほど運命は羽海ちゃんと師範代を会わせたくないんだな」


 さくらが実にもっともなことを言った。雫は頷いた。


「もう不用意に2人を会わせない方がいいのかもしんない」


「急に師範代さんが出動したのも、運命が羽海ちゃん先生に会わせないようにしたから起きた火事かもしれませんね」


 美月が恐ろしいことを言う。ちなみに、前日から表彰を受けることは分かっていたので、今夜、那古屋家はお出かけしてお食事だという。と、言ってもいつもよりランクが上の回転寿司らしいが。


「大瀧さん家は何かするんですか?」


「きっと静流がなんか豪華なの作ってくれる」


「結局静流お兄さん任せか」


「羽海ちゃんもその方が喜ぶ」


 2人と別れてマンションに戻ると静流が夕食の準備をしていた。しかしいつもとは大きな違いがあった。なんとステーキをまな板の上に置いて、下ごしらえをしていたのだ。室温に戻すのはステーキを焼くときの基本だという。あと、筋も丁寧に切っていた。


「澪さんがいい肉を買ってって言って、お金を持たされたんだ。責任は重大だ。僕、実はステーキを焼くの初めてなんだけど、これでようやく、りんさん風ステーキを作れるので嬉しい」


「林さん風ステーキ?」


「僕が両手持ちの中華鍋を買っただろう? あれは怪しい探検隊の林さんの本に書いてあったからなんだ。その本が僕の料理趣味のスタートになったんだけど、その本に書いてあったレシピ」


「怪しい探検隊?」


「図書館で借りてください」


 なんか説明が省かれてしまった。だが、いいだろう。雫はスマホで気になるものリストに登録する。美月が前に気になるものをメモしていたので最近、雫もそれを真似ているのだ。


 澪と羽海が帰ってくる前に、静流は着々と夕食の準備を進める。マッシュポテトを作って冷凍のミックスベジタブルを和えてポテサラを作り、レタスで彩りを加える。マッシュポテトを作るのは雫も手伝った。


 そして1度、借家に戻って着替えを補充してきた羽海がやってきた。


「もう私、大瀧家に住みたい」


 おそらくキッチンから漂ってくるステーキソースにするためのニンニクの匂いに反応したのだろう。


「だが、断る」


「でも家に帰って夕ご飯の準備が進んでいるって最高よ!」


「真っ暗な家に帰るの寂しいでしょうしね」


「私が1人暮らしが初めてってのもあるけど」


「1人暮らしだからミサトさん家みたいな冷蔵庫で許されてたんだろ」


「あそこまでひどくないよぅ。おお、今日はステーキ?」


 まな板の上で常温に戻しているステーキ肉を見つけ、羽海の笑顔がぱああと輝いた。


「ワイン飲みたい」


「怪我の治りが遅くなるから不可です。病院での診断はどうだったんです?」


「来週の診断次第で固定取れるかもって」


「思ったより重傷だったんだな。でもさ、お母さんが寛大で良かったよね」


「いや、本当に。澪さんには感謝。お陰で普段と比べても超楽」


 そんな会話の最中に澪も帰宅した。


「ようし、ようし。ステーキ肉を買ってきたね。素晴らしいよ静流くん」


「スポンサーあってのステーキ肉でございます」


 静流が恭しく答えた。


「今日はパン? 珍しいね」


「超熟ですけど。スープもインスタントだし」


「十分だよ」


 澪は着替えてくると言って自分の部屋に入っていった。


「羽海ちゃんは?」


「いつもジャージの人だし」


「若い乙女が泣きますよ」


「元気印の羽海ちゃんだからいいの!」


「ほろり。いい児童の担任になったわ」


「さて、それでは雫ちゃんがわざわざクリスマスプレゼントに買って貰った鉄のフライパンを使ってステーキを焼こうと思います」


 パチパチパチと雫と羽海が拍手をする。


「雫ちゃんはお皿を温めておいて。電子レンジの自動でいいから。4枚同時」


「りょうかいだ」


「それではステーキ肉を塩こしょうします。1度に2枚焼けるね」


 その間にフライパンを強火で熱して、牛脂を溶かしておく。


 強火30秒、中火1分、裏返して1分。静流は時計を睨んで焼き上げ、1度、フライパンから上げる。そしてバターとニンニクを炒めてソースを作り、その後、肉を戻してソースを馴染ませたらしょうゆをかける。


 温かいお皿に2枚とも盛り付け、ソースもシリコンスプーンで余すことなくステーキにかける。


「じゃあサラダも盛ってくれる? その後、パンも焼いて」


「りょうかい」


 静流の指示で雫はポテサラをステーキに添え、同時にコンベクションオーブンでパンを焼く。コンベクションオーブンは1度に4枚焼ける大きさだ。その間に静流は手早くフライパンを洗う。


「熱いうちに洗うのはフッ素加工のフライパンではできない荒技」


「そうなんだ」


 羽海が少し驚いた顔をする。


「フッ素加工が傷むからね。フッ素加工のフライパンは冷えてから洗うんだよ」


「知らなかったな。どうせ後で洗うから私の家では関係ないけど」


「こうして次が詰まっているときは、鉄のフライパンがいい」


 なるほど。鉄のフライパンにはこんなメリットもあったのか。


 静流は第2ラウンドも焼き上げ、ステーキが完成する。


 パンを皿に載せ、こたつに持っていく。ステーキの皿も持っていく。スープはヤカンのお湯で溶いてすぐ作れる。


「豪華だー ナイフつきの夕食なんて初めてだ!」


「普段使わないよね、ナイフ」


 静流が最初に全員分を1口サイズに切ってしまう。


「至れり尽くせりだ」


 羽海がコタツに着くと、澪がワインの瓶を持ってきて手酌する。


「ああ! 澪さんは飲むんだ!?」


「なんでけが人の禁酒につきあわにゃならんのさ」


「ド正論!」


「でもまあ、表彰おめでとう。気分だけでも。乾杯」


 澪は羽海にワイングラスをかざす。羽海はとても悔しそうだ。


 4人はコタツの席に着いてステーキを食べ始める。


「凄いニンニクバターしょう油!」


 雫は思わず声を上げた。一言で言うと正にそれである。明日、学校があるなら口臭が気になるレベルだ。よく歯を磨くだけでは済まない。寝る前と朝、起きたときに牛乳を飲まなければならないだろう。がっつり男飯というに相応しい。美味しいけど。


「美味しく焼けてるよ、静流くん」


 澪は満足そうだ。ワインにも合っているのか、ワインが2杯目になる。


「お誉めにあずかり恐悦至極。初めてステーキを焼いたのでいろいろ丁寧にしました」


「あと、切ってくれてありがとう。お陰で先割れスプーンで食べられるよ」


 羽海が先割れスプーンの先端に刺したステーキを頬張る。


「けが人への当然の配慮です。名誉の負傷が報われたんです。食べてください」


「ありがたや、ありがたや」


「ウチだって表彰されたんだぞ!」


「怪我はしていないからね。雫は2番目だ」


 澪にそう言われては、返す言葉がない雫だった。


 会話が弾む夕食は続く。澪が雫に聞く。


「ところで編み物は進んでいるのかい?」


「計画的に。ばっちり大丈夫だよ」


「そうかい。そうかい」


「雫ちゃんはプレゼント交換用のプレゼントは買ったのかい?」


 静流に念を押される。


「それは今度、買ってくる」


「焦らず、早めにね」


「先生はクリスマス会のときは借家に帰ってるわ。やりにくいでしょう?」


「別に気にならないよ」


「じゃ、いる。交換用のプレゼントはポチっておこう」


 羽海もクリスマス会に混ざるのはまんざらではないようだ。


「結局、静流はクリスマスイブの土曜日、どこに行くことにしたんだ?」


 静流はクリスマス会に出ず、悠紀くんとどこぞの博物館に行くと言っていた。


「うん。一応、都内の方になるけど、ほぼ埼玉県」


「へえ。葛飾区か足立区とみた」


 澪が推理する


「そんな遠出しないからね。足立区です。片道30キロくらいかな。暗くなる前に帰ってくるよ」


「悠紀くんのためにもそうしてくれ」


 雫は少々心配になる。男の子で脚が速いとはいえ、静流のペースで自転車に乗られたら辛そうだ。静流のことだからそんな心配はないとは思うが。一応、心配する。


「そうなんだね。人助けして怪我して、それ自体は悪いことじゃないけど、不便で、あああって思ってたけど、大瀧家のみなさんのお陰で楽しく過ごせているので、結果オーライかな。クリスマスイブの日も泊まらせてくださいね」


「片手が動かせるようになるまでは甘えろ」


 澪が大人の余裕を見せ、羽海は破顔する。


「そういやさ、しずるちゃんは中学の初恋の彼女とクリスマスはなんかあったんかい?」


 急に矛先が自分に向いて、静流はぎょっとしていた。澪が聞いた。


「初恋は羽海じゃなかったのか?」 


「思春期になってからのセカンドラブ?」


「ああ、それならいるだろうな。聞いたことなかった。どうだったんだ?」


「ウチも聞きたい」


 3人に問われ、静流はメチャクチャしどろもどろになった。


「えーっと――なにも、ない」


 どうもその様子だと本当に何もなかったようだ。


「ヘタレだったんだね」


「羽海ちゃんに言われたくないな!」


 静流は真っ赤になって抗議した。


 しかし少しして、雫は違和感を覚えた。静流は、なにも、ない。と言った。何もなかった、ではない。その差がどこから来たのか雫には分からないし、違和感を覚えただけにすぎない。もちろんそう言った静流の心境など雫が分かるはずもなかったのだった。

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