第107話 肝試し
肝試しに行こうと盛り上がったのは小学生としてごく当然のことかと思う。行く前に話をしていた赤山地下壕は静流の実家のすぐ近くにある。静流に行きたいと話をすると午前中の勉強を午後にすることにして、まだ暑くない時間帯に出かけた。
「雫ちゃんが戦争遺跡に興味があるなんて思わなかったよ」
静流を騙しているようで少々、気が引けた。歩いて地下壕に向かう間に静流が概要を説明してくれた。太平洋戦争末期に米軍の空爆に耐えるために海軍航空隊の手で建設された地下施設で全長1.6キロもある大規模なもので、中には医療施設や通信施設があったとされる。
「実質、本土決戦用だったのかな。館山も米軍上陸想定地点だったから。実際には米軍が上陸しなかったから戦場にはならなかったんだけどね」
「アメリカと戦争したときの話ですね」
美月はぼんやり知っているようだ。雫は館山に来る度、なにかと聞いて知っていた。
「今の子だとアメリカやイギリスと戦争したこと、どうして戦争したかなんて知らないものね。歴史を知らずにただ生きていくこともできるけど危険だよね」
どうして危険なのかは雫もなんとなく分かる。歴史の分岐点に立ったとき、選挙権を持つ者として正しい判断ができないからだろう。
「沖縄みたいに戦場になったら何万人って死んだんだろうね」
戦争のニュースは毎日流れている。日本も過去は戦争の当事国だったのだ。それを考えながら見る必要があると思われた。
近くの公民館で入場料を払い、雑木林の小径を歩き、こんもりした森の中に金属製の崩落防止と思われる構造物が見えた。そこが入り口だった。公民館ではヘルメットと懐中電灯を貸して貰っていたので、ヘルメットをかぶって中に入る。
中は照明もあるし、地下ということもあるのだろう。夏の外気とは無縁で、ひんやりと涼しかった。静流でも余裕で歩けるほど天井部が高い。手掘りだと説明看板にあったから驚きだ。そして斜めの地層を見てまた驚く。さくらが静流に聞く。
「なんで地層が斜めなんだ?」
「沖ノ島と同じで地震の影響だよ。この辺は地震の影響がとても大きいエリアなんだ」
「おわあ。そうなのか。」
さくらは自然に静流に寄り添い、腕をとる。雫も負けじと腕を組む。
「懐中電灯が持てない」
「ウチらが照らすから大丈夫」
「そうそう」
「ほどほどにね」
美月が呆れた声を出す。
大きく、長い通路を歩き、地層の傾斜も一様でないことに気づく。地層は歴史を語るというが、この辺りの地層は雄弁だ。雫はむしろ不思議になってくる。
「どの辺が心霊スポットなんだろう」
「そんなのあるわけないじゃない。戦場になっていないんだから」
「あ、そっか」
「心霊スポットなんて適当だよ。怖いと人間が思ったところがそうなっていくんだ」
「そうだよなー」
さくらも肝試しに乗り気だったくせにまるで考えていませんでした的な言い方をするので、雫は悔しい思いをする。
「心霊スポットだっていうなら沖ノ島の方が心霊スポットだよ。よく水死体が流れ着くとかなんとか」
「怖い」
雫はここぞとばかりに腕に力を込めて静流にしがみつく。
「まあ、嘘だけど」
「そうだよね」
雫は腕の力を緩めた。
30分ほども地下壕の中を歩き、涼しくて外に出たくなくなることはあっても心霊的な何かは全く感じられなかった。灼熱の夏の熱気の中、歩いて帰宅する最中、3人で話す。
「そもそも昼間だしな」
「夜がいいよね」
「そもそもオカルトなんて存在しません」
先を歩く静流に聞こえないように会話する。
「でも、沖ノ島に行く途中にあった廃墟が心霊スポットみたいだよ」
静流は前に調べたときの記憶を呼び覚ました。さくらが応じた。
「そこならぜんぜん歩いて行けるじゃん」
「夜の散歩っていって、出かけてみようか」
「2人とも止めた方がいいよ。怖いよ」
「みーちゃんはオカルトなんて存在しないって言っていた割に怖い?」
「そうじゃなくって……」
静流が何を話しているのかと振り返ったのだろう、さくらと雫は黙る。
「お昼は何を作ろうか」
「たまには袋麺でもどうかな?」
咄嗟に雫はそう反応してしまった。
「うん。鰹節たっぷり袋麺にしよう」
上手くごまかせたようで雫はホッとする。せっかく美月とさくらと来ているのだ。肝試しくらいしたいではないか。
雫は静流に頼んで3人で出かけてしまおうと思ったのだった。静流に廃墟の近くにいてもらって美月とさくらを怖がらせるのだ。直後に種明かしすればいい思い出になるだろう。しかし、3人いれば当然、考え方は違うわけで、さくらは勉強中に素直に静流に言った。
「ネットで調べたらさ、基地の前にある廃墟が心霊スポットだっていうから行ってみたいんだけど静流さんも来てくれるかな」
3人の勉強をみていた静流はスパッと言った。
「夏でなかったら別に行ってもいいんだけど、今はオカルトと別の理由で行かない方がいい」
美月が不思議そうな顔をする。
「どうして夏限定なんですか?」
「あの辺は禁止されているのに勝手にバーベキューやってたり花火して酒盛りしている連中がいることがあるから、絡まれるのが怖い。いなければいいんだけど」
それは確かに面倒そうだ。さくらが唸る。
「うーん。ストリートビューで見たけど、廃墟の隣に東屋があるし、車も停められるし確かにバーベキューにはよさそう」
「もし行くなら、さくらちゃんには空手の心得があるから、拳を痛めないようにバンテージを巻いて貰う。ケンカなんかしたことがないから僕じゃ役に立たないし。護身具は持っているのを持っていくけど。あと、安全靴かな。万が一のときは一撃いれて逃げる。とにかく逃げる。雫ちゃんと美月ちゃんにはゴキジェットでももって目潰しして貰う。それくらいの覚悟が必要。女の子3人も行くなんてそれくらいの用意があってしかるべしだ」
「そこまでか。じゃあ、やめよう。わざわざ危険を冒す必要はない」
雫はハアとため息をつく。
「でも、代わりのスポットは用意できるよ」
「さすが静流お兄さん!」
「場所は陽が落ちてからのお楽しみだよ」
そして静流は3人が勉強に戻るよう促した。ネット情報より地元民の情報の方があてになる。ちょっと楽しみになってきた雫だった。
陽が落ち、夕食を食べ終えて、静流に連れられて雫たちは外に出た。日が落ちると日光がない分、かなり涼しく感じる。凪の時間が終わり、海風が吹くようになる。
風を受けながら、最初は街の中を歩く。街灯があるのでさほど困らなかったが、すぐに田んぼの道になる。静流の家のこんな近くに水田があることを雫は知らなかった。台地沿いの道を歩き、再び集落に入るとT字路の角に天満神社参道と彫られた石の柱を見つけた。小さな街灯があるだけなのでLEDライトで照らしてやっと分かった。
「また神社か」
雫は呆れる。
「お墓だとお寺にご迷惑なので」
まっすぐ真っ暗な道を進むと鳥居が立っているのが見え、その前まで進んだ。
「じゃあ、ここで1人ずつ行って貰おうかな。とりあえず僕が安全確認をしてくるから待っていてね」
静流は3人を残して神社に上がる階段を上っていった。
「さすが静流さん、怖くないんだな」
「神社と死者なんてあんま関係ないだろ?」
「天満神社って学問の神様ですけど元は怨霊だそうですよ」
美月がスマホで調べていた。さくらが驚きの声を上げた。
「怨霊が神様になるのか」
「平将門も怨霊から神様にクラスチェンジしてるからなあ」
雫はお茶の水の天満宮を思い出す。あと、歴史博物館の平将門信仰のパネルのことも思い出す。怨霊を鎮めるために祀り、神にするのが日本の伝統らしい。
「失礼があってはいけないってことだな」
「1人ずつ行くって行ってたから順番を決めておこう」
さくらが言いだし、じゃんけんして、さくら、美月、雫の順番になった。静流が戻ってきて、さくらにLEDライトと5円玉を持たせて肝試しの開始である。5円玉はちゃんと参拝するようにということでお賽銭とのことだった。
さくらは闇の中に消え、しばらくして鈴が鳴り、そして5分ほどで戻ってきた。
「静流さん! あれ、何?!」
「ダメだよ言ったら。肝試しにならないじゃないか」
「静流、何か仕掛けてきた?」
雫は静流を見上げ、顔色を窺うがそういう感じでもない。
「いやいや。じゃあ、次は誰?」
美月が手を挙げ、LEDライトを手渡され、さくらと同じく闇の中に消えていく。
「あー、驚いた。そして怖かった。いい肝試しになった」
「さくらちゃんがそんな風に言うなんて」
「あーネタバレになるからそのくらいで」
静流がさくらの発言を遮る。
やはり5分ほどで美月も戻ってきて、胸をなで下ろした。
「あー、驚いた。大坂さんの前振りがなかったら相当怖かったですね」
「雫ちゃん、いってらっしゃい」
「一体、何があるって言うんだ」
雫はLEDライトでよく足下を照らしながら1つ目の階段を上る。2つ目の階段は急だ。上がったところに狛犬が待っていた。厳つい顔をしているがかわいい。そして境内を照らすと拝殿と手水舎、そして何かがうずくまっている台があった。
「うわ、何かいる!」
その何かをLEDライトで照らすと大きな牛がそこにうずくまっていた。
「なんで牛!?」
よくよく見るとそれはブロンズ像だった。
「あー びっくりした。こういうことか」
普段想像する神社にないものがあるとそれだけで驚くのにこの大きな牛の像が突然視界に現れたら驚かないはずがない。種明かしは静流にして貰うとして、5円玉を投げ入れ二拝二拍手一拝。鈴緒を持って鈴を鳴らす。そして下りの階段を気をつけながら下った。
3人は面白そうな顔をして雫を待っていた。
「なんで牛?!」
雫は静流の顔を見るなり聞いた。
「諸説あるけどご祭神の菅原道真公が丑年生まれだったとか。でも牛は当時、農耕でとても貴重な労働力で家族でもあったからね。そういう意味で貢献した牛を祀ったのもあったんじゃないかなと想像します」
「なるほど」
「馬頭観音とか駒形神社は馬だけどね。やっぱり貴重な労働力に感謝する気持ちが日本人にはあったってことだね」
「でも怖かった。あたしが1番最初だったから1番怖かったよ」
「肝試しになるでしょ?」
静流は嬉しそうに言い、神社に背を向けた。
「さあ、帰ろう。神社は興味本位で来ていいところではないからね。ちゃんとお参りした?」
「もちろん」
「鈴鳴らした」
「二拝二拍手一拝ですわ」
静流は笑顔になり、歩き出す。
「神社はパワースポットだ何だって最近言われているけど、それはそれで正しい向き合い方だと僕は思うんだ。大切なのは地元の方が大切にしている聖域だって気持ちを忘れず、真摯に向き合うこと。忘れないでね」
肝試しに来たのだが、結局いつもの静流のペースに巻き込まれてしまった。
雫はそれでもまあいいかと思う。地元にいたらこんなことはできない。さくらと美月もいてよかったと思う。
「桃華ちゃんやゆうきちゃんがいたらなあ」
さくらがそう言うのも、もっともだ。みんなで楽しみを分かち合いたいと雫は思う。
「機会があったらいいかもね」
静流はそういいつつ、田んぼ沿いの道を先導し、4人は歩いて帰る。月は出ておらず、とても暗いので星がよく見える。天の川がみえるくらいだ。こんな体験も地元ではとてもできない。
「楽しかったよ、静流」
「それは何より」
そして雫は静流の腕をとり、負けじとさくらも静流の腕をとる。
足下に気をつけながら、ゆっくりと家路を辿ったのだった。
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