第191話 さくらとゆうき、激突!

 さくらは会場の端で自分の出番を待っていた。その様子を雫は心配しながら見つめる。


 そして勝ちあがった榊の出番がきて、師範代が、みんなで応援するぞと声を張り上げた。榊以外の高学年の2人は負けてしまったらしい。


「羽海ちゃん、呼べば良かったですね」


 美月がボソッと呟いた。そうだった。師範代が来ていると分かっていたのなら、担当児童の応援がよくないとか関係なく、来て貰えば良かった。そうすれば師範代を紹介できたのに。やはり師範代と羽海とは縁が無いのだろう。


 榊が開始線についた。相手は同じ6年生らしいが、中学生くらいに見える。体重別ではない少年空手ではあることに違いないが、それにしてもリーチが違う。


 開始と同時に2人は小刻みにステップを踏み、間合いを見切らせない。初手は相手だった。長いリーチを活かして前蹴りをしてくる。慌てて榊は引き、その引いたバランスを崩したところに追い突きを放ってきた。


 榊は追い突きの下をくぐって跳ね上げ、正拳を放つがリーチが足りない。


「踏み込みが足りない!」


 師範代の大きな声が会場に響き渡る。空振りした後が危険だ。がむしゃらに連打して相手の攻撃を受けつつ、距離を取る。うまくうやむやにできたようだ。


 もう1回、相手の間合いをくぐり抜けないと勝機が生まれない。よし、と距離を取って覚悟を決めたようだ。


 相手はリーチを活かして再び前蹴り。イケると判断したのだろう。しかしそれは榊に読まれており、榊は全力で回し蹴りをしてその前蹴りを払い、相手がバランスを崩した隙に裏拳を放って、有効打を産む。


「やるなあ」


 自分と同じでまったく空手が分からないだろう静流が声を上げる。確かに度胸がなければあの全振りはできないだろう。


 有効を貰って終わりにはしない。そのまま懐に飛び込むが、袖を掴まれてバランスを崩され、もつれ、試合が一時中断する。美月が疑問の声を上げる。


「あんなのありですの?」


「審判は警告もしてないねえ」


 雫は息をのんで見守るしかない。


 前蹴りで2回来た。榊は3度目はないと踏むだろう。しかもカウンターができた。相手も警戒し、なかなか攻撃してこない。追い突きを連続。圧力を掛け、相手も応戦してくる。捌き、かわし、ステップを踏んで距離を取り、仕切り直し。


 榊が咆哮を上げる。


 相手が上段から下段突き、対応して防御。態勢が崩れたところを狙ってローキック。相手は転んだ。


「優勢だ」


 そのまま試合が運び、榊の有効が活き、2回戦を突破した。


 2回戦のさくらの試合も圧巻だった。相手の小技を全て受け切り、連打が途切れたところで前蹴り。距離ができて態勢が崩れたところで追い突き、正拳。1本で勝利した。


「さくらちゃんは間違いなく一皮むけたね」


「今までと全然違いますね。安心です」


「そうなんだー」


 すみれは雫たちの感想を聞いて、安堵する。どうやら生きた心地がしていないらしい。あんなにさくらの試合は不安もなく、安定して強さを発揮できたのに、母親はそうも言っていられない生き物らしい。


 ゆうきの3回戦は前蹴りで態勢を崩し、瞬時に追い込み、連打の後、回し蹴りで1本。


 明らかにさくらを意識していた。


 この2人が決勝で当たりそうだと思われているのは、会場の雰囲気でも分かった。ゆうきとさくらの試合の前はざわついたからだ。


「さくらちゃんも有名選手になりつつあるんだね」


 静流が息をのむ。雫も大きく頷く。


「自慢の親友だから」


「ズッ友(死語)!」


 美月に言われて雫はハッとする。そうなのだ。もちろん美月だけではなく、さくらもズッ友(死語)だ。試合が終わったらさくらにもズッ友だと言おう。そう雫は決めた。


 実力に不安があるのは残念ながら榊1人のようだ。榊の3回戦は泥仕合になった。どちらも有効をとることすらできず、スタミナだけで戦い続け、判定で榊が勝利した。とても危うい勝利だった。しかしこれで、次の4回戦で勝利できればベスト8だ。恥じる成績ではない。運も実力のうちと言うではないか。榊の肩を持つ理由はないが、同じ小学校の先輩として頑張って欲しかった。


 さくらの3回戦は、相手が警戒してきていた。なのでどうしても消極的になりがちで、あまりいい試合にはならない。ただ、不用意に追いすがるとカウンターをくらう。注意が必要だ。結局、最後までお互いに有効もなく、判定でさくらは勝利した。


 一方、ゆうきの方は終始押しまくり、技ありで勝負を付け、差が出たカタチになった。


 ついに4回戦が始まり、榊の出番となった。


「榊くん~ 頑張れ!」


 静流が大きな声で声援を送った。2人は知らない仲ではない。応援に力が入るのも自然だ。


 榊は相手の猛攻に受けを多用し、守勢に回ってしまう。順々決勝にまで来る相手だ。それなりに実力は確かだ。しかし榊の目が生き生きとしているのはメンホーと呼ばれるプロテクター越しにでも分かる。


「狙ってますね」


 美月は榊が相手の攻撃パターンを見切りつつあるのを見て取ったらしい。雫からもそんな風に見える。カウンターを狙っているのだ。しかし受けきれず、榊は有効をとられてしまう。しかし焦る様子は見えない。猛攻の後、息切れした相手の隙を突いて、無事、回し蹴りを決め、ポイントで優勢をとり、そのまま逆転逃げ切り勝ちとなった。


「よかったなあ、榊くん」


 静流が胸をなで下ろす。雫の目にも榊がものすごく喜んでいるのが分かる。


 続けてゆうきとさくらの4回戦となり、2人とも苦戦したものの、ゆうきは2ポイント差を付け、さくらは1ポイント差を付けて勝利した。


 これで女子の高学年の部は男子より一足早く決勝となる。さくらとゆうきの決勝での激突だ。雫は唇を一文字にした後、言った。


「期待していたとおりになったね」


「いざ、実際に決勝で当たるとなると緊張しますね!」


「すみれ、生きた心地がしませんよ!」


 静流は苦笑する。どっちが勝っても恨みっこなしだろうが、それでもどちらを応援すべきなのか迷う。雫がさくらを応援するのは付き合いの長さだが、静流にしてみると長さそのものは大して変わらない。いや、単純接触が多いさくらの方を意識はしているに違いない。さくらは静流におっぱいも押しつけてたし。


 女子の部は休憩が入り、男子の準決勝が始まる。これに勝てば榊はベスト4ということになる。そうなったらなかなか凄いことなのではないかと思う。


 しかし残念ながら榊が勝つことはなかった。明らかにスタミナ不足だ。5回も本気で戦った経験がないからだろう。それとも目標がベスト8だったのか。動きが露骨にスローになっていた。もうガス欠だ。


 結局優勢に回ることなく、判定で榊は勝利を逃した。反省しているように項垂れていた。自陣に戻る榊をさくらが気にする余裕はない。自分の決勝が迫っているからだ。一言話すスタミナだって惜しいだろう。


 榊の方も、負けてさくらにかける言葉はないに違いない。その場に座り込み、床に拳をぶつけて、悔しさを叩きつけた。何をすればいいのか、分かっているのだろう。さくらと同じ、基礎体力をつけることだ。しかし小学生として最後の大会でベスト8に残れたことは誇れるだろう。その実績を胸に中学生になってほしいと雫は思う。


 少しして女子の部の決勝が始まる。


 開始線をはさんで、さくらとゆうきが相対する。2人の足首には雫と美月が編んだ同じ柄のミサンガがある。嬉しい。前に市営の武道場で戦ってから4ヶ月が経っている。この4ヶ月、2人は濃い時間を過ごせたはずだ。雫は2人のその時間を信じる。どちらが勝っても、その時間が無駄でなかったことを確信する1分半になることを信じる。


 審判が開始を宣言した。


 先にさくらが動いた。小刻みにステップを踏んで追い突き、前蹴り、カウンターでゆうきが上段蹴り。それを受けてさくらは上段蹴りの勢いに乗るカタチで後退。しかし間を作ったはいいが、さくらはゆうきから追い打ちを受ける。怒濤のラッシュだ。捌き、受け、後退し、場外になる。


 これで1つ、さくらは不利になった。開始線に戻り、再開。同じ轍を踏むわけには行かないさくらだが、慎重に行く気はないらしい。それはゆうきも同じだ。激しい応酬が始まる。突き、受け、捌き、かわし、そして撃つ。さくらが下段突きで有効を得る。


 これでさくらが優勢になった。ゆうきは少しムッとした顔をした。初めてさくらに優勢をとられたからに違いない。


 この半年、一緒に練習をしてきた2人だ。ゆうきにしてみればライバルであるさくらから触発を受けるつもりだったのだろう。だが、その差は思ったよりも大きくなかったのだ。ゆうきの動きに初めて迷いが見えた。


 しかしさくらの表情は違う。楽しそうだ。それに気づいたゆうきは思い直したのだろう。同じように楽しそうな表情に変わった。彼女はこの戦いを求めて、さくらと一緒に練習を始めたこともまた事実なのだろうから。


 試合中に選手同士が会話することは禁止されており、反則になる。もし禁止されていなかったら2人とも楽しいね、と声を掛け合っていただろう。


 激しい戦いが続いた。90秒しかないのに、長い戦いだった。2人とも全力を尽くし、玉のような汗を額に浮かべ、頬を伝い、顎から零していた。


 そんな楽しい時間もいつかは終わる。


 ゆうきはその後、さくらから有効以上を取れず、時間切れでさくらの有効勝ちとなった。さくらの勝利を審判が宣言したときには、ゆうきは涙を流していた。


 さくらはゆうきに向き合い、どちらともなく手を伸ばし、抱き合い、2人して泣きじゃくった。審判もこれには困って各道場の指導者に助け船を求め、師範代が2人の背中を押して、3人で一緒に場外に出た。


「すごおおいいい」


 すみれは感嘆の声を上げるしかない。雫は驚きを隠せない。


「うわあ、優勝しちゃった」


「県だけの大会だから全国大会は無いけど、よかった」


 静流は頷きつつ、ミラーレス1眼を用意する。表彰するところを撮るつもりなのだ。


「帰ったらお祝いですね」


 美月が言ったが、雫としては素直に頷けない。もうゆうきもお友達だからだ。


 涙を拭い、さくらが顔を上げ、観客席の4人に視線を送った。彼女の目はうるうるしたままだ。ゆうきも離れたところから手を振ってくれている。


 いい試合だった。


 そう思いつつ、雫は2人に応えるべく、手を振ったのだった。

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