第106話 羽海、一足先に帰る

 午後は写真の整理をして、それぞれの親御さんに近況の報告をした。羽海にも画像を転送し、しばらくして返事があった。だいぶ楽になったとのことで安心した。無理に海水浴に来ることなかったのに、と返事をすると、きっと3人娘とだけで行ってしまうからと返ってきた。そんなことはないのに。ちょっと釈然としないものが残った。アリバイに足る画像になったのかどうかは分からないが、友達には送ると返事があり、羽海とのやりとりは終わった。


 午後は勉強に費やし、祖母の監督の下、3人には夕ご飯をつくって貰った。メインは簡単にそうめんだったが、具を複数用意したので準備が大変だったようだ。そして持ってきた線香花火を楽しみ、2日目は終わった。


 翌朝も早く起き出し、4人揃って静流の出身小学校に行った。何も考えずに行ったのだが、ちょうどラジオ体操をやっていたので何げなく参加してしまったら、雫たちは地元の子達と話をして、また明日も来るということになっていた。雫の意外なコミュ強さに、静流は驚きを隠せなかった。


 基本、館山は田舎だ。本当の田舎よりはかなりマシだとは思うが、それは自衛隊基地があるお陰で人がいてモノも動くからだ。自衛隊がなくなったら大変なことになるだろう。


 海水浴をしてしまったので、あと、祭りと花火大会まで特に予定はない。しかし小学生3人をもてなさないとならないのもまた差し迫るものがある。午前中は勉強をさせるからいい。問題は午後だった。


「何する? ゲームする?」


「それでもぜんぜんいいけど、せっかくこっちに来ているんだからどっか行きたいなあ」


「静流さんが神社に連れて行ってくれるんじゃないんですか」


 美月に言われ、雫とさくらの目が静流に向く。プレッシャーだった。


「神社に連れて行っても君たちが楽しくないだろ?」


「どこかに行くことが大切なんだよ」


 雫は正論を言う。


「では、じーちゃん車の出動をお願いするか」


 祖父はまだある程度、現役で働いているが、一応隠居の身である。 祖父は快く車を出してくれ、静流はクロスバイクで後を追った。


 今日の目的は磨崖仏見物である。去年の年末に那古船形で見た崖観音も磨崖仏だ。磨崖仏の起源は中国と言われている。TVのドキュメンタリーなどでもよく見るのでそれはそうだろうという気がする。日本では奈良時代にその習いが伝わり、平安時代ごろにブレイク、鎌倉時代に衰退したが、その後、小型化して全国で作られたらしい。


 静流の実家から5キロほど東の台地の上にあるお寺に大日如来の座像がある。それを拝みに行くわけだが、お寺の駐車場に停めて、お堂の前を歩く。


「仏像を見て何が面白いんだ?」


 さくらに聞かれ、静流は困る。


「800年以上前に彫られた仏さまを昔の人がどういう風に信心していたか想像を巡らせるのが面白いと僕は思うんだけど、雰囲気を楽しむだけでもいい」


「なるほど」


 暑い中、お堂の先にある50メートルほどの坂を上ると崖の斜面に彫られた座像の仏様が見える。風雨対策で屋根も設置されている。周囲に小さな新しめの仏様も幾つも置かれている。その周囲に苔むした古いお墓が並んでいる。かなり雰囲気がある。静かで、蝉の声だけが聞こえる。


「タイムスリップしたみたいだ」


 みんなの感想を一言で言い表すのなら、そうなるかもしれない。


「本当。江戸時代みたい……」


 美月も小さく声を上げる。


 人の気配もなく、車の音も聞こえない。小さく蝉の声だけが響いている。


「わからないけど、きて良かったな」


 そう雫が言うと祖父が無言で微笑んでいた。


 参拝を終え、坂の手前にある説明書きの看板を読むと江戸時代の火事で詳しいことはわからないが室町時代からあるという伝承が残っているとのことだった。登った山はお大日山といい、太陽信仰の場だったようだ。


「大日って?」


 看板を読み終えて雫が聞く。


「お天道様を仏様化したもの、といおうかな」


「お天道様って、仏様?」


「太陽が神様の神話っていっぱいあるでしょ? 天照大神とかギリシア神話のアポロンとか有名だけど。やっぱり農業には太陽がとっても影響が大きいから信仰が生まれるんだよ。日本の場合、各地の太陽神が天照大神と一緒になる一方で仏教が入ってきて密教が入ってきて、さらにごっちゃになって、特に区別もつかないまま太陽信仰が続いたんだ」


「静流は難しいことを言うな」


 いつもは雫が言う台詞を祖父が言った。


「いい参拝でした」


 雫は駐車場に戻ってから言い、車に乗り込んだ。その後は業務用のスーパーに寄って、あれこれ買い、アイスを食べて帰宅した。


 これはこれで楽しい休日だった。業務用のスーパーの巨大プリンを皆で分け合って食べて盛り上がったし、これで記念写真も撮った。たぶん、JSにも楽しい1日になったのだろうと思う。


 その夜、静流のスマホに羽海から連絡が入った。


〔明日の朝、一足先に帰るよ〕


〔お疲れ様でした。見送りに行きましょうか〕


〔来てくれるの?〕


〔ええ。せっかくですから〕


 具合が悪そうな羽海の顔が記憶に残っている。それを塗りつぶしておきたかった。9時半過ぎの電車に乗るというので行く約束をした。


 なるほど。せっかくなので電車の中で食べられるよう、お弁当を作ってあげようという気になり、静流は台所に立った。様子を見に来たのか、雫が台所に顔を出して聞いた。


「どうしてこんな時間に台所に立ってるの?」


「羽海ちゃんが帰るって言うからおにぎりを作ってあげようと思って」


「さすが静流。気が利くな。手伝うよ」


「じゃあ、油揚げを細かく刻んで。その後は豚肉」


 油揚げは湯を通してある。その間に静流はかつおぶしをフライパンで煎る。そして煎り終えて、ボウルに上げて、雫が刻んだ油揚げと豚肉を砂糖としょう油、みりんで炒め、とろみがついたら鰹節を混ぜて具のできあがりだ。


「今日はここまで」


「美味しそう」


「おにぎりの具になるんだ。混ぜご飯にして握るんだけどね。ごんじゅうっていう館山のお祭りの時の料理なんだよ」


「へえ、ウチ、食べたことないや」


「秋のお祭りで食べる料理だからね。雫ちゃんは秋に来たことがないからじゃないかな。じゃあ、今夜はもう寝よう」


「うん。じゃあ、お休み」


「雫ちゃんは羽海ちゃんのことまだ怒ってる?」


「具合を悪くしちゃった人のことをいつまでも怒っていられないよ。大人には大人の事情があるんだろうし、義理は果たした」


「雫ちゃんの方が大人だ」


 雫は母屋に戻っていった。


 翌朝、勉強は見送ってからすることにして静流とJS3人は歩いて館山駅まで行く。徒歩で3キロ。歩けない距離ではない。運動をしていないのでむしろいい運動だと思って歩く。朝のラジオ体操で小学校まで行っていることを考えると結構な距離になる。計10キロくらいだろうか。都会だったら考えられない距離だが、本数が少ないバスを待つことを考えると別に歩くのも選択肢になる。


 9時半前に館山駅に到着すると改札口前で羽海が荷物を持って立っていた。


「本当に見送りに来てくれた」


 静流達を見つけると羽海は笑顔になった。


「約束したでしょ。はい。お弁当。ごんじゅうですよ」


「嬉しいな」


 静流は羽海に紙袋を渡す。中にはアルミホイルに包んだ豚肉と油揚げとかつおぶしのおにぎり、ごんじゅうを4つ入れてある。のぞき込んでおにぎりかと聞き、静流は頷く。


「羽海ちゃん、元気ないね」


「羽海ちゃん先生らしくないです」


「しっかりしてくれよな」


 女子小学生3人に声をかけられ、羽海ははははと笑う。


「短い休みでも終わるとなるとなかなかに鬱だ。大人は大変なんだよ」


 羽海は更に苦笑いをしてしまう。苦しいところだ。


「海水浴に付き合ってくれてありがとうね。とても楽しかったよ」


「羽海ちゃん、無理するから」


 雫が心配そうな目をして羽海を見上げる。


「でも、みんなの水着姿も見られたし、しずるちゃんに優しくして貰えたし、いいお休みだったよ」


 羽海は笑った。さくらがドンと羽海の背中を叩いた。


「じゃ、また、どうせ夏休み中でも会うだろうから、また」


「推していきますよ」


 美月が羽海にとっては心強いことを言う。


「ありがと。じゃあ、行くね。一足先に戻ってる」


 そして羽海は重い足取りで自動改札の向こうに消えていった。


 しばらくして、帰路を歩いている最中、静流のスマホに連絡が入った。羽海からのメッセージを読む。


〔ごんじゅう、美味しい〕


〔我らが館山の自慢の郷土料理なので〕


〔そうそう。友達に送ったら、こんなんになって返ってきたよ〕


 そして画像が送られてきた。


 レジャーシートに座る静流と羽海の画像だ。それ自体は雫がアリバイにと撮ったモノだ。その画像が加工され、ピンク色の相合い傘が描かれていた。黒ビキニの胸の谷間も鮮やかな、健康的なお色気が溢れている記念写真の上に相合い傘が描かれると更になにか違うモノが漂ってくる。2人が本当にカップルのように見えてくるから不思議だ。


〔ちょっとお気に入りになった〕


 どう返答したものか静流は躊躇した。歩きスマホもよろしくない。スマホを仕舞い、途中のコンビニで冷房休みを入れる。身体を少し冷やさないと熱中症の危険性がある。その間に羽海に返信をする。


〔保存します。3回〕


〔私も3回だ〕


 そう返事が返ってきた。


 雫には決してこのやりとりを画像を見せられないなと思いつつ、静流はスマホを静かに仕舞ったのだった。

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