第108話 雫の帰宅

 8月の1日、2日は館山一円のお祭りが合同で行われ、多くの神輿や山車で賑わった。途中、空手センパイとさくらが何故か邂逅し、さくらはかなり動揺していたのだが、それはまた別のお話だ。


 そして8月第2火曜日の花火大会は昨年同様に賑わい、美月のお父さんが合流し、一緒に花火大会を見物し、大いに歓声を上げた。そしてその夜は大瀧家の庭で静流と一緒にプチキャンプして野宿までした。タープと蚊取り線香、そしてマットとスポーツタオルだけで眠るという経験は美月のお父さんの童心を呼び起こすのに十分だったようだ。乾き物にビールで縁側でじいちゃんと呑んだのも楽しかったらしい。まあ、普通はできない類いのイベントだろう。とても楽しそうだったが、それもまた別のお話だ。


 翌朝、雫は美月のお父さんが運転する車で2時間程度で家に帰ってきた。途中、1回トイレ休憩をとっただけだ。なんてことはなく、旅という感覚もなかった。


「いやあ、短かったような長かったような。ありがとな」


 まずさくらが車から降りた。


「もう宿題は終わりましたからあとはしっかり空手の修行をしてくださいね」


「そのつもりだ」


 美月にそう言われ、さくらは笑顔でマンションに入っていった。次は雫のマンションだ。


「静流くんによろしくね。楽しかったと伝えて欲しいな」


 美月のお父さんはプチキャンプを大いに楽しんだようだった。


「もちろんです。乗せてくださってありがとうございました」


「じゃあ、大瀧さん、また近々」


 美月は車の窓を開けて手を振り、雫は荷物を手に那古屋家の車を見送った。家に帰っても母の澪は仕事に行って不在だ。なので、室内は暑かった。館山ならば窓を開けて、縁側を抜ける風で割と涼しかったのではここではそうはいかない。エアコンをつける。28度設定で十分に感じるのは館山で外気になれたからだろう。そのうち、元に戻ってしまうのだろうが、今はこれでいい。


 さて、と雫は洗濯物を洗濯機に放り込み、洗濯機を回す。いつものことだが、館山と違って美月とさくらの分がないのでずいぶん少ない。それをまた寂しく思う。


 とても楽しい館山だった。去年も静流のことが好きだと気がついて、それはたいそう楽しい夏だったが、今年は親友2人がいた。ずっと忘れない夏休みになった。


 洗濯機を回しながら、静流に連絡を入れる。明日の朝にバイトがあるというので、今、静流だけ輪行で電車に乗っているところだ。やはり車の方が早い。


〔今、千葉を出たところ〕


 意外と早かった。館山で静流は車を見送っていたのだから、電車に乗ったのは結構後のはずだ。乗り継ぎがいいタイミングだったのだろう。


〔お昼の準備しておくね〕


〔据え置き型ゲーム機も出して置いてね〕


 そうだったそうだった。車だったから据え置き型ゲーム機も持ってきていたのだ。古いゲームばかりだが、バリエーションが増えるのはありがたいことだ。大きな紙バッグいっぱいに詰められたゲームソフトとハードを液晶TVの横に置いておく。


「早く帰ってこないかな」


 雫は時計を見る。まだ10時半。静流の連絡があって5分も経っていない。家に着くまで自転車の組み立て時間にもよるが、40分くらいかかるだろう。


 洗濯機が回っている間に冷蔵庫の中を確認する。当たり前だが静流が残していった作り置きはない。スーパーで買ったお惣菜に缶ビールがいっぱい詰まっていて、あるのは卵とニンジン、そしてタマネギくらいだ。


「おお! これで何を作ればいいというのだろうか」


 思わず独りごちる雫だ。しかし無事、雫は思い至った。庭のプランターの水やりを澪が忘れていなければハーブの類いが10日手つかずで育っているはずだった。これ幸い、バジルも大葉も元気だった。特にバジルは元気いっぱいだ。


「ようし、じゃあ、バジルだ」


 ツナ缶を見つけ、ご飯が炊かれていることも確かめる。うん。十分だ。タマネギとニンジンを刻み、レンジで加熱。量が多いので6分。ニンジンが固いのでネルが回るようにニンジンを下に敷いておく。これで加熱はOK。バジルとツナ缶をさっと炒める。味は塩こしょうだけ。加熱したニンジンとタマネギを投入。卵で綴じる。オリーブオイルをかけて、完了。さっとツナ缶どんぶりバジル和えの完成だ。あとは静流が帰ってきたらご飯と一緒にレンジ加熱して食べればいい。


「ウチって料理上手になったなあ」


 料理とは発想だと思う。つまらないと思って作っていたらいつまで経ってもバリエーションが思い浮かばず、作るのが苦痛のままになる。何か1つコアになるものさえ考えつけば、あとは枝葉をつけるだけなのだ。


 静流の連絡からまだ15分しか経っていない。


 静流に会いたいなあと思う。朝まで一緒にいたのに、そんなことを思うなんて贅沢だと思う。いや、ちょっと違うなと思い返す。2人きりになれるのだ。今までは誰かしら一緒にいたし、最悪のパターンでは羽海ちゃん先生がいた。


「はーやーく。帰ってこい~~」


 洗濯機の前に行って残り時間を確認してもあと15分はあった。隙間時間は有効に使わなければならない。向こうで洗って持って帰ってきた服を片付け,水着も片付ける。あと1回くらいは出番があるかなと期待する。


 勉強道具もロフトの下の机の上で整理する。机を使うことは滅多になくなったが、それでも全く使わないというわけでもない。


 そうだ、桃華ちゃんのお父さんに連絡しよう。カヌーをするんだった。


 連絡はいつも静流がしていたから初めての連絡だ。あ、桃華ちゃんのお父さんはきっとまだ仕事だからまだ繋がらないな。夜にしようと思い直す。桃華ちゃんともお話がしたい。お盆休みには主事さんもお休みだから花壇係が水を撒きに行かなければならないのだが、それが楽しみだ。


 ああ、火起こし体験にも行くんだった。開催日はもう少し先だけど。悠紀くんとゆうきちゃんは元気かな。報告が楽しみだ。


 もちろん館山は楽しかったけれど、いつものみんながいるここが自分のいる場所だと雫には思える。いつも疲れ切っている羽海ちゃん先生を労りに行こう。海水浴の記念写真で思いっきり静流にセクハラをしたことは水に流そう。激怒したのもいい思い出だ。


 洗濯が終わったことをしらせるメロディーが洗面所から流れてきた。いろいろ考えていたからか、あっという間に時間が過ぎてくれた。ダッシュで洗濯物をかごに入れ、外に干そうとして、その前に天気予報を確認。大丈夫、降水確率は20%。もし夕立があってもその前に取り込めばいい。


 よし、と思い直して、掃き出し窓から前庭に出て、雫は物干しハンガーに洗濯物を干していく。澪の下着だけはよけて、中に干すが、それ以外は外に干す。そろそろ自分のジュニアブラとパンツも中に干した方がいいか? と雫は悩むがまだいいかと思うことにする。自分と澪が溜めていた洗濯物だけなので量が少なく、すぐに干し終わる。


 するといい時間になっていた。静流が帰ってこないかな、と思っていたらちょうど前庭の扉の前にクロスバイクが停まった。もちろん静流のクロスバイクだった。


「静流~~!!」


 クロスバイクを押しているのなんて関係なく、雫は静流の後ろから抱きつき、首からぶら下がり、両足でがっしり胴を締める。


「ぐああ。苦しいんだけど」


 そう言いつつ、静流はクロスバイクをフェンスに立てかけ、鍵を閉める。


「いいんだ。今まで補充できなかった静流分を補充しないとならないんだ」


「いい悪いじゃなくて苦しい」


「ガマンしてくれ」


 静流は靴を脱ぎ、掃き出し窓から室内に入る。


「あー涼しい」


「静流、好き~~」


「え、いきなりどうしたの?」


「今まで人目があって言えなかったから言っただけ」


「そ、そっか。雫ちゃんなりにガマンしていたんだね」


「もちろんだよ。静流、羽海ちゃんにばっかり目が向いているから気が気じゃなかったよ」


「そんなことないよ。具合悪そうだったから心配していただけだよ」


「信じるぞ」


「信じてよ」


 そして静流はしがみつくのをやめて静流の前に出て見上げた。


「大きくなるまで待っててよね」


 すると静流は苦笑して、雫の頭を撫でた。


「それは僕の台詞だよ。大きくなるまで僕のことを好きでいてね」


「もちろんだよ!」


「はやくチューできるくらい大きくなってね」


「今でもいいんだよ!」


「イヤ、ダメだって!」


 静流はまた苦笑する。相当、ガマンしてくれているのかもしれない。


「うーん。ガード固いな」


「そういう問題じゃない」


「あ、そうだ。もうお昼ご飯、できてるんだぞ」


「そっか、それは楽しみだ」


「庭のバジルを使った。それでツナ缶でどんぶり作った」


「うん。いいんじゃない。じゃあ、実食だ」


 まだ11時半だったが、朝が早かったのでお腹は減っている。静流と雫は座卓にどんぶりを並べ、向かい合って手を合わせ、同時に言った。


「いただきます」


 そして夫婦箸を使って食べ始める。


 これが2人の日常になることを願って、雫は静流を見つめたのだった。

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