第85話 路面電車、楽しい!

 雨の中、都バスを降りて、少し歩いて荒川線の早稲田駅に到着する。路面電車がいってしまったばかりなのか、誰もまだホームで待つ客はいなかった。ホームにはバス停のようにポリカーボネート製の屋根がついているので傘を畳むことができる。ホームまであがる通路が傾斜の緩い斜面になっているのは車椅子の人対応なのだろうか。それとも昔からなのか。今度調べてみようと静流は考えた。きっと資料はいっぱいあるはずだ。


 乗車位置で待っていると雫が腕を組んで見上げる。


「変な駅だね」


「本当だね。改札がないのが変な感じ。線路の幅も狭い気がする」


「バスと電車の中間みたいな感じ?」


「いい感想だと思います」


 路面電車が入ってくる。レトロな赤っぽい茶とクリーム色の車両だ。1両編成なのは路面電車では当たり前なのだろうか。


 前のドアが開く前に後ろのドアが開いて降車客が出てくる。そして皆、降りてから前のドアが開いた。入り口は行ってすぐ、運転席脇に料金機があるのも都バスと同じだ。1日乗車券を見せて、雫を運転席のすぐ後ろ、前の窓がよく見える席に座らせて静流は自分は雫にくっつくように立つ。


「ここなら前がよく見えるね」


「僕もよく見えるよ。他人が座っていたらできない体勢だ」


「知らない女の子にこんなにぴったりついていたら通報されちゃうね」


 雫は悪戯っぽくくすくす笑う。小5女子怖い。


 車内には都バスと同じように液晶画面で次の停車駅が表示され、広告や観光案内などの動画も流れる。そして椅子の並びは窓に沿って長い椅子が置かれている。椅子にはゆるキャラがプリントされている。荒川線のキャラクターだろう。


 出発するとバスとは違う感覚で進んでいく。電車の感覚に近いが、信号や交差点でも止まるので、その辺は違和感だ。そしてすぐ左を普通の道路の上を車両が通っていくので、トラックなどが通ると併走しているのかと思ってしまう。


「面白い~」


「複線だけど草が間にいっぱい生えているのも見ない感じだね」


「車と一緒に走っているから路面電車なの?」


「昔は道路だったのかなあ。今は分けられているけど」


「きっとそうなんだろうね」


 狭い道には踏切があって、車や歩行者が通れないようになっているが、幹線道路には踏切がない。完全に信号機で車と路面電車が動いている。


「うーん、新鮮」


「車と同じルールのところがあるんだね」


「まさに路面電車だ」


 そして路面電車は池袋を抜けて、荒川方面に走って行く。途中の駅が多いので、距離に対して時間が掛かるが、荒川線に乗っているだけでアトラクションのような気になる。


 そして王子駅の手前、飛鳥山の辺りから本当に道路の上を走って行く。


「うおおお、これはすごい」


「いや、信じられない光景だね」


「これだけでも今日は来た甲斐があったよ、静流!」


「しかも交差点、右折だ!」


「信号に従っているから大丈夫とはわかるけど、電車が道路を右折するってだけでもすごいね。常識崩壊だ!」


「1人の常識なんて小さいんだなあ」


 運転手さんにまで聞こえていたらしく、笑いを堪えている様子だった。


 そして液晶に『あらかわ遊園地前』の表示が出て、雫が食いつく。


「へえ。区立の遊園地なんだ」


「コスプレイベントやった市営のバラ園も動物園と併設だったし、行政がそういう施設を作って地元でレジャーを提供していた時代があったんだね」


「すぐ近くでも、楽しめればいいんだよね」


「遠くに行くので疲れちゃしようがないからね」


「今日は、遠出した方なのかな」


「近いと思うけどなあ。だってまだお昼過ぎだよ」


「こんなに楽しんだのに。三ノ輪商店街が楽しみだなあ」


「あ、でも、このミニ雑誌のうどん屋さん、美味しそうだな」


 スマホでペラペラ見ていたのだが、美味しそうな鴨うどんが紹介されていて、静流はとても興味を引かれた。雫にも見せる。


「いいね!」


 まだこれからの駅だったので、ミニ雑誌に書かれた駅で降りて、あとはスマホの案内でうどん屋に行く。行ってみたらうどん屋さんかと思ったらカフェで、ミニ雑誌を見返してみたらカフェと書いてあって2度びっくりした。


 木目を活かした温かい雰囲気のカフェで、1000円ちょっとでドリンクがつくランチで、静流にしてみると贅沢の部類になった。だが、ここまで外で遊んでこの程度の出費で済んでいるのだから、我ながら頑張っていると思う。


 鴨と鳥のうどんを選び、忙しい時間が終わっていたのですぐに提供された。


「ご兄妹? 仲良いねえ」


 ご主人に声をかけられ、雫が笑顔で答える。


「従兄妹です」


「そっか。従兄妹で似てるんだねえ。今日は何を見てウチにきてくれたの?」


「都電のミニ雑誌をWebで見て」


「あれ。あれでけっこうお客さんが入ってくれたんだよ。ずいぶん前に載ったんだけどまだ来てくれるんだね」


 ご主人は笑顔で戻っていった。


「ウチら、仲よさそうだって」


 雫はご機嫌だ。


「知らない人から見たら兄妹に見えるのはいいことだ」


「なんで?」


「通報されない」


「なるほど。それは大きなポイントだ」


 うどんを食べてみるとスープに余分な味がなく、すっきりしていた。静流は思わずうなってしまう。


「美味しいなあ」


「家ではたぶんできないね」


「きちんと出汁をとってていねいに仕事しているんだろうね」


「こういう出会いがあると外で食べてよかったって気になるんじゃない?」


「うん。やる気が出てきた」


「なんの?」


「出汁をとってみるやる気。うどん作ってみよう!」


「期待してるぞ」


 雫が笑顔で静流を見つめる。


「少しでも毎日のご飯が美味しくなるのはいいことだよね」


 雫は頷いた。静流は期待に応えなければと思い、昆布と鰹節を買おうという気概が生まれてきた。結構お値段はするのだが。


 美味しく最後の一滴までスープをいただき、荒川線に戻る。今度は前の席どころか座ることもできず、立っての乗車となった。立って車窓を眺めるのもまた楽しい。すぐそこに民家が迫っているのも珍しい光景だ。


 そして終点の三ノ輪駅手前になると街並みが商店街かなと思うと止まった。


 みんな降車して、静流と雫も折りたたみ傘を開いて外に出る。三の輪商店街に入るとアーケードになっていたので傘はまた折りたたむ。シャッターがしまっている店もあるが、開いている店には活気がある。中には銭湯があり正直、買ったばかりの手ぬぐいを使おうか迷った。


「でも、ウチ、静流と離れるのイヤだな」


「そんなこと言ったら銭湯こられないぞ」


 静流は苦笑する。


「家の近くにも銭湯があるから、さくらちゃんとみーちゃんを誘っていけば寂しくないから、そうしてよ」


「はいはい。仰せのままに」


 雫の希望が最優先だ。雰囲気がある銭湯に思われたが、入るのはやめる。そしてお惣菜屋さんで揚げ物と焼き鳥を購入して、傘を差し、明治通りに出てバス停でバスを待つ。


「商店街、まだまだ先があったね」


「うん。ここで食事してもよかったけどうどんが良かったからあまり言わないことにする」


「あそこのうどんはホント美味しかった!」


 雨は本降りになっていた。ちょうど浅草行きのバスを見つけ、走ってバス停まで行って乗り、浅草から馬喰町乗り換え都営新宿線で帰ってきた。


 終点を降り、地上に出た頃にはちょうど雨が止んでいた。

長い旅だったね」

うん。1日乗車券を使い倒したと思う」


「まだ今日は残ってるよ」


「これ以上、雫ちゃんを連れ回したら澪さんに怒られる」


 雨の中、連れ歩いて風邪でも引かせたら大変だ。


「そういえばさ、家の近くの公園に路面電車が置いてあるけど、あれってなんだろうと思っていたんだけど、都営新宿線があるから路面電車がここまで来ていたとかなのかな」


「いや、違うと思うよ」


 確かに近くの公園に黄色い路面電車が置いてあった。あれはなんだろうなと思っていた。ながらスマホはまずいので、家に着いてから調べてみる。するとどうやら公園の地下が都営新宿線で通気施設があの公園にあって、都が管理してるようなことが都営交通のHPに書いてあった。


「なるほど、スペースがあるからおいてあるだけか」


「ここまで路面電車が来ていたわけじゃないのね」


 雫は残念そうに言った。


「江戸川を越えることはないと思うよ」


 路面電車が普通の橋を渡ったら渋滞が激しかったことだろう。都内なら都の交通局の管轄だから仕方ないで済ませるだろうが、県はさすがにまたがないだろう。都営新宿線は篠崎駅で止まって折り返したら不便この上ないから総武線まで連絡しただけなのだ。地下鉄だから可能になったのだ。雫がスマホを見ながら言う。


「今日はいろんなものを見たね」


 そして見ていたのが神田明神の自撮り写真で静流はまたもや唸った。


「遠い過去のような気がする」


「都心を歩いて、荒川線でなんかレトロな旅をしたからだ」


 雫は腕組みをして静流の真似をして唸った。


 澪がどこからか帰ってきて、キッチンのお惣菜を見て言った。


「なにこれ、どこか行ってきたの?」


「ええ。三ノ輪まで」


「そもそも三ノ輪ってどこ」


「話せば長くなるんだけど……」


 雫が母親に向かってまずは一日乗車券の話から始める。全部話していくと長い。しかしそれでも夕食を食べて、澪が晩酌をしている間には終わるだろう。


 朝、起きたときにはどうしようと思っていたのに、終わってみれば充実した1日だったと静流は思う。そろそろ雫の誕生日だ。スポーツ自転車を買いに行こう。そうすればまた新しい何かが始まるはずだ。


 静流は母親に熱心に話す雫を見ながら、そう心の中で頷いたのだった。

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