第81話 さくらとゆうき

 昨夜は大変な目にあったが、なんとか羽海も無事帰宅した。


 実は今日は雫は朝から用事があった。日曜日は市内の空手道場の交流試合があるとのことで、また応援に来て欲しいということだった。どうやらこの前の訪問で空手少年たちが雫と美月のファンになったようで、2人が来てくれたらきっとやる気になるからどうしても応援に来て欲しいということだった。


 会場はどちらかというととなり駅近くにある市営運動場併設の武道場なので、この前のように囲まれる心配もなさそうだったので、美月の意見を聞いた上でOKした。


 自転車で行ける距離なので、美月と待ち合わせしてから市営の武道場に向かう。市営運動場のすぐ近くで、歴史博物館で見た辻切りの実物がその役目を果たしていると聞いていたので、先にそちらを見に行く。


 辻切りを作っていた神社からそう遠くない大通りに面した交差点の一角に縄で作られた大きな蛇が据え置かれていた。設置からもう半年を経て、結構くたびれているが、お役目を果たして見えない厄ににらみをきかせていると思うとねぎらいの気持ちが生まれてくる。美月が聞いてくる。


「なに、これ?」


「この集落の守護者」


「へえ。おまじない的な?」


「まさにそれ。魔法だよね」


 この令和の日本にも魔法が存在することは、知っていていいことだと思う。


 辻切りの大蛇見物もほどほどに市営の武道場に向かう。


 武道場前の駐輪場は自転車でいっぱいになっていて、市内の空手少年たちが集まっていることが分かった。武道場に入ると10軒ほどの空手道場が来ているらしく、それぞれウォーミングアップをしていた。道場の旗が壁に貼られているので数の見当がつく。100人近い参加者がいるのではないかと思われた。


「よく来てくれたな!」


 さくらが雫と美月を見つけ、駆け寄ってきた。県営武道場と違って観客席はないので、さくらが通う道場のエリアにお邪魔する。


「みんな、応援にきてくれたぞ」


 空手センパイが2人を見つけると空手少年たちが盛り上がる。また囲まれないかと危惧していたが、いつかの指導員さんらしき若い空手家さんがにらみをきかせているので大丈夫だ。


「ありがとう。まさか本当に来てくれるとは。助かるよ」


 空手センパイが丁寧に2人に頭を下げた。


「いえいえ。親友の頼みですから」


「やる気はないけど空手に興味がないわけじゃないよ」


 そう雫がいうとその発言に空手少年たちが盛り上がる。いいところを見せたいのだろう。すると指導員さんが近寄ってきた。


「今日はゆっくり見ていってね。かわいい女の子が見てくれていたら士気が上がるからね。しかし本当に2人ともかわいいね。さくらと一緒だったらさぞかし目立つだろうな」


「ダメです、師範代。こいつら自覚ないですから」


 空手センパイはダメだこりゃのジェスチャーをした。そうか、この人が怖いという師範代さんなんだ。そうは見えない、と雫は少し意外に思った。礼儀正しい好青年だ。


「ウチら、普通にしているだけだもんね」


「そうですよ。学校では優等生で評判なんですよ」


「優等生だからと言って目立たないわけじゃないんだぜ。と、言っても始まらないから、見ていってくれよな。少なくともお昼まではいてくれ」


 そう言って空手センパイはウォーミングアップに戻っていった。さくらは言った。


「あれでも気を遣っているんだぜ」


「悪ガキにしては上出来だ」


 師範代は苦笑した。それにしてもいい身体をしている。雫は聞いてみることにした。


「師範代さんは空手道場にお勤めなんですか?」


「なんでいきなり?」


 さくらが聞き返した。


「いや、普段は消防隊員だよ」


 なるほど、身体を使う仕事だ。


「彼女は?」


「なんか突然聞き出しましたね!」


 美月もびっくりしている。


「い、いや、いないけど――誰か紹介してくれるとかそんな感じ?」


 師範代は壮絶に戸惑った様子だった。


「――酒癖悪くなければ好物件なんだけどなあ」


「羽海ちゃんだな!?」


 さくらは思い至ったようだ。


「羽海ちゃん先生ならお似合いかも!」


 そして美月が羽海の写真を師範代に見せる。すると師範代は渋い顔をした。


「イヤ待て。こんな美人が独り身とか絶対裏になんかあるでしょう?」


「ほら、小学校の先生って出会いないから」


 雫がフォローすると納得したように師範代も頷いた。


「消防隊員もブラックだけど小学校の先生もブラックと聞くからなあ」


「メチャクチャおっぱいも大きいよ。70F?」


 雫は洗濯したブラジャーから得た個人情報を漏らす。


「うーん。嬉しいけど今日は交流試合に集中しよう」


 師範代は逃げるように去って行った。


「雫、静流お兄さんに対する羽海ちゃんの危険性を排除する気だな」


 さくらは目を細めて雫を見た。


「公務員同士、好物件じゃん」


「それは否定できませんね。体育会系同士、悪くないかも」


「そうかな。師範代、絶対に羽海ちゃんに負けると思うな。尻に敷かれる」


「それもまた運命」


 雫は2人がデートする図を頭に思い浮かべる。悪くない。


 閑話休題。


 さっそく交流試合が始まり、4カ所で試合が始まる。公式ルール通り小学生の試合は2分だったのでさくさく進んでいく。


 いよいよさくらの道場からも選手が出て、さくらは大きな声を出して応援する。応援された子は一生懸命、相手選手についていき、優勢勝ちを収めた。その子は観客に笑顔を向け、手も振った。


「ああ、爽やかでいいねえ」


「大瀧さん、笑顔、笑顔で答えてあげましょう」


 美月はサービス精神旺盛だ。実害がないと分かれば余裕で笑顔になれるらしい。


「こ、こうか」


 雫は口の端をあげてみるが上手くいかない。


「ガンバ、大瀧さん!」


 美月に励まされる次第だった。しかしそれにしても気になるのはゆうきの姿が見当たらないことだった。


「ゆうきちゃん来てないねえ」


「高村さん、昨日来なかったし――何かあったのかしら」


 雫と美月も心配になってくる。そうこうしている間に男子の試合がひと段落つき、女子の試合が始まった。低学年だと女子も結構いるので、まだ時間はあるが、心配は増す。そんな頃、胴着姿でゆうきが現れ、さくらと2人に目を向けた。


「来たぞ!」


 ゆうきは額に汗を滲ませていた。外は暑いが、それだけではない汗だ。ウォーミングアップというにはやり過ぎのように見えたが、ゆうきの目は燃えていた。


「――本気で当たってくれるみたいだな」


 さくらは出番はまだなのにその場に立ち上がり、応じた。


「楽しみにしてた。この2ヶ月で、さくらちゃんがどれくらい強くなったのか」


 試合の順番のプリントを見ると、早々にさくらとゆうきの対戦が組まれていた。あくまでも交流試合で公式戦ではないが、燃えるシチュエーションだ。次の次の試合だ。もう試合エリアに待機し、2人は順番を待つ。


「緒戦同士なら互角だ。大坂のスタミナ不足が解消されていれば最初から全開でいくはずだから、次の公式戦を占う対決になると思うぞ」


 背後に空手センパイが立って解説してくれた。美月が真面目な顔で応対する。


「この1ヶ月、さくらちゃんも走り込みしてますから」


「付け焼き刃でも緒戦なら効くはずだと思いたい」


 雫も頷いた。


 さくらとゆうきの試合はすぐに始まった。


 前に見たときより、さくらの動きはいい。空手センパイがいうとおり、緒戦から飛ばしていい相手だからだろう。ゆうきもそれは織り込み済みだ。有効を、もちろん1本を取られないよう上手く捌いて、体力を消耗させてカウンターを仕掛けるつもりのようだ。さくらは自分にスタミナがついたことを確認することで頭がいっぱいになっているようだった。確かにスタミナはついているのだろう。しかしどんなに増えたとしてもいつかは尽きる。調子がいいと思い込んでいればなおのこと。


 ゆうきはそれを待っていた。


 さくらの猛攻が一瞬途切れた。


 ゆうきのウォーミングアップは十分だ。身体は温まり、余計な力も抜けている。その一瞬を見逃さず、ポンと1回突きを入れただけで、審判は有効の旗を揚げた。


「心理戦だったんだ」


 雫は自分のことのように悔しく思う。残り時間は30秒ほどだ。


「諦めるな!」


 空手センパイが大きな声を出し、さくらは猛攻を続ける。しかし大ぶりになりつつある。攻め続けられるスタミナは一朝一夕で身につくものではない。ゆうきはそのまま防御に徹し、有効勝ちを収めた。


 さくらは礼をして、雫たちのもとに戻ってきた。


「うわあ。まだ壁、高いわ」


 さくらは涙声で言った。


「よくやったよ。ただ、勝ちに行こうとした心理を読まれていたからな」


 空手センパイはさくらを慰め、ポンポンと肩を叩いた。


「押忍。ありがとうございます」


 さくらは俯き、袖で涙を拭いながら、更衣室に向かった。


「泣ける子は伸びるから」


 師範代が心配して見送る雫と美月に言った。


「……近くに壁があることがいいことだと言ってあげます」


「……そうだね。ウチらがついてる」


 美月も雫ももらい泣きしそうになるが、ここで泣く資格はないとも思う。努力して泣いたさくらは正しい。もらい泣きするなら、さくらの前でだけですべきだろう。そう思い、雫は涙をこらえた。


 最初に空手センパイに言われたとおり、雫と美月はお昼まで見学した。そして退席する旨を師範代に伝えると空手センパイが小さな包みをそれぞれに手渡した。


「はい、男子一同から応援のお礼。みんなでお金を出し合ったんだ。大したものじゃないけど食べてよ」


 中を開けてみるとチョコレートボンボンが幾つか入っていた。


「ありがとうございます」


「あとでいただきます」


 雫と美月はチョコレートボンボンを手に、武道場を後にする。そして武道場の玄関までさくらが追いかけてきて言った。


「今日は来てくれてありがとう。次は勝つからさ、来てくれよな!」


「何を当たり前のことを言っているんだか」


「水くさいとはこういうときのことを言うんですかね」


 雫と美月は困惑する。


「ふふ。ありがとう」


 武道場の入り口には決然とした表情のゆうきが立っていた。


「まだ負けないよ」


「いや。次は勝つ」


 ゆうきとさくらのライバル関係はまだまだ続きそうだ。


「2人ともガンバ!」


「応援してますよ!」


 雫は満足感を覚えながら、同じく満たされた笑顔を浮かべる美月と一緒に市営の武道場を後にしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る