第80話 酔っ払いを介抱する

 昼から飲んでいただけあって、まだ8時だというのに澪と羽海は完全に酔っ払っていた。つまみを作り続けた静流としては分かっていた結末であった。大変で、何かが起こる夜になりそうだった。


「澪さん、こんなに飲むことあった?」


 静流が雫に聞くと彼女は腕組みして答えた。


「この前の羽海ちゃん家にお泊まりしてリミッターが外れたんじゃないかな」


「そうだね。そう思う」


 静流はまずどうしたものかと悩む。澪はカウンターでうつ伏せている。羽海はクッションを並べて横になり、呻いている。


「まずお母さんを部屋に連れて行こう」


 雫は澪の部屋に布団を敷きに行った。


「うん。澪さん、移動しますよ」


「うん……」


 静流は澪の両肩を持って半身を起こして、肩を貸す。


「いいねえ。このままお布団に連れて行って」


「言われなくてもそうします」


 身体に力が入らない人間は重い。重心が定まらないからだ。いつもだったらいい匂いがするとか思うところだが、今日は単純にアルコールくさい。だが、支える右手がおっぱいに当たる。ブラジャーの感触が固い。


「静流、布団が敷けた」


「うん。雫ちゃんも手伝って」


「わかった」


 雫も静流が澪を支える逆の側に立ち、支える。よたよたと歩き始め、澪を敷き布団の上に座らせる。


「雫ちゃんは澪さんを見ててね。吐かれても困る」


「合点」


 こんなになるまで澪がアルコールを飲むなんて家呑みで安心していたからだとしか思えない。静流は雫に澪を任せて澪の部屋を後にする。そしてすぐに対応できるよう風呂場からバケツを持ってきて澪の部屋に置く。


「気持ち悪い~」


「こんなになるまで呑むお母さんが悪い」


「だって羽海、強いんだもん……」


 酔っ払いに何を話しても無駄である。


 さて、問題は羽海の方である。今は落ち着いているがバケツは1つしかない。どうやって吐かれたときに対応しようか悩み、まずは羽海が枕にしているクッションの周りに新聞紙を敷く。これで一次被害は軽く済ませられる。雫がやってきてそれを見ると無言で同じように新聞紙を持っていった。同じような状況だ。準備するにこしたことはない。


「しずるちゃん……」


「はいはい、しずるはここにいますよ」


「よかった……」


 羽海は寝返りをうち、大きなおっぱいが揺れた。Tシャツが汗ばみ、ブラジャーの形が浮かび上がっている。


「羽海ちゃん、大丈夫?」


「うん――そのうち、落ち着く」


 そのうちがいつになるのか。素面の静流にとっては果てしなく長く感じられる「そのうち」に違いない。


「水飲みます?」


 羽海が頷き、静流はコップに水を入れて持ってくる。それに気づいた羽海が半身を起こし、コップを手にする。ごくごく飲むが、口から溢れてTシャツが濡れ、ブラジャーがはっきり見えるようになる。静流はタオルを持ってきて、おっぱいを押さないように拭き取る。これでは介抱ではなくて介護だ。


「しずるちゃん……」


「はい、いますよ」


「ブラとって」


「え?!」


「きつくて辛い。ブラとって」


「僕じゃダメですよ」


「Tシャツの下から手を入れればいいだろ!」


 ブラジャーを外すなんてことをしてみたくないと言ったら嘘になるが、この状態ではまずい。しかも部屋は違うが雫もいるのだ。


「雫ちゃんを呼んできます」


「今すぐ!」


 酔っ払いは怖い。羽海に手を掴まれた。目は据わっている。


「――わかりましたよ」


「よろしい」


 羽海は目を閉じた。静流は羽海の背後に回り、Tシャツをたくし上げる。真っ白な背中が見えて、薄水色のブラジャーのバックベルトが露わになる。背中には無駄な肉がなく、バックベルトも肉に食い込んだりしていない。さすが体育会系という感じの締まった身体だった。


「早く!」


「そんなこと言われてもな……」


 震える手でブラジャーのホック部分に手を伸ばす。ホックは3段だ。マンガ知識で2段でなく3段のものもあると知ってはいたが、実際に目の当たりにすると迫力がある。どうにかこうにか背中に直に触れないよう注意してブックを外すと、ぶるんと圧が減った感覚が伝わってきた。さぞ重いのだろう。


「ありがと」


 羽海はそのまままた仰向けになって寝ようとしたので、静流に体重を預ける形になってしまった。柔らかい身体の感触に静流は一気に反応してしまう。


「ごめ~ん。後ろにいたね~」


 羽海はケラケラと笑い出す。静流は彼女の両肩を押さえて、ゆっくり寝かせる。すると羽海は静かになった。なんとかなったと静流は心の底から安堵した。


 しかし羽海はごぞごそとTシャツの中に手を入れ、ブラジャーを取り出して放り投げた。ブラジャーにも目が行ったが、羽海の濡れているTシャツも目に入る。しっかり胸の突起の形が分かり、静流はこれ以上はないくらい固くなるが、ここはガマンの一手である。カウンターの椅子にかけてあった腰掛けを羽海の胸の上にかけ、見えないようにする。本当に危険な女性である。


 静流はブラジャーをどこに置いたものか悩み、結局、洗濯ネットに入れて洗濯機に入れることにした。1番無難な置き場所だろう。


「ああ、大変だった」


 雫が澪の部屋から出てきた。手にはゴミ袋に入った新聞紙の固まりがある。


「寝たままゲロした?」


「正解。新聞紙を敷いていたから被害はない」


「危なかったね」


 雫はゴミ袋を燃えるゴミ箱に入れ、羽海に目をやった。


「なぜ羽海ちゃん、お腹じゃなくて胸に腰掛けかけてあげてるの?」


 そして雫はお腹に腰掛けを移動してしまい、意図を理解した。


「凶器だ」


「胸にかけてあげて」


 雫はそっと腰掛けを胸に戻した。


「静流、大きくなってる」


「仕方ないだろ! こんな凶器を見ちゃったんだから」


 静流は雫の前から逃げ出し、自分の部屋で腕立て伏せをして己を平常に戻す。戻るとリビングでは雫が羽海を見守っていて、雫が頷いた。


「静流も若いから仕方ないよね」


「わかってくれとは言わないが、これでも理性を最大限働かせているんだ」


「犯罪かもしれないけどガマンはよくないよ。手伝うよ」


 雫が澪と同じことを言い始めた。大変危険だ。静流は拳を固く握り、雫のこめかみをぐりぐりと攻撃した。


「ごめんなさい。もう言いません」


「僕の理性を無駄遣いさせるからだ」


「無駄じゃないよう」


「気持ちはありがたいけど、まだ将来にとっておきなさい」


「はーい」


 分かっているのか分かっていないのか、よく分からない返事だった。


 もう9時過ぎなので、静流的に破寝てもいいくらいの時間だ。バイトがなくても早起きは習慣化しているため、寝るのも早いのだ。しかし澪も羽海もまだ少し心配だ。


「静流はどうする? まだ様子見てる?」


「うん。カウンターで本を読むことにするよ」


「じゃあウチもしばらくそうしてる。お母さんの部屋の扉は開けっぱなしにしておくね。何かがあったら聞こえるように」


「そうだね」


 そして図書館から借りてきた本を読み、雫はタブレットで調べ物を始めた。


「あった」


「何を探していたの?」


「縄文時代の地形。この前のパネルじゃイマイチ現在位置が分からなかったから」


「この前の復習だね」


 雫がタブレットに表示した画像を見せてくれる。どうやらこの辺から貝塚の辺りまで入り江だったようだ。


「そういえば近くの公園に『この辺りは海だった』て看板があったね」


「鯨が描いてあったから化石でも出たのかなあ」


 出ても不思議はない。館山は面白い土地だと思っていたが、こっちに来たら来たで面白いことはある。全国どこにいっても人間が活動していたわけで、その意味では面白いことはどこでも見つけられるのだろう。調べてみるとやはり博物館の鯨は標本ではなく、発掘された化石だと分かった。5000年前のものだという。だから前半分だけの展示だったのだ。どこかに説明が書いてあったのだろうが、スルーしてしまったようだ。


 1時間ほど読書をしているとムクリと羽海が起き出した。


「ああ、楽になった」


 そして自分がノーブラであることに気づいて、羽海は腕で胸を隠した。


「ごめん。うっすら覚えてるわ」


「いいんですよ。楽になったのなら」


「家に帰るわ」


「もう遅いんだから危ないよ。ノーブラだし」


 雫に言われて頷いたものの、羽海は立ち上がる。


「ちょっと羽目を外しすぎた。これ以上は……」


「別に寝具がなくても眠れる気温ですし、泊まっていきましょうよ。朝ご飯、楽しみにしていてください」


 静流は楽になった羽海を見て安心して本を閉じた。


「じゃあ、甘えるね」


 静流はタオルケットを持ってきて、羽海に渡した。羽海はタオルケットを被り、そのまま再び眠りについた。


 これで安心して眠れそうだ。澪の様子は雫が見てきて、落ち着いたようだと言っていた。眠ることにして、雫が先にシャワーを浴び、静流が後に浴びることにした。


「うみちゃんとこんなことになるなんて思わなかったなあ」


 寝息をたてる羽海を見ながら静流は呟く。なんといっても初恋の人だ。もし雫が心変わりしてそのとき羽海がフリーだったら、なんて考えなかったことがないはずもない。しかしそれを考えることは今の雫に失礼だ。頭から消し去る。


 雫がシャワーを浴び終え、入れ替わりで静流が入る。雫はリビングで髪を乾かしている。静流も今日は軽く浴びるだけで済ませ、浴室の扉を開けた。


 するとそこには人影があった。


 明らかに大きさが大人だった。そしてすぐに澪だと分かった。


「――ごめん。歯を磨きたくなってさ。こんなに早く出てくるとは思わなかったんだ」


「い、いえ。大丈夫です」


「まあまあね」


 澪の視線は下半身の1点に向けられていた。


「これでおあいこと言うことで」


 静流はバスタオルを手にして浴室に戻った。


 澪に見られてしまったが、ショックはない。以前、澪の生おっぱいを見てしまった方のショックの方が大きかったからだ。 


 しかし今夜の衝撃はいろいろ大きすぎた。どうやってこのリビドーを消化しようかと静流は思う。想像していたとおり、大変で悩ましい一夜になったのだった。




 翌朝、早々に洗濯機を回し、乾燥機を使って羽海にブラジャーを渡した。脱衣所に行ってブラジャーを着けたあとは羽海のおっぱいは更に大きさを増したように見えた。日本のブラジャー恐るべしである。調べたところ3段フックはFカップ以上であることが多いらしい。サイズの想像ができたこともまた、悩ましい一夜となった。


 朝ご飯は大葉味噌で焼きおにぎりを作り、大葉と豆腐で味噌汁を作った。澪も羽海も美味しいと言って食べてくれた。大葉尽くしは大成功だったようだ。ウチと河川敷の大葉が大きくなったらまたやってみよう、そう思いながら、静流は朝食の後片付けをしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る