第178話 感化される映画って最強だよね!
静流はタイという国をよく知らない。せいぜい、東南アジアの中で植民地にならずに済んだことと王国であること。そしてムエタイとレッドブルの国ということくらいは知っている。また、やはりお米の国と言うことも知っている。
しかし何も知らなくても映画は予告編からもう盛り上がる。“マッハ!!!!!!!!”だ。!が多すぎる。笑える。次にムエタイの型をする主人公に合わせてテロップとナレーションが入る。
CGを使いません。ワイヤーを使いません。スタントマンを使いません。早回しを使いません。最強の格闘技ムエタイを使います。それぞれが超絶アクションシーンだ。
予告編を見ただけで雫が声を上げた。
「ああ! 面白かった!!」
「早い、早いよ雫」
さくらが無慈悲にツッコむ。
「でもすごいね、主役さんの体幹」
ゆうきが既に感嘆する。桃華ちゃんのお父さんが警告したにも関わらず、既に目がハート型だ。さくらも応じる。
「すごすぎる。あの技の全てがあの体幹から生まれる」
「型の意味も分かるね」
「うん。とても参考になる」
空手少女2人は見るところが違う。ムエタイも空手も立ち技格闘技だ。感化されないことを祈るしかない。
「遅くなりました」
榊が不意に現れて静流は自分が予告編に夢中になっていたことに気づいた。
「やあ、よく来てくれたね。座りなよ。まだ予告編が終わったばかりだからさ」
「大丈夫。また始まった。空手センパイ、こんばんわ」
雫が橋桁のスクリーンを指さす。今度は倍長い予告編だ。
「じゃあ、お邪魔します」
そして榊は雫とさくらがゆうきが座る後ろの辺りに座った。悠紀の隣だ。男子がいたので助かったに違いない。悠紀が羽海とすみれに拉致されなくて済んで本当によかった。
映画は仏像が盗まれて悲嘆に暮れる村を救うべく、主人公が仏像を取り返しに行くところから始まり、大都会バンコクに行くが、着いた途端、すぐに悪党どもと戦い始める。
「もう超絶凄い」
雫は言葉がない。
「人間の肩を踏んで跳んで宙を走って行く!! あり得ん!!」
榊も居心地の悪さなど一瞬で消えたようだ。メチャクチャ興奮している。
「静流、これ、本当にノーCG?」
「そう言っているんだし、そうなんでしょう。スローモーションでリプレイだ。ワイヤーも見えない。すごいなあ」
「なんで生身の人間が走っている車を飛び越えられるの?」
ゆうきが唖然とする。しかも1台ではない。連続だ。別角度から見ても凄い。
「早回しを使いませんってどういうことでしょう?」
悠紀が気になったらしい。
「要するに早回しをしたらスピーディなアクションに見えるでしょ? それはインチキだって言っているんだよ」
「嘘。じゃあ、あれ、生身のスピード?」
さくらは愕然とする。
「ヤバいね。俺達、スローモーションだ」
榊が応じ、さくらが戸惑いながら振り返る。
「ああ、そうだな」
そしてすぐに目をスクリーンに戻した。
さくらと榊は変な感じだ。何かあったことは確定だ。この映画鑑賞会で少しそのわだかまりが消えればいいんだけどと静流は願う。
「なんで跳躍脳天肘打ちで悪役さん、立ってられるし?」
さくらは前を向いたまま感嘆し、後ろにいる榊が答える。
「急所を外して頭蓋が厚いところで受けているんだろ。脳しんとうを起こさないのが不思議だけど顎で首を固定してるし」
榊、見てるなあといわんばかりに、格闘技をやっているさくらとゆうきと経験者の悠紀が榊に目を向ける。
「い、いや、見えるだろ?」
「ああ」
そう応えたのはゆうきだ。やっぱり目が違うらしい。
桃華ちゃんのお父さんが言っていたとおり、ストーリーはほぼない。しかし全編が見所なのも間違いない。息をつかせないアクションの連続だ。
静流は席を立ち、バーベキューコンロの火を調整し、湧かしておいたお湯で紅茶を入れる。なお、大人たちはこのお湯でさっそくお湯割りを呑んでいる。つまみも適当に網の上に乗せ、これまた適当に食べてねと声を掛ける。
中学生組がさっそく食べに来る。
「すごい、このウインナー。美味しいですね!」
るりりんが目を丸くしてくれる、かわいい子はどんな表情でもかわいい。
「うん。最近、お取り寄せしている旭市のハムウインナーセットなんだ。近々行こうと思ってる。寒くなったら持ち帰れるからね」
「ハムも美味い」
沢田が何度も頷く。
「従兄さん、僕も持ってきたの焼いてもいいですか?」
「もちろんさ」
蒼はタッパーから野菜のベーコン巻きを取り出し、炙り始める。映画もいいが、こっちの美味しいもの食べよう会も楽しい。
「沢田くん、ムエタイどう?」
「俺なら肘をどう処理して組み付くか考えます」
「だよね~~!!!」
「あの肘、ヤバい。躊躇無く打ち下ろされたら多分、死ぬ」
ムエタイに感化されず、どうやって倒すか考える辺り、アマレス馬鹿だと分かる。好きなだあ、こういう馬鹿、と静流は思う。
「しずるちゃーん。こっちにおつまみ」
羽海が甘えた声を出してリクエストしてくる。
「セルフサービスですよ」
静流は羽海のリクエストを無視しようとしたが、焼きすぎになりそうなのを集めて皿に載せて、大人島の方に持っていく。
「さすが静流くん、優しい!」
「我が家の静流くんですから」
何故か澪が得意げに言う。すみれさんがノル。
「うちにも1人~~」
からかわれ続けるのを避けるため、静流は小学生島に戻る。
やはり気になるのはさくらと榊の様子だ。お互いの気配を探っているのがよく分かる。
「ぎゃああ! 跳躍肘打ち!」
さくらが悲鳴を上げる。
「初見殺しだな。空手だったらあり得ない」
「俺だったら前蹴り迎撃――知っていればだけど。あの跳躍力じゃ、たぶんこっちが届かない」
いい感じでゆうきを間に挟んで会話ができている。気がつくと雫もその様子を窺っていた。気になるのは雫も同じようだ。
「ムエタイ、いいですね! 久しぶりにたぎります」
空手を止めた悠紀も男の子である。燃える映画には燃える。
そして空手組がまた悲鳴を上げた。
「うわあああ。日本人、来たああ!!」
「やば。瞬殺されそうなチンピラ感」
「こういうの空手使いなんだよね……」
榊が諦め気味に言う。
空手の技も使っていたが、中国拳法にカポエイラも使っており、リズムでかき乱そうとするタイプの格闘家だった。日本の格闘技のイメージはこんなんなんだろうか。忍者か?
「スウェイ凄い」
「カウンターの回し蹴り凄い」
「正拳から後ろ回し蹴りのコンビネーションで当たる???」
「日本人が使っているのが空手じゃなくて良かった」
格闘技経験者組がそう言っている間に日本人は倒された。
うんうん。空手が悪役じゃなくて良かったね。それになんか変な雰囲気もどこかに行ってくれた。桃華ちゃんのお父さんがこの映画を選んだのは偶然なんだろうけど、本当によかったと思う。
「膝と肘の同時打ち、どうやったらできるんだろう。なんで前に出られる?」
「理論的には分かるけど、できそうにもない。あれはスウェイでかわすしかないようだけど、追い詰められたらもうダメだな」
さくらとゆうきがうーんと2人して腕組みして悩んでいた。
大人島も童心に戻って大騒ぎしているし、中学生たちもカップルで固まらず、美月も一緒になって盛り上がっている。
映画の力ってすごいな、と静流は感心しつつ、また焼き物を見に行く。いい感じなのでそれぞれの島に配りに行く。こうやって裏方に徹するのが自分には合っていると思う。特にストーリーがない映画なので支障が無いし。
「静流、手伝うよ。1人でやることないんだからさ」
「うん。ありがとう」
雫が網の上に食べ物を載せてくれていた。そして蒼もバーベキューコンロの様子を見に来てくれた。静流は彼とは似たもの同士だと思う。
そして物語が進み、また超絶アクションの連続となる。
「うはあああ! 飛燕連脚やっとるるうううう!!」
美月パパが大声を上げる。飛燕連脚といえば格闘漫画の修羅の門の最初の方のやられ役が飛び回し蹴りから逆の足で後ろ回し蹴りにつなげる超高難度技だ。
「――マンガの技なのに」
離れたところから静流も美月パパに答える。
間違いなく大人も子どもも楽しめるアクション映画だ。この映画を選んできた桃華ちゃんのお父さんのセンスに乾杯である。
最後は燃える脚で跳び蹴りという、ファイヤーナックルではなくファイヤーキックが見せ場だった。仮面ライダーじゃないんだから。ノースタントノーCGは恐れ入った。
そしてエンドロールが始まり、静流は立ち上がった。
「素晴らしい映画でした!」
端的にそれを言うのが静流の精いっぱいだった。
「おおおおお。桃華ちゃんのお父さんに言って貰わなかったら、今頃、ムエタイ最強叫んでた」
さくらが安堵したように息をついた。榊はフン、と息を吐いてから言う。
「俺は叫ぶ。ムエタイ最強!」
「はいはい」
さくらと榊の違和感も無事に拭えたようだった。
大人たちのアルコール摂取量はほどほどで、ちなみに桃華ちゃんのお父さんは車中泊をするということだった。投影機器の撤収と荷物の搬入を手伝って、まだ火が残っているバーベキューコンロは桃華ちゃんのお父さんに預けて、解散となった。
「従兄妹さんたち、お誘いありがとうでした!」
そして中学生組は4人連れだって帰って行った。蒼たちもいい気分転換になったようだ。それはそうだ。なんと言っても映画がよかった。
「よかったね、静流」
「うん。いい笑顔だった」
「勉強、頑張って欲しいな」
大人たちの方はそれぞれいい感じで親交を深めたようだった。歩きと自転車に分かれて、旧行徳橋を後にする。
まだ妙典の方のイオンは明るい。まだ21時だ。
暗いが、堤防の上のサイクリングロードを走るとすぐに家の近くまで行く。
まず高村姉弟と別れる。彼らはもう少し北の方に住んでいる。そしてさくらと別れる。すみれは呑んでしまったので、自転車を押してくるようだ。
さくらがいなくなると榊と美月と雫が残り、なんともまた変な空気が漂った。
「静流さん、ありがとうございました」
「いやいや。映画が面白かった。それだけでいいじゃないか」
そう静流が言うと榊は握手を求めてきて、静流は応じた。力強い握手だった。
榊とは少し行って別れ、美月をマンションまで送り、雫と2人になって帰路につく。
「余計なことをしたかもしれないけど、結果オーライってことで」
「別に何も言ってないじゃん。静流の方が、きっといいことしたよ」
なにか美月と雫、それに榊の間でなにかあったらしい。
「次はさくらちゃんのお誕生日か」
「そうだね。静流は何か用意するの?」
「うん。ちょっとだけね」
「そっか。静流が参加するからすみれさんが喜んでくれるに違いない」
「僕は雫ちゃんのメイド姿が楽しみだ」
そう言うと今更雫は赤くなった。
「何? 楽しみだなんて! そのこと話したっけ?」
「うん。自分の誕生日のときに雫ちゃんが言ってた」
「よく覚えてるな。うれしいけど」
雫は真っ赤になった。
雫のメイド姿が楽しみと言えば楽しみだが、榊はどうなるんだろうかと静流はまだ心配している。少なくとも雫を通して誕生日プレゼントを渡して貰えればいいのだけど、と小さな友達の心配をする静流であった。
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