第176話 雫と美月、空手センパイに呼び止められる
いつかこんな日が来るのではないかと思っていたのだが、意外と早かったと雫は思う。しかしさくらの誕生日が近いことを考えると遅かったなあと思う。いや。もしかしたら美月と雫の2人だけになる時を今か今かと待っていたのかもしれない。
さくらがゆうきと約束があると言って1人で早く帰った日、校門のところで、榊が美月と雫を待ち構えていたのである。
「すまん。時間を作ってくれないか?」
そしてがばっと頭を下げ、雫と美月が驚いて返事ができずにいると、榊は土下座をしようとしてか、アスファルトの上に正座をした。
「いやいやいや、人気の無いところに行こうよ空手センパイ。話は聞くからさ!」
「大坂さんのことですね!」
美月はとても嬉しそうだ。恋バナ、好きだしなあ。美月もきっとさくらに榊が告白した話を聞いているに違いないから。
「すまん! マサヒロ公園で待っている!」
そして榊は正座から瞬時に立ち上がりダッシュで消えてしまった。
マサヒロ公園というのは、誰かのイタズラで銘板に「マサヒロ」とひっかき傷で名前を記された公園で、もちろん通称である。マンションの谷間にあり、休日はともかく、あまり人気がない。美月とああでもないこうでもないと話をしながら歩いているとあっという間にマサヒロ公園に到着した。マサヒロ公園のブランコに1人揺れている空手センパイはモノクロ映画に出てきた、余命宣告をされたサラリーマンのようだ。
「うわ、暗いっつ!」
「暗黒物質って観測できるんだ」
美月がよく分からないネタを振ってくるので雫は反応に困る。何のネタだろう。
「おお、お2人さん、来てくれたか」
ブランコに座ったまま、榊は雫たちに目を向けた。
「羽海ちゃん家のペンキ塗りを手伝ってくれた貸しがあるからな。それは返そうと思ってきた」
雫は面白がっていただけでないことを思い出し、急遽もっともらしい理由をつけた。
「私は査定ですね~~ どれだけ師範代さんの教えが身についているか」
それを聞くと榊はより一層、ずーんと暗さを増した。
「あれ、図星だったみたいよ、みーちゃん」
「メンタル激弱ですわね」
「ほっといてくれよ」
「さては応援団長をやって女の子にモテモテになったところをさくらちゃんに目撃されて、言い訳している最中に、思いあまって告白してしまったとか、そんなシチュエーションなんじゃないのか??」
雫は適当に妄想を膨らませて言ってみた。すると榊は暗い中でも頬を赤く染めた。
「あいつ、そこまで話をしたのか!」
「あれー 図星~~」
「その場面が目に浮かぶようですわね! 夕日の教室の中、1人佇む大坂さん。そして女の子に囲まれているところから、ごめん、俺、用事があるんだと言って抜け出して、大坂さんを探して走り、ようやく見つけて教室の入り口で肩で息をする空手センパイ」
「『違う、違うんだ。俺、俺、別に女の子にもてて得意になっているわけじゃないんだ!』」
「そんなに俺、わかりやすい?」
「そうですね。女の子にモテモテで羽目を外すなとは思ってましたので」
「あー ウチも~~ まさか告白するとは思っていなかったけど」
鼻を伸ばした榊のすぐ近くにいたさくらがそれを想像するないがはずがないと雫は思う。突然の告白。それはいかん。やはり予兆というか前振りが大切なのだ。
あれ、自分はどうだっただろう。花火の時に勢いで告白したが、いやいや、ちゃんと前振りはしたはずだと雫は己を振り返る。
「――やっぱりそうだよな。俺もそんな気、なかったし」
榊はずっしーんと暗くなり、盛大に俯いた。
「まあまあ、お話だけは聞きますよ」
美月は優しい。単に面白がっているのもあるだろうが、自分も初恋を経験中で、思うところがあるに違いなかった。
雫と美月はブランコに座る榊の目の前まで行く。
「で、呼び出したんだからには話があるんだろ?」
榊は弱々しく頷いた。
「その、あの、もうすぐあいつの誕生日だろ?」
「あいつ?」
「誰のことでしょうねえ」
2人して意地悪してとぼけてみせる。
「――大坂の誕生日だろ!」
「よく言えましたね!」
「えらいえらい」
「その、あの、せめて、プレゼントくらい、渡したいなと」
「渡せばいいじゃないですか」
「だって道場でいつも一緒なんだろ?」
「皆の前でできるか!」
榊は顔を赤くして雫たちの顔を見た。
「いやいや。だって市民プールで会ったとき、2人でアイスクリームの買い出しに行ってたじゃん。あれって道場のみんなに仕組まれたんだよね。いや、空手センパイ、もしかして自分で仕向けた?」
「ええっ! あれって仕組まれてたのか??」
仕向けられた当人の鈍さに雫は呆れる。美月が実に惜しそうな顔をする。
「いいなあ。目撃した大瀧さんは。私も現場を見たかったです」
「つまり、道場の連中は空手センパイの恋心を知っちゃってるってことだ」
「きゃー 大瀧さん、言っちゃいましたね~~」
「ぐぬぬぬぬ」
榊は奥歯を固く噛みしめ、実に苦しそうな表情をした。
「それでもウチらを頼るんか?」
「た、頼る。道場の連中よりぜんぜんマシだから」
まあそれも分からないでもない。しかし全くどうすればいいのか思いつかない。
「まさか私達のお誕生日会に来たいとかいうのではないでしょうね」
「いやいや。そんな勇気は無いよ。お前らにプレゼントを預けたいんだ」
雫は美月の顔を見る。美月は困った顔をしつつ、口を開いた。
「いいでしょう。それくらいなら。しかし条件があります」
「――条件?」
榊は険しい顔をした。
「うん。ウチにはその条件が分かる。どうしてさくらちゃんを好きになったのか。そして本気なのか、確かめておきたい」
雫は美月同様に親友を好きになった男の子の査定をする気になった。いや、査定せずにはいられなかった。
「そうです。とっぷりとは言いませんが、端的には聞いておきたいですね」
榊は意を決した表情を浮かべ、口を開いた。
「ほら、姉弟子だから。最初はそんな気はなかったよ。生意気だけどいろいろ教えてくれたし。道場じゃかわいいなんて思わなかったけど、学校で見かけるとかわいいなと思っていたし。そこそこ道場でも友達ができて、つるむようになると、あんまり指導を受けることもなくなって――」
「からかうようになったと」
今度は雫が険しい顔をした。
「だけどさ、どんどんかわいくなっていくんだよ。道場でもかわいく見えるようになったし、ああ、俺、もう終わったなって思って。所作の1つ1つに見とれてた。そして好きなんだって気がついた」
「そして師範代さんに相談して今に至る」
「ああ、でも。今の空手センパイ。悪くないと思うよ。でもさ、以前の自分の悪い行いを拭うには10倍いいことしないといけないからさ、もっと頑張んないといけなかったんだよ。早い、早いよ。キャラチェンジしてまだ半年経ってないだろ」
雫は以前、さくらに話をしたことを榊にも話す。
「そ、そうなんだよな。でも、応援団の他の女の子たちに囲まれている俺を見る冷徹なあの目を見た後じゃ、正気ではいられなかったんだ」
うーん。それも分からないでもない。
「さくらちゃんのどこが好きなのかも分かった。しかし空手センパイ、空手センパイになにかさくらちゃんにアピールできるポイントはあるのか? 空手もさくらちゃんが強いし、今まで意地悪してきたし。いいとこないだろ?」
やばい。ブーメランだ。静流への塩対応を思い出し、自分もずしーんとくる。
「あれ、大瀧さん、表情が――」
美月が雫の異変に気づく。
「い、いや。前に静流に塩対応していたときのことを思い出して落ち込んだ」
「大瀧はどうやってリカバリーしたんだ?」
「リカバリーしたのかどうか。静流の優しさに甘えているだけなのか」
「まずい。2人が暗黒物質に包まれてしまった」
美月から見ると自分もかなり落ち込んでいるようだ。
「きょ、協力しよう。ウチには空手センパイの辛さが分かる」
「ありがとう」
「で、何をプレゼントするんですの?」
「黒帯なんかどうかな、なんて」
「NG、NGです。そんな重いもの! しかもまだまだ先でしょう!」
美月が血相を変える。確か中学生になってから試験が受けられるはずだ。
「そうだよな~~」
「じゃあお菓子かな。消えてくれた方が気が楽だ」
「アドバイスです。缶がきれいで、缶を取っておけるものがいいと思います」
「重すぎず軽すぎず。缶なら捨てても不思議ではないが、使い道があればとっておいてももいい。さすが、みーちゃん。少女マンガを伊達に読み込んでない」
「オタクも時には役に立つんだ」
「ありがとう。助かる。じゃあ、そうする。直接手渡せればいいけど、そんなシチュエーションは想像できないから、お前らに頼むと思う」
「ええよ」
雫が頷き、美月がぐっと腕に力を込める。
「任せてください」
「でも、また羽海ちゃんの家を直すときは手伝えよな」
それくらいはして欲しいと雫は考える。人間、バーター取引が良好な関係性を保つ秘訣なのだ。持ちつ持たれつとも言う。
「うん。約束する」
少し暗黒物質が晴れた榊であった。
榊とは公園で別れ、雫と美月は家路を歩く。美月がため息をついた。
「あー 危なかった」
「何が?」
「危うく、大坂さんは静流さんのことが好きって言いそうでしたわ」
「あれはまた違うからな。むしろ恋多き乙女だったということを言わなかった自分を褒めるよ。あんなに惚れっぽいさくらちゃんが好きにならなかったんだから、空手センパイに未来はないよな」
「あー 一理ありますね~~」
空手センパイとさくらの恋がどうなるのか、雫たちが企画するお誕生日会で少しはそれに動きが出るのか。雫は心配せざるを得ないのだった。
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