第196話 第1回 星を見に行く
たき火で焼き芋を作って食べた土曜日の午後、静流は長い昼寝をした。というのも夜通しロングライドを計画していたからだ。というのも、以前から考えていた天体観測をどこでしたものか、当てを付ける必要があるからだ。館山の方であれば、暗い夜空を探すのはそう難しいことではないが、首都圏でそれを見つけるのは難しい。と、なると探しに行くしかないのである。
結構、千葉県内を自転車で走っている静流だが、夜の様子となると分からない。目的地に到着するのは明るいうちなので、そこの空が明るいのか暗いのか知らないからだ。
今夜の目的地は銚子にほど近い東庄町で、県民の森で夜空の観察会が行われるというのをネットで調べ、それならよく見えるのではと期待をしていた。
「ウチも行く~~!!」
雫は静流が昼寝から目を覚ましたら、いきなりすがりついてきた。
「ダメだよ。とてもじゃないから連れて行けない」
「それじゃあ、星空見学にだっていけないじゃないか」
「本番は車を出して貰うさ」
「羽海ちゃんは一緒じゃないだろうな」
「どうしてそこで羽海ちゃんの名前が出るんだ。行かないよ。1人だよ」
「ホントにホントだな!」
ようやく雫は落ち着いた。
4時間ほども仮眠したのでたぶん、大丈夫だろうとは思いつつも、野宿の準備はする。折りたたみアウトドアマットとアルミ蒸着ブランケットだ。まくらは空気を入れて膨らませる式。コーヒーを入れるセットも持っていきたいところだが、かさばるのでこの前買ったインスタントコーヒーとガスストーブとヤカンのセットにする。ライトとスマホの充電を確認し、軽く携帯食料も用意する。コンビニで買えばいいのだろうが、それではつまらないと思うからだ。もちろん輪行道具一式も忘れない。
荷物をまとめて、クロスバイクのパニアバッグに入れる。折りたたみマットはかさばるのでキャリアの上にくくりつける。いつもより多めに反射板を身につけ、サイクルキャップを被って、ヘッドライトつけて、カスクを被って、両手の指切りグローブをつけると、行くぞという気になる。そろそろ指切りグローブは厳しいので、上からフリースの軍手を着用し、事なきを得る。
「気を付けてな~~」
雫が掃き出し窓から見送ってくれる。静流は手を挙げて応え、クロスバイクを押しながら庭から出て、扉を閉める。
「じゃあ、安全運転で行ってくる」
11月の夕方はもう真っ暗だ。前後のライトを点灯する必要がある。
「明日の朝ご飯は?」
「用意してくれていると嬉しい」
「うん」
雫は大きく頷いた。
静流はクロスバイクに乗って出発する。ルートは漠然としか考えていない。鎌ケ谷まで行って、北総線沿いに走っている国道464号線を通って成田まで行くことは決めている。つい先日と同じルートで鎌ケ谷まで行き、国道464号線を走る。国道464号線は両側2車線道路で、上りと下りの間の低いところを北総線が走っている。信号の数も少ないし、交通量も少なく、アップダウンもあるものの、自動車用道路なので大したことはない。走っていればいつの間にか成田に到着する。下道になれた静流にしてみるとワープ道みたいな感じがする。
土曜日の夜でもトラックが走るし、夜なのでうねったアスファルトにも気を付けないとならないし、気は抜けない。それでも信号が少ないのでメーター読み時速25キロほどで巡航できるのは楽だ。2時間ほど走って、成田に着いてしまう。実はもう、成田の手前、印旛沼の辺りでかなり星が見えるようになっていたので、目的は達成できたかなと思ってしまっていた。しかしまだ7時を過ぎた頃だったのでさすがにここで終わりというのも寂しい話だと思い、成田市街まで走ってしまった。
成田市街の公園でお湯を作り、インスタントコーヒーを飲む。ココナッツフレーバーにブラックで飲むので脳がバグる。まあ、カフェイン補給もできるし、それなりに楽しめるので良しとする。
成田で国道から降りて県道44号線に乗る。成田空港の下は長いトンネルでくぐり抜ける。途中、ジェット機が降りてくるのが轟音と光で分かった。これはすごいと思わざるを得ない。日本と世界をつなぐ翼だ。遙か遠くから見ているのに違いないのに大きく見えるし、降下中だと分かっていても、ジェット機は落ちてくるように思ってしまう。自分は文系だなあ、と思う。あの速度で滑走路に降着可能なのがよく分からない。
しばらくほおっとしてしまった。
成田空港の周りには物流倉庫が多くあり、この時間にも動きがある。やはり日本と世界をつなぐ空の港なのだ。
その先は畑と倉庫と民家が続き、時に街中を通り、また同じような景色になる。房総丘陵の中なのだ。それから少しして、水田が現れるようになる。標高が低くなってきた証拠だ。古代には内海だったであろう場所だ。
成田から先はもう、街路灯もまばらだ。自転車灯と自分のヘッドライトが頼りだ。サイドミラーがキラリと輝くと、後ろから車が来ているのが分かる。まだ全然眠くないのでいいのだが、眠くなると追い越されるときに危険だ。眠くなる前にカフェイン補給をしようと思う。
走っていると『恋する豚研究所』という看板とその施設が見えてくる。もちろん観光客向けで、豚肉料理が食べられ、ハムやベーコンなどを売っている施設らしいが、それにしても面白い名前だ。その先の道の駅でトイレ休憩。どうももう少ししたらトイレを閉められてしまう時間だったようで、ラッキーだった。車中泊対策だろうか。自分も野宿をする身の上なので大きなことを言えないが、どちらもあまり堂々とするものではないと思う。
走っているとそのうち、割と整備された道路に出る。事前に調べておいた元有料道路東総有料道路だ。今は無料開放されている。そういえばすなふきんさんが有料時代に通ったことがあって、無料になって感動したと言っていた。いや、あれは外房有料道路だったか。両方だったかもしれない。
その、元有料道路に乗って走っていくとところどころ広い畑があるエリアを通り抜ける。もう空は暗いし、どこでもいいような気もするのだが、せっかくなのでもう少し走ってみることにする。
走って行くと下り坂にさしかかる。長い下り坂だ。房総丘陵から降りているのが分かる。そして下りきった先はもう、一面に水田が広がっている。夜であっても星明かりと地上の僅かな明かりで分かるくらいだ。
「椿海だ……」
静流は独り言を言う。椿海というのは江戸時代まであった内海で、膨大な資金を投入し、灌漑を行って農作地に変えたところだ。だから、とても広いし、ほとんど集落もないので、道路沿い以外に明かりがない。
これは天体観測にはもってこいだと思う。
せっかくなので例の県民の森の方まで行ってみる。元々椿海の縁だったと思われる道を東に進む。道路沿いは建物が多く存在するので、少し内側の路線に入ってみるともう真っ暗だ。スマホでトイレがある公園を探すと県民の森の南側に滝の里自然公園というところを見つけた。風力発電所があるらしい。星の観察だけでなく、そういう自然エネルギーが実際に生み出されているところを見るのは雫たちにとって勉強になると思われた。なかなかいいじゃないか、と自己満足しつつ、暗い中をスマホのナビに従って走る。そして風車が夜の闇の中に浮かんでいるのが見えて、それを目印に進んだ。
その公園に到着したのは午後10時半頃のことだ。ゆっくりきたとはいえ4時間以上が経過している。公園の駐車場は夜間でも開放されているしとても広い。トイレもある。ここがいい、と静流は決めた。
実際、駐車場のど真ん中に行って、折りたたみマットを広げて寝転んでみる。
視界には星空。久しぶりに天の川が見える。夏に館山で見て以来だ。こっちは星が見えない。それはとても寂しいことだと思う。
寒くなってきた。もう11月下旬だ。寒くなってきたという言葉を使う方が変だ。とっくに寒くなっていないとならない時期のはずだ。今年も本当に暑い1年だったのだ。
静流はそのまま眠りそうになったが、どうにかアルミブランケットと輪行袋を広げて、久しぶりの野宿としゃれ込む。
隣はキャンプ場だそうだが、あまり人はいないのだろう。ほとんど車は停まっていない。2、3時間、仮眠をしようと思う。80キロ以上、走ってきて疲れていた。このまま帰るのは結構しんどい。仮眠して、成田までいって、始発で輪行で帰ろう、そう決める。
今までの静流だったら朝まで寝ただろう。しかし始発で帰ろうだなんて考えるのは、寂しいからだ。
そう――会いたいのだ、雫に。雫が自分の中でこんなにも大きな存在になっていたことを、分かっていたつもりでも、いざ、1人でこうして夜中の駐車場に横になっていると、本当の気持ちが分かる。雫はもう自分の人生の一部だ。離れたからこそ分かる。離れたといっても一晩だけなのに。
雫が結婚できる歳まで自分のことを好きでいてくれることを静流は願うばかりだ。
今から、雫と一緒に食べる朝食が楽しみで仕方がない。
静流は満天の星空を眺め、そして瞼を閉じる。瞼を閉じると雫がいる。
風に吹かれて、アルミブランケットがかさかさと音を立てる。それは仕方のないことだ。そのほかに、何の音もしない。
静寂に包まれ、静流はいつしか、眠りの帳を開いたのだった。
朝早く、雫は目を覚ました。いつも通りの5時だ。静流がいれば、リビングでコーヒーを飲みながら、ラジオでクラシック音楽を聞いている時間だ。その後はNHK第二放送の古典講読だ。そういうルーティーンのはずだ。しかし、今朝のリビングは暗い。
雫は明かりをつけて、ちょっと考えて、朝ご飯の準備をする。いつ帰ってくるのだろう。温め直せるものがいいかな。疲れているだろうから、甘いものがいいかな。
そんな風に考え、甘いパン粥を作る。ホッとするような、甘さにする。
自分では味見しかしない。静流が帰ってきたとき、一緒に食べたいからだ。パン粥ができて、ガスコンロの上に鍋を放置する。
カウンターに座り、うつ伏せ、呟く。
「つまんないの」
やっぱり、静流がいた方がいい。ラブラブになることなんてまずないけど、静流がいないとつまらない。自分の恋愛脳を差し引いたって、そうだ。静流といることが、新しい発見に繋がっている。この半年がそうだったから、余計だ。
しかし考え直す。
この、待つ、ということもまた、新しいことなのではないか、と思うのだ。
澪が仕事でいなくて待つことは当たり前だった、しかし静流が来てからは彼がいてくれることの方が当たり前になってしまった。
「甘えてたな……」
本当にそう思う。寂しい、と思う。やっぱり連れて行ってくれとせがむべきだった。遠くてももう輪行だってできるのだ。
そう思っていたら、庭の方の扉が開く音がした。
「静流!」
雫は慌てて掃き出し窓を開け、まだ暗い外を見る。庭にクロスバイクを置く静流のヘッドライトがメチャクチャ明るい。
「おはよう。雫ちゃん。まだ朝早いから、静かにしよう」
「う、うん――もっと遅いと思ってた」
「僕もそのつもりだった。すくなくてもあと2時間くらいは。でも始発で輪行して帰って来ちゃった」
「どうして?」
「さて、どうしてでしょう?」
「ウチが寂しがっていると思ったから?」
「半分正解」
静流は荷物をまとめて、掃き出し窓から中に入ってきた。
「もう、半分は?」
「僕が雫ちゃんがいなくて寂しかったから」
「静流!」
雫は静流に抱きつき、力一杯抱きしめる。そして静流の方は、ぽんぽんと雫の背中を叩いた。雫は静流を見上げて言う。
「朝ご飯、食べよ」
「うん! パン粥作ってあるよ!」
そして2人でキッチンへ行き、朝ご飯のパン粥をゆっくり食べたのだった。
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