第104話 魔王・羽海の侵略
到着した日の午後は、静流が疲れていることもあって、静流の部屋で据え置き型ゲーム機で遊んで過ごした。エアコンも効いているので快適に過ごせたし、複数人プレイの他に生活系ゲームもあり、久しぶりの起動だったため様々なイベントが生じて、大変楽しむことができた。
そして5時過ぎからまた夕食の準備を手伝った。今度はいわしのミンチを作り、いわしのハンバーグとも言えるサンガ焼きを作った。これも南房総の郷土料理だ。普段、なかなかお魚を食べない雫たちにとっては、なめろうもそうだったが、特別感があって美味しくいただくことができた。サンガ焼きは大葉で巻いて焼くので、これは戻ってからも作りたいね、という話にもなった。
夕食は静流は自分の家の方で食べたのでいなかった。また、3人は他の家人より先にお風呂に入ることになっていた。離れの静流の家の方が新しい風呂なので、そちらを使う。3人でお風呂に入っても余裕なのが田舎な感じだ。大きな金属製の湯船に美月は感動していた。
「広いお風呂、すごくいいね!」
「観光気分だよ」
さくらもさっぱりして気持ちよさそうだった。雫はさくらに言った。
「ラッキースケベイベントは発生しなかったな」
「気をつけようよ。お互い」
さくらと雫はうんうんと頷いた。特に夜はやることを決めていなかったので、3人で静流の様子を伺いに行くが、徹夜明けなのでもう爆睡していた。これでは据え置き型ゲーム機は使えない。まだ8時だったが、考えてみると普段よりも早起きしていたし、電車の中で一睡もしていないので眠れそうだった。3人は家に連絡を入れ、報告を済ませる。
用意して貰った部屋で蚊取り線香の香りに包まれながら、3人は床につく。豆電球の明かりの中、美月が言った。
「蚊取り線香の匂いしかしないと思ったけど、潮の香りがするね」
「家に染みついているからだね」
「静流さんのお父さんたち、水産業なんだよね」
さくらが聞いてくる。
「うん。具体的にはどんな仕事かは知らないけど」
「あたしらのぜんぜん知らない世界だから、それもなんか新鮮に感じるな」
さくらの言うとおりだと思った。そのあとも少し話はしたが、みな、眠かったのだろう。扇風機が2台回っている中、少し暑かったが、3人ともすぐに眠りにつくことができた。
翌朝は5時に目を覚ましてしまった雫だった。この季節の5時は明るい。蚊取り線香はもう消えている。さくらと美月はまだ寝ていた。意外にも美月の寝相が悪いのは暑かったからだろうか。前はそんなことはなかったのに。
普段ならもう静流は起きている時間だ。離れに行き、静流の部屋の様子を窺うと、既に起き出しているだけでなく、ジャージ姿で筋トレをしていた。
「3人ともよく眠れた?」
「たぶん。羽海ちゃんから連絡あった?」
「どうして分かるの?」
「海水浴したいって言ってたって言わなかったっけ」
「その海水浴の連絡があった」
静流は困った顔を隠そうともせず、雫に見せた。
「さてはただの海水浴のお誘いじゃなかったな?」
「うん。まあ見てよ」
静流はスマホの画面を雫に見せる。時刻は日付が変わる直前くらいだ。田舎の館山でもチェーンの居酒屋ならまだ開いている時間である。
〔助けて、しずるちゃん!!〕
〔彼氏じゃないけど、ボーイフレンドくらいはいると見栄を張ってしまった〕
〔こっちに一緒に帰ってきているとも言ってしまった!〕
〔言わんとすることは分かるよね?〕
〔助けて! 必ず恩返しはするから!!〕
そして涙ながらにお願いをする古いアイドルアニメのキャラクタースタンプが送られてきていた。
「し、侵略だ! 策略だ! 罠だ! 確信犯で見栄を張ったんだ!!」
雫は思わず震えながら言葉にすると、膝立ちをして、ダンダンと畳を拳で何度も叩いた。静流は首を横に振った。
「当てがあるからそう言った可能性も否定できないけど、酔った勢いが9割だろうな」
「どうするんだ、静流??」
「ここで助けないのは申し訳ないだろ……」
「静流の優しさにつけ込む魔王め! どうしてくれようか!」
「それは地元に戻ってからにしてよ」
「だが、ウチらの目の届く範囲にしてくれ」
雫は唇を噛んで堪える。想定通りのことが起きているのに手の打ちようがなかったのが悔しくて仕方がない。
「それは僕がお願いしようと思っていたところだよ」
「じゃあ、沖ノ島海水浴場だ。目の前だからな。それも可能な限り早い時間だ。どうせ羽海ちゃんは友達連れてくるだろうから、友達があんま集まらないうちに撤収する」
「考えたね」
「じゃあ、みーちゃんとさくらちゃんを起こしてくる!」
「展開、早!」
静流の呆れた声が聞こえてきたが、そんなことは知ったことではない。この気温なら9時前にだって海水浴ができる。義理は果たしつつ、ダメージは最低限にしなければならない。雫は大急ぎで母屋に戻り、2人を起こしたのだった。
うん。予想通りの展開といえば展開だ。3人がいてくれればそんなに酷いことにはならないだろう。まあ、水着で腕組みくらいはするだろう――おっぱいを押しつけられたらどうしよう。堪えられる可能性は極めて低い。実際、そう考えてしまっただけでももう反応している。やっかいなことになった。
羽海には早い時間、沖ノ島海水浴場ならばと連絡し、即、既読がついた。どうやら本気で困っているらしい。日付が変わるまで飲んでいただろうから、それほど寝ていないだろう。徹夜と言うことはなさそうだが、ちょっと海水浴の体調かどうか心配になる。
〔ありがとう、しずるちゃん。それでとりあえず切り抜けるよ〕
〔お友達、何人くらい来そう?〕
〔4~5人聞いていたけど、どれくらい来られるのかは不明〕
〔少ないと助かりますね。雫の心情的に。アリバイ成立させればいいんですから1人だって構わない〕
〔そうだよね。ありがとう。じゃあ、午前中、沖ノ島海水浴場で連絡を回すね〕
〔はいはい。お待ちしております。そしてお手柔らかに〕
〔アリバイ的にどの程度までかは、私もわからない〕
〔穏便にお願いします〕
そして連絡が終わった。
雫たちが心配になり、母屋にいくともう美月とさくらも起き出して台所のテーブルで朝食の準備をしていた。朝食はお新香に海苔に味噌汁とシンプルだ。
「毎日こんな朝ご飯でもいい~」
そういうのは美月だ。珍しい語調である。よほど気に入ったのだろう。
「美月ちゃんの家はパン? もしかしてコーンフレーク?」
「コーンフレークです」
「それじゃあ、力は出ないよね。さあ、たんとお食べ」
祖母がご飯を茶碗に盛ってくれる。さくらと美月、そして雫がご飯茶碗を受け取り、かき込み始める。
「食べっぷりがよくて嬉しいね」
祖母は笑顔だ。昨年まで仏頂面の雫の相手をしていたことを思えば雲泥の差だ。それはそれは嬉しいに違いない。
「羽海ちゃん、さっそく海水浴だって?」
さくらが食べながら静流を見上げ、頷く。
「対羽海ちゃん用にトーチカを作らんとならん」
「トーチカ作るとアリバイが成立しないから、一応、ボーイフレンドレベルの距離感は保たなければならない」
「羽海ちゃんのボーイフレンドの距離感は信用ならん。昨日だってただの幼なじみにギュウしていたじゃないか。ウチを差し置いて!」
雫は未だに羽海に対する怒りを継続させているようだ。
「まあ、うまく演出してください。くっつかれたら誰かが脚をひねるとか。そうすれば対応に追われる」
「いいアイデアですが、そう何回も使えませんね」
美月の指摘は鋭い。静流も困ってしまう。さくらがご飯をかき込んだ後、言った。
「お友達が何人くるかにもよるからな。とにかく心してかかろう」
どうにも朝の食卓が不穏な雲行きになってしまったのだった。
朝ご飯を食べ終えるともう7時を回ってしまった。海水浴の準備をして着替えると8時になってしまうだろう。9時には現地にいたいものだと雫は思う。敵の数は少なければ少ないほどいい。数が増えれば羽海が見栄を張ろうとする回数も比例して増えるに違いないからだ。
3人は水着を着て、上にパーカーを、下に体育のハーフパンツをはいて祖父母の家をでた。合流した静流も似たような格好で、ライフジャケットにTシャツに海パンだ。なにせ歩いて15分ほどで海水浴場に着いてしまう。
朝早いから海水浴客はまだあまり来ていない。沖ノ島の広い駐車場に車はまばらだ。
「1年ぶりだなあ」
「島って言っても繋がっているんですね」
美月が沖にこんもりと見える沖ノ島に広がる森を見ながら言った。
「昔は島だったんだよ。関東大震災で地盤が隆起して繋がってしまったんだって」
「本当に、歴史的にも島だったんだ」
さくらが驚きながら海水浴場の方へ歩いて行く。レジャーシートを広げ、ペグは効かないので石や荷物で留め、上着を脱ぎ始める。もう少しすれば賑やかになるが、今のところ、閑散としている。千葉と言ってもここまでくるともう海は青い。南国の海だ。東京からこんなに近いのに知られていないのは損だと雫は思う。空も青い。都会の青空とは全く違う。これが自然な青空だと雫は思う。
「では始めますか!」
トップバッターは雫だ。パーカーとハーフパンツを脱ぐ。もう日焼け止めは塗ってきてある。フリルがいっぱいついたオレンジ基調のセパレート水着だ。
「どうだ、静流!」
「かわいいよ。前にも言ったけど。フリルでシルエットが変わるのが面白いね」
静流は目を細める。女の子の水着を見る目ではない。お父さんの目だ。
「静流さん、こっちはどうだ?」
続いてさくらが水着を披露する。静流が見ていない水着だ。淡いピンク色のセパレート水着で、自分の名前のさくらを連想させる意匠が各所にある。
「すごいね。よくこんな君にぴったりな水着を見つけてきたね。すごく似合ってる」
「えへへ。そうか~ 似合ってるか~」
普段のさくらからは聞けない蕩けた口調が返ってきて雫は驚くとともにさくらも侮れんと思いを新たにした。
最後は美月だ。美月は薄い黄色のワンピース水着で、控えめに静流の方を見て、感想を求めていた。
静流は少々驚きの顔を見せていたが、それは3人の中では美月が1番育っているからだと思われた。クラスの女子の中でも1、2を争う育ち具合だ。もう胸の膨らみはおっぱいと言って差し支えない。セパレート水着の首の口からは谷間が覗いている。
「――悠紀くんを連れてこなくてよかった」
静流のその一言で3人は爆笑した。
「静流、それは最上級の褒め方だ。今日は許す!」
「こんな美月を見たら2度惚れしちゃうよな!」
「みなさん、それ、どういう意味ですか?!」
「褒めてる。めっちゃ褒めてるんだよ。みーちゃんを」
恥ずかしそうに頬を赤く染めている美月を余所に、遠くから羽海の声がした。
「おーい。みんなー。おはよう~~」
魔王・羽海の降臨に雫は身構える。
果たしてどんな第一撃があるのか、雫は心しなければならなかった。
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