第105話 羽海 脅威の戦略兵器

 小学生3人の水着姿は静流にとってそれなりに刺激的だった。なにせよく知る3人である。1度は指定水着も見たことがある。たった2ヶ月しか経っていないのに、この年頃の子は育つのだ。そのギャップが衝撃的だった。小学5年生の女児は徐々に『女の子』になりつつあった。こうして毎日一緒にいれば『徐々に』だが、長い人生の中では『一瞬』だ。雫もさくらも美月も一瞬で女の子になってしまうのだろう。


 そしてその強烈なビフォアアフターが目の前に現れた。


 小学6年生のうみちゃんから、社会人の羽海になった静流の初恋の人である。それも極めて魅力的に育った、スタイル抜群の女性が目の前にいる――ジャージ姿で。


「お待たせ~レジャーシートを用意して貰っちゃって悪いね」


 そして羽海はレジャーシートの端に自分の荷物を置いた。


「羽海ちゃんおはよう」


「羽海ちゃん先生、二日酔いじゃないのですか?」


「ジャージかよ。地元感ハンパないな」


 雫と美月とさくらに挨拶されて、静流の挨拶を待つ羽海だった。


「おはようございます。お友達は来るんですか?」


「たぶん、酔い潰れてこない。証拠写真を送れと言われた」


「そのくらいならねつ造してやるか」


 雫がぼそっと静流の側で不穏さ100%な感じで呟いた。


「先生はさすがにあまりの呑めなかったの――今日が心配になって」


「いつも酔い潰れている印象しかありませんが、ボーイフレンドうんぬんの話は割と早い段階で言ってしまったということですね」


 静流の問いに羽海は頷いた。


「ごめんね、見栄張っちゃって」


「羽海ちゃん。人間、見栄を張ることがある。分かる。だから証拠写真を作るくらいのことは協力する。しかしそれ以上はホイッスルが鳴る」


 さくらが首元から緊急時用のホイッスルを取り出した。静流は驚く。


「サッカーの審判かい?!」


「だいたい、水着・海水浴・不確かな足下となったらそれを理由にセクハラしまくりだろ、羽海ちゃんは」


 雫は般若のような目をする。


「いや、そんな露骨にはしないよ。事故ならともかく。だってみんないるじゃん」


 どうやら3人を抑止力として意識しているらしい。よかった。残念でもあるが、自制心を無駄に使うこともないことは静流にとって楽だ。


「お友達がいないなら立てた作戦は無駄になったな」


「いいじゃないか。また機会があるかもしれないし」


「こんなお2人方におつきあいする私もホント、人がいいですわ……」


 雫とさくらに美月が振り回されているのが分かる。


「じゃあ、さっそく泳ごうか」


 そして羽海がジャージをささっとためらいもなく脱ぎ、折りたたんでレジャーシートの上に置いた。しゃがみこんで黒のビキニの谷間が静流の目に飛び込んでくるのと同時に、さくらのローキックが放たれ、雫が目隠しした。


「予想以上に凶器ですね」


 美月が羽海の黒ビキニを見て、呟いたのだろう。目隠しされているので静流にはよくわからない。


「でも、去年のまんまだから、新しい水着を買いに行く気力もなかったし」

 ようやく雫が目隠しをやめた。目隠しされていて、水着のフリルとそろそろおっぱいと呼べそうな膨らみが分かってしまい、静流は自制するので大変だった。


 すらりとした肢体を伸ばし、黒ビキニを着用した羽海は1人だったらナンパで男にまとわりつかれること間違いない魅力的な姿をしていた。それにしても胸が大きい。ブラの推定からFだったか。実物を見るともう男子ではどうにもならない凶器、いや、戦略兵器だ。


「しずるちゃん、背中に日焼け止め塗って!」


「キタ~~! 予想通りの展開キタ~~! 魔王の連続攻撃だ」


 雫は叫び、日焼け止めクリームを手にして羽海の背中にペタペタ塗ってのばす。


「大瀧さん、ありがとー」


「静流に声をかけるのは天然か! こんなに手はあるぞ」


「だって、お約束はやっておかないと~ でも魔王って何?」


「雫にとって羽海ちゃん、ラスボスだから」


「ああ。ラスボスね」


 そして前屈みになって両腕で胸をぎゅっと挟んで谷間を強調する。


「どう? しずるちゃん。魔王の攻撃力高い?」


 さくらに再びローキックを放たれ、今度は脛を直撃し、静流は悶え苦しむ。


「――魔王の戦略兵器、おそるべしですね」


 美月が惨状を見て嘆く。さくらがいつでも攻撃できるよう身構える。


「味方ユニットが混乱してこっちを攻撃する前に正常化しないとならんだろ」


「やあねえ。水着のお姉さんなんてその辺にいるでしょ、海水浴場なんだから」


 羽海はそういうが、人が多いならともかく、朝の今、この浜辺に羽海に対抗できるような強力なお姉さんは皆無だ。


「とにかくしずるちゃん、アリバイの写真を撮らないとだから協力してくれるかな」


「僕はこれからいろいろ膨らませないといけないんです」


「やだ、公衆の面前でそんな膨らませるなんて……」


 羽海はポッと頬を赤く染める。


「僕はセクハラしてません! 海水浴で膨らませるものなんて浮き輪の類いでしょうが!」


「あたし、別に泳ぎは得意だよ」


「そういえばみんな泳げたね。でも、海とプールは全く違うから。それに浮き輪があった方が楽しいよ」


 さくらにそういうと雫が手押しのエアポンプを用意してくれていた。


「はい、静流」


「じゃあ、自分たちでも頑張りますよ」


 美月も自分が持ってきた浮き輪を口で膨らませ始める。


「あとで追いついたらそれもやるよ」


 自分の浮き輪を膨らませながら美月が頷いた。浮き輪を3つ、ボディボードを1枚、超速で膨らませて準備は完了だ。疲れた。膨らませている間に羽海がその様子をのぞき込んでいたので、雫に頼んで羽海のスマホで撮影する。仲良く作業しているように見えるだろうか。


「ボディボードはみんなで順番に使ってね。僕が持ってきた浮き輪は大人も使える大きさだから、羽海ちゃんも使えますよ」


 4人はじゃんけんして、ボディーボードの使う順番を決め、1番に羽海がゲットする。


「大人げない~」


 そういうさくらを余所にボディーボードを持って羽海は波間へ消えていく。


「羽海ちゃん、呑んでたはずなのに元気だな」


「魔王はああやって無邪気を装って静流の目を釘付けにする算段なんだよ」


 雫はそういうが、かなり天然なのでそれはないなと静流は思う。静流はレジャーシートに残り、双眼鏡で4人の同行を窺いながら、いつでも助けに行けるように待機する。暇なので持ってきたラジオはつける。4人は元気に遊んでいる。浮き輪の移動よりも半身をボディーボードの上に乗せて両手で水を掻く方が水の抵抗が少ないので移動は自在だ。波に乗りやすいのもボディーボードの方だ。


「うわー、これ、楽しい!」


 羽海の笑顔は今まで見たことのない笑顔だ。いや、そうだっただろうか。小学6年生うみちゃんの笑顔のような気がする。童心に戻っているということだ。


「しずるちゃんは来ないの?!」


 波に乗って波打ち際まで戻ってきた羽海は静流に声をかける。


「僕にはみんなの安全を確保する義務があるので。羽海ちゃんだって本当は夜遅くまで呑んでいたから本当は海水浴なんてしちゃいけない」


「確かに」


「そう思ったら次の子にボディーボードを渡してください。浮き輪の方が間違いなく安全ですから」


「うん」


 しょぼんとして羽海は大人用の浮き輪を使っていたさくらと交代した。さくらはすぐにボディーボードを使いこなし、おおはしゃぎしていた。


「静流お兄さん! これ、すっごい楽しい!」


 1回波に乗って戻ってきて、さくらは静流に報告した。


「さくらちゃんはスポーツ万能だからね。何をやっても楽しいでしょう」


「静流お兄さんも後で泳ごうね。荷物番は引き受けるからさ」


「ありがとう。でも人も増えてきたしね」


 10時を過ぎると浜辺に結構、人が増えてきた。


「そうか、静流お兄さんにとっては海水浴なんていつでもできたんだもんね。特別感ないよね。でもいつでも代わるから言ってね」


 さくらはまた波に乗ろうと海の中にこぎ出していった。さくらもいい子だ。きっと美人になる。どんな大人になるのか楽しみだ。


 雫と美月は波に上下しながら追いかけっこをしている。羽海もそれに加わった。


 うん。平和な海水浴だ。


 静流はラジオのクラシック音楽に耳を傾ける。こんなゆったりとした時間はそうそう訪れることはないだろう。


 双眼鏡で4人を逐一確認していると羽海が浮き輪をくぐったまま手を挙げていた。3人娘も気がつき、羽海を連れてレジャーシートまで戻ってきた。


「足つった」


「しばらく大人しくしていてください」


「呑んだ後だからですよ」


 美月に正論をいわれてまたまた羽海はしょぼんとする。3人娘は海に戻っていき、羽海は静流に声をかける。


「しずるちゃんも海に行きなよ」


「いえ。あの子たちの親御さん達に元気に遊んでいるところを写真に残しておいてあげないとと思い立ちました」


「しずるちゃんは優しいね」


 羽海は穏やかな笑みを浮かべる。やっぱり好きなんだな、と静流は思う。ミラーレス1眼を取りだし、海で遊んでいる3人を見つけ、望遠レンズで写真を収める。ライフガードが来て怪しまれたが、羽海に説明して貰って事なきを得る。


 デジタルだから残り枚数よりバッテリー残量を気にしながら撮影を続ける。ずいぶん日が高く昇っているのでやや逆光気味だがなんとかなった。美月のお父さんや澪の頬が緩む顔が目に浮かぶ。そういえばさくらの両親との面識はない。そのうち会うことになるのだろうか。


「しずるちゃん。私も撮って」


「ええ」


 レジャーシートの上で脚を抱え、ピースする羽海を撮影する。


「スマホでツーショットもいいかな」


「彼女たちが戻ってきたら撮って貰いましょう」


「そうだね」


 気持ち悪いのかもしれない。羽海の顔色が悪い。


「吐いてきます?」


「う、うん。でも吐くほど胃の中にものが残っていないから気持ちが悪いんだと思う」


「しかたないなあ」


 静流は羽海におにぎりを渡す。


「ありがとう。美味しい」


 羽海は弱々しく笑った。硬軟織り交ぜての攻撃で、静流の自制心は崩壊寸前だ。しかしその気配を察したのだろう。雫が戻ってきた。


「羽海ちゃん、具合どう?」


「うん。食べたらちょっと落ち着いた」


「ウチらはまた来る機会があるからさ、今日のところは帰ろうよ」


「そうだね」


 無理するからこういうことになるのだ。帰るの前に記念写真を撮っておこうという話になり、近くにいた人にミラーレス1眼を託し、5人で並ぶ。静流が真ん中にしゃがみ、右に雫、左にさくらが静流の腕をとる。美月と羽海は後ろに立つ。


「いいですか、行きますよ」


 シャッター音とともに静流の頭に重いものが載った。


 何かと思ったら羽海の胸だった。羽海がかがんで、胸が静流の頭上に載ったのだ。


「あ、ごめん。わざとじゃないんだ」


「羽海ちゃん~~!!」


 雫が激怒した。


 静流はそれがおっぱいの重さだと分かった途端、反応してしまい、その場にうずくまるしかなかった。なかなか落ち着かず、静流は恥ずかしく思う一方、この感触と重さを忘れまいと思ったのだった。


 結局、羽海の具合は回復せず、祖父に車の出動を頼むことになった。ジャージ姿の羽海を後部座席に乗せ、静流は羽海についていくことになった。3人娘は自力で帰れる距離なので帰って貰った。


 羽海の実家はご町内なので祖父も知っており、車を家のすぐ前に着けた。羽海に肩を貸し、玄関まで連れて行く。


「ごめん。呑んだ後なのにはしゃぎすぎた」


「いつものことですよ。気にしない」


「そっかーごめんね~ でも今日はもうご褒美あげたからいいかなー」


 半死の羽海は彼女の母らしき女性に引き渡し、静流はお役御免になった。


「本郷さん家のお嬢さんが雫の先生とは世間は狭いよなあ」


 祖父は駅前ロータリーで会った彼女のことを忘れていないようだ。


 もう実家なのだから心配はいらないのだが、羽海のことが心に残った。今日撮影した画像はきちんとアリバイに足る画像になっているだろうか、と少し心配した。しかしそれはまた別の話だ。羽海には水分補給してしっかり休んでもらいたいものだ。


 祖父が運転する車が家に戻ると3人娘は風呂に入り、塩を流していた。


 楽しそうな声が聞こえてくる。


 あとで今日使ったものの塩抜きをしよう。


 そう思いながら静流は自分の家に入ったのだった。

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