第184話 葛飾八幡宮で

 葛飾八幡宮は今から1100年以上前に創建されたと伝えられる八幡の地名の由来となった神社である。下総国総鎮守と言われており、平将門を始めとし、源氏再興の旗揚げをした房総に相応しく、源頼朝、そして江戸の基礎を築いた太田道灌、そして徳川家康公から敬われたということでも知られている。


 そんな有名な神社なのだが、静流の足がイマイチ向かなかったのは鶴谷八幡宮こそが八幡宮だよな、という館山出身者の意地と言おうか矜持といおうか、そんなつまらないプライドからであった。


 確かに創建年代は葛飾の方が古いが、元八幡神社という鶴谷の前身となった安房国総社の時代を含めれば、鶴谷の方が古いのだ。


 改めて脳内で言葉にすると、やはりくだらないプライドだと思う。


 クロスバイクで葛飾八幡宮まで向かっていた静流であったが、信号待ちの間にサイドミラーを見ると後ろのクロスバイクの乗り手に気づき、振り返った。


「やあ。応援団長」


「やっぱ見に来ていたんすか」


 最近の話題の主、榊だった。そういえばさくらと榊が通う空手道場は駅前だったと思いだし、道場に行くのかなと想像する。


 歩行者用信号が点滅し始めた。


「どこ行くの? 道場?」


「いえ。落ち着かなくて走ってます」


 何に、とは静流は聞けない。それでも静流はアクションを起こそうと思う。


「自販機でおごるから、ちょっと時間くれない?」


「はあ?」


 榊は露骨に頭上に?マークを浮かべた。


「まあまあ」


 静流はそう言って、榊に付いてくるよう促した。


 駅前に手頃な公園はなく、京成の駅前ロータリーまで行く。それほど車が来ないのでちょっとクロスバイクを立てかけて、自販機でお茶をするくらいはできる。


「何飲む?」


「せっかくなんでデカビタ」


「おう。意外」


 スポドリを選ぶかと思った。デカビタCのボタンを押し、静流は自分の分はカフェオレを購入する。


 榊と静流は1度ペンキ塗りで一緒になった間柄だ。さすがに半日も一緒にいると割と話せる間柄になる。


「榊くん、モテるでしょう」


 静流はプルトップを開け、小学6年生男子にいきなりぶっ込んだ。


「あー 応援団長効果のことですね」


 やはり榊には心当たりがあるのだった。


「とても良かった」


「やって良かったとは思いますが、別にモテるためじゃないですよ」


 そういう榊の顔は真剣だ。


「さくらちゃんが応援団をやることを聞きつけて応援団に手を挙げたはいいけど、団長に祭り上げられた、という解釈でいい?」


 ぐっと榊は黙り込む。どうやら図星だったらしい。


「そんなに俺、わかりやすいですか」


「さくらちゃんのこと、好きだもんねえ。僕はそんなに恋愛経験豊富じゃないけど、なんとなく分かるよ」


 静流の思春期に入ってからの恋は中3で、榊と比べると大分遅いのだが、それでも想像することくらいはできる。同じ1コ下の子だったし。


「いつから気がついていたんですか?」


「夏休みに館山の夏祭りで会ったとき」


「あ~~ 俺、変でしたもんね」


「さくらちゃんはさ、誰かのことを好きになることはあっても、今まで誰かに好かれたことがないから戸惑っているんだよ」


「そう、ですかね」


「今までのマイナス面も口にするけど」


 そう静流が言うとブラックホールのような暗黒闘気が榊の周りに生まれる。


「いやあ――アホで」


「気づけばいいんじゃない」


「実はさ、あんまり時間ないのよ。これから葛飾八幡宮でさ、雫ちゃんたちが着物を着付けて貰ったからみんなで撮影会なんだ。まあ、言いたいのはそれだけ。すぐ隣の市民ホールに美術展示室があるみたいだから、見に行ってみればいいんじゃないかな。参道はバッチリ見えると思うよ」


「全部言うんだ?」


「見たくないの?」


「見たい」


「隠し撮りはダメだよ。あとでちゃんとあげるから」


 榊は頷いた。


「じゃあ、偶然、知り合いに会わないようにね」


 2人が会ったら、いい訳が効かない。情報漏洩の犯人は静流だと一発でバレてしまう。


 静流はカフェオレを飲み干し、空き缶をゴミ箱に投入した。


「大瀧さん、どうしてそんなこと言ってくれるんですか?」


「いやまあ、さくらちゃん本人にバレさえしなければいいんだし。誰も傷つかず、イヤな思いをしないで済むのなら、これくらいいいんじゃないかな」


 榊は小さく無言で頷いた。


 静流はクロスバイクにまたがり、踏切を越えて、線路沿いに葛飾八幡宮に向かった。


 自転車置き場にクロスバイクを停めて、踏切の前で待っているとちょうど一の鳥居の方から歩いてくる着物姿の5人の姿が見えた。どうにか間に合ったようだ。渋滞していてくれてありがとうだ。


「静流~~!!」


 まだ少し離れているのに、雫が大声で名前を呼んだ。静流はカメラバッグからミラーレス1眼を取り出して、起動すると構図も考えずにまず1枚撮る。確認すると液晶の中に飛び跳ねた雫とあきれ顔のさくら、そしておすまし顔の美月とピースするゆうきが表示されている。引率のすみれは困り顔だ。


 踏切の警報器が鳴り、踏切が降りる。しばしの間、彼女たちとは遮られる関係になる。上下の電車が行き交い、ようやく踏切が上がると雫が走ってくる。履き慣れていない草履なのにと、静流の心配も余所に、雫はがしっと静流に抱きつく。


「榊、どうだった?」


「分かってたか。姿を見せないよう念を押した」


「さすが静流」


「あとは任せる」


「任された」


 いつものように抱きついてきただけかと思ったが、今回はこんな確認をしたかったからなのか、それとも単についでか。分からない。榊が駅方面に向かっていたのは車の中で雫たちも確認していたのだろう。つまり、さくらも知っているわけで。頼むから見つからないでくれよと静流は願った。


 そのあとは二の鳥居の前で記念写真を撮る。


 次に随神門の前で記念写真を撮る。お寺にあるような門なのだが、明治維新の廃仏毀釈でお寺は廃されたが門は残されたのだろう。朱塗りできれいな門で参道の銀杏の木が両脇にあり、イチョウの紅葉の際はとても映えそうだ。


 まだ11月の初旬なので、紅葉にはちょっと早い。こんなにイチョウの木があるのなら、もう少ししてからデジカメを手にまた来ようと思う。


 思った通り、七五三の参拝客とすれ違う。


「かわいいねえ」


 ゆうきがぱりっと着付けた男の子を見て声を漏らす。さくらがテンションをあげて子どもたちに手を振る。


「女の子もふわふわしててかわいい」


 あの成人式で見るふわふわを巻いている女の子が多い。あれはフェザーショールというらしい。


「ウチは七五三やった覚えがないな」


「僕もないよ」


「そうですか。私はここでしたよ」


 美月がちょっと先を行き、神門に到る。


 途中、右手に市民ホールがある。ロケーションとしてはこの辺りなら、市民ホールのエントランスから眺められるだろう。榊は間に合ったのだろうか。途中で撮影して時間があったし、たぶん、間に合った、と思いたい。


 葛飾八幡宮の神門は屋根が銅葺きで、緑青が浮かんでいる。見事な神門だ。奥に拝殿がすぐ見える。右手に鐘楼が見える。お寺時代の鐘楼をそのまま残したのだろう。


「神社なのに鐘がある」


「解説は今度」


 さくらの疑問に今日は答えない。自分の悪癖を今日は披露しないようにしたいと思う。


 拝殿でお参りし、撮影し、そして樹齢1200年というイチョウの神木の前でも撮影する。この見事なイチョウの紅葉を是非とも見に来ようと静流は思う。


 3人娘あらため4人娘は、和服を満喫しているようだ。


 一の鳥居の脇にある駐車場までの道すがら、すみれに話しかける。


「ありがとうございました」


「こちらこそありがとう。とても楽しんで貰えたと思うわ」


「お洗濯大変でしょう。こんなに」


「別にどうってことないわ。着物だって着られるために作られたんですもの。着て貰えて嬉しいはずだわ」


「おっしゃるとおりですね」


「あとで画像、共有してね」


「もちろん」


 そしてすみれと4人娘がコインパーキングに停めた車に乗って、国道に出るまで静流は見送る。駐輪場まで戻り、さあ帰ろうかと思った頃、声を掛けられた。


「ども」


「見つからなくて良かったね」


「わからない」


「そうなの?」


「帰り、俺、市民ホールの入り口にいたんだけど、目があった気がした」


「そう?」


 少なくとも静流は気がつかなかった。榊が恋をしているから、単に敏感になっているのかもしれない。さくらの方にも変わった様子もなかった。


「大丈夫だと思うよ」


「そうか。では。また、機会がありましたら」


「うん」


 榊もクロスバイクに乗って去って行った。


 そのまま追いかける形になるので、ちょっと気まずい。なので自分はこのまま写真撮影をして、静流は間を作ることにしたのだった。




 帰宅し、夕ご飯の席で、雫は澪にさくらのお誕生日会の報告をする。静流はそれを黙って聞く。さくらがとても喜んでいたこと、ミサンガを2人がはめてくれたこと。オムライスで♡♡♡を静流に描いて貰ったこと。そして和服体験をさせて貰ったこと。葛飾八幡宮で撮影会をしたこと。


「それは是非お礼に行かないとねえ」


 澪は腕組みをして考え込んだ。澪はすみれとももう知己の仲だ。


「うん。とっても楽しかった」


 そう雫が言ってくれるのは静流も嬉しい。


 なんでもチャレンジする。その姿勢にはこの半年、変わりが無い。しかし人間関係も増えて、雫たちもどんどん大人になりつつあって、様々なことが変わりつつある。

 そう。いつまでも同じところに人間はいられないのだ。


 榊とさくらの関係性がこの先どうなるのか。直接関係があるわけではないのだが、静流は気になって仕方が無いのだった。

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