第180話 さくらの誕生日

 11月3日はさくらのお誕生日だ。7月の自分の誕生日をこれでもかと祝って貰った雫としては最低でも同レベルでお祝いしたかった。さくら11歳の誕生日である。榊からはもう前日にプレゼントを預かってきている。平日なら、きっとどうにかして手渡しただろう。しかし祭日では特別なことでも無い限り、榊が当日にさくらに手渡すことはできない。なので空手センパイの気持ちを優先し、預かったのだ。一応、美月と2人でどんなプレゼントなのか事前に確認している。花の意匠をあしらった缶に入ったフルーツキャンディ詰め合わせで、通販サイトで値段を確認して1000円ちょっと。まあセーフということにした。


 さくらの家まで歩きながら、静流と雫は離す。


「静流の初恋はいつだったんだ?」


「最近、羽海ちゃんってことになった」


「どういうことだ?」


「初恋だと思ってなかったから。中3のときに仲良くなった1コ下の女の子が普通のいわゆる初恋かな。何も言わずに卒業して、それっきり。高校が同じになることもなかった」


「マズいな。有望なライバルだ」


「そうかな。もう中学を卒業してからずっと会ってないよ。縁が無かったんだね」


「どんな女の子?」


「色が白くて、ちょっと野暮ったくて、でも笑顔がとってもかわいい、ほっぺが赤い女の子だったよ」


 よどみなくそう言われると雫も考えるところがある。


「そういう子が好みなんだ」


「野暮ったくないけど雫ちゃんもだいたい当てはまるだろ」


「ウチは野暮ったくないか」


「澪さんがオシャレだからね。館山は田舎だった。それだけのこと」


 ふむ。誤魔化された気がしないでもない。


 馬頭観音像の前で美月と待ち合わせをする。美月はメイド服を自分用と雫用と2着持ってきている。


「さあ、大瀧さんをメイドにする日が来ましたわ!」


「僕も待ち望んでいた」


「待ち望まなくてもいいよ」


 雫は自分の頬が熱くなるのが分かる。萌え萌えキュンとか静流の前でやるのは結構厳しい。来させるのを止めておけばよかった。


「待たせた~~?」


 すぐにゆうきが息を切らせつつやってきた。


「待ってないよ!」


「ゆうきさん、今日もかわいいですね! 今日はゆうきさんも1日メイドですよ」


 美月は張り切っている。美月は美少女が大好物なのだ。


 全員揃ったので、さくらの家に向かう。途中、羽海の借家の前を通る。ちょうど洗濯物を軒下に干しているところだった。雫は目くじらを立てる。


「おはよう、羽海ちゃん、ダメでしょ、1人暮らしの女の人が下着を外に干しちゃ」


「えー だっていい天気だし~~」


「こんなでっかいブラを見たら、そんな趣味のない人だって魔が差すかもしれないだろ!」


「しゅん。ところでみなさんお揃いでどちらへ?」


「大坂さんのお誕生日会なんです」


「それはさすがに先生がお呼ばれされていたら大変だな。呼ばれないの分かる」


 それはそう。クラス全員のお誕生日会など行っていられないに違いない。


「でもどうしてしずるちゃんが行くの?」


「すみれさんへの土産」


 雫が即答する。


「ふむ。すみれさんも隅に置けないな」


 羽海は映画鑑賞会ですみれとも打ち解けたらしい。


「どれ。大家さんから梨をいっぱい貰ったから持っていってよ。お誕生日プレゼントなんていう気はないけど、デザートにはなるだろ」


「感謝」


 雫が見事な梨を2コ羽海からいただき、一行はさくらの家へ向かう。


 さくらの家は昔の農家の建物だ。今は農業を廃業して、そもそも家主の祖父がさくらの父と一緒に仕事先に住み込みしており、住んでおらず、さくらは母のすみれと2人暮らしだ。大きな門構えを通り、玄関の呼び鈴を鳴らすと和服のすみれが迎えてくれた。


「さくらちゃん~~ 静流さんたちが来たわよ」


「どうしてそこは雫ちゃんとか美月ちゃんとかゆうきちゃんとか言わないで、ピンポイントで静流お兄さんなんだよ」


 居間からさくらが顔を出した。さくらも今日は和服だ。


「だってー 静流くんが来てくれて嬉しいんですもの」


「わ、さくら、美人だな、おい!」


 ゆうきがさくらをからかうように言う。


「悪意が透けて見えるぞ」


「そんなことはない。和服美人だ。ああ、榊にも見せたかったなあ」


 当然、空手つながりでゆうきも榊とは知己の間柄だ。


「あいつの名前は言わないでくれ」


 さくらの表情はみるみる曇った。おそらくゆうきには榊に告白されたことを言っていないのだろう。


「なんだ。最近、あいつのイタズラを許しかけてたみたいだったし、運動会でも一緒に応援団やっていたじゃないか――ああ、ごめん」


 さくらの曇った顔を見て、ゆうきもなんとなく察したようだ。静流は即、話題を変える。


「すみれさん。早速ですけど、お台所をお借りしますよ」


「ええ。お手伝いするわ。何を作るの?」


「それはさくらちゃんがいないところで説明しますよ」


 静流は一番乗りして靴を脱いで上がり込み、すみれと一緒に台所に入った。


「じゃあ、私達も着替えましょうか」


 美月の声かけに雫とゆうきは大きく頷く。


「よっしゃ。そうこなくっちゃ」


「メイド服、恥ずかしいなあ」


「王子様キャラでもメイド服が似合うイベント発生中です」


 美月は面白そうにいい、ゆうきの腕を引っ張る。


「大坂さん、さっそく着替えますわ」


 そして雫たちは居間に上がり込んだのだった。




「さて、じゃあ、お台所をお借りしますね」


 静流はすみれと一緒に大坂の家のお台所に立つ。勉強会に続いて2度目である。


「今日は何を作るの?」


「オムライスなんですが、手を抜きます」


「手を抜く……」


「チキンライスを炊飯器で作ろうと思って」


「そんなことできるの?」


「トマト缶を使って、炊き込みご飯の要領です。水分の調整さえ上手くいけばちゃんとそれらしくなります。チキンライスができればあとは薄く、卵焼きを作るだけですから。とはいえ、それが難しいんですが」


「分かるわあ」


「1度、実験で作ってはみたんですが、上手くいくかなあ」


 なにしろ分量以外は炊飯器が炊き上げるまで加減が効かない一発勝負である。


 タマネギを刻んで、マッシュルーム缶を開け、鶏モモ肉を1枚半。2人で刻むとあっという間だ。やや肉多め。コンソメ、塩、バター。トマト缶、以上。あとは分量に気を付けるのみ。トマト缶の水分で炊き上がりの柔らかさが変わってしまう。固すぎず、ベッタリせずが理想だが、果たして。


 静流はすみれさんが見守る中、炊飯器の内釜の水分基準線にぴったり合わせ、内釜をセット、炊き込みモードで炊飯開始。


「ふう。緊張した」


「静流くんでも緊張するのね!」


「当たり前ですよ。さくらちゃんのお誕生日のオムライスですよ。失敗はできません」


「そんなにさくらのことを考えてくれて、すみれ、嬉しい」


 すみれが静流の腕をがっしりと掴む。柔らかいものはそこにはない。和服なので固い帯があるだけだ。しかしいい匂いがする。


「いえいえ。え、えと、もう、やることがないので合流します」


「あ、まだ、気を付けた方が――」


 静流は台所から逃げ出し、廊下と居間を仕切る襖を開け、声を掛ける。


「どう? 盛り上がってる?」


 そして静流は固まった。


 さくらは凍り付いた。


 ゆうきはまだスカートをはいておらず、パンツ丸出し、雫は上半身ジュニアブラ姿。美月に至っては上下の下着以外はなんにも身につけていない半裸状態だ。静流は美月の発育の良さを目で理解してしまった。


「久しぶりにやってしまった!」


 静流はバタンと襖を閉める。


 そして美月とゆうきの悲鳴が上がった。


 襖越しに会話が聞こえる。まずは美月だ。


「だから! 洗面所で着替えた方がいいって言ったじゃない!」


「いや、まだ時間があると思って……みーちゃんだって早く着替えればいいのにコスプレ談義で盛り上がるからこんなことに……」


 冷静なのは雫だ。雫の下着姿や風呂上がり姿は見ている。だから今更な余裕があるのだろう。しかし初めて見られた方はたまったものではない。


「いや、見られるときは見られるものよ……」


 普段からチューブタオルを使って男子と道場で着替えているゆうきは平静を取り戻しつつあった。大会などでは見られるのも日常茶飯事に違いない。


「わ、私は、イヤ! だって、だって、全部見られちゃった! しかも好きでも何でも無い人に!!」


「みーちゃんが静流のことを好きじゃないことが分かってよかったよ」


「冗談じゃないんです!!!」


「まあ、諦めろ。諦めてくれ」


「見られ損だと思うしかないな。ゆっくりして油断していた美月が悪い」


 かつて静流にパンツ姿を見られたさくらは、そのとき、美月に言われた台詞をそのまま返した。


「見られ損って言ったってこのやり場のない思いをどこにぶつければいいの?」


 美月も同じ台詞でさくらに返した。


「よしよし」


 さくらが美月に言った。頭でも撫でているのだろう。しかし久しぶりにラッキースケベをやってしまった。しかも小学生相手だ。完全に犯罪だ。完璧に事案だ。静流は柱に手を当てて、大きく俯いた。


「なにしているの静流くん」


 それを見たすみれに声を掛けられた。


「反省」


「猿? ちょっとネタ、古くない?」


「見てしまいました……」


「居間で着替えているあの子たちが悪いんです。入りますよ」


「「「まーだー!」」」


 綺麗にハモって襖の向こうから返事があった。その返事を聞いて、静流は更に大きく俯くのだった。

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