第192話 さくら、抜け殻になる
すみれから静流のところに連絡が入ったのは、空手大会の夜のことだった。
〔さくらが燃え尽きてしまったみたいなの〕
〔理解しますが、具体的にはどんな感じですか〕
〔ぼーっとしちゃって何をしてても、何を聞いても上の空なのよ〕
〔激闘でしたからね〕
〔雫ちゃんに明日、様子を見に来て貰えないか聞いてくれる?〕
〔了解しました〕
なるほど。先に帰ってしまったから気がつかなかったが、そんな予兆は大会終了後にはすでにあった。休み時間にアリーナに降りて優勝したさくらにお祝いの言葉を掛けたのだが、うん~ がんばった~ くらいの返事の緩さだった。結局、ゆうきに勝った実感が後から来て、自分が燃え尽きてしまったのが分かったのだろう。
雫が風呂から出たところで、髪もまだ乾かしていなかったが、静流は声を掛け、かくかくしかじかと伝える。
「なるほど。確かに既読すらついてない」
さくらに連絡を入れていたようだが、スマホを見てすらいないことが分かった。
「一時的なものだと思うけど、心配だね」
「すみれさんがお呼びしてくれるんだから、参上しますか。静流は?」
「やめておこう。僕の出番じゃない。しおしおの状態はあんまり見せたくないんじゃないかな」
「うん。ゆうきちゃんには連絡を入れておく」
「え、大丈夫かい?」
「負けた後のさくらちゃんと同じようなものだと思えば、燃えているはず」
「気まずくなっても困るからね。ぶつけてみる」
「じゃあ僕は集まる人たち用にお菓子を作ろう」
「静流がお菓子か――?」
「昔はよく作ったもんだよ」
「知らなかった」
「乞うご期待」
早速、静流はお菓子を作り始める。お菓子と言っても簡単なもので、蒼と雑談しているときに教えて貰った料理だ。たこ焼き器を使って、ホットケーキミックスを焼き、あとは作り手のアレンジ次第と言われた。蒼はチョコレートがけにしてホワイトデーに瑠璃に渡したということだった。
ホットケーキミックスは手軽なお菓子用に常備している。普通に溶いて、たこ焼き器の登場。どんなアレンジにするか考える。このまま鈴カステラにするのもいいが、それでは芸が無い。芸が無いといって奇をてらうと失敗するのが料理の常だ。無難なアレンジを考える。タコを入れるタイミングでとろけるチーズ、またはナッツを入れることにする。これも常備しているから大丈夫だ。焼き上がってから砂糖をまぶすことにする。
たこ焼き器で焼ける量が意外と少なかったため、3回も焼いてしまった。きちんと分量を量れば良かったと後悔しつつ、味見する。悪くない。澪もやってきて、味見。
「お酒のつまみじゃない?」
「否定しません」
「お酒のあてにしていい?」
「それはダメです。さくらちゃん用ですから」
「彼女、ご活躍だったみたいだね」
「はい」
「労ってあげようね」
「それは雫ちゃんの役割です。僕は作る人」
「それでもいいさ」
静流は頷いて、粗熱がとれた鈴カステラをタッパーに入れ、砂糖をまぶして冷蔵庫で寝かせたのだった。
翌朝、馬頭観音像前で雫は美月とゆうきと待ち合わせ、さくらの家に向かった。美月はどうやらこの状況を予想していたらしい。ゆうきに到っては確信のレベルだった。自分はさくらのことをよく分かっていないのかな、と雫はちょっと悲しくなった。
「しかしゆうきちゃんは昨日の今日でよく来てくれたね」
雫はフィットネスウェア姿のゆうきに聞いた。
「そりゃ勝負は時の運だし、なんとなくこうなることも日頃の手合わせからあるかなと思っていたし。もうあぐらかいていられないね」
「やっぱりゆうきさん、燃えてるじゃないですか。安心のゆうきクォリティ」
美月がホッと一息つく。
「それにしてもさくらが燃え尽きることなんかあるんだろうか、というのが正直なところで。気になって練習なんかできないよ」
「ゆうきちゃんが練習なんかなんて言っちゃうくらい、さくらちゃんのこと好きなんだね」
「好きー」
雫にそう指摘され、ゆうきは自分で自分を抱きしめる。
「けれどすみれさん、大坂さんに私達が来ることを行ってあるのかな」
「言ってあっても聞いていない説」
「そんなに放心しているならそんなこともあるかもだね」
雫の説にゆうきが賛同する。
馬頭観音像から少し歩いただけでさくらの家に着く。すみれが出迎えてくれて、さくらの部屋に通されると、さくらは部屋の真ん中の座布団の上で放心していた。本当はおばあちゃんの、魔法使いエルフのしょぼしょぼ顔だ。
「うわ、本当だね」
「重症ですわ」
「おい! さくら! あしたのジョーごっこなんかしてるんじゃねえ!」
「ゆうきさん、よくあしたのジョーなんて知ってますね」
美月のツッコミを無視し、ゆうきがさくらの正面に正座する。
「いいか、わたしに1回勝ったくらいで終わると思うな?! わたしたちはようやくのぼりはじめたばかりだからな! この果てしなく遠い空手坂を!」
「今度は『男坂』か」
そういえばゆうきは好きなマンガもマニアックなものだった。家には結構マンガがあると考えた方が自然だ。ちなみに雫は『男坂』をネットで読んで知っている。
「はっ! ゆうき。どうしてここに?! いや――はっ、はわざとだけど、どうして来たん?」
さくらは我を取り戻す。
「さくらあああ!!」
ゆうきはがしっとハグしてさくらを強く抱きしめる。
「大丈夫。あたしは大丈夫だって……」
「そんなにわたしに勝って満足してしまったのかよ~~ 燃え尽きたのかよ~~ずるいじゃんかそんなの~~」
ゆうきも感極まっている。悔しいのは分かる。それでも放心したというさくらのために足を運んだゆうきの優しさを雫も感じた。
「あ、え、そ、そうかな。うん。半分は、そう、かな」
もう半分の要因に雫と美月はピンときた。
「榊だな」
「空手センパイですね」
どうやら初手から方向性を誤ってしまったらしい。軌道修正が必要だ。
「ゆうきちゃん、しばらくここは頼んだ」
「うん。どうするの?」
「お茶入れてくる」
「手伝いますわ」
雫とさくらは1階の台所まで降りる。お台所を借りてお湯を作り、ティーパックで紅茶を入れる。静流が作ってくれた鈴カステラに合うかと思ったからだ。
「あのあと、空手センパイが2度目のアタックをしたというのはどうだろう」
「前回の告白が流れというか、うやむやのうちに放言してしまったみたいな感じでしたものね」
応援団長をやってモテモテのところを見られて、弁解しているうちについ好きという気持ちを言葉にしてしまったらしいと本人から聞いている。榊としてはきちんと伝えてリベンジしたいだろう。
紅茶をいれたカップを4つ、お盆に載せて2階に戻るとさすがにゆうきはハグをやめていた。ゆうきが2人を見て言う。
「お、戻ってきた」
「静流が作ってくれた鈴カステラがあるからそれでも食べて落ち着こう」
「静流さん、マメですわね」
「――さすがだよなあ」
さくらはぼそりと言う。
タッパーは3つ。それぞれ開けると雫が解説する。
「青いタッパーがノーマル。白いタッパーがチーズ、ピンクのタッパーがミックスナッツだそうだよ」
「中身が違うのか……」
さくらがまずチーズに手を伸ばして口に入れる。
「どう?」
「うん。面白い」
続けてミックスナッツを食べる。
「うん。美味しい」
「さくらはグルメリポーターにはなれないな」
ゆうきも食べると何度も頷く。
「おお。イケる」
「ゆうきさんも変わらないじゃないですか」
美月もミックスナッツを食べて、正直な感想を口にする。
「大人ならつまみにいいですわね」
「ウチもそう思う」
だが、美味しいことは美味しい。さくらは甘いものを食べて元気を取り戻しつつあるようだ。
「それでどうだ、さくらちゃん。ゆうきちゃんが来て落ち着いたか?」
「……うん。やっぱゆうきに勝てて、放心したのはあると思うよ。この半年、それを目標にしてきたからね。なんたって選抜選手だよ」
「うんうん」
美月が相づちを打つ。
「でも、わたしに勝ったくらいで放心してたらきりないよ」
「そこまで低い壁じゃないよ、ゆうきは。時の運もあるだろうから、まだまだ頑張る。一緒にまだ練習してくれる?」
「もちろんだよ!」
ゆうきは再びがしっとさくらをハグする。
「――よかった」
さくらは安堵の表情を浮かべた。雫も安堵の息を漏らす。
「じゃあ、問題は残りの半分か。榊め!」
「ええ、やっぱわかるか?」
「だって私達、空手センパイを会場で見てますから。何かあったと想像しない方が変でしょう」
美月の言葉にさくらは頷く。
「確かに。ゆうきにもなんとなくは話したよな?」
「それとなくは聞いた。あの悪ガキ3人組の1人でしょう? 男の子が好きな女の子の気を引こうとして意地悪するっていう典型的なパターン」
「そして運動会の応援団長でブレイクして、さくらちゃんに冷ややかな目で見られた挙げ句、弁明で――というパターン」
「やっぱり告白は時と場所を選んで欲しいですよね」
美月の言葉に、自分は運が良かったなと雫は思う。花火大会の夜はそれなりにいい場所と時だと思う。
「それで、榊に何か言われたのか? もう1度告白されたとか?」
ゆうきがさくらの両肩を掴んでさくらの目をのぞき込んだ。
「あいつ、ベスト8に入っただろ? ベスト8に入ったら言いたいことがるんだって、前に一方的に言われてて、そして昨日、有言実行したから時間を作ってくれって言われて……」
「おおおおお!!!」
「きゃああ~~♡」
「榊、ぶっ飛ばす!!」
物騒なことを言うゆうきである。雫は強調する。
「大切なのはさくらちゃんの気持ちだ。流されちゃダメだぞ!」
「いや、ぜんぜんそんな気はないけど、なんか、格好いいなって……思っちゃって」
「大坂さん! それはいつもの惚れっぽい大坂さん! 悪いクセですよ!」
「それを流されているっていうんだ!」
美月とゆうきがさくらを押しとどめようとする。
「わかってる。わかってるよ。だから悩んでいるんじゃないか」
なるほど。さくらも自分を客観視しているらしい。しかしちょっとでも榊をいいと思っているのは良くない傾向だ。
「それで、時間って、いつなんだ?」
「今日の11時。ショッピングモール入り口」
「うわ、映画館のある方だ」
雫は露骨な榊の思惑に感情と言葉が直結してしまう。しかし待ち合わせが11時だとあと90分ほどしかない。ゆうきが問い詰める。
「さくらは行くのか? 行かないのか?」
「行かない選択肢はない。断るなら、真っ直ぐ断る」
さすがさくらだ。雫は頷いて聞く。
「でも、迷っている?」
何を迷っているのだろうか。行くこと、をだろうか。断ることを、だろうか。それだけでは分からない。
「何を着ていけばいいんだ!」
なるほど。そんなに考えることでもなかった。
「それは私達がプロデュースしますわ!」
美月は時計をにらみつけた後、腕まくりしたのだった。
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