第77話 静流と謎の美少女?

「ど、ど、どうしよう」


 雫は驚愕のあまり、どもってしまう。まさか本当に女の子と、しかも自分に隠れて美少女と会っていたなど、雫には考えられない異常事態だった。


「しずるちゃんもやるなあ。大瀧さんに続いてあんなかわいい子も……」


 さくらはしばらく黙っていたが、ぐっと拳を握った。


「モテるな――静流お兄さんは」


 静かに闘志を燃やし始めたらしい。


「見つけたらどうするかなんて計画立てていなかったね。私としたことが抜けていたわ」


 先日の目撃者本人である羽海ですら驚いている様子だ。


「とにかく、静かに見守る」


「見守るというより尾行続行だがな」


 雫の言葉にさくらがツッコミを入れる。


 開館時間となり、待っていた来館者たちは席の確保のために続々と中に入っていく。談笑しながら静流と美少女も図書館の中に入っていく。図書館の出入り口はここだけだから、もう見失うことはない。見つからないように注意を払うだけだ。少し間をおいてから雫たちは図書館の中に入る。


 中央図書館を見慣れている雫としては駅前図書館はずいぶんコンパクトだ。あらかじめ館内MAPをスマホで確認。閲覧席は書架の奥に20席並んでいる。そっちに行かなければまず見つからないだろう。そして行くと考えられるのは歴史の棚と民俗学の棚だ。そっちも気をつける必要がある。ちらりと閲覧席の並びを見ると美少女と静流は隣り合った席を確保し、書架に向かっていた。


「どうする?」


 さくらが聞いてきた。


「女の子が1人になったところでよく見てみたいな」


「そうだね。さて、どうしたものか」


 羽海が悩んでいるとさっそく女の子が雫たちの方にやってきた。もちろん、書架の間を歩いているだけなのだが、3人とも緊張してしまう。向こうがこっちを知っているはずがないのだが。それでも美少女は雫とさくらに目を向け、何故か会釈をして通り過ぎていった。


「あれ、見たことがある気がする」


「ウチもだ」


「どこでだろう……」


 さくらは首をひねる。羽海がさくらを鼓舞する。


「思い出すんです、思い出すんですよ大坂さん。テストの時くらいの記憶の引き出し力を発揮するんです」


「テストの時もあまり発揮できたためしがないんですが」


「そんなことないよ。大坂さん、成績伸びてるよ。自信持って」


「うん。さくらちゃんと一緒に勉強することが増えたもんね、最近」


 そう。さくらがゆうきと一緒に練習を始めてからは、学校では雫とさくらはなるべく一緒にいるようにしている。空手の練習の前に宿題をする必要があるため、必然、雫と美月と一緒に帰る前に宿題を済ませる機会が増えているのだ。少ししてさくらが思い至ったように言った。


「――ゆうきの顔だ!」


「あ、そうだ、そうだね!」


「誰、それ」


「さくらちゃんの空手のライバル。となりの小学校なんだ」


 雫が解説する。羽海と他校の生徒であるゆうきに面識があるはずがない。


「なるほど。でもそうだったら大坂さんに挨拶するよね」


「高村姉弟のお姉さんとかかな」


「あたしはお姉さんがいるなんて話は聞いていないし、いたとしてもあたしたちのことを知っていることもない」


「なるほど。姉でないとすると本人で、つい会釈をしてしまったと。髪はかつらか何かで変装? コスプレ?」


 羽海が推理を進めていき、雫は彼女の言葉を繰り返す。


「コスプレ……」


 大事な記憶が呼び覚まされてきた。最近女装レイヤーと知り合ったのだ。それはもちろん蒼のことだが、美月が蒼のジェダイトに夢中になって、それで悠紀は美月に思いっきり振られて――


「悠紀くんだ……」


「え!」


 さくらは思わず大声を出しそうになり、自分で口を塞いだ。


「なにそれ、男の娘ってこと?」


 羽海が実に楽しそうな顔をした。


「うん。間違いない。この前もゆうきさんの服を着てものすごくかわいくて、女の子と間違えたから。あれから更に一歩進めたんだ。メイクとカツラで思いっきり変わってて上背があるから中学生くらいに見えたけど、悠紀くんだ」


「いやあ。興味あるなあ。好物だなあ」


「羽海ちゃんが女装少年好きだとは知らなかったよ」


「大瀧さん、いいですか。女装美少年が嫌いな女子はこの世に存在しません」


「歪んだ価値観を児童に植え付けるなよ。しかし本当にかわいいな。嫉妬するわ。あれじゃゆうきちゃんだって嫉妬するに違いない」


 さくらの言葉に雫も大きく頷く。


「一安心だ。一安心だが、どうして女装しているのか。そして女装している美少年を見て静流が何をどう考えているのか、実に悩ましいな」


 雫は心のうちを一言一句たりとも欠けることなく言葉にした。閲覧机の方を見ると悠紀と思しき美少女は静流と一緒に席に戻っていた。図書館の中で話すのも気が引けるのでいったん、雫たちは図書館の外に出て作戦会議に入る。


「まず、あの美少女が本当にその悠紀くんとやらかどうかを確認する必要があるな。できればおびき出してしずるちゃん抜きで話をしたい」


 大人の羽海はさすがに冷静だ。


「どちらかが席を離れることがあるだろうから、そのときに捕まえよう」


 雫の案にさくらが頷いた。


「あたしがさりげなく『悠紀くん』と声をかければいいんだろうな。1番、あたしが彼と関わりがあるから」


「まだ朝、一緒に走ってるんだ?」


「もちろん」


「そんな仲なんだ。いいなあ。そろそろ青春だね、大坂さん」


「まだ羽海ちゃん先生だって若いんだから、そんな言い方やめようぜ?」


「うん。そうかも。日々に疲れた大人だから忘れがちだけど」


「世知辛いねえ」


 雫は腕組みをして頷く。


「でも美月に協力して貰ってクラス運営うまくいっているじゃん」


「おかげさまで。お世話になっております」


 児童2人に頭を下げる担任教諭もどうかと思うが、この分け隔てなさが羽海ちゃんのいいところである。作戦が決まったところで図書館に戻り、まず閲覧席を見る前に書架の間を探すと好都合なことにオレンジ色のワンピースが見えた。美少女だ。


 さくらがタタタタと小走りで駆け寄り、よっ、と声をかける。


「悠紀くん、偶然!」


「さくらさん!?」


 そしてさくらの作戦通り、悠紀が口を開き、失言を悟ったのか俯いた。


「やっぱりそうか」


 そして顔を上げ、雫と羽海が見ていることにも気がついたようだった。


「ちょっとお話ししようか」


 さくらが悠紀を連行して書架の外にまでやってきて、そのまま館外に出た。


「この集まりはどういう集まりなんでしょう」


「しずるちゃんを大好きな女の子の会です」


 羽海が言い、悠紀を上から下まで見る。


「この人はウチらの担任の羽海ちゃん。静流の幼なじみなんだ」


「よろしくね。高村くん。学区が違うから知らないよね」


 羽海が先生モードで頭を下げたので悠紀も表情も少し緩んだ。


「べ、別にあたしは静流お兄さんのことを好きじゃあないぞ」


 さくらが動揺するのでバレバレだ。羽海が軽く驚いた様子で言う。


「あ、適当に言ったんだけど本当にそうだったんだ。しずるちゃん、もてるなあ。上は未亡人から下は小学生、果ては男の娘まで」


「男の娘じゃないです。女装です」


「何が違うんだ? さくらちゃん」


「あたしには分からん。羽海ちゃん知ってる?」


「同じじゃないの? 男の娘がネット用語ってだけで」


「女装ってことにしてください~」


 悠紀は半泣きだ。


「女装は別にいい。個人の趣味だ。問題はなぜ女装をして静流と会っていたかだ。事と次第によってはウチが何をしでかすか分からんぞ。さあ、説明するんだ!」


「雫怖い」


 さくらがドンびき、羽海も驚く。


「大瀧さんにこんな一面があったなんて」


「別に女装と大瀧さんは関係ないです。たまたまさくらさんが通っている空手の道場に行った帰りにブックポストに寄ったら会って、あんまり気にしていないみたいだったから、今日、こっちの図書館に初めて来るっていうんで待ち合わせたんですけど、また女装してみただけです」


「なぜ女装して空手道場に行ったんだ!?」


「大瀧さんと美月さんが行ったとき、えらい騒ぎになったって聞いて、姉がそれじゃあって僕に女装させてからかいに行けって言ったんです」


「そういや、ゆうきがうちの道場に組み手に来てたとき、女装の悠紀くんがいた気がする。男子に囲まれていてよく見えなかったけど」


「もっと早く思い出してよ、さくらちゃん!」


「しかしこれでめでたく解決ではないの? よかったね、大瀧さん」


 羽海が安堵し、雫に言った。


「よくない。静流の男の娘大好き疑惑が。普通、動揺するだろ、知り合いが女装してたら」


「いや、静流お兄さん、優しいからきっと秘密にしてくれたんだよ。そして傷つけまいと似合ってる、かわいいとか言ったんじゃないのか」


 さくらがそう言葉にすると、その光景が目に浮かぶようだ。


「ああ、しずるちゃん、いかにも言いそう」

 

 羽海も同様だったらしい。激しく同意する。悠紀はぽかーんとする。


「どうして分かったんですか!?」


「やっぱり言ったのか……確かに他の女の子にかわいいと言うなと釘を刺しているが男の娘に言うなとは言ってないな」


「でもあたし、かわいいって言われたよ」


 さくらがドヤ顔をする。悔しいが事実だ。


「そんなこともあったな」


「私、言われたことないかも」


「羽海ちゃんは静流の初恋の人だろ。それ以上を望むな」


「え、そうなんですか?」


 悠紀はその件については初耳だったようだ。


「そうなの~~うみちゃん6年生で、しずるちゃん1年生のときの話です」


 羽海は嬉しそうに悠紀に話す。そして続けた。


「まあ、もう分かったし、あとはリリースしてあげようよ」


「確かに羽海ちゃんの言うとおりだ。これ以上、悠紀くんを追求しても仕方がない。だけど静流とデートしたからって調子に乗るなよ。ウチは悠紀くんを今、ライバルに認定したからな!」


 そう。悠紀は強力なライバルだ。かわいくて趣味が合う。どうせ手を出せないのであれば男でも女でもそんなに関係ないかもしれない。ならば男の娘であってもライバルたり得る。だから油断はしない。しかし悠紀は泣き出しそうな顔で応える。


「ライバル? そんな訳ないでしょう!」


「こうしてウチらの時間を奪っているんだから実際ライバルだよ」


「大瀧さん、本当にモテるんだなあ」


 悠紀はがっくりと肩を落とした。


「だって頼りになるもんね」


 羽海の言葉に雫もさくらも頷いた。羽海の言葉に従って、雫とさくらは悠紀をリリースした。リリースされた悠紀は図書館に戻っていったが、別に口止めはしなかった。下りのエスカレーターで自転車置き場に向かう間、さくらが言った。


「あたしが静流お兄さんのことを好きだって言っていてもう2ヶ月くらいになるけど、自分がいい感じだと思う」


「どゆこと?」


 雫が意図を聞く。


「今まで惚れっぽくって、アタックしたり逃げたり蹴ったりばっかりだったんだけど、静流お兄さんはなんて言うのかな、大人だから安心できるのかな。好きでいられるだけで心が落ち着くんだよ。だから別にこれ以上の恋はいらないかなって。それで空手や勉強に打ち込めるんだから、今までより全然いい。静流お兄さんのお陰であたしの心の中の恋のウエイトが減ったんだ」


 エスカレーターが終わり、3人で歩いて行く。


「なるほど。精神安定に効いているわけね」


「ああ。わかる。ボーイフレンドいなくてもしずるちゃんがいうこと聞いてくれるから、精神的に焦ってないわ……」


 羽海ちゃんまで似たようなことを言い出す。


「そう考えると静流の存在は貴重なんだな。悠紀くんにも頼りにされてる」


 自分の恋愛脳を反省したい雫だ。だが、運命だと信じているから頑張れるのだ。もうすぐ静流を好きになって1年になるが、まだまだこの感情が衰える気配はない。


「それでもこれ以上、ライバルが増えるのは勘弁していただきたい」


 そう苦笑しながら雫が言い、羽海とさくらは笑った。


 雫が先に帰宅して、昼食前に静流が帰ってきた。本も借りていた。


「雫ちゃん、もう用事終わったんだ」


 そういう静流はとても自然で、どうやら悠紀は3人が突撃してきたことを言わなかったようだし、図書館でも気がつかれなかったらしかった。


「うん。さくらちゃんと羽海ちゃんと会ってた」


「羽海ちゃんまで……」


 そこではたと思い出した。美少女の件で頭がいっぱいになっていたからすっかり忘れていたが、重大案件が発生していたのだった。


「そういえば静流、羽海ちゃんの平屋の屋根を直したんだって?」


「あ、今頃聞いたの?」


「何故報告せん? いつ行ったんだ?」


「君たちがバラ園にいったとき」


「結構前だな」


「大家さんに軽トラ貸して貰って、屋根の部材を買ってきて、脚立の上で作業したよ。この前、行ったとき、きれいだったでしょ?」


「言われればそうかもしれないけど、夜だったからわからないよ」


「壊れたものを直す作業は楽しいよね。今度行ったとき、見てよ」


 どうも何かを誤魔化している気がする。今日、悠紀をライバル認定したが、相変わらず対抗馬の1番は羽海だと思う。


「羽海ちゃんのこと、好き? かわいいと思う?」


 静流はびくっと1度身体を震わせ、妙な顔をした。そのあと意を決したように真顔になると、珍しく静流の方からギュウしてきた。


「ええ、静流、どうしたの?! 嬉しいけど」


「毎日どんなにガマンしているのか、僕の頭の中を雫ちゃんに見せてあげたいよ」


 彼の腕の力の強さはそれほどでもなかったが、決して離さないとでもいうような決意が伝わってくる気がする。雫は彼の腕の中で目を閉じる。そして安心する。安心して、思い、あらためて決意する。


 大人になるまであと約7年――それまで頑張ろう、と。

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