第90話 今日の我が家はメイド喫茶

 雫の11歳の誕生日――大瀧家にはなぜか2人のメイドがいた。しかも小学5年生のゴスロリメイドである。メイドごっこというには格好は本格的なコスプレだ。静流は頭を抱えたくなるが、2人は真剣だ。成り行きを見守るしかない。


 何故かキッチンの中からは『2人は魔法少女マジカル』の主題歌が聞こえてくる。2人が歌ってハモっているのだが、おそらく先月、マジカルのコスプレをした美月が見返して、主題歌にはまったのだろうと思われた。そういえば2人は魔法少女にもメイド回があったような気がする。


「うっしゃあ。タネはできたぞ」


「準備万端ですね」


 一足先に美月がリビングにきて、座卓の上にセットしてあるホットプレートの電源を入れる。フッ素樹脂加工してあるプレートだが、美月はプレートが痛まないように餃子を焼いたときと同じように油をきちんときれいに敷く。


 そしてさくらがボウルとシリコンスプーンを持ってきて、温まったプレートの上に静かに流して形を丸くしていく。


「いい感じだ」


 雫は思わず声を上げたようだ。その間に美月が食器棚から、きれいなカラフルな柄がついた大皿を持ってくる。さすがに何日も泊まっていただけのことはあり、どこに何があるのかをよく知っている。

 そして冷蔵庫からカットフルーツが入ったタッパーを持ってきて、パンケーキの完成を待つ。さくらは難しい顔をしてシリコンフライ返しを手にし、タネに穴が数個空いたタイミングでパンケーキをひっくり返す。表面はいい感じの焼き加減になっていた。さくらはにんまりする。


 さくらは時計とにらめっこして、しばらく経ってからパンケーキをフライ返しとシリコンスプーンで大皿に移した。美月が手早くカットフルーツを散らす。キウイとイチゴ、そして季節のスイカにパイナップルでカラフルだ。


 そして美月はチョコレートシロップのボトルを手にしてネコのかわいい絵を描き、ボトルをさくらに渡し、さくらがハートと『おたんじょうび おめでとう』と2行で書く。なんとか読めなくはない程度だが、これで完成だ。


「おお、すごい~」


「ご主人様、召し上がっていただく前に記念写真などはいかがですか」


 さくらの誘導で、お皿を手にした雫を真ん中にしてさくらと美月が挟み、静流がミラーレス1眼で何枚も記念撮影をする。


「おお、すごいことになった」


「パンケーキは大坂さんのアイデアなんですよ」


「メイドって言ったらこれかなあと思って」


「最高の誕生日だよ、2人とも!」


 雫はがっしりと2人のメイドの肩をとり、引き寄せる。静流はシャッターチャンスを逃さず、連写する。ミラーレス1眼の使い方にも大分慣れてきた。


「さあさ、食べてよ」


「そうですよ。温かいうちに」


 そして再び座卓の上にお皿を乗せて、雫はナイフとフォークでいただきますをする。そして1口、口に入れて言った。


「うん。美味しい」


 持つべきモノは友達だな、と思える誕生日で正直、雫を羨ましく思う静流だった。そしてメイド2人が紅茶を入れ、雫にサーブし、次のパンケーキを焼き始める。


「次のは静流お兄さん用な!」


 さくらが宣言する。自分もどうやらお裾分けしていただけるらしい。


「さくらちゃんのお誕生日はいつなの?」


 焼いている最中に聞く。


「11月3日だよ」


「文化の日か。美月ちゃんは?」


「2月11日です」


「建国記念日か。2人とも祝日とは!」


 面白いものだなあと思う。


「じゃあ雫ちゃんはそれぞれメイドになって同じことしてあげないとね」


「さくらちゃんが着たメイド服をウチが着よう」


「コミケいっても受けるかも。女子小学生がメイドコスっていうのが」


 美月は真面目な顔をする。


「確かに、お盆は人手が少ないからバイトに帰ってくると思うけど、まあ、よっぽどのことがないと僕はコミケには行かないけどね」


「じゃあウチもコミケは行かない。あ、じゃあ館山にいるのは前半だけか。そういえば主事さんのお休みもお盆が長いから、こっちにいないとダメだ」


 雫が真面目に考えて答える。


「前半だけになりそうだね。でも雫ちゃんの都合もそれがよさげだね」


「そっか、静流さんたち、もうすぐ館山に行ってしまうんですね」


 美月が残念そうに言うので雫が即答する。


「遊びに来ればいいじゃん。一緒に海水浴しようよ」


「行きます!」


「よし、あたしも親に聞いてみるぞ!」


「館山の家は広いから2人が泊まりに来るくらい余裕だよ」


「よし、そうと決まったら計画を練らなければ」


 さくらが難しそうな顔をするが、パンケーキの表面がふつふつ言い始めたのでひっくり返すタイミングを窺い始める。そして2度目も無事に成功した。


「みんなはどうやって館山にくる? 誰かに車仕立てて貰えるかな?」


「お父さんに相談します」


「静流お兄さんがいるなら電車でもいいんじゃ?」


 さくらが何気なく静流に聞いてきた。


「僕は自転車で帰ろうかと思ってる」


「ええ?!」


 静流の発言は同時に3人娘の頭の上に疑問符を浮かべさせることになった。


「さすがに暑いから昼間に走るのは無理だけど、夜なら楽々帰れるよ。115キロしかないからね」


「に、人間の発言じゃない」


 雫にそう言われるのは心外だった。美月も混乱している。


「115キロって115キロですよ!」


「遠すぎてもはやわからん」


 さくらの発言が1番的を得ているかもしれない。


「20キロ巡航で6時間、休憩を入れても8時間で着くよ。夜の9時頃に出て、朝の7時。涼しいうちに到着だ」


「いや、でも、じゃあ、ウチはどうやって館山に行けばいいんだよ!」


「ああ、その話題はちょっと置いておこう。もう焼けたぞ」


 さくらがパンケーキをホットプレートから引き上げて皿に載せ、またカットフルーツを散らす。そしてさくらが大きなハートマークを描き、中に『しずるへ』と書いた。


「さくらちゃん! さてはこれが目的だったな!」


「さあ。なんのことやら」


 さくらはとぼけたようなことをいう。静流には何が目的なのかは分からないまま、お皿を受け取る。


「今度も美味しそうにできたね。いただきます」


 そして手を合わせていただく前に、写真を撮っておく。さくらは胸の前で手を合わせて感慨もひとしおの様子だった。


「静流お兄さんに食べて貰えるなんて雫はいつも幸せだな」


「う、それを言われると食べさせて貰う方が多い気がする……」


 確かにそれはそうだと静流には思われる。そして静流もメイド2名にはさまれてお皿を持って記念写真を撮る。そしてパンケーキを食べながら館山行きの話を再開する。


「じゃあさ、ウチもクロスバイクになったんだから、ウチも館山まで自転車で行ける?」


「それは無理。いきなり素人の女の子が夜に100キロ以上のライドなんて、無謀にもほどがある」


「じゃあ、どうすればいいんだよ」


 雫は半ば怒り、半ば泣きそうだ。


「市川駅まで出て、君津行き快速に乗って、木更津で上総一ノ宮行きに乗り換え。向かいのホームだから間違えようがない。3人いればなんとでもなるよ。2時間ちょっとの旅だ」


「電車だとそんなに早いんだ?」


「楽しそうじゃないですか」


「トイレがある車両が安心できるよ」


「3人で電車旅! それは確かに楽しそうだ!」


「館山駅で僕が待ってる。僕がなにかトラブルを起こさなければ、合流できる。トラブルが起きても乗っている電車が分かっているんだから、その電車で合流するよ」


「頭いいな、静流!」


「電車なのに自転車で合流? 自転車は駅に置いていくんですか?」


 美月の当然の疑問に静流が答える。


「いや。輪行袋っていって、自転車専用の袋に前後のホイールを外していれれば、追加料金なしで列車に持ち込めるんだよ」


「ホイールが外せる自転車だとそういうメリットもあるんですね」


 美月は自転車屋ではあまり話をしていなかったが、その分、しっかり話は聞いていたようだ。さくらが言った。


「じゃあ、あたしらもそれが出来れば向こうでも自転車で移動できるんだ?」


「女子小学生が車内に自転車を担いで持っていくのは難しいと思う。さくらちゃんは鍛えているから大丈夫かもしれないけど、雫ちゃんと美月ちゃんは無理なんじゃないかな」


 雫は少し考えた様子を見せた後、言った。


「時間をかけて3人で工夫して運べないかな」


「時間に余裕があれば可能だと思うけど、下りとは言え朝の快速電車に3台も自転車を載せると迷惑だから、というか無理だから、その場合は1番早い電車にするしかないね」


 スマホで調べると朝5時半の快速電車になる。


「うわあ。早い。確かにそれなら載せられそうだけど」


 雫がくじけそうな声を出すが、美月はやる気ありだ。


「是非チャレンジしたいです」


「まあそれは近くなったらまた考えよう。そもそもご両親のご意見もあるし。帰りはもっと大変になるし。上りの方が人が多くなるからね」


「そっかー」


 さくらは少し残念そうだった。


 残ったタネを焼いて、普通にさくらと美月も食べたあと、お誕生日会は佳境を迎える。


「はい、私たちからのプレゼントです」


「ちゃんと悩んで選んだんだぞ」


 美月とさくらから紙袋を貰い、中を開ける。


「うわ、帽子だ」


 中から出てきたのは全体は黒だが、オレンジ色の小さな鍔がついたサイクルキャップだった。


「自転車用の帽子だね」


「ヘルメットの下に被る用らしいよ」


 さくらが説明してくれた。


「ありがとう。しっかり使い倒すね」


「うん。使うものだから使い倒された方が幸せだよね」


「実はお揃いなんですよ」


 さくらが鍔がピンク、美月が黄色のサイクルキャップを取り出して雫に見せた。


「嬉しい! お揃いグッズって初めてかも」


「そうだったっけ」


「そうかもしれませんね。私たちとしたことが……」


 仲のいい3人で、見ている静流も嬉しくなる。


 みんなでお片付けをして解散となるが、その前に美月が言った。


「今度の土曜日は、お時間ありますか?」


「どうしたの、みーちゃん、急に」


 雫はちょっと驚いていた。


「つむぎさんの好きな人が今度、アマレスの試合なんだそうです。実はちょっとアマレスの試合って見てみたくって……いえ、つむぎさんが一緒に来てって細野さんやるりりんさんに言っていて、そのおまけ的な……大瀧さんと大坂さんが来てくれると心強いなあと」


 アマレスといえば最近、聞いたことがあったような気がする。そして思い出す。


「ああ、確か……『さ』がつく名前――沢田くんだ。つむぎちゃん、沢田くんのことが好きだったの?」


 大葉が自生しているところを教えて貰うために河川敷に行ったときに会った、体格のいい少年のことを思い出す。沢田という彼は確かアマレスをしていると言っていた。そうそうアマレスをしている子がいるはずもないので、その子のことで間違いないだろう。


「どこでやるの?」


「野田だそうです」


 ここから北に40キロ近く離れている江戸川沿いの市だ。


「つむぎちゃんは車で行くの? つむぎちゃん家の車なら5人乗りだ」


 雫はそういえばつむぎと一緒にこっちに戻ってくることが多かったはずだ。


「じゃあ、無理だな」


 さくらは少し残念そうに言った。


「僕は行けるけど――クロスバイクで」


「え、行くの、静流。もしかして、本当に?」


 雫がまたまた驚きの声を上げる。


「行きだけなら雫ちゃんもさくらちゃんも行けるよ。この時期は南風だから追い風になってくれるから40キロ弱くらいなら小5女子の初心者でも楽勝だ。問題は帰り。向かい風だから……たぶん、途中で死ぬほど疲れる。ぶっちゃけ倒れる」


「その、さっき言ってた輪行袋ってやつ、帰りは電車にしてさ、使えないの? 」


 さくらが聞く。


「うーん。使える。帰りは輪行か。計画してみるか。もちろん、土曜日までに雫ちゃんのクロスバイクが納車になったらだけどね」


 3人娘は一緒に大喜びだ。夏休み始まったばかりというのにいきなりの大冒険である。それはそうだろうと静流は思う。思わぬ方向に話が転がったが、さて、責任持って無事にこの大冒険を果たして、充実した夏休みをスタートさせてあげなければならない。


 静流は責任の重さを実感しつつ、さくらと美月を見送った。


 雫が感慨深げに静流を見上げ、言った。


「すごい誕生日だった」


「雫ちゃんは一生忘れないだろうね」 


「明日から夏休みだっていうのに、もう出だしから凄いことになりそうだ」


 日常は当たり前のことの繰り返し。それは一面では真実だ。しかし見方を変え、やり方を変えるだけで、そしてちょっとしたことに興味を持つだけで大きく変わるものでもある。きっとそれを体感する夏休みになるに違いない。雫も、自分も。さくらと美月も。


 そう思いつつ、雫の頭をポンポン叩く。


「あらためて、11歳おめでとう」


「これで7歳差だ!」


 どうやら彼女にとってそれが1番大きいらしい。  


 静流は笑いながら玄関の扉の鍵を閉めたのだった。

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