第116話 雫、お水をあげに学校の花壇に行く
学校が完全にお休みの期間は、主事さんも学校にこないため、花壇に水をあげに行く必要がある。しかも雨も降っていなかったため、当番の日の朝早く、雫は学校に向かった。 校内の全ての花壇を廻って、ホースで水を撒くのだが、桃華ちゃんと当番を同じ日にしていたので、校門で待ち合わせしてた。
校門に到着するとすぐに桃華ちゃんもやってきた。珍しく、下がハーフのジャージで、上がポリエステル生地のTシャツ。そしてスポーツサンダルだった。一方の雫はデニムのハーフパンツにリネンの淡い青色のシャツだ。
「雫お姉さん。おはよう」
桃華ちゃんのお父さんは心配してついてくるとばかり雫は思っていたが、1人だった。
「おはよう。夏休み、楽しんでる?」
「うん。まあ、家で1人だけどね。午後はお友達と遊ぶこともあるよ」
「桃華ちゃんは学童に行かないんだね」
桃華の家は父子家庭だと以前、聞いていた。
「別に行かなくても困らないから」
桃華はしっかりした子だから、家に1人でいても大丈夫なのかもしれない。雫の場合は母が心配して小4までずっと学童だったが、それはそれで貴重な体験だったと思う。考えてみると家にいる夏休みは今年が初めてだ。
「お昼ご飯とかどうしてるの?」
学校の中に入り、ホースロールを持ってきて外水道につなぎ、花壇に順番に水を撒く。暑くて乾ききっている。2日前に主事さんが水をあげたはずなのに、この乾き具合は異常だ。暑すぎるのだろう。水を掛けると植物が生き生きとし始める。
「お昼ご飯はね、お父さんが作ってくれたのをレンジで温めることもあるし、自分で食パンでサンドイッチを作ることもあるし、いろいろだよ」
「うん。ウチも2年生ならご飯、作り始めてたな」
必要があれば、子どもだって料理はできるものなのだ。
「ふむ。たまにはまたウチに遊びにおいで。静流が美味しいご飯作って待ってるから」
「つつしんでお受けいたします」
桃華は深々と礼をする。一体誰からこんなことを学んだのか不思議だ。ホースを持つのを桃華にバトンタッチすると、桃華は校庭の側ではなく、校舎の側から花壇に水をあげる。それも、ホースの口をシャワーモードから霧モードに変えた。
「やった~~ホントだ~~虹ができた~~」
だいぶ高く上がってきた太陽に向けて霧を吹き、花壇を湿らせる。
霧が空中にある間、プリズム効果で虹が出来る。それは雫が立ち位置からもよく見えた。しかしホースで高い位置まで霧を吹くので、桃華の服はすっかり濡れていた。
「さては最初からこれをやりたかったんだな?」
「そうです!」
雫も濡れてもそれほど困らない格好をしている。だから、桃華のすぐ隣に立って、同じ角度から虹を楽しむ。
「桃華ちゃん、よく知ってるね!」
「子ども百科事典を読むのが好きなんです」
確かにそれなら載っているかもしれない。そんなものを用意している桃華ちゃんのお父さんはよく考えて子育てをしていると思う。子どもがきちんと自然法則に興味を持っているのだから、凄い成果だ。
霧モードでは花壇に水をあげるのに時間が掛かるので、またシャワーモードに戻して水を撒く。そして自分たちが整備した花壇に到着し、紫陽花や桃の木、わすれな草が無事か確認する。それらは元気がなかったが、水をあげれば問題がない程度のようで、雫はほっとした。
夏の日差しが差してきて、雫の服も桃華の服もすぐに乾き始めた。途中、池の亀に餌をあげた。雫の小学校には他に動物はいない。
ホースの長さが足りなくなり、別の外水道につないで、また水を撒く。
「夕立でもあれば違うんだろうけどね」
「ずっと晴れだもんね」
そして雫は少し桃華の肌が赤みを差してきたことに気がついた。
「桃華ちゃん、日焼け止め塗ってきた?」
桃華は首を横に振り、雫は念のために持ってきた日焼け止めを取りだし、桃華の手と脚、首、顔に塗ってあげた。
「ダメだよ。桃華ちゃん、かわいい女の子なんだから、日焼け止めは絶対だよ」
「うん。わかった」
「疲れ方も違うんだよ。日焼けはヤケドなんだから」
「うん。気をつける。やっぱり雫お姉さんは、お姉さんみたいだ」
桃華はニカーっと太陽のような笑顔を雫に向ける。本当に太陽のように眩しいと錯覚してしまいそうになりそうだ。
「ウチなんてお姉さんになんて――ううん。桃華ちゃんみたいな妹、いたらいいな」
「ふふふふふ~~」
桃華は嬉しそうに笑ったのだった。
バイトから帰ってきた静流は家に雫がいないことにちょっと驚いたが、澪から学校に花壇係の仕事でいったと聞き、なるほどなと思った。
だいぶ仕分けの仕事にも慣れて、筋トレをする気にもなってきた。静流は自分の部屋にこもってラジオをつけ、まずストレッチから始める。チューニングはNHK第二放送。この時間は漢詩の番組だ。漢詩は素晴らしい文化だとこの番組を聞き始めてから静流は思うようになった。日本に入ってきたとき、その素晴らしさをどうにか自分の国に紹介しようと苦労したからこそ、こんな素晴らしい訳が作られるようになったであろうこともまた、静流が漢詩に対する興味を増すトピックになっていた。
ストレッチから筋トレにスイッチした頃、雫が家に戻ってきた。
「おじゃまします」
聞き覚えのある幼い声だった。
「雫、だあれ、かわいいこの子? 紹介して。あ、違う。1度、お勉強会にきたわね。桃華ちゃん」
「そうです。おじゃまします」
澪との会話で誰が来たのか分かった。
「静流~~ 桃華ちゃんだぞ」
静流は筋トレを中断し、リビングに向かった。リビングの座椅子には桃華がちょこんと座り、澪から麦茶を注いで貰っているところだった。
「静流お兄さん、おはようございます。おじゃましてます」
「うん。おはよう。お父さんはウチにくるの知ってるの?」
桃華は首を横に振った。桃華が持っているのはキッズ携帯だがメールはできるはずだ。
「うーん。じゃあ、今、メールしてあげてください」
「わかりました。お昼ご飯を食べて帰りますとメールします」
「なるほど、そういう話ね」
静流は2回連続でお客様をもてなすことになるとは思わなかったが、昨夜残った冷凍食品もあるのでそう困ることもない。静流はキッチンのラジオをつけ、お昼ご飯の準備を始める。まずは朝食後に洗った食器類の片付けからだ。
そして漢詩の番組が終わると、第一放送の鉄道の番組にチューニングを変える。ラジオなのに鉄道の番組というのも変だが、レポートの音だけでこれが結構楽しめる。その後は俳句と短歌の投稿番組になる。いつも楽しく聞けるのは、素人投稿を識者が私見たっぷりに解説してくれるので、詩心がなくても俳句や短歌を身近に感じられるからだろう。
雫と桃華は大型液晶TVで動画サイトの動画を見ていた。何を見ているのだろうと思ったら、カヌーの動画だった。
「そうそう、こんなの」
「へえ。ゴムボートと何が違うんだろう」
「ふーん。こんなのお家にあるんだね」
澪も会話に加わっている。今度、行こうと計画しているカヌーの話題になったのだろう。静流としてはカヌーはアウトドアの1ジャンルとして認識はしているが、道具は高価だし、遊ぶところも少ないので範疇外だ。やはり車がないと移動が難しいのもある。大人の趣味だ。それを体験させて貰えるのはありがたい。
「桃華ちゃんは好き嫌いある?」
カウンター越しに静流が聞く。桃華からはすぐに返事があった。
「あんまりない」
「あんまりってことは結構、あるね」
「どうして分かるの?」
「普通、小さい子ならそんなもんでしょ。でも、今日のお昼はホットクとのり巻き天ぷらにごま油と海苔の大根サラダの韓国風のランチだよ」
「ホットクってなあに?」
「モチモチとした生地に、黒砂糖とピーナッツのソースを挟んで平たく焼き上げた屋台のおやつ。のり巻き天ぷらも両方、冷凍食品。軽くオーブンするだけだけど」
「思いっきり昨日の残りだな。でも普通のホットクあったんだ?」
「お酒に合わないかなあって」
「うん。そうかも」
澪が大きく頷く。
「どれもだいじょうぶだと思います。甘くておいしそう」
桃華は笑顔で答え、静流は安心した。
今、作るのはサラダだけだ。大根は千切り器で千切りにして、韓国海苔をまぶし、ごま油と味塩、そしてバジルを散らす。オーブンしたホットクとのり巻き天ぷらを大皿に載せて、取り皿と一緒に座卓に持っていく。
4人で食卓を囲んで、いろいろ、お話をする。どこでお買い物するか、服はお父さんとどうやって買っているか、誰がご飯を作っているのか、困っていることはないか、などなどだ。
「冷凍食品が多いです。おべんとうのときは100%冷凍食品です」
「お父さん、料理しないの?」
「家でキャンプ料理みたいのはします」
「ああ、ピザ焼いていたもんね」
静流は花壇の会で桃華のお父さんがピザを焼いていたことを思い出す。
「ホットク美味しいです。お父さんにも教えます」
「冷凍食品だし?」
雫がそういうと桃華はふふっと不敵に笑った。
「新しい冷凍食品はすぐに買うのです。でも業務用のスーパーはいったことがないのでしらないんだと思います」
「ウケる」
雫は静流の予想外の言葉を使って驚きを表現した。
「まあ、手作り料理が食べたかったら静流くんはなかなかなものだよ。忙しいと冷凍食品に頼りがちだけど心が貧しくなるよね~~」
澪は己のこれまでを反省するかのように言った。
「羽海ちゃんもレトルトカップ麺頼みを脱しただろうか?」
静流は正直、不安になる。すると澪が可笑しそうな顔をしつつ、言った。
「そう思うなら田舎のおかんみたいに抜き打ち検査にいきなさい」
「田舎のおかん並かもしれません」
静流もそう言われて、笑った。桃華がサラダをかき込んだ後、言った。
「サラダおいしいです。スーパーのサラダくらいしか食べないので」
「うーん。まあ僕が大学生で時間があるから作るというのもあるからあまりお父さんを責めないでね」
「はい。もちろんです」
それはそうと言わんばかりにニカーと笑う桃華だった。
食べ終わった辺りで桃華のキッズ携帯に電話がかかってきた。そして静流に変わって欲しいと言われたらしく、電話をとった。桃華のお父さんはカヌーの日程を確認したかったらしい。以前、8月15日と決めてあったのだが、法事とか大丈夫だよね、という問い合わせだった。大瀧家の仏壇のことを知った後では、大丈夫だと即答できた。
『じゃあ、8月15日にね』
そして電話は切れた。
「カヌー楽しみだなあ」
静流は独りごちた。
「もう飽きたけど、雫お姉さんがいるなら楽しくなると思います」
桃華ちゃんはまぶしい笑顔で3人を見た。
澪が涙ぐむ。
「小さい頃の雫を見ているみたい……かわいい」
「お母さん、まだ3年しか経っていないんだけど」
「小学校低学年と高学年ではもう全く違うわよ」
「それは分かります、はい」
ちょっと雫は面白くないらしい。
その後、雫と桃華は少し据え置き型ゲーム機でパズルゲームで対戦してから、雫が桃華を途中まで家に送っていった。戻ってきてから雫が静流に言った。
「ウチが1人っ子じゃなかったら、こんなだったのかなあと思うな」
「僕も1人っ子だから、雫ちゃんのことを妹みたいに思っていたことがありました」
「知らなかった」
「でも常に塩対応なのでそんなことを考えるのをやめました」
「過去の自分、どうしてそんなに愚かだったんだ……」
雫は過去を嘆いたが、過去はもう変えられない。去年の驚天動地の出来事があって今があるのだ。それでいいのではないかと静流は思う。
「カヌー、楽しみだね」
「うん!」
雫が大きく頷く。初めてやることはなんだって興味を持ってチャレンジしたいものだ。そう彼女も思っているのだろう。8月15日が楽しみだった。
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