第194話 さくらの気持ちが大切
時間は静流たちが集合して出発した辺りに戻る。もちろん雫は静流たち3人が鎌ケ谷まで歴史ポタリングに行ったことを知らないし、それどころではなかったのもまた事実だ。
「別に榊に会うのにオシャレなんかいらないよ!」
さくらは雫たちに言うが、誰もそんなことは聞いていない。
「そういう問題ではありません。振るのかOKするのかは大坂さん次第ですが、空手センパイの思い出に残るのであればどっちにしろシャキッとした格好で臨むのが礼儀です」
「礼儀かどうかは知らないが、オシャレさせた方が楽しい」
美月とゆうきはそれぞれの理由を口にする。雫はどうしてさくらにオシャレさせたいのが自問自答し、回答を得る。
「ウチは両方だな。空手センパイのためであり、さくらちゃんのためでもある」
さくらは下着だけになっていろいろ合わせさせられる。ミニスカートにスパッツに裾の長いシャツ、デニムのハーフパンツにTシャツにジャケット。黒のロングスカートに落ち着いた青色のブラウス。
「か、かわいいぞ、さくらちゃん」
「ロングスカート、イメージが変わってとってもいいですね」
美月がうっとりする。
「自転車乗りにくそうなんだけど」
「そこはがんばるんだ。さくら! 駅から出てる循環バスで行こう!」
ゆうきがそれに決定と言わんばかりに主張し、結果、さくらはロングスカートに青色のブラウス、足下も落ち着いた色の靴と靴下にする。
「大人だ!」
雫は満足する。美月がさくらの髪に櫛をいれ、整髪剤で軽く形を作る。ちょっとくせっ毛っぽくしてみる。
「こんなおしゃれしてあいつの前に出たら、期待されるかもしれないだろ!」
ということは榊をダメ押しで振る前提で行くらしい。しかしここでそれを言うのは揺れ動いている気持ちもあるのではないかと思われる。雰囲気と勢いに流されるのが怖いのだろう。
お出かけの準備はできた。4人娘は揃って駅まで歩き、ショッピングモールまでの循環バスに乗る。日曜日で、循環バスがとても混雑していたので、全員が座れなかった。
バスの中、立ちながら、雫はさくらに言う。
「榊の気持ちより、さくらちゃんの気持ちの方が大事なんだからね。自分の気持ちに嘘をついたらダメだよ」
「分かってるよ。分かってる。怖いのは、テンパって暴言を吐いて、榊を傷つけないか、だけなんだ」
「――ああ。そうなんだ」
美月が残念そうに言う。待ち合わせ場所まで行くのが急に辛くなってきた。単に断るだけならまだいい。さくらの中では今までからかわれたことや暴言をまだまだ許せないということなのだ。榊も辛いし、さくらも辛い。榊は早まったな、と思う。同情する。気持ちが止められないことは誰にだってあるのだ。静流は時間という積み重ねがあれば、自分を受け入れてくれると約束してくれた。雫は自分の気持ちが変わらないことを信じている。だから、ある程度は落ち着いていられる。しかしそれは結果オーライでしかないのだ。
さくらはどう考えているんだろう。今までいっぱい恋をしてきた彼女だが、告白みたいなことはしたことがないはずで、いつも自然消滅していた。静流のときも似たようなものだった。熱しやすく冷めやすいともいえる。だが、片思いの辛い気持ちは分かるはずだ。
やっぱりさくらには流されないで欲しいと思う。きっと、本当に好きになれる人がさくらにも現れるはずだから。そしてそれはマイナスイメージを覆した榊かもしれないから。今は、そんな希望的観測をしたい。
循環バスはショッピングモールに到着し、4人は真っ先に降りた。道路が混んでいたので、榊が指定した11時までそれほど時間はない。しかしさくらは落ち着いている。
「大丈夫だよ。混んでいるから少し遅れるかもって連絡済みだから」
そうだった。榊とさくらは繋がっているのだった。
「なら、いいけどさ」
落ち着いていないのはさくら以外の3人かもしれない。
循環バスの降車場から榊が指定したショッピングモールの入り口まではそれほど遠くない。あくまでも雫たちは外野だ。
噴水辺りで榊は待っているのかな、と予想をして、映画館エリアでさくらと別れることにする。映画館側の出入り口は2階にある。ショッピングモール入り口の噴水がよく見える場所だ。ゆうきがさくらを元気づけるように言う。
「じゃあ、さくら。見つからないように見守っているから」
「そうですよ。自分をしっかり持ってくださいね」
「変わらないのが、1番いいよね」
ふっとそんな言葉が雫の脳裏に浮かび、口にしてしまう。そしてそれを聞いたさくらはハッとしたように目を見開き、その後、大きく頷いた。
「決めた!」
「よし、行け!」
ゆうきはさくらの背中を叩き、送り出す。さくらはよろけて前に行き、1度振り返って、正面出入り口の方に小走りで向かった。ロングスカートが波打っていた。
「美少女だなあ」
さくらは本当に美少女だ。
「まあわたしほどじゃないけど」
「ゆうきちゃんも美少女だけどね」
「あ、これ、いつものパターンだ」
美月がくすくす笑う。ゆうきが美月にエア壁ドンをする。
「美月も美少女」
「大瀧さんも美少女ですわ」
そして3人で笑った。
さくらの動向が気になり、3人は映画館側出入り口に慌てて向かい、2階のテラスに出る。そこから、ショッピングモール入り口広場の噴水の様子を窺う。
案の定なのか、それともさくらが移動を促したのか、さくらと榊は噴水の前に立っていた。距離は50メートルほどもあるだろうか。榊はいつものジャージではなく、デニムパンツにさっぱりとしたコットンシャツで、鍛えた身体なので、中学生に見えなくもない雰囲気だ。
「双眼鏡が欲しかったなあ」
美月が悔やむが、双眼鏡なんてものはない。当然、会話も聞こえない。しかし榊が懸命にさくらに何かを伝えようとしているのだけは分かった。
さくらは頷いていた。雫は愕然とする。
「ま、まさか」
「いやいや『今日のお前、かわいいな』『そ、そうかな』くらいではないかと」
まるで聞こえているかのようにゆうきがアテレコする。そう言われると不思議なもので、そんな気もする。
「他人のこういうシーン見るとこそばゆいなぁ」
雫は素直にそう思う。まあ、運動会で蒼と美月が野球帽のやりとりをしていたのも相応こそばゆかったのだが。
「私は見られてましたから、これでおあいこです」
どうやら雫の発言の意図が美月に正確に伝わったようだった。
「うわー 気になる。運動会の男子中学生?」
「わわ、ゆうきさん、見ていたんですの?」
「そらまあ。わたしも応援に行っていたし」
ゆうきにも見られていたのがショックらしく、美月は俯いていた。
しばらくさくらと榊は会話をかわし、さくらは榊に踵を返して、ショッピングモールの出入り口へ到る上りエスカレーターに乗った。
榊は自転車置き場の方に移動して、自転車を出してサドルに腰掛け、こぎ出した。
「終わったみたい」
雫がスマホを取り出してさくらに連絡しようとすると、その前に映画館出入り口からさくらの声がした。
「終わったよ」
「さくらちゃん!」
「どうだった?」
「気持ちを強く持てたみたいですね!」
そう言うと美月が、がしっとさくらの肩を掴んだ。ゆうきが聞いた。
「榊、なんだって?」
「忘れてくれってさ」
意外にもその榊が出した結論は、雫の希望通りだった。
「なんか、拍子抜け。初めて男の子に好きって言われたのに、不完全燃焼だ」
さくらはまた脱力していた。
「うーん。その日本語、ちょっと違うな。不完全燃焼というより、火種がくすぶったまま、継続審議、みたいな?」
ゆうきはさくらの目を見て言う。さくらは目を泳がせていたが、しばらくして力なく応える。
「うん。そうだな」
「好きだけど、必ず、リカバリーするから、それまで俺の気持ちは忘れてくれ?」
雫はなんとなく、榊にそんなことを言われたのではないかと想像して口にしてみた。
「だいたい、合ってる。もうちょっと長くて言い訳がましかったけど」
さくらは頷き、美月が感心する。
「さすが大瀧さん、静流さんといつも一緒にいるだけのことはありますね」
「静流は参考にならないよ。だって最初から真面目だもん。そう思っているのはウチ自身だからかもしんない」
「そうなのか?」
ゆうきが驚いたように雫を見る。
「ウチは静流のこと大好きだけど、その気持ちに気づくまで塩対応だったし、法律に触れない年齢までウチの気持ちが変わらない、なんて、静流は信じられないだろうし。だから法律に触れない年齢になるまでに、少しでもいいから、塩対応の記憶を過去のものにしたいんだ」
「道理が通っているな」
さくらは肩をすくめた。
「でも、時間だけで解決するはずがない。その時間でいかに自分が努力できるかだと思う。それは空手センパイもウチも同じだ」
「うん。分かった。静流お兄さんがあたしみたいに疑念を抱いているとは思わないけど、雫がそう考えているのは分かった。だからあたしも、榊の気が済むまで、猶予をやろうと思う。その間に榊が別の女の子を好きになるかもしれないし、そもそもあたしの前に本物の運命の男の子が現れるかもしれないし、未来は分からない」
「そうだね。これで一件落着だ」
ゆうきは頷いた。美月も頷いた。
「じゃあさ、せっかく4人揃ってショッピングモールまで来たんだからさ、ウインドウショッピングして、軽くお買い物して、帰ろ!」
雫は3人の顔を見た。
「もちろんだ」
「いいですね」
「女の子でこうやって出歩くの、わたし、初めてだ」
ゆうきが笑顔になり、雫はみんなに聞く。
「じゃあ、たまにはお金を落とそう。クレープ食べない?」
「クレープ屋さん、反対側の出入り口のところだよ!」
美月がうんざりしたような顔をし、ゆうきは笑う。
「マジ歩くなあ!」
「1キロはないって!」
さくらがそう言って小走りで先に行き、3人が後を追って走り出す。
まだまだ女の子だけで楽しい時間を過ごせるお年頃だった。
いろいろショッピングモールで遊び、軽く買い物をして、それぞれ帰宅したのは夕方近かった。
「あー 楽しかった!」
雫がそう玄関でいい、帰宅を知らせると静流がキッチンから顔を出した。
「それは良かった。さくらちゃん、大丈夫そう?」
「うん。たぶん。詳しくはあとで話すね」
「そうか。そうだ。お土産があるんだ」
「どっか行ったの?」
「鎌ヶ谷大仏他」
「え、1人で行ったの?」
「悠紀くんと羽海ちゃんと3人でクロスバイクとロードバイクで行った」
「えええ~ ひどい~~!!!」
「だって雫ちゃん、今日、忙しかったでしょ」
「それはそうだけど。あの鎌ヶ谷大仏だよね?」
「近くで見るととても良かったよ。それでね、大仏コロッケと大仏メンチをお土産に
買ってきたんだ。夕ご飯のメインにしよう」
「美味しいの?」
「実に美味しかった。食べるときはコンベクション・オーブンで温め直そう」
「土産があるのでは仕方がない」
いや、こういう態度は良くないのでは、と雫は己を客観視してみる。これでは嫉妬心むき出しだ。羽海と一緒にいても悠紀もいるなら健全ではないか。よくない、よくない。雫は首を何度も横に振る。
「どうしたの?」
「ううん。もっと心を広く持とうと思って」
「なんだそりゃ」
「静流には分からなくてもいい!」
雫は笑顔で答え、静流にしかと抱きついたのだった。
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