第183話 日本人なんだから和服でしょ!

 メイド服を脱ぐのは名残惜しいが、和服体験ができるというのはとても楽しみだと雫は思う。


「さあ、別室に行きますよ! 居間で着替えるものですか!」


 美月が憤っている。2度も同じ過ちを繰り返さないために場所移動は重要だ。


「さくら、着付けを手伝ってくれる?」


「わかった」


 すみれに促され、既に和服を着用しているさくらも皆と一緒に2階に行く。


「茶道体験するお子さんのために、何人か分を用意してあるのよ」


 階段を上りながらすみれが言う。なるほど。和服も一緒に体験できるとより日本文化を体験できるからな、と雫は納得する。


 2階の1室に入り、すみれが3人に言う。


「まず、見本を見て貰おうかしら。えーっと、誰にしようかな。じゃあ、ゆうきちゃん」


「やったあ」


 ゆうきはガッツポーズをとる。


 ゆうきはメイド服を躊躇無く脱ぎ去り、脱いだメイド服はさくらが丁寧に畳んでいく。スポーツブラとパンツとソックスだけになったゆうきにすみれはソックスを脱ぐよう言う。


「あれ、なんか変な気分。小恥ずかしい」


「見本だから仕方ないわね。着付けが崩れないように最初は足袋から履くのよ」


 足袋というのは和服の時の靴下のようなものだ。


「なるほど」


 足袋を履き、すみれが病衣のようなものを持ってくる。


「これが肌着ね。セパレートもあるけど体験用はワンピースにしてるの」


 ゆうきはそそくさと肌着を身につける。修行で女の人が水垢離するときに着ているあれだと気づく。なるほど。こういうものなのか。


「もしかして本当は下着をつけないって、これが下着だからですか」


「そうよ。そして帯がずれないようにタオルで腰の辺りを補正。思った通り、鍛えられているから凹凸がはっきりしてるわね。見本に選んで良かった。当たり前だけど凹凸があると帯を締めにくいの」


「ドキ。私、補正、必要かな」


「みーちゃんが必要なかったらウチも不要だよ」


 幼児体型がバレてしまう。しかし美月は発育がいいから補正は必要だろう。自分は――だ。すみれがタオルでゆうきの背中を平らにする。


「次は長襦袢です。長襦袢というのはシャツ兼タイツというところかな。これが和服のカタチを左右するのでしっかり着て貰います」


 すみれに言われるがままにゆうきは長襦袢に袖を通す。羽織って巻いた後、すみれはまず長襦袢のセンターだしをして、そのあと、襟足が見えるように襟あたりにややスペースを作った。


「これを衣紋を抜く、といいます」


「えもんか。衣紋掛けの衣紋えもんだな」


 雫はハンガーの別名を衣紋掛けということを思い出した。


「衣紋そのものはきれいに着付けることをいいます」


「なるほど。そのためにはハンガーは必需品だな」


 今日は新しいことをいっぱい知ることができそうだ。


 そして帯に当たるところをゴムのベルトで締める。すみれはこの段階で長襦袢のバランスを重視して直していく。


「洋服って楽だ~~」


 ゆうきが手間暇掛けてカタチを作っていくすみれを見て声を上げた。


「慣れればどうってことないわよ」


 そうかもしれないが、これで日常生活を送るのは大変だ。今日、さくらの家に来るときはデニムパンツにシャツ、ウインドブレーカーだった。和服はその何倍もの労力がかかる。その日常生活を想像すらできない。


 長襦袢のカタチができて、ようやく着物の出番だ。


「さあ、ゆうきちゃん。1番の特権よ。どれにする?」


 タンスの中に何着もの和服がある。驚きだ。


「シンプルなこの薄いブルーにします」


「いいわね。スタイルの良さが際立つね」


 そしてすみれはタンスから取り出し、袖を通して貰い、ゆうきの体形に合わせていく。裾の水平をとったり、襟の位置を決めて、袖の位置を決めて、やっぱり大変だ。腰紐で固定して、余った布を処理していく。この過程で和服独特のあの上半身の膨らみあるスタイルができていく。最後に帯を締めて、皺を取って完成だ。


「本当は前日に出して皺を取っておきたかったんだけど、昨日はそこまで考えてなかったからごめんね」


「うわ。わたし、本当に着物着ている!」


 姿見で自分の和服姿を見て、ゆうきはテンションが上がっている。


「写真、写真を撮らないと!」


 雫は自分のスマホで撮影しようとするが、さくらに止められる。


「何言ってるんだよ。これから雫も着付けるんだよ。やるぞ。写真は全員着終わったあとだ!」


 さくらはもう雫のメイド服を脱がせる気満々で10本の指をわさわさしている。


「やーん、脱がされる♡」


「迫られて脱がされたい?」


「和服のさくらちゃんからは王子様臭がしないので結構です」


「残念!」


 雫はメイド服を脱ぎ、ハンガーに掛け、さくらに手伝って貰って着付ける。さすがにさくらは自分で着付けることができるらしい。雫はオレンジ色に桔梗の柄の着物を選んだ。美月は薄いクリームに三日月の着物を見つけ、悦に浸っていた。


 1時間以上かかったが、4人とも和服に着替えて並び、すみれが記念写真を撮る。


「やった! 女の子はこうでなくっちゃ」


「おかん、あたしがあんまり和服を着ないからテンション上がってるな」


「こんなにいっぱい買っても着てくれないんですもの~~」


 こんなことなら桃華ちゃんにも来て貰えばよかったとちょっと残念に思う雫である。


「和服コス!」


 美月のテンションも上がっている。


「コスプレ違うから。これが日本人の整調だから」


 さくらがツッコむ。


「ちっ! 悠紀にも着させれば良かった」


「ゆうきちゃん、本当に悠紀くんを女装させるの好きだな」


 雫は呆れる。


「だってかわいいじゃん」


「それはそうだけど」


 からかわれるネタが増えなくて良かったね、とここにいない悠紀に雫は語りかけた。


「そうだ、静流、静流にも見て貰わないと!!!!!!!」


 雫的にはマストだ。見て貰わなかったら、なんのために和服になったのか分からない。今日、来て貰って本当によかったと思う。


「雫ちゃんは本当に従兄さんが好きだなあ」


 ゆうきに呆れられる。ゆうきちゃんよ、弟とは違うのだよ。従兄とは結婚できるのだ。雫はそう心の中で言葉にする。


 雫はダッシュで1階に駆け下り、縁側でひなたぼっこして読書している静流を見つけた。こんなときまで本を持ってきているなんて、本当に静流は本の虫だ。静流は雫の気配に気がついて振り返り、目を細める。


「おお。かわいいよ、似合ってるよ。ものすごくいいね」


「浴衣とは違うのだよ、浴衣とは!」


「そう言ってもらえてすみれ、本当に嬉しいわ」


 追いかけてきたすみれがうっすらと笑顔を浮かべる。疲れたようだ。


「叔父さんに見せるために写真を撮らないとなあ」


「うん」


 仏壇にいるお父さんにも見せてあげなければならないだろう。


「せっかく和服になったんだから、どこかでお写真撮りたいですね」


 美月が袖をあげて静流に和服を見せながら言った。


「ちょっと遠いけど、葛飾八幡宮に行こうか」


 静流が言うと、すみれが言った。


「いいわね。車を出すわ。5人しか乗れないけど」


「おかんの運転かよ!」


「大丈夫よ。ほとんど駅前じゃない」


「怖いからな。前もって駐車場の場所は確認しておこう」


 どうやらすみれの運転には不安があるらしい。


「僕は自転車で行きますよ。先に出ますね」


 ここまで徒歩で来ているからクロスバイクを回収しにマンションまで戻らないとならない。なので静流は先にさくらの家を出た。


「いいね。楽しみだね」


 ゆうきはウキウキだ。悠紀に連絡して、来ると言うことだった。悠紀に和服を見せびらかしたいのだろう。すみれが運転する車に乗り込み、2キロほど離れた、京成八幡駅前にある葛飾八幡宮へ向かう。


 この辺の地名である八幡の由来になった葛飾八幡宮だが、地元の雫もほとんど行くことはない。せいぜい、初詣くらいだろうか。


 駅前の通りに入り、少し混雑してきた。一緒に後部座席に座る美月が言う。


「葛飾八幡宮、七五三以来だわ」


「七五三のお子さんたちも今日辺りは来ているでしょうね」


 七五三は11月15日前後だ。すみれは助手席のさくらをチラリと見て、ちょっと寂しそうな顔をする。


「ほんの少し前なのにな」


 大人と子どもの時間の流れが違うとよく分かるすみれの台詞だった。


 なかなか前に進まない間に、静流がクロスバイクで路側帯をすり抜けて追い抜いていった。雫たちには気がつかなかったようだ。ゆうきが言う。


「従兄さんが先に行ったね」


「うん、まあ、自転車の方が早いっていつも言ってるしね」


「お、また知り合いが来た」


 そして路側帯を知っている顔が自転車に乗ってすり抜けていった。


「――榊じゃん」


 さくらも気がついているだろう。偶然なのだろうが、行く方向が同じというのは気になる。静流とも信号待ちで会いそうなタイミングだ。


 静流、どうにかしてくれよな、と雫は願うのだった。

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