第93話 本番、鉄道旅です(80分だけど)
土曜日朝6時、静流はバイトがあれば仕分けを始める時間で、なければコーヒーを飲みながらFMラジオで合唱の番組を聞きながらネット巡回している時間だが、今日は野田まで片道40キロのライドの日だ。そして雫とさくらの2人だけで東武野田線清水公園駅まで行く当日だ。
お弁当は作ったし、ボトルに水分も入っている。帰り用にBCAAの粉末も持ってきた。スマホの充電はOK。輪行袋もOK。ラジオの電池もOK。予備もある。念のためヘッドライトも持ったし、日焼け止めを塗り、携行もした。ウィンドブレーカーもDバッグに入れてある。ポンチョもある。空気も入れて、さあ出発である。
雫たちは7時過ぎに最寄りの駅で集合することになっている。静流がこの時間に出るのは目的地まで距離があるからだ。江戸川サイクリングロードで行けば問題なく到着するルートだ。もう外気は熱気をはらんでいる。急いで行きたいところだ。
「静流、気をつけてね」
掃き出し窓から雫が顔を出し、静流に声をかけた。まだ出発まで時間があるが、お出かけの準備は整っているようだ。
「うん。雫ちゃんたちもね。何かあったら連絡するんだよ」
「もちろん」
そして静流は江戸川の堤防に向かってクロスバイクを走らせた。
さて、これで本当に1人になってしまった。さくらと合流して2人で全く見知らぬ街まで行くのだ。ワクワクするが不安もある。雫はワクワクを優先したいと思う。筋肉痛はまだあるが、昨日よりずっとマシだ。間違いなく回復しつつある。Dバッグの中には静流が作ってくれたお弁当が2つ。ボトルが1本。スマホ、充電用バッテリー、日焼け止めにウィンドブレーカー。急な雨の時はウィンドブレーカーでしのぐしかない。
「うん。いいかな」
カウンターでシリアルを食べる澪が声をかける。
「気をつけなさいよ。2人いればまず大丈夫だと思うけど」
「普段、電車乗らないもんね~」
「かわいい子には旅をさせろというけど、まあいいんじゃない」
「うちの母は寛大だ」
「何かあったら静流くんが駆けつけるって言うし、むしろ過保護かな」
「言われてしまった」
雫は苦笑する。
7時前に家を出て、最寄り駅で待ち合わせていたが、前を歩くさくらを見つけ、走って合流する。おそろいのサイクルキャップを被っているので、誰が見ても仲良しが分かるだろう。
「おはよ!」
「緊張して眠れなかったよ」
「ええ、さくらちゃんが?」
「ふだん電車、乗らないし」
「おお。よくSuica持ってたね」
「親と移動するとき、子ども用があった方が便利だ」
「それはそうだ」
歩いて駅まで行き、見慣れた自動改札を通る。ここまでは別にどうということはない。
「雫、船橋方面だよな」
「2番線だ」
「マンガとかだと急いで逆に乗ることがあるから、それだけは気をつけよう」
「うん」
雫とさくらはエスカレーターでホームまで上がり、無事、千葉行きに乗る。
「よかった。電車も空いてるじゃん」
「高校生がいないし、下り電車だからじゃない?」
「サラリーマンは大変だな」
今は通勤時間で、いかにも通勤という乗客ばかりだ。たまに部活と思しき高校生がいるくらいで基本的に空いている。JR船橋駅までは10分かからないので座ることもない。
「静流が痴漢が心配だって言ってた」
「こんな空いていて痴漢はないだろ」
といいつつもさくらはかなり無防備だ。ショートパンツにタンクトップ。見えていいアンダーを着ているが、ジュニアブラもチラリと見える。筋肉質の脚はきれいに脂肪が乗っていて、ロリコンならイチコロだろう。
「いや~~ さくらちゃんは危ないな。狙われそう」
「だから今日の雫は肌面積が狭いのか」
今日はデニムのロングパンツにストライプの緩いシャツだ。日焼け対策もある。
そんな会話をしている間に船橋駅に到着だ。駅の構内にパン屋さんがあり、心引かれたが、今日は静流が作ったお弁当がある。中央口の自動改札を出て、左へ。さくらが感嘆の声をあげる。
「おお、動画のまんまだ」
「それはそうだよ」
雫が苦笑する。昨日、静流がタブレットで見せてくれた動画のままで、迷うことがない。歩いて行くと東武百貨店の入り口があり、右サイドにエスカレーターがあり、すぐに東武船橋駅だと分かった。さくらがエスカレーターに乗って笑う。
「迷わないぜ」
「これで迷うとかなりヤバいのでは。方向音痴も重症だよ」
「言ってみただけじゃん!」
さくらはふくれて、雫は笑う。正面の自動改札を抜けて、ホームへのエスカレーターに乗る。途中、1度平坦になる部分があり、2人で声を上げてしまった。
「こんなエスカレーター初めて」
「この前、動く歩道は乗ったよ」
「なんだそりゃ」
「エスカレーターみたいな感じで歩道が動くの」
「今度見てみたいな」
「新宿だし、都営1日券を使っていこう。ウチらなら350円だ」
「安。面白そうだな」
ホームに上がり、アルミ地に青のストライプが入った東武アーバンパークラインの電車に乗る。始発なので間違えようがない。車内は空いていた。せっかくなので先頭車両の一番前で進行方向を眺めながら行こうという話になる。進路が見える窓の前で陣取ったころ、静流から連絡が入った。
〔今、江戸川サイクリングロードで武蔵野線を越えて常磐道の下〕
スマホで場所を確認すると静流は結構もう進んでいる。
〔気をつけてね。こっちはもう東武野田線に乗った〕
〔じゃあもう心配ないね〕
あとは柏駅で乗り換えるだけだ。確かに心配はないだろう。怖がっていたのがバカみたいだ。さくらが一緒にいてくれるのもあるだろうが、初めての経験でもきちんと予習しておけば問題ないものなのだ。さくらが車内の表記を見ていった。
「そういえばなんで表記がアーバンパークラインなんだろう」
「東武野田線と何が違うのかな」
調べてみるとアーバンパークラインは愛称らしかった。
「東武野田線は大宮まで行くのに千葉の一地域の名前だから混乱すると思ったのかな」
「アーバンパークって都市公園?」
さくらの疑問はもっともだ。
「雰囲気かな?」
「そういうことにしておこう」
そんな会話をしている間に電車は発車した。アーバンパークラインの愛称に相応しく、最初は市街地を走っていたが、そのうち、左右に緑が増える。基本は住宅地の中を通るのが多い。
雫は車内の路線図を眺め、1駅1駅確認する。乗り換えの柏駅が終点なので乗り過ごしようがないのだが、心配でならない。鎌ケ谷を越えた辺りで畑などの間も通ったが、柏が近づくにつれ、また住宅地になり、そして柏が近くなるとまた市街地になった。
「街と街をつなぐ路線なんだね」
雫がいうとさくらが応えた。
「前に不思議に思ったんだけど、だいたい、線路って東京方面に向かっているじゃん。でもぐるっと回っている路線もあるし。どんな計画で作られたのかなあ」
「鉄道は奥が深いからなあ。鉄オタって言葉もあるし」
「調べればきりがないかも」
そして柏駅に到着する。柏駅のホームは1番線と2番線が同じ高さにあり、終点のように後ろで繋がっている。昔はここで止まっていて、接続していたのだろうと思われる。大宮まで直通もあるが、基本は柏で昔のように乗り換えるのだろう。この構内図も静流と予習済みなので迷うことはなかった。知らなかったらきっとあたふたしたに違いない。もう大宮行きの車両が入構しており、同じように前が見える窓を陣取る。
「楽しいね」
雫が言うとさくらも同じ言葉を返す。
「楽しい。知らないことをするのは楽しい」
本当にそう思う。大人になるまでにどんな経験をするのか分からないが、知らないことを経験することは徐々に減って行くに違いない。そうなっても楽しいことを探せるような大人になっていたいものだと雫は思う。
〔無事、大宮行きに乗車しました〕
しばらくしてから返事があった。もう電車は発車していた。
〔すごいよー グライダーが飛んでる〕
そして河川敷の草っ原にグライダーが着陸している画像が送られてきた。
「江戸川の河川敷にこんなところがあるんだね」
さくらに見せると悔しそうに唸った。
「自転車で行きたかったなあ」
「行きだけなら行けたかもね。追い風だから」
「悔しい。でも夏場は厳しいから、涼しくなってからかな」
さくらは冷静だ。確かにそう思う。暑いとそれだけで動けなくなるものだ。
柏から25分ほどで清水公園駅に到着する予定だが、今度は終点ではないので、そわそわしてしまう。20分くらい前からもう2人はドアの前で降りる準備をする。これなら話をしていても乗り過ごさない作戦だ。車窓の外には住宅街や畑、遠くに雑木林などが見える地域になっていた。車内アナウンスが清水公園駅を報せ、2人はホッとする。
「忘れ物ない?」
「荷物下ろしてないだろ?」
「言ってみただけ。なんかそれっぽいじゃん」
雫は笑い、さくらもつられて笑う。そしてドアが開き、無事、清水公園駅のホームに降り立つ。
「ミッションクリアー!」
「雫は大げさだな」
「そんなことないよ。だって電車旅なんて初めてだもん」
「あたしもそうだなあ」
そして改札口まで行くと静流の姿が見えて、雫は突進して静流をハグし、さくらも負けじとハグした。
「2人とも大げさだな」
「誉めて誉めて」
「誉める。さくらちゃんも雫ちゃんのお守り大変だったね」
「大変だった。嘘」
「ひどいよさくらちゃん、って言おうとした」
到着は8時半過ぎだ。県の中学アマレス大会までまだまだ時間がある。
「じゃあ、ゆっくり体育館まで行こうかね」
そして雫は2人と一緒に清水公園駅を出た。西口の駅前はロータリーになっていて、いかにも地方の駅と行った閑散とした様子だった。お店はレンタカー屋さんとカラオケだけあった。
静流はロータリーを出たところのよく分からない石像の台座にクロスバイクを立てかけていた。
「なにこれ?」
小さな子どもが両手で顔を隠している石像だ。
「かごめかごめだって。『かごめかごめの歌は野田から 全国へと広まったといわれています』って書いてあるね」
「本当だ」
雫も歌だけは知っている。さくらが記憶を呼び覚ましたように言った。
「昔遊びの授業でやった。いや、保育園でやってた気がする」
「来てみるものだね。自分のモチベーションはなかったけどこんなことに出くわすんだから。かごめかごめは怖い歌だからね」
静流がクロスバイクをよけて写真を撮る。さくらが聞く。
「そうなの?」
「鬼を封じているとか歌詞に呪術的な意味があるらしい」
「なるほど怖い話だ」
雫も納得する。何かよく知られたものに、何か違うものが潜んでいるというのはそれだけでも怖いことだ。静流はクロスバイクを押しながら歩き始め、清水公園の前まで行き、日陰をたどって遊歩道を歩き、お寺さんの立派な楼門を眺めつつ、無事、野田市の総合体育館に到着したのだった。
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