第74話 アースダイバー 1
久しぶりに仕分けのアルバイトがあるというので、静流のいない土曜日の朝だった。母はまだ寝ているし、自分で朝食を作って食べた。朝食と言っても目玉焼きに納豆、玄米ご飯とお新香である。栄養価より食べることが重要かなと雫は思っている。
ラジオでJ-waveを聞きながら、朝の時間を過ごす。映画や展示会の情報など、行けなくてもなんとなく想像するだけでウキウキする内容が流れてくる。いや、行けないことはないのか。静流にねだればいいのだ。と思い直す。また、聴取者から送られたテーマに沿ったメッセージも読まれる。テーマが自分の生活に合っていたりすると、自分に照らし合わせたりして楽しい。本当はアプリで後で聞いてもいいのだが、それでは雫は何か損した気分になるのだ。
帰ってきたらどこかに連れて行けとせがもう。
そう考えてもう着替えを始める。雫は女児服をもう昨年のうちに卒業した。というのも少しでも静流の歳に追いつきたいし、一緒にいて雫が痛い奴だと思われないようにしてあげたかったからだ。なので服には極力、文字とラメがなく、ポップなものを避け、落ち着いた感じにしている。またはボーイッシュなものだ。
今日はミニスカートの気分だったので、紺のミニスカートに黒のスパッツ。コットンの小ぶりなフリルをつけたオレンジ色の半袖シャツにした。6月上旬でもう外は暑くなり始めている。
どこに連れて行ってもらおうかなとタブレットのMAPを開き、近所を眺める。中山競馬場、日帰り温泉、鎌ケ谷大仏――鎌ヶ谷大仏ってなんだ? こんなところに大仏ってあるのか?ストリートビューで見てみようかとちらと考えるがそれでは面白くない。静流が帰ってきてからにしようと思う。
もうちょっと離れたところには海上自衛隊の航空基地がある。館山の静流の家の前にあるのと同系列の基地だとわかり、理由もなくそれだけで親近感を覚える。ふなばしアンデルセン公園も見つけた。ただしその辺はクロスバイクにしたのなら行ける距離だ。もっと遠くに行けるのなら手賀沼や印旛沼だって夢ではないだろう。
MAPを見ているだけで楽しいのはスポーツ自転車を買う計画があるからかもしれない。早く欲しいな、と思う。
そうこうしているうち静流がバイトから帰ってきた。澪はまだ寝ていた。
「おっかえり~~静流~~!」
久しぶりに廊下を走り、玄関で靴を脱いだばかりの静流に正面から抱きつき、がっしとしがみついたまま全体重を預ける。
「久しぶりな気がする」
「自分でもそう思う」
静流は雫をしがみつかせたまま、キッチンに入り、冷蔵庫を開ける。
「力がついたな、静流」
「筋トレとバイトのお陰でだいぶ筋力が戻ってきた」
「そっか。受験勉強明けだもんな。ねえねえ、今日はどこに行く? どっか連れて行ってくれるでしょ?」
「約束があるんだ」
ピシピシッ!! と雫の脳内で何かが裂ける音がした。
「女だな、さては女だな! 羽海ちゃんだな!」
「そのニュータイプ能力は外れです」
「なんだと! 羽海ちゃん以外に外敵が存在するとは――さくらちゃんか! どんな理由をつけて静流をおびき出したんだ!?」
「なぜそこでさくらちゃんの名前が出るのか分からないけど、違います。どうして女の子だと思うんですか」
「静流の男の友達、知らん」
しがみついていると静流の顔が見えないので離れ、そっと前に回り込んでのぞき込んでみると非常に悩ましげな顔をしていた。
「否定はしないけど、別に、いるから。館山にもいるし、大学にも普通にいるから。フリーな時間はなるべく雫ちゃんたちに割いているだけだから」
「じゃあ、大学の友達か……」
どうも杞憂のようだった。
「ちがうよ。こっちでできた友達だ」
そういうと静流はにやりと笑った。
「雫ちゃんも来るかい。たぶん、つまらないと思うけど」
「つまらないと言われて行く人間はいない。しかし誰と一緒に行くのか気になるから行く」
「雫ちゃんは正直だね」
「嘘をついたり、無理に気持ちを押し殺すのはそれで誰かを守れるときだけだ」
雫は心からそう思っている。
「いい心がけだね。ちょっと食べたらもう出かける時間だから、用意して待っていて」
「ウチは準備万端だよ」
雫は少し離れて服を見せる。静流はそれでようやく格好を視認できた。何せしがみつかれていたのだから分からなくても無理はない。
「ならいいんだけど」
そして静流は納豆生卵ご飯をかき込んで、Dバッグ1つで家を出た。そしてクロスバイクにまたがり、雫が子供用自転車に乗るのを待ってくれた。
「早くスポーツ自転車を買いたい」
「美月ちゃん家次第かな」
「督促しよう」
雫はどこまで行くのか知らないが、早く自転車の性能差というハンデを克服したい。そして雫はすぐ近くの外環の交差点まで来た。外環といっても高速道路は地下で、上は国道だ。交差点に広いスペースがとられているので、小さな広場になっている。
そこでスポーツ自転車に乗って待っていたのはゆうきだった。クリーム色のゆったりしたショートパンツに淡いパステルグリーンのシャツで大変愛らしい。
「なんと高村姉! やっぱり女の子じゃないか!」
雫は声を上げて静流に抗議するが、落ち着いてと言わんばかりに頭を押さえられた。よくよく見てみるとかわいい格好ではあるが弟の悠紀の方だった。
「大瀧さん、おはようございます。静流さんも来たんですね」
「やあ。やっぱりお姉さんと似ているね。そっくりだ」
「姉と服が共用できるように選んでいるので中性的な服装になりがちなんです」
今の格好をしていたら、悠紀が男の子だと知らなければまず女の子だと思うだろう。まあ、そもそも中身がかわいいからなのだが、と雫は早とちりした自分を擁護する。
「てっきり、ゆうきちゃんだと思った」
「学校でも間違えられるから」
「それは無理ないな。で、高村弟と静流がなんで一緒にどっか行くの?」
「図書館で会ったときに考古博物館に行こうかって話になったんだ」
「そうなんです」
「ふーん」
確かにつまらなさそうだが、悠紀に静流をとられたままなのも気に入らない。
「やはりついていこう」
「すぐ着くと思うよ。外環沿いの自転車道を走ればいいだけだから」
そして静流のクロスバイクを先頭に走って行く。京成線を越えるのが大変だった以外は、整備された自転車道のお陰でスムーズに進んでいく。途中、道の駅もあったが、何か買うものがあるわけでもないのでスルーした。
そして20分程度で歴史・考古博物館の看板が見え、低いところを走っている外環から一段高い台地の斜面に考古博物館建物が見えた。
「あんな高いところが堀之内貝塚だから、あそこが陸だったんだなあ」
静流が自転車道を出たところの交差点で止まり、台地を見上げた。
「じゃあこのあたりまで海だったんですね」
「入り江だったんだろうね。この先はちょっとした山になっているからこの辺が最奥だったのかもね」
静流と悠紀は通じ合って会話をしているが、雫はまったく分からない。
「2人だけで話していないで解説してよ~~」
「うーん、だから、この辺まで海が来ていたんだ。雫ちゃんの住んでいるマンションの標高が30センチだから、堤防がなくて海面が1メートルも高ければ、どうなる?」
「単純引き算で70センチ海の中」
「この辺まで来ていたんだから1メートルどころじゃなかったんだろうけど、そういうこと」
「地球温暖化どころじゃないじゃん!」
「だから大問題なんだけど地球温暖化。分かってないよな」
「でも歴史に興味があるから僕らもそれが分かるんですよね」
悠紀の言葉に雫は考え込み、そして言った。
「大昔、海だったわけだから元の海に戻っても当たり前だろうけど、そのままここに住んでいるからには受け入れられないよな」
「しかも地球温暖化は人間の活動のせいだから、この時期の海進と比べると急速すぎて生物環境が耐えられないのが最大の問題の1つなんだよ」
「面白いな、歴史」
雫は静流が歴史好きな理由が分かった気がした。
「過去を知らないで今を知っている気になるのは現実逃避だと思う」
「知らなくても生きていけるからなのかな……」
といいつつ、雫は少しでも知れば考えてしまうことだと思う。
外環を北側に横断し、緩い坂を上って、交差点で見ていた台地の裏側に回り込み、少し低いところにある歴史博物館に着く。歴史博物館と考古博物館は別々の建物で、台地の斜面に見えていたのが考古博物館の方だ。先に歴史博物館の方に入ると、最初の展示が昭和1桁時代に書かれた市内の地図だった。この前、静流と夜に散歩に行った市川橋のたもとあたりから書かれている。
「あ、この銭湯、この前あったな」
静流がそういうとなんとなく記憶にある銭湯のコインランドリーの看板を思い出す。
「昭和3年から続いているんだ、あの銭湯」
「そうなんですか?」
「今度行ってみるとそれだけで楽しいよ」
驚く悠紀に静流は楽しげに言う。こんな顔を自分にもあまり見せたことがないと雫は少しつまらなく思った。
そして地図の中に映画撮影所を見つけ、雫は驚いた。
「こんなところで映画を撮っていたんだ!」
「当時は東京から近くてほどよく田舎で便利だったんだろうなあ」
「どんな映画が撮られたんでしょうね」
「想像力がかき立てられるね」
そして奥に行くと市内の民俗が紹介されており、中でもわらで作った大きな蛇の展示に2人は食いついていた。
「すごい。辻切りだ!」
雫が展示物の説明を読むと辻、つまり集落の入り口の交差点――この場合、道という意味らしいのだが――にこの大蛇ににらみをきかせて、悪霊を中に入れないというかなりマジカルなものらしく、今でもまだやっている地域があるとのことだった。
「社会科の授業で去年、やりました。やっていることはまるでファンタジー世界ですね」
「要するにガーゴイルだもんな」
悠紀に雫は合いの手を入れ、静流もそれに合わせる。
「プレイヤーキャラクターが悪霊魑魅魍魎妖怪幽霊の類いなら、あの大蛇にやられてしまうってこと。神様の使いなんだ」
「つい最近までそういうおまじないというかマジカルなものを日本人は普通に信じていたんだね」
雫は正直驚いていた。この科学技術が全てを支配し、ほとんどの人がスマホで繋がっているこの時代に、まだそんなマジカルな存在が共存しているとは信じられない。静流が穏やかな口調で説明する。
「うん。だからね。知らないってことは怖いことなんだよ。自分が知っていることでも、知らない人も大勢いるから、それを当たり前に知っていると思い込んではいけないし、自分には荒唐無稽に思えても、それを信じることで価値があって、だれかを不幸にするものでなければ、別にそんなマジカルなものを信じても何の問題もない」
「怖いのは『知らないこと』ですか」
「うん。まあ、それはそのうちに」
悠紀に聞かれ、静流は言葉を濁した。
その後は江戸時代の塩の作り方や街道や水路、あの、以前通った常夜灯公園なども紹介していた。あとは海苔の作り方の展示があって面白かった。
「海苔ってこうやって作っていたんですねえ」
悠紀が海苔を板に貼り付けて四角い形にしている展示に驚く。
「木更津の方じゃまだやっていた気がする」
「そうなんですね!」
悠紀に続いて今度は雫が声を上げてしまった。
「あ、市川・船橋戦争と甲大神社も紹介されてる」
「本当だね。よく覚えているね。ああ、やっぱり平将門と関係がありそうなんだなあ」
雫が以前、散歩したときに自分が話をしたことを覚えていることが分かったからか、静流は嬉しそうに笑った。
「僕はここで初めて知りましたけどどうして雫さんは知っているんですか?」
「静流と一緒に散歩して教えて貰った」
「そっか。いいなあ」
「悠紀くんとはまた自転車で回るかもしれない。雫ちゃんの自転車を新調したら考えよう」
ゆっくり見てもよかったのだろうが、静流と悠紀の興味は次のもう一棟の建物、考古博物館に向かっていたので、雫たちは早足で通り抜けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます