第78話 河川敷の宝物

 いよいよ7月になった。雫の誕生日は7月20日。静流にとって今年から7月は特別な月になった。また、雫に懐かれてから1年になるという節目でもある。


 何をしてあげようかと悩みもしたが、まだ少し時間があるので考えることにする。基本的にはスポーツ自転車を買いに行こうと思っている。そろそろ美月のお父さんに督促しようと思う。


 大学の勉強は順調だ。男では珍しいと思うのだが、ほとんどの講義を受けている。真面目に受講しているのは女性の方が多いように思われる。


 そういうのとは全く別に、ちょっと気になることがあり、土曜日の早朝、静流は河川敷に1人で向かっていた。目的は蒼から話を聞くことにある。雫からの話では期末テストが終わってからまだ涼しいうちに河川敷で練習をしているという話だった。


 とはいえもう朝から暑い。デニムにTシャツ1枚でクロスバイクで走り出す。昼間と違って湿気が低いのか、風が気持ちがよかった。堤防の上の道路に出て、蒼と瑠璃がいそうなところを眺めながらゆっくりと安全運転で走る。余所見をしていると危ない。犬の散歩や行き交う自転車とぶつかってしまう。


 しばらくゆっくり走らせているとそれらしき旋律が聞こえてきて、視線をそっちに向けると、ギターとキーボードの音が聞こえてきた。


「美月ちゃんいるんだ」


 美月がこの前、キーボードを持ってきた話は雫から聞いている。河川敷への階段を降りるとキーボードを弾いていたのがやはり美月だったことが分かった。どうやら今日は蒼と瑠璃と3人で練習しているようだ。悠紀くんには悪いが、美月が蒼を見る目は憧れそのものだ。瑠璃というガールフレンドがいなければワンチャンスあったかもしれないが、淡い気持ちで終わってしまうのだろうと思われた。


 演奏が終わって朝の挨拶をするが、実は他にも観客がおり、蒼に紹介された。


「僕の友達の沢田です」


 実にいい身体をしている少年だった。


「沢田です。大瀧さんですね。話は聞いています」


「はい。大瀧です。沢田くんはいい身体しているけど何かやってるの?」


「アマレスを少々」


「それは少々じゃないな。今日はギター練習のお付き合い?」


「うーん。学校で話しにくいことを相談しに来ました」


 そして瑠璃に目を向けた。なにか恋愛相談なのかなと直感し、それ以上は静流も聞かなかった。


「今日は静流さんはどうしてこちらに?」


 美月がきょとんと首を傾げた。1人だからだろうか。


「いや。ふと思い出したんだ。ミントが自生しているって話」


「ああ、そうですよ。場所を教えますよ」


 蒼がトンと手を叩いた。


「近い?」


「すぐです」


 少年野球のグラウンドとグラウンドの間にある茂みに蒼に案内されて入ると確かにミントが自生していた。あまりにも大きく、広い。


「獲りきれないね。機会を見て必要ならまた獲りに来よう」


「実は別のも見つけたんです」


 蒼はもう少し奥に分け入った。 そして特徴のあるギザギザの葉っぱが広がっている場所に案内してくれた。


「おお。これは……」


「大葉です。すごいでしょう」


「すごい」


 こんもりと大葉が生えていた。河川敷に生えているものを勝手にとっていいものなのか知らないが、ここにあるだけならただの雑草である。獲って誰に文句を言われるでもないだろう。


「これですごいことが出来る」


「やってください」


 蒼は笑顔になった。そして静流は同志へ握手を求め、蒼と静流はがっしりと握手したのだった。




「静流~どこに行ってたんだ? また男の娘とデートしてたんか?」


 マンションの前庭に戻り、掃き出し窓を開けて室内に入ると、雫がごろんと横になっていた。雫に嫌味を言われても今日はスルーだ。静流はクロスバイクを停め、掃き出し窓から中に入る。


 プランターの大葉はまだ少し小さいが、収穫はできる。これと今、獲ってきた大葉で大葉尽くしができる。歓喜である。


「大葉を獲ってきた。これとウチので、今日は大葉尽くしだ」


「おおおお。手伝う手伝う!」


 雫も床から跳び上がった。


「何にしようかな。餃子かな。パスタかな。なんでもいいや」


「ご飯炊いてあるよ」


「じゃあ角煮と大葉で薬味たっぷり角煮丼にしよう」


 そして先日、羽海の家に行くときに作った冷凍角煮を冷凍室から出す。暑いからすぐに自然解凍するだろう。薬味になりそうなものは他に長ネギとセロリがある。完璧だ。


 澪が起きてきて、言った。


「欠食セクハラ教師を呼んであげようよ」


 どうやら大葉尽くしが澪にも聞こえていたらしい


「みーちゃんとさくらちゃんも呼んでいい?」


「間に合うならね。間に合わないなら午後に呼ぼうよ。餃子を作るのを手伝って貰う」


「大葉餃子か。最高だね!」


 澪はビールに合うと思っているに違いない。さては昼呑みの相手として羽海を呼ぼうと言うことらしい。さっそく3人に連絡するとすぐに返事が来た。すぐに来られそうなのは羽海だけで、残り2人は3時くらいの到着になりそうとのことだった。


「桃華ちゃんや悠紀くんはどうする?」


「事前に連絡してからだなあ。その人数を集めるには狭いよ」


「悠紀くんには会ってみたいなあ。お姉さんがついてきたらそれはそれで。女の子の格好で来てくれるといいなあ」


 澪には悠紀くんの話をしてあるが、女装の話はしていない。


「え?! どうしてそれを」 


「ウチらだって知ってるよ」

 

 雫が目を細めて静流を見る。


「そうだったんだ……」


 そういうこともあるだろう。静流は悠紀をお昼ご飯に誘い、女装可と付け加えた。自分だけだがすぐに行くと返事があり、静流はふむと内心考えた。


 先週、偶然、女装していた彼に出会ったから知っているのだが、見知らぬ美少女にブックポスト前で声をかけられ、散々悩んだ挙げ句、悠紀と見破ったのだ。彼が失言を悟り、黙ったまま俯いていなければ、そのまま立ち去っていたら間違えて声をかけられたで済んでいたかもしれない。が、人間、そう上手くは立ち回れないだろう。


 人間にはいろんな趣味趣向を持った人がいる。LGBTなのか単に女装趣味なのか分からなかったが、誰かを傷つけたり、苦しめたりしなければ、個人の責任の範囲で済むのであればやっていいと思っている静流としてはかわいい趣味だと思えた。だから翌日、待ち合わせた図書館に女装して現れても何の疑問も抱かなかった。考えてみれば姉のゆうき経由の情報なのだろう。


 マンションの前に着いたら連絡してくれと返事をしたが、実際には羽海と悠紀が一緒にインターホンを押して現れた。偶然一緒になったのだろう。


「タダ飯に呼ばれました~~ ごちそうになります」


「自分の飲み代分はあとで買ってきて貰うから」


「お昼はごちそうになります~」


 澪と羽海は本当に仲がいい。


 今日の悠紀はミニスカートにニーハイ、そしてラメの入ったTシャツとかなり小学生女子を意識した女装姿で現れた。髪はカツラなしだが、顔はメイク入りだ。


「……おじゃまします」


 初めて悠紀を見て、その上、女装のスタイルを見て、澪は呻いた。


「うおお、かわいいじゃないか。ヤバい性癖が生まれそうだ。いや、失礼。雫の母です。こんにちは、悠紀くん」


「ほら、女装少年が嫌いな女子はいないんです」


 羽海はカウンターに腰掛け、今日もじっくり悠紀を眺める。


「パンツは?」


「ブリーフです。ショートパンツ、履いてますよ」


「このセクハラ教師!」


 澪が羽海を小突く。


「素直な疑問じゃないですか~」


 この2人に巻き込まれると大変なので、お昼ご飯を作ってしまうことにする。まずはサラダ。大葉味噌を作り、レタスを細かく刻んで、レンジ加熱済みの作り置き細切りニンジンを混ぜ、オリーブオイル投入、こしょう軽く。ゆずの塩漬けを加え、真ん中に大葉味噌を載せる。言うのは簡単だが、5皿作るのは結構手間だ。説明して盛り付けは雫に任せる。そして刻んだ大葉とごまをごま油で炒めつつ味噌と砂糖、酒で緩めつつ炒め続け、アルコールが飛んだ辺りでできあがりだ。かなり大量に作ったのでタッパーに入れて残す。雫がタッパーから大葉味噌を取り出し、各皿に載せる。それを悠紀がリビングに持っていく。


「悠紀くん、今日はゆうきちゃんみたいだね」


「写真撮ったらもう分からないでしょうね」


「うん。後で画像を見返したら混乱する。見分けのためにかつらが必要だよ」


 雫と悠紀の会話を聞き、もっともだなあと静流は思う。


 刻んだ大葉はまだこんもりとざるに載っている。これに加えてネギを3本消費し、セロリを1本、これは申し訳ない程度の量になったが、刻んだ。角煮はいい感じで半ば解凍されており、きれいに正方形に刻んだ。5人分なので1本全部使うことになってしまった。ちょっと物足りないので、熱々ご飯の上に角煮をのせ、三種の薬味を周りにトッピング。そして卵の黄身だけを載せる。色合いもいい。


「カンパーイ」


 プシューと缶ビールのプルトップが開く音がリビングからした。大葉サラダを酒のあてに早速始めているらしい。雫がため息をついた。


「土曜の昼から呑む保護者と先生って教育的にどうなんだろう」


「今の私はしずるちゃんの幼なじみ枠です~」


「う、逃げたな羽海。静流くん、助けて」


 澪は母親枠からは逃げられない。


「飲み過ぎないようにほどほどに」


 それ以上は言えない静流である。澪と羽海はカウンターで呑み、角煮丼もつまみにする。2人の分はご飯をかなり減らしてある。どうせまたつまみを作らされるのだ。静流たちは座卓で昼食を始める。


「静流~~ 美味しいね、角煮と大葉」


「僕、セロリ苦手なんですけど大葉と角煮と一緒にすると食べられます」


「苦手な味も慣れれば大丈夫になるから」


「そうだよね。ウチも苦手なものも慣れるんだなって気づいた」


「僕が作る料理で苦手なの入ってた?」


「ううん。小さい頃の話」


「僕はまだ苦手なもの、いっぱいあるなあ。しいたけもダメだ」


「小学生には典型的だねえ」


 雫は悠紀に笑いかけた。ちょっと、静流は嫉妬する。絵的には美少女と美少女が会話をしているのだが、一方は男だ。


「ん? どうした静流?」


「なんでもないよ。白身はあとで卵焼きにしよう。タンパク質豊富だから捨てるなんてもったいない」


 静流は自分を誤魔化す。きっと雫は学校でも大モテになるだろう。いや、既にモテているのかもしれない。美月もさくらも相当かわいい。自分たちが気がついていないだけだ。さぞかし小学校では目立つのだろうと思う。


「うみちゃん、雫ちゃんやさくらちゃん、美月ちゃんって学校で目立つでしょ?」


「ほえ、なんでそんなことを聞く、静流」


「目立つとか目立たないとかじゃなくて、知らない人がいないというか。いい意味で。職員室では評判」


 羽海はビールを飲みながらも、まだかなり真面目だ。


「大坂さんがまず影響力が大きいから。空手やっててルックスよくって、弱いものいじめが大嫌いで我も強くて。誰からも一目置かれてる。那古屋さんはアイデアマンな上に典型的な優等生だから割と普通の子とは溝が出来がちなんだけど、雫ちゃんのお陰でうまく周りとつながれてるよね。雫ちゃんは大坂さんと那古屋さんをうまく機能させるための潤滑油で、いつだって場を和ませてる」


「ウチ、そうなんだ?」


「大坂さんと那古屋さんだけだったら、けっこうギスギスしてたかもよ」


「ウチにそんな機能があったなんて。好きで2人と一緒にいるだけなのに」


「だからでしょう。きっと他意がないから、好きって気持ちがみんなに伝わるんだよ。あ、これは2人には内緒だよ。少なくとも私が言ったってことは」


「羽海ちゃんが僕にもこれくらい優しかったらいいのに」


「しずるちゃんは児童じゃなくて下僕だから、まだまだ働いて貰います」


「今日もこれからつまみ作りだし。トホホ」


「美人2人に使われるのは光栄でしょう?」


 澪が怪しく笑い、静流は弱々しく頷く。


「学校の雫さんたちか。見てみたいな」


 悠紀がぼそっと言う。静流もそう思う。


「見る機会があるといいなあ」


「公開授業にきてよ。となりの小学校なら日程が被らないから見られるよ」


 羽海が気軽に言う。


「それは楽しみですね!」


「ぞれは楽しみ!」


 静流と悠紀は同時に発言してしまった。


「こうやって担任の意見を包み隠さず聞けるってのも貴重な機会だ。娘が学校でどうしてるかなんてどんな親でも心配だからね」


「澪さん。私は、雫ちゃんには去年のド新人のときから助けられているんですよ」


 羽海はそういって、缶ビールを飲み干した。


 雫と悠紀は大葉の角煮丼を美味しくいただいたが、澪と羽海はゆっくり食べていた。ちなみに静流は瞬時に食べ終えてしまった。


「じゃあ、今の内に買い出しに行こうか」


 静流は雫と悠紀に言い、お出かけの準備を始めたのだった。

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