第100話 夏です。南国館山へ(静流サイド)
翌日、さくらと美月のご両親と協議の結果、電車で館山に向かうことについては問題なく了承を得ることができた。そして荷物が多くなるだろうから、駅まで車で送りたいということだったので、車が少ない土曜日の朝5時半の快速で出発になった。静流も木曜にバイトがあったため、金曜の夜に出かけようと思っていたからちょうどいい。実家にも日程を知らせた。
帰りは美月のお父さんが花火大会に合流したいというので、その翌日に3人娘は車で帰ることになった。その方が安心である。美月のお父さんはフレキシブルに夏休みを取得できる職場らしい。それを聞いた雫が言う。
「桃華ちゃんやゆうきちゃんも呼びたいけどね~」
「桃華ちゃんのお父さんと悠紀くんにはお盆前は館山だって伝えてある。後半はイベントがあるよ。桃華ちゃんのお父さんはカヌーを準備してくれるそうだよ。悠紀くんとは博物館での火起こし体験だ」
「盛りだくさんの夏休みだね」
「お盆がずっとバイトだから出かけられないけどね」
その日、1日かけて澪用の作り置きをいっぱい作った。冷蔵庫で保管するものと冷凍にするものに分けて作り、推奨の食べ順までメモに残した。1週間ちょいくらいは作り置きでなんとでもなるはずだ。そもそも面倒なだけで、澪も当然、自炊はできるのだ。
翌日はバイトに行き、作り置きを消費しつつ、荷造りをする。といっても大半のものは実家にあるのでDバッグに入る程度の量だ。100キロ超のロングライドになるのでそれ用が多くなる。モバイルバッテリーに趣味のラジオ、予備のチューブ、ポンチョ、日焼け止め、お尻に塗る摩擦軽減のクリーム。そして澪から借りているミラーレス1眼。そんなところだ。あとは水分補給用のボトル。補給食。輪行用のセット。道中、コンビニがあるのであとはどうにでもなるだろうと思われた。
遊びがメインになると考えられたので、3人娘はまた集合して勉強会を始め、わたわたと宿題の解消に全力を尽くしていた。
そして金曜日の午後から静流は昼寝し、21時過ぎに出発する。
「静流、気をつけてな~ 館山駅に迎えにきてね~」
雫が見送ってくれる。
「明日の朝は寝ないでいるつもりだから連絡は密にね。既読がつかなかったら音声通話で起こしてね」
「合点!」
そして静流はLEDヘッドライトのスイッチを入れて、クロスバイクで走り出した。
館山まで100キロ超の長旅だ。焦らずいくことが大切になる。国道14号線をひたすら南下。平均時速20キロくらいで十分だ。休憩を挟んでも日が昇る頃には館山に着ける。ブロックダイナモのLEDライトとバッテリーのヘッドライトで十分明るい。街中であることを差し引いても十分な光量だろう。
22時を回り、1時間ほどで千葉まで到達。車の通行量が多いので注意しなければならないがそのぶん、明るくもある。
23時半近くに姉ヶ崎に到着。途中から旧道を通る。国道は交通量の割に路側帯が狭く、荒れているので怖いからだ。姉ヶ崎には古墳群があるので1度、ゆっくり見に来たいと思うが、なにせ真夜中である。今は見に行ってもまったく分からない。
コンビニで小休憩。眠気覚ましにコーヒーを買い、外で飲む。夜中でも気温が余り下がらず、湿気があるので汗だくだ。冷たい飲み物もあとで買おうと思うが、カフェインで疲れをとりたいところだ。夜中のコンビニにはいろんな人がくるなーと思いつつ眺め、水分補給を終わらせ、タオルで汗を拭き取り、再出発する。
2時間も走るとペースが落ちる。翌1時に木更津に到着する。木更津はヤマトタケル伝説の地だ。その他、その伝説を裏付けるように古墳も多く存在する。ヤマト王権は3、4世紀頃に館山を植民の拠点にした後、木更津、姉ヶ崎の順番で開発が進んだのだろう。ただ東日本で最古級に古い前方後円墳が市原にあるので、開発速度は房総の南北でそれほど変わらなかったのかもしれない。
ここまで来て、行程のだいたい半分になる。補給食にもってきたパンを食べ、公園でトイレを済ませ、ついでに水道で水を被って再び走り出す。水を被ると身体が重くなるが、気化熱でかなり楽になる。運動しすぎで汗がなかなか出なくなると水を被るのが1番だ。
ここまでは坂らしい坂はないが、この先はアップダウンがある。それでも激坂はないし、クロスバイクはギア比が豊富で上るのに苦はない。国道に戻り、長く続く木更津南インター前の坂を上り、竹岡式ラーメンの看板が見えると房総に戻ってきた気がする。
竹岡式ラーメンというのはご当地ラーメンで、しょう油タレに刻んだタマネギが乗ったスタイルだ。発祥が館山より北なのだが、一応、館山にも店があるし、スーパーには竹岡式ラーメンのカップ麺や袋麺が売っていたりする。
そしてオレンジ色の屋根の房総ご当地のお弁当屋さん、店の中でも食べられる便利な『としまや』が見えるともう房総だという実感が湧く。
夜中もいいところなのにスマホにメッセージが届き、自転車を停めて確認する。雫が眠れないのかと思ったら、意外なことに羽海からだった。
〔しずるちゃんはいつ帰省するの?〕
〔現在、自転車で帰省の真っ最中です。もうすぐ君津〕
〔わお。この時間に返事があるとは思わなかったよ。しかも自転車かあ〕
〔僕もこんな時間にくるとは思いもしませんで〕
〔いや、明日電車で帰るからさ。どうしてんのかなと思って。今、寝ると朝の快速に絶対乗れないから起きているんだけど〕
〔たぶん、それに雫ちゃん達が乗りますよ。ついてあげてください〕
〔いやマジか。向こうが迷惑がらないかな〕
〔羽海ちゃん先生のこと、3人とも大好きだからその心配はないですよ〕
〔じゃあ、やっぱり電車に乗り遅れないように起きているとするか〕
〔そうしてください。雫ちゃんには連絡を入れておきますから〕
〔わかった。しかし子供たちだけで電車旅させるとは君もチャレンジャーだね〕
〔だってホームを挟んでの乗り換えしかないんですから、快速に乗れさえすれば全く問題ないでしょう。駅まではお父さんがついてきてくれるので〕
〔それなら安心だ。かわいい子には旅をさせろというしな〕
〔ではよろしくお願いします〕
〔じゃあ、現地で待っていておくれ〕
そして連絡は終わった。こんな展開があるとは思っていたが、いい方の展開になった。これで雫たちの電車旅も安心――だろう。たぶん。羽海は車内で寝ているだろうから、むしろ雫たちに世話を焼かれそうな気もする。
少々疲れが出てきたので自販機でエナジードリンクを買ってエネルギーチャージ。気のせいかもしれないが元気が出てくる。昼間と違って南風が少なかった上、木更津辺りから横風にかわった。やや、楽になる。
ペースが落ちてきて、3時前に上総湊に到着。もう80キロ近く走っている。しかし海が見えるようになるとやはりやる気が出てくる。いよいよ地元に帰ってきた気がするのだ。残念ながら曇っていたので、星や月はなかった。月があれば海面に反射してきれいなのだが。
しばらく走り続けると東の空が明るくなってきた気がする。もう4時だった。海が見える道を走り、金谷港のフェリーが停泊しているのを見て、鋸山を通り過ぎ、無言で走り続ける。しかし館山まではあと1時間くらいの距離だ。
公衆トイレがあったので路肩に自転車を停めて、一休み。
「いやあ、久しぶりだと辛いや」
風向きと暑さと湿気でかなり体力を持って行かれた。摩擦軽減のクリームをお尻に塗ったのでかなり楽だが、それでもお尻が痛い。クッションつきのパンツも履いているのだが、もう上京してから自分がサボりまくりなのが体感でわかる。大学まで自転車で通うだけなので絶対的な距離が足りていない。
休んでいるともう東の空が明るい。4時過ぎだ。日の出まであと少し。
雫に羽海が合流するかもという連絡を入れる。もう起きている頃だろう。
〔わあ。冒険が冒険じゃなくなっちゃったよ〕
すぐに雫から返事があった。
〔僕としては安心です〕
〔羽海ちゃんは静流を水着で悩殺する気だろうから限りなく心配だ〕
〔みんながいれば鼻の下を伸ばすようなことはないよ〕
〔そうあって欲しい。みーちゃんも水着を新調したと言うからいよいよ新しい水着の出番だ。期待しててね〕
〔はいはい〕
〔ひど!〕
連絡が終わり、静流は再スタートを切る。もうあまり考える力も残っていない。
トンネルを抜け、椰子の木が並ぶバイパスを走り、歩道橋にかけられた『ようこそ館山へ』の看板が見えたとき、ああ、戻ってきたなと思う。
もうすっかり明るい。静流はヘッドライトのスイッチを消す。
館山駅まであと数キロ。
最後まで気を抜かないで行こう、と気持ちを新たにし、残った力を少しずつ出して、静流はクロスバイクを前に進めたのだった。
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