第193話 その頃の静流、再び
さて、珍しく雫が単独行動をする日曜日。静流は何をしようか悩んでいた。どうせならクロスバイクで遠出をしようと思う。昨日走った40キロなど静流にとって日常の移動範囲なのである。
雫がいたらいい顔をしない博物館系にしようと思う。どうせなら悠紀を誘おうと考えたが、あんまり遠いと幾ら鍛えているとはいえ小学生の悠紀には辛そうだ。静流はMAPを見て考える。
「うん。近場にしよう」
そして悠紀に連絡を取ると、どうやら暇していたらしく、喜んでお供しますと返ってきた。羽海にも一応、声を掛ける。後で怒られたくない。どうやら羽海も暇していたらしく、来るという。3人で歴史ポタリングだ。2人と外環の交差点で待ち合わせる。
「急だね、しずるちゃん」
「さくらちゃんが空手の県大会で優勝して、雫ちゃんもいろいろあるみたい。ああ、お姉さんには悪かったね」
「いいんですよ。ライバルがいた方が姉も張り合いがありますから」
「今までゆうきちゃんの1人舞台だったからねえ」
「で、今日はどの辺に行くの?」
「すぐ近くですよ。鎌ケ谷周辺です。片道15キロくらい」
鎌ケ谷というのは世間では日ハムの2軍グラウンドがあることで最も知られていると思われるが、実は近世の歴史には興味深いものがある土地でもあるのだ。
「楽勝じゃん。で、鎌ケ谷に何があるの?」
「牧の史跡があるのでその見物と、郷土資料館ですね。最後にラーメンでも食べて帰ろうかと」
「いいねえ! ラーメン」
「大丈夫だよ、悠紀くんの分は僕が出すから」
「いえ、悪いですよ」
「バイトしてるし、誘ったのは僕だからね。途中でコーヒーを入れよう」
「やったあ」
羽海は素直に喜んでくれる。
「このメンバーだと私が気が楽だよ。なにせ担当児童がいない。いつも誰かに見られないか気にしてしまうからね」
「小学生でも、僕は他校生ですしね」
「悠紀くん。どうして今日は男の娘じゃないの? 羽海、残念!」
「勘弁してくださいよ」
悠紀は苦笑するしかない。静流は助け船を出す。
「では出発です。羽海ちゃんは
「合点!」
市川市動植物園までのいつもの道を走り、それから少し行って北総線の高架に到る。ここまでクロスバイクで20分ほど。あるのは大町駅だ。ここで一旦、自転車を停め、改札口まであがって路線図を見る。
「北総線の駅名に印西牧の原があって、牧というだけあって馬の牧場だったみたい。想像する牧場じゃなくて放し飼いだったみたいだけど」
「地名に残るくらいなんだ?」
羽海は感心して路線図を見る。悠紀が、ん、と何かに気がついたように口を開いた。
「松飛台なんて地名、なんですかね。想像もできない」
「旧陸軍関係の飛行場があったらしいよ」
「うわあ。それは思いつきもしなかった」
静流が答えると悠紀が感嘆する。羽海も頷く。
「地名は面白いね。北国分は国分寺があった北ってことか?」
「国府台の北側にある駅ですからね。そうでしょうね」
「地名って古いんですね」
すっかり悠紀が感心している。路線図を見終わったあと、ポタリングを再開。幹線道路から右折してしばらくすると右手のグラウンド越しに、立派なグラウンドと熱心に練習している野球少年が見えた。静流は再び一行を止める。
「ここが高校野球で有名な専修松戸の野球グラウンド」
「おお。聞いたことある」
「みなさん頑張ってますねえ。さすが強豪校」
「野球少年はみんなスリムですね」
「目の保養」
羽海はうっとりしている。やはりスポーツ少年は好物らしい。
しばらく専修松戸硬式野球部の練習を眺めた後、再スタートする。
少しして曲がり、左手に長い土手が現れる。また、静流は一行を止める。
「これが馬を逃がさないようにしていた土手の名残です」
「住宅地だけど残してあるのね」
「土手の方が柵よりコストがかからなかったんですかね」
「それもそうかも。鹿やイノシシよけでもあったみたいだよ。そもそも馬も半野生で、育ったいい頃合いに捕まえてから調教したみたい。幕府直轄の牧場だったんだ。馬を捕まえるときはイベント化していて、江戸からわざわざ見物に来る人も多かったんだって」
「へえ。野生馬を捕まえるなんてさぞかしダイナミックだったんだろうね」
「面白いなあ」
「この辺にはこんな跡が結構残っているんだ。僕は朝の自転車散歩のときにちょくちょく出くわしてる」
「しずるちゃん、どんだけ走ってるんだ?」
「他に運動してませんからねえ」
そして再スタート。住宅地をぐるぐる回って、今度は新京成線初富駅に行き、再び路線図を見る。
「新京成線はこれ自体が戦争遺跡と言ってもいい路線なんだ」
「クエスチョンマークだぞ?」
羽海が首を傾げる。
「陸軍の鉄道連隊の練習線だったんですよね」
「おお。さすが悠紀くん、知ってるね。だから変な路線なんだね。新京成線になるまでいろいろストーリーがあるから、興味があったら今度調べるといいよ」
「しずるちゃん。なんか漢数字がついている駅がいっぱいあるんだけど、旧日本軍と関係でもあるの?」
「ううん。さっき説明したとおり、この辺は江戸時代まで野生馬の放牧場だったから人が住んでいなかったんだ。だから明治維新以降、江戸幕府がなくなって失業した御家人に開拓させることで、失業対策をしたんだ。数字は開墾順らしいよ」
「二和、三咲――」
「四は豊四季」
「五香」
「六実は野田線の駅」
「七栄 (富里市)、八街(八街市)、九美上(香取市)、十倉(富里市)、十余一(白井市)、十余二(柏市)、十余三(成田市・多古町)の順に続く」
悠紀がwikiを読み上げる。羽海が首を傾げる。
「八柱だと思ったのに違ったね」
「へえ。八柱は8つの村が合併したからなんだ」
スマホで調べ、静流は声を上げる。静流もてっきり開拓地だと思っていた。
「地名は面白いねえ」
また羽海が同じことを言ったが、静流も本当にそうだなと思う。羽海が気がつく。
「あれ、一がないよ」
「一はここ、“初”富」
「納得」
「鎌ケ谷大仏駅がある!」
悠紀に静流がいいところに気がついたと答える。
「帰りに寄るよ。先週、車の中で見たんだけど、不完全燃焼だったから」
「楽しみだ。大仏」
きっと羽海はがっかりすることだろう。
初富駅を出て、すぐ近くにある鎌ケ谷市の郷土資料館に入る。土偶や縄文土器など鎌ケ谷出土の資料が展示され、中世の
「ポニーより少し大きいくらい?」
「小さいですね」
「映画とかで見る騎馬だとサラブレッドだから、実際はこの大きさだったんだな」
あと、古いものの展示もあった。黒電話と機械式計算機が目に付く。静流と悠紀が通じ合う。
「エニグマだ」
「エニグマだね」
「なにそれ」
羽海はぽかんとせざるを得ない。
「ドイツの機械式暗号機。まあ親戚みたいなもんだと思います」
「チューリングマシンですね」
「その通りだね」
「分からん会話をする!」
などど静流と悠紀だけで通じ合い、羽海の機嫌が悪くなる。しかし展示の最後に置いてある足踏み式のオルガンに気づくと、みんなでほっこりする。
「昔は電気じゃなくて足で空気を送って音を出していたんだよ」
小学校教諭の羽海としては昔の大先輩たちが踏んだであろうペダルを見てほっこりしたらしい。悠紀がにっこりして応える。
「いいものが見られましたね」
郷土資料館を出て、3人はリーフレットを手に、再び牧の遺構を探しに向かう。
また、
郷土資料館の近くの住宅地の中にその遺構の場所を知らせる石碑を見つける。国史跡にしては質素だ。それでも整備されているかどうかが史跡の価値ではない。そこがかつて何であったか分かるかどうかが肝心だ。ここは土手をUの字で組み合わせてある場所だ。さっきの馬土手とはかなり違う。野生の馬を追い込んだり、仕分けしたりしていたのだろうと想像され、当時の様子を窺える。保存状態は大変良いのだろう。国史跡になるだけのことはあると静流は思う。土手の中には高いものもある。1番高いところでは5メートルくらいはありそうだ。
「こんな近くにこんな遺構が残っているんですねえ」
悠紀がひたすら感心する。羽海は頷く。
「勉強すると楽しく思えることが増えるいい見本だね」
「この堤防じゃ、あの小さな馬じゃ絶対逃げられないね」
静流が言うと、悠紀が応えた。
「先に郷土資料館にいって正解でしたね。」
せっかく公園の近くまで来たので、公園に行って、静流は2人にコーヒーを入れることにする。ガスストーブでお湯を作る。秋が深まってきた。紅葉はまだまだだが、始まってきてはいる。ドリップしたコーヒーをすすりながら3人は話す。
「そういえば、焼き芋大会をしたいんだけど、大家さんに場所と枯れ葉を提供して貰えないかなって思っていて」
「おお。話をしてみるよ。それは面白そうだね」
羽海は快諾してくれた。悠紀が楽しげに会話に加わる。
「焼き芋を落ち葉炊きで作るんですね。それは秋らしいイベントだ」
「煙で通報されないといいんだけど」
静流はちょっと心配になった。世知辛い世の中である。羽海が静流を安心させるように言った。
「堤防に近いところだし、大丈夫じゃない」
「そうだといいですね」
コーヒーを飲み終わり、初富をあとにして鎌ケ谷大仏に向かう。初富から鎌ヶ谷大仏は1駅なのですぐだ。
幹線道路沿いの墓地の中にぽつんとお寺のお堂の中にあるような仏様が座られている。それが鎌ヶ谷大仏だ。先週見たのは一瞬だったが、ゆっくり見てもやっぱり小さい。
『安永5年(1776年)、鎌ケ谷宿の大国屋文右衛門が、祖先の供養のために、江戸神田の鋳物師に鋳造させたもの。高さ1.8メートルの釈迦如来座像である。開眼供養には僧侶50人あまりを請じ、江戸の高級料理屋八百やお膳で300人前の料理を用意し、当時「つぼに白金、お平にゃ黄金、皿にゃ小判でとどめ刺す」と唄うたい囃はやされたと豪勢な様子が伝えられ、鎌ケ谷宿の盛時の有り様がうかがえる文化財である』
鎌ケ谷市のHPにはこうある。往時の華やかさはここにはないが、大仏のそばまで寄って仰ぎ見るとかなり大きく感じる。
「いや――実際の大きさより大きく感じるね。すごいや」
羽海は愕然としていた。
「ありがたい大仏様なんだなあ、と。近くまでくると違う印象だ」
「僕は鎌倉の大仏を見たことがないので、大きいなと思います。それに優しい顔をしています」
静流は悠紀に相づちを打つ。
「昔の人もきっとそうだったんだろうね。だって比べるから大仏って聞いて疑問符を頭に付けちゃうけど、この大仏様だって、やっぱり大きな仏様だもの」
羽海も大仏という呼称に納得したように頷いた。大事なのは実際の大きさより、地元の人がどれだけ大切に思っているか、なのだ。
「じゃあ、大仏にあやかって、ラーメンはやめて大仏コロッケと大仏メンチを食べて帰ろう」
「そんな名物があるんだ?」
羽海は少し驚いたようだ。ちょっと離れたお肉屋さんの前に大仏コロッケの看板があり、幟が立っている。大仏のコロッケ? とちょっと解せない3人だったが、店内にはテレビやラジオ、新聞など紹介されたときの掲示物がいっぱい貼られている。羽海がおお、と声を上げる。
「割と有名なんだね」
「うん。割と有名。鎌ヶ谷大仏駅を紹介するならマストでしょう」
静流はそう言って、コロッケとメンチを3コ買い求める。ちょうど揚げたてで、3人はコロッケとメンチの両方をいただく。どちらもカタチがだるま風で、どうやらこれが大仏様を象っているらしい。
「本当に美味しいな!」
静流は感嘆する。羽海は頷く。
「揚げたては正義!」
「お店の揚げたてを食べるの、僕、初めてです」
またまた静流と羽海はほっこりする。
お腹が満たされたあと、ちょっと走って最後の目的地に行く。
公園の中に巨大なコンクリートの塊が4つ並んで立っている。そのコンクリートの塊は下り坂から上り坂になるところに設置されていた。要するに谷間だ。
「これは鉄道連隊が敷設した線路の跡。鉄道橋の橋桁だね」
「練習線って、新京成線になったんじゃなかったんだ?」
「練習線だから、あんまり合理的ではない線路もあったんじゃないかな。支線かなあ」
それにしても80年以上経っていながら、まだ劣化した様子はない。これもまた戦争遺跡と言えるかもしれない。これにて見物は終了だ。総走行距離40キロに満たないポタリングだが、見所はたっぷりあった。結局、午後2時という中途半端な時間に地元に帰ってきてしまった。羽海が少々残念そうに言う。
「やっぱりコロッケとメンチだけじゃ足りないなあ。どこかでご飯食べない?」
「じゃあ羽海ちゃんの家で袋ラーメンでも作りますよ」
「ありがとう」
「僕も食べていいですか」
「もちろん!」
そして3人でスーパーに買い物に寄って、遅い昼ご飯を食べたのだった。
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