第114話 近所なのでやっぱり知り合いに会いますよね
大型書店を通り過ぎると今度は大手の楽器屋さんの前を通る。楽器専門店だけあって、幅広い商品ラインナップで店に入らなくてもキラキラしていると雫は思う。
「楽器屋さん、見てもいい?」
雫が聞き、澪が頷いた。
「うん。いいけど。我が家の家系に音楽の血は流れていないよ」
「身も蓋もない」
「でもさ、ほら、この前、歌ったって話したじゃん。だからちょーっとだけ興味が出たんだよね」
「冷やかしでもいいんじゃないかな。まずはきっかけが必要だから。お店の人も分かっていると思うよ」
静流が率先して入っていく。いろいろ並んでいるが壁に掛けられているエレキギターを見て、次にアコースティックギターを見る。
「ギターって値段、すごい違うね。1万円台から100万円まである」
「何が違うのか素人の我々には分からないね」
「合板とか単板とか説明に書いてあるから作るときに使っている板自体がもう違うんだろうね。外見が同じでも板が違えばそれはもちろん違うものだ」
「澪さんらしい物言いですね」
「結局、この手の趣味は、始めるのに最初は1万円台のものでその趣味を続けられるか確かめて、続けられたらもう20万円台にステップアップするのが1番コスパがいいんじゃないかと思う」
「そうなると最初のギターの置き場所に困るのね?」
雫が初心者セットを見てうーんと唸る。
「ギターをコレクションする人もいるからなあ」
「我が家にはそんな場所はありません」
「スポーツ自転車でいうと僕らの乗っているクロスバイクがその1万円台のギターだよ」
静流にそう言われて雫はびっくりせざるを得ない。
「じゃあ、あれ以下のお値段の自転車はなんなんだ」
「お買い物・通勤通学自転車。別のものだよ」
「なるほど」
「自転車も100万円を超えるのも普通にあるから、ギターの世界と同じだなあ」
「お金を使ってまで本質を追い求めるのか、別のことで何かの本質を追い求めるのか、人それぞれだと思うよ。お金を使わないと、それもきちんとしたお金を使わないと分からないこともいっぱいあると思うからね。結局手頃だからってやってみて、その分、分からないことがあるかもしれないし。やってみないと分からないことだけどね」
「お母さんが静流みたいなことを言い出した」
「そりゃ、小学生の娘にいうことと、大学生の静流くんを相手に言うことは違うわよ。お母さんだって人生生きているんですから、それなりに一言二言ありますわよ」
澪が胸を張る。雫の見たことのない顔をしている。そしてキーボードを見て、管楽器を見て、書籍コーナーで見知った顔を見つけた。
「あ、従兄さんと従妹ちゃんだ」
「こんにちわ」
瑠璃と蒼が楽譜を漁っていた。
「誰?」
「コスプレイベントで知り合った人。例のギターを弾いていた人」
「おお、噂の女装少年だな」
澪は蒼に食いつく。蒼は恥ずかしげに俯く。
「そういう認識は大変遺憾ですが、否定はしません」
「るりりん、久しぶり。今日はデートか?」
「アマレス大会ぶりだ。雫ちゃんだったね。うん。参考書を見に来たついでに寄ったの。デートに見えるよね? ね?」
「いや、どっから見てもデートだろ???」
「蒼くんはかたくなに認めないのです」
瑠璃は蒼に目をやり、蒼は俯いたまま、無言だ。
「るりりんさん、そんなに蒼くんをいじめないであげようよ。きっと蒼くんにも思うところがあるんだよ。たとえば一緒に合格したら、とか決めてるかもしれないんだし」
「そうなの?」
静流の言葉に瑠璃は蒼の顔をのぞき込み、蒼の顔が真っ赤であることを確かめると、有頂天になっていた。夢見る少女そのものの瑠璃は眩しい。
「いーなー。ラブラブ」
雫は思わず本音を漏らしてしまう。
「雫ちゃんも頑張ってラブラブになってね」
瑠璃の笑顔に見送られ、楽器店を後にする。澪が2人に聞く。
「えーっと、あの子たちはつむぎちゃんのクラスメイトだったよね、確か」
「そうです」
「るりりんさんはめっちゃくちゃ美少女だったな。いや、うちの娘だって中学になればあれくらいの美少女になるに違いないが」
「ウチはるりりん並の美少女になる!」
「そんな、海賊王じゃないんだから」
みんなで小さく笑いながらショッピングモールの中を歩いて行く。
そしてまた服を軽く見たあと、今度は靴屋を見る。
「スニーカー欲しい」
「はいはい。いい機会だから買いましょう」
靴を合わせて履き心地を確認する。これから足も大きくなるだろうが、スニーカーは長持ちするものではないので気兼ねなく買える。ちょっとお高めのブランド品を買っても履きつぶせられればいいだろう。
「ちゃんと自分で洗うんだよ」
「うん。がんばる」
今、雫が履いているスニーカーも自分で洗っているが、そろそろ厳しい感じだ。もうこの新しいスニーカーに役を譲って、雨で濡れたときの予備にとっておこうと思う。
「おー 大瀧家のみなさま、お久しぶりです。お元気ですか」
スニーカーを決めたところでラフな格好の羽海が声をかけた。
「どうした公務員もお盆期間は休みなのか?」
澪が素に戻って羽海を見る。
「学校には閉庁期間というのがあって強制的にお休みになるんですよ。そうしないといつまでもだらだらいる先生がいるんで」
「羽海ちゃんもスニーカーを買いに来たのか?」
「うん――買い物くらいしか楽しみがないから」
会っていきなり教職の闇に引きずり込まれてしまった。
「どうする? 今夜、予定ある?」
「ないでーす」
「静流くんがおつまみ作ってくれるってさ」
「会場は澪さん家ですか?」
「いいよー」
「わーい」
「この酔っ払い予備軍どもが僕をこきつかう。アルコールは自分で買ってくださいね」
「大丈夫大丈夫。買ったら静流くんに持たせるから」
「クロスバイクにかごはないですよ」
「えー。後ろのキャリアにパニアバッグをわざわざ取り付けて来ているんだから想定内でしょ? 炭酸とコーラと、今日はハイボールにしようか?」
母は静流に対して無慈悲だ。
「いいですねえ。ウィスキーは私が用意しておきますよ」
どうやら夜に備えておかなければならないらしい。まあ、自分に被害が直接くることはないと思うのだが。
羽海は自分のスニーカーを探しに行き、また今夜と言って3人と別れた。
「やっぱ近所だから会うなあ」
静流が諦めたような口調で言った。
「さくらちゃんやみーちゃんはそれぞれの田舎に行ってるよ。猫画像を楽しみにしてる」
「じゃあ、会うことはないな」
「週末のカヌーの予定で会うだろ。もちろん桃華ちゃんとも」
「うん。楽しみだね」
「あんな汚い江戸川でカヌーねえ」
澪が想像できないというように言う。
「なんでもチャレンジです」
「です」
そしてショッピングモールに入っているスーパーのプライベートブランドの缶ビールを1箱買い、大荷物を抱えて自転車置き場に戻る。缶ビールはパニアバッグに小分けにすると余裕で入った。
「じゃあ、僕はこれから業務用のスーパーに行きますから」
「おお。済まないねえ」
「請求しますからね」
「外で飲むより遙かに安いからね」
静流はクロスバイクに乗って、業務用のスーパーに向かった。
「お母さん、人使い荒い」
「あの子はあれで楽しんでいるからいいのよ。それにセクハラ教師のガス抜きもしてあげたいしね。なんか、館山じゃ凹んでいたみたいじゃないか」
澪は少々大人の顔をして心配そうな表情を浮かべた。
「お母さん、意外と羽海ちゃんのことを心配しているんだね」
「そりゃそうよ。袖すり合うも多生の縁って言ってね」
「何それ」
「自分で調べなさい。それも勉強だから」
家に帰ってスニーカーの紐を通してから最近、母が知り合いから貰ったという改版したばかりという小学生国語辞典で調べる。今の子は辞典の引き方も知らないというからということでくれたらしい。確かに検索の仕方は覚えた。
袖とは衣服の端という以外に両端のことを言うらしい。舞台袖の袖というのは端という意味なのだなと国語辞典の面白さを知る。『袖すり合うも多生の縁』のこともきちんと記載されていた。どんな小さなできごと、ちょっとした人との出会い、それらは偶然ではなく、すべて前世などの深い縁によって起こるものだという意味だそうだ。ちょっとマジカルではないか。普通に母がそう言う言葉を使うことに雫は日本人の中にはまだ魔法の言葉が埋もれていることを雫は感じる。
国語辞典、面白いなあ、と素直に雫は感心した。
しばらくして静流が業務用のスーパーから帰ってきて、すぐに使うであろう冷凍食品を掃き出し窓の近くに置いた。熱が入ってくるのはやはり窓からだ。少しでも家の中を冷やそうというのだろう。
「今夜はなに?」
「いろいろ。お楽しみに」
「はーい」
そのうち、羽海ちゃんも来るだろう。澪は昼寝をしている。呑みに備えているのだろう。これが我が家の通常運転である気もする。静流が羽海にセクハラされるにしても自分がいれば度は超さないはずだ。
そう思うことにしよう。もう泣かないぞ。
雫はそう、自分を鼓舞させたのだった。
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