第174話 風車を見た後、がんばって帰る
遊覧船から下りるともういい時間だったので、佐倉ふるさと広場は大勢の人で賑わっていた。遊覧船の次の回も満員らしかった。雫は特に船酔いもせず、いい気持ちで地上に降り立った。
「さあ、風車見学だ! 楽しみ!」
外から見る風車も異国情緒が溢れて素敵だったが、中はどんな風になっているのだろうか。考えるだけで楽しい。外壁は落ち着いた色のレンガでできていて、きれいに積み重ねられている。4枚の大きな羽根は木製だ。本体の高さは16メートル弱、羽根は直径27メートルもある。この羽根で直径4メートルもある水車を回し、水を揚げている。
「僕も楽しみ」
静流はミラーレス1眼を手にまた撮影タイムだと言わんばかりだ。
説明看板によると平成6年にオランダとの親善のシンボルとして建造され、パーツはオランダ製で、日本で組み立てられたらしい。本物の風車なのだ。
「すごいなー」
さくらが風を受けてゆっくり回っている風車を見上げて感嘆の声を上げる。スケールが大きい。
「化石燃料を使わない時代はこうやって自然エネルギーを活用していたんですね」
「さすが那古屋さん、よくできました」
羽海が美月を褒め、美月パパはほくそ笑んだ。
「これはいいSDGsの学習になるわよねえ」
羽海の役に立つなら、来て貰った甲斐があったというものだ。ちょっとだけ静流をとられたが、それも羽海の元気になるならと雫は許す。
入場は無料なのでぞろぞろと風車の中に入る。風車の中は壁はレンガ積みだが、中央部の風車の動力を伝えるシャフトやそのカバー、そして床はみな木製だ。とても暖かな印象を受ける。中には風車の資料や風車の模型、木の靴も置いてある。こんこんと上の階から音がするのは何でだろうと思う。
「風向きに合わせて風車を動かすのは人力なんだね」
静流が資料のパネルを見て声を上げる。風車の動力部分が外部まで滑車でワイヤーが繋がっていて、大きなホイールでワイヤーを巻き取って、風車の方向を変えるようだ。
風車の中心の柱のようなシャフトからギアで動力の方向を変換し、水車を回している。その機構も追って辿れば分かるようになっている。
「大きいねえ」
桃華が感心する。雫は応じる。
「本当だね。木でできてる。丈夫なんだね。きっとすごい力がかかっているのにね」
桃華ちゃんのお父さんはパシャリパシャリとやってその様子を記録している。液晶を見ずに自分の目で娘を見れば良いのにと思う。それは静流も同じか。
「風車は小麦を挽いたり、油を絞ったり、水を揚げて干拓したり、製材機を回したり、いろいろな動力として活用されていたんですって」
羽海が子どもたちに説明する。ゆうきが質問する。
「干拓って?」
「オランダって湿地帯や海だったところの水をくみ出して陸地を作った国だから。その作業を干拓っていうの。この印旛沼の周りも大部分は干拓された土地なんだよ。風車は使っていないけど」
「どうやって干拓したんだ?」
さくらは不思議そうだ。静流が待ってましたとばかりに答えた。
「メインは川の流れを変えたこと。江戸時代に利根川を作って、江戸の水害を減らしたのと同時にこの辺に流れ込む水も減った。だから陸地を作るのに水路で水を流すことで干拓できたんだ」
「それで香取海じゃなくなったんだ?」
雫は聞くが、悠紀が応える。
「雫さん、そこは縄文海進の終わりから徐々に陸地化が始まっていたんですよ。同じことです」
「そっか」
自分たちが知っている地形は、ずっといつの時代も同じというわけではない。それを知っていたのに、自分の発言は迂闊だった。
「歴史は今に繋がってるんだな、と実感しますね」
悠紀はオシャレな木製の窓枠の外に見える印旛沼を眺めつつ言った。
それはそうと静流は佐倉市のオランダとの交流史のパネルに夢中になっていた。やはり、来てみないと分からないことはいっぱいあるのだ。
2階に上る急な階段を気を付けて上ると、木のスリッパがいっぱい置いてあった。オランダのスリッパなのか靴なのか、そういうものらしい。他のお客さんが履いて歩いた足音がコンコンと聞こえてきていたのだとわかり、雫は早速、木のスリッパに履き替える。歩きにくいが、音と感触が心地よかった。
2階の展示はオランダ製の自転車が5台置かれているだけだったが、静流の目は輝いていた。さすがの自転車好きである。
日本の自転車とはちょっとスタイルが違って、どれも大きな荷物乗せが取り付けられていた。懐かしい感じのレトロなスタイルの自転車もまだ現役のようだった。
「オランダは平地ばかりだから自転車での移動が盛んなんだ」
静流がみんなに言うが、みんなはあまり興味を持ってくれず、静流はしゅんとしていたが1人、羽海だけが応じた。
「いやいやこれもSDGsだね。自転車趣味、二酸化炭素をあまり出さなくて良いかもね」
「羽海ちゃん……」
いかんいかん。羽海に良いところを持って行かれそうになったので雫が割って入る。
「ウチら、いつだって自転車じゃん。また輪行しようよ!」
「雫ちゃんがそう言ってくれるのは嬉しい」
うん。そうなんだよ。ウチは重い自転車を担いで辛い輪行してでも静流と一緒にいたいんだよ。そう言いたかったが、他人の目がある。とても言えなかった。
風車のギミックを一通り堪能した後、スイーツタイムになる。
売店で行列ができている佐倉市の生乳を使った新鮮なアイスクリームだ。こういうのはここに来ないと食べられないので、是非、食べて帰りたいところだ。
大人が売店の列に並んで、子どもたちはアウトドアテーブルで待機する。
「さー これからが本番だな。風が強いし」
さくらはそう言いつつも、それほど苦でもなさげだ。雫が返事をする。
「距離的には葛西臨海公園との往復くらいだからね」
「桃華ちゃんは途中でゴールだからね。約束だよ」
美月が桃華に言い含める。
「桃華、さいごまでいっしょにいたい~~」
「明日は学校だから無理は禁物です」
「そっか――明日は何するかな~~」
ゆうきと悠紀は明日は振り替え学校休業日だ。
「今日は運動会後で疲れてないの?」
雫は心配になって聞くが、2人ともけろっとして答える。
「ぜんぜん」
普段から身体を鍛えている2人らしい返事だった。
大人4人がアイスクリームを買って戻ってきた。佐倉市の乳牛が出してくれた牛乳で作られたアイスクリームは濃くて美味しかった。
桃華ちゃんのお父さんとはここで一旦お別れになる。車で先行してトラブルに備えるためだ。今の計画では、鎌ケ谷までは桃華と一緒に走って、お父さんに回収して貰い、残りの面々は鎌ケ谷から日ハムファイターズ鎌ケ谷スタジアムへ降りて、市川市街へ戻ることになっている。総行程35キロほどだ。ゆっくり走って3時間を見込んでいる。途中、お昼休憩をはさんで4時間。まだ12時だから暗くなる前に帰れる。
最初は朝と同じ順番でスタートするが、桃華ちゃんのお父さんがいないので、静流は殿を羽海に任せた。ゆっくりと時速20キロ弱で印旛沼サイクリングロードを5キロほど走った。それから水田の中を通る1車線の道を行く。正面から車が来るとすれ違うのもためらうほど狭いので、みんな停まって道の端によける。スマホのナビがなかったらとてもではないが通ることのない山の中や畑の中を通りながら、どうにか幹線道路に出る。
静流曰く、なるべく車が少ない道を選んでいるそうだ。幹線道路と言ってもそれほど車通りは多くなかった。また、お寺さんが多く見えたので、古い道なのだと思われた。
1時間ほど走って国道464号をまたいでコンビニで休憩。15分ほどで再出発。1時を回って、そろそろアイスクリームのカロリーが切れてきた。
また古い街道筋を走り、その後、急にニュータウンの4車線道路に出る。4車線道路では歩道を走るかと思ったが、交通量がさほどでもないのでやはり路肩を走る。
遠いわ。でもまだ15キロくらいしか来ていない。
そしてようやく静流がショッピングモールの中に入るよう指示を出した。やった。休憩とお昼ご飯だ。
みんな喜び、地元では有名なチェーン店のパン屋さんに入り、好きなパンを選んで無料のコーヒーを1杯だけ手にして、外のテラス席で食べる。みんなお腹が空いているので無言で食べ続ける。静流は桃華ちゃんのお父さんに連絡をとり、桃華を迎えに来て貰った。小学2年生にはちょうどいい冒険と言える距離だと思う。
ここで桃華とはお別れ。そしてクロスバイクに乗り、みな無言で走って行く。日常的に走っている静流はともかく、たまにしか乗らないのに3時間の行程はけっこう辛い。
しかしパンを食べたお陰で元気になり、その後、無事に日ハムファイターズ鎌ケ谷スタジアムに至り、市営の動植物園のすぐ側を通って、自分たちの町に戻ってきた。
午後4時になっていた。休憩を多く取ったから、時間がかかった。
「やったー!! 帰ってきた!!!」
解散地点の外環の交差点前広場で1番はしゃいでいたのが美月パパだった。
「パパ、恥ずかしい」
美月が恥ずかしそうに俯いた。しかし1番疲れているのが彼女に見える。ゆうきと悠紀はけろりとしているし、さくらも同様だ。
「何を言っているんだ! こんな大人数でのロングライドに成功したんだぞ! 喜んでいい。ああ、楽しかった! 静流くん、また行こうね!」
「是非!」
そして静流と美月パパは握手したあと、那古屋家と別れた。
「じゃあ、わたしたちも帰るわ。お土産をパパとママに見せないと」
ゆうきが笑顔で言い、姉弟とも別れた。
2人のお土産はコスモスだ。有料だが、切り取ったコスモスを持って帰れるサービスがあった。白とピンクと黄色を良い感じに揃えた。それは雫も同じだ。澪に見せたかった。
「じゃあ、あたしも。羽海ちゃん、帰ろうよ」
羽海とさくらの家は同じ方向だ。
「ごめーん。疲れたから澪さんに言って夕ご飯ごちそうして貰えることになってるんだ」
「作る当の僕には相談なしですか!」
「いいじゃん! 1人前を作るの面倒だし」
「いいよいいよ。ウチも作るの手伝うからさ。軽く飲んで帰りたいんでしょ?」
雫は頭を抱えたくなる。
「正解です! じゃあ、スーパーでビール買ってから行くね」
「はいはい」
「じゃあな、静流お兄さん、雫は明日またな」
「うん! 楽しかったね!」
「すっごい楽しかった! また走ろうね!」
そしてさくらは薄く暗くなりつつある街の中に消えていった。
羽海はスーパーに行き、雫は静流と2人きりになった。
「今日はどうだった、雫ちゃん」
「距離感覚が掴めたからよかった。輪行+自走はありだと思う。今度はどこに行こうか?」
「ありがとう。そう言ってくれて」
静流は本当に嬉しそうだった。別にお世辞で言ったわけではない。本当に雫は楽しかったのだ。
手は痛い、脚の筋肉も痛い。でも、楽しかった。身体を動かし、目と耳で刺激を受けることはこんなにも楽しい。
「でも、今度は全部自走でどこまで行けるか試してみたいね」
慣れればもっと遠くまで行けるだろう。可能性の広がりを感じつつ、雫は静流と連れだって、帰宅したのだった。
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