第182話 榊と静流のプレゼント
さて、ケーキを食べてからあまり間は開いていないが、お昼の準備は整った。静流は炊飯器の蓋を開けて、トマト缶の炊き込みご飯を味見してみる。
「どう?」
すみれが静流に感想を聞く。
「ギリギリセーフ、ですね。ちょっと慎重になりすぎました。やや固い感じです」
「大丈夫よ。このまま蒸らせばいいと思うの」
「だといいんですが」
そんな会話をしているとメイド服姿の美月が台所にやってきた。下着姿を見られたからだろう。かなりムッとしている。
「オムライスの準備はいかがですか」
美月の口調はかなり平坦だ。すみれが静流の代わりに答える。
「大丈夫よう」
すると美月は話題を本題に移した。
「事案ですよ、事案。通報します」
「不可抗力だ」
「冗談です」
冗談に全く聞こえない。美月パパにこの話を聞かれるのもマズい。全く困ったものだ。
「この貸しは大きいですよ」
「貸しなんだ!?」
「乙女のあられもない姿を見たんですから、それは当然でしょう。それともなんですか。大瀧さんを見慣れてるからどうってことないですか?!」
「見慣れてないし!!」
「どうだか!?」
「まあまあ、美月ちゃんも静流くんをいじめるのはそれくらいにして、準備を進めましょう。美月ちゃんは何をしてくれるの?」
「オムレツを作ります」
「いいわね! 覆いきれないくらいなら大きなオムレツを作った方がいいから、卵をたっぷり使いましょう!」
それはすみれの言うとおりだと静流は頷く。
オムレツを作るのは美月とすみれに任せ、静流は羽海から貰った梨をどうしようかと悩む。そのまま出しても当然いいのだが、それでは特別感にちょっと欠ける。ここは1つコンポートにしようと思う。失敗がなく美味しくできる便利なデザートだ。
カットしてお湯、砂糖とレモン汁で煮詰めるだけだ。幸い、大坂家の冷蔵庫の中に生クリームがあったので添えることにする。ミントがあれば彩りが良かったのだが、採ってくる時間は無いな、と静流はちょっと残念に思う。
コンポートを煮詰めている隣で、卵を溶き終えた美月がようやくオムレツを焼くところに入った。テフロン加工のフライパンなのでそうそう失敗はしないだろう。同時にすみれが中皿にチキンライスを丁寧に盛り付けている。
静流はガスレンジから離れて2人の手並みを拝見することにする。1枚目のオムレツが焼き上がり、するっとテフロン加工から剥がれてくれて、チキンライスの上に軟着陸した。
「すごいじゃない、美月ちゃん」
「無事、いきました!」
静流は無言でガスレンジに戻り、コンポートの煮詰まり具合を確認する。まだ結構かかりそうだ。
美月は慎重にまたフライパンに溶き卵を流す。すみれが見ているから安心だ。じっとフライパンを見て焼き加減を確認しているから失敗のしようが無い。半熟にしようなどと冒険しなければいいのだ。
静流は洗い物を済ませ、台所のテーブルの椅子に座りながら、美月の背中を見る。
「しまった! 破れた! 欲をかかなければ良かった!」
2枚目は失敗したらしい。どうやら半熟を試したかったみたいだ。
「それは僕が食べよう。もう冒険しないでね」
作業台の前の美月が難しそうな顔をする。
「こんなんで貸しを返せたと思わないでくださいね」
「大丈夫、大丈夫。そんなに自信過剰じゃないから」
「私の分も失敗できるからあと1チャンスよ!」
すみれが美月の背中を押す。ぐっと両手を握りしめ、3度目のチャレンジ。すみれと静流は息をのみながら結果を待つ。3枚目はするっと剥がれ、チキンライスの上に。端っこを下の方に丸めて入れて綺麗にできた。
「やった!」
「その調子」
美月は笑顔でどんどんオムレツを作り、失敗と言えるのは2枚目だけだった。
「じゃあ、ケチャップで文字を書くのは破れた奴からね。実験台」
「そうですね。合理的ですね」
美月は素直に静流のアドバイスを受け入れる。
おたんじょうびおめでとう、と書こうとしたが、失敗した。
「うーん。難しい」
「♡ さくら でどう?」
「それなら書けそう」
そして無事、ハートのカタチがいびつになったものの、なんとかさくらも読めるくらいにはなる。
「次はLOVEさくらに挑戦しよう」
緊張しながら美月はケチャップアートに成功する。
「じゃあ私は自分ので描いてみよう」
そしてすみれはかわいいネコの絵を描いた。
「あら、意外と簡単に描けたわ」
「すみれさん、すごい!」
「美月ちゃんもやってみれば?」
美月も描くと意外に描けた。
「文字よりキャラの方がよかったみたいね」
「僕にも描かせてよ」
「静流くん、何を書くん?」
すみれがケチャップのボトルを手にした静流の手もとをのぞき込む。
「♡を3つ」
5つ、五輪のように描きたかったのだが、スペースが足りない。
しかし♡3つが重なるように描けて、静流は満足した。
「僕じゃ難しいの、絶対描けないし」
「ふふふ。これは雫ちゃんにあげないとね」
すみれがイタズラっぽく笑み、静流が描いたオムライスを居間に持っていく。
「まあ、いいですけど」
すみれが持っていくとメイド3人がオムライスの皿を持っていき、にぎやかな昼食が居間で始まる。
静流は居間で皆に合流することなく、コンポートが煮詰まるのを見つめながら、オムライスを食べる。炊飯器で作ったチキンライス、なかなかいいじゃないか。卵焼きも焼きすぎずだ。破れたのが残念だ。
そもそもこの場は静流がいるべきところではない。雫たちが親友のさくらを祝う場だ。自分のことをさくらは好きだったと言ってくれたが、それとまた話が別だと思う。とても嬉しいことだ。さくらにまで好かれていたなんて、人生でただ1度のモテ期だなと思う。それでも鼻の下を伸ばさずに、今日は静かに過ごしたいと思う。
それにしても娘の誕生日にも戻ってこないなんて、お父さんはずいぶん遠くで仕事をしているのだろう。ちょっと憤りを感じる。もし自分に子どもができたら、少なくとも小学生の内は、静かにでも祝ってあげたいからだ。
雫はきっと、すみれのように裏方に回って、子どもの成長を喜び、祝うだろう。そういう大人を今日、見たのだ。今までは母親と2人の寂しい誕生日だったかもしれない。しかしだからこそ、こうしたいという思いが生まれただろう。
さて。いい感じでコンポートが煮詰まった。粗熱が取れたら冷凍庫で急速に冷やそうと思う。凍らないように注意しながら、だ。
粗熱がとれるまで時間があるので、静流は庭に出る。庭にはまだ新しいクロスバイクがある。さくらのクロスバイクだ。今の内に新パーツを取り付けてしまおう。静流が用意したのはハンドルバーに取り付けるサイドミラーだ。これがあるとないとでは安全に差が大きく出る。後ろを気を付ける習慣ができるだけでもいいだろう。夜などは車のライトがよく見えるので、とても警戒することもできる。
この先もさくらとはいっぱい走ることだろう。そのとき、事故に至らないまでもヒヤリハットには何度も遭遇するに違いない。それを避けるためにもサイドミラーがあったほうがいいと静流は考えたのだ。
ハンドルバーの先端のキャップをぽんと抜き、サイドミラーの先端をハンドルバーに差し込み、固定する。ものの3分もかからない。さくらがプレゼントに気づいてくれるのは後になるだろう。でも、自分のプレゼントなど、それでいいのだ。
そっと、台所に戻る。きっとあとでさくらは驚くことだろう。自分が彼女のその表情を見ることはないだろうが、それを想像するだけでも楽しく思えたのだった。
「ほら、見えた? 静流のプレゼント」
そっと縁側の障子の影から、メイド3人とさくらは庭でサイドミラーの取り付け作業をしている静流の様子を窺っていた。
「くううう」
さくらは声にならない声を抑えている。感極まっているようだ。
「やるなあ、静流さん」
美月はちょっと驚きを隠せないようだ。
「いい男だ。見習うところがある。男は黙って気を配るのだな」
ゆうきはうんうんと頷いていた。これからも王子様キャラを磨くつもりなのだろうか。
「やっぱり推し~」
すみれはオムライスを食べながら頷いていた。
「推しで済ませてくださいね」
雫は念を押した。静流が玄関の扉を閉めた音を聞きつけ、小学生たちはオムライスを再び食べ始める。
そっと襖の隙間から居間の様子を窺い、静流の気配は台所に消えた。
「良かった。見ていたの、気がつかれなかったみたいだ」
雫は安堵して、オムライスを食べる。特別美味しいわけではないが、調理の手間の簡単さを知っている身としては感慨深い味わいだ。
「ところで大瀧さん、あれ、どうするんですか?」
「あれ、あれ、ね?」
「あれってなんだよ」
「あれは、あれだよ。タイミング失うと渡せないから、渡しておこう」
雫は自分のDバッグの中から梱包を取り出す。
「まだプレゼントがあったのか」
「まあ、その、貰ってあげてよ」
そして雫は梱包をさくらに手渡す。さくらは無言で梱包を開け、花の意匠をあしらったきれいな缶を見て、明るい声をあげた。
「センスいいじゃないか。どれどれ。キャンディか。いいね。缶も後で使えるし」
「使ってやってくれ」
雫はそうとしか言えない。さーっとさくらの顔色が変わる。
「――ということ?」
「うん。頼まれた」
「そ、か」
さくらはそれ以上、何も言わなかった。何も言わなかったが、そっと缶を座卓の上に置き、つんと缶を弾いて見せた。
難しい表情だった。嬉しいのか、怒っているのか、戸惑っているのか、分からない、難しい表情だった。
オムライスを食べ終えるとメイドたちが食器を台所に下げる。
台所では静流が読書していた。
「いいよ、僕が洗い物するから」
「静流、これからウチらが和服体験するって聞こえてたのか?」
「え、そうなの? そうなんだ。それは楽しみだね」
静流はにっこり笑った。やっぱり、いい男だと思う。モブ顔だとか冴えないとか垢抜けないとか誰が言ったとしても、いや、過去の自分が言ったとしても、居間の静流はいい男だと思う。
「三連♡、ごちそうさまでした」
すみれが雫に持ってきてくれたオムライスは♡が3つもあった。それを静流が描いたと聞き、ものすごく嬉しくなった。単純だなと雫は自分でも思う。
「どういたしまして。メイド服のあとは和服か。とてても楽しみだよ」
静流はまたにっこりと、眩しい笑顔を雫に見せてくれたのだった。
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