第73話 図書館の友人
授業が早く終わる日にはよく、静流は市の中央図書館に行く。大学の図書館で本を借りることもあるが、借りたい本が貸し出し禁止のこともある。在学資格で借りられる区立図書館で借りることもあるが、なんとなく静流は市の図書館を利用している。返却が楽だというのも1つの理由だ。駅の近くの市の施設にブックポストがある。
今日は休講になり、いつもより早く図書館に着いた。そして民俗学の本棚の前で見たことがある少年とでくわした。
「えーっと、ゆうきさんの弟さん」
「高村悠紀です。えーっと」
「大瀧です」
「姉のライバルの大坂さんのお友達の従兄さん」
「そう言われると遠いね」
「京成バラ園、ご一緒できなくて残念でした」
「僕はそうでもないよ。バラにはあんまり興味なかったし」
「そうなんですか」
平日の夕方なので人は比較的少ないが、それでも話をしていると通りがかりの利用者にちらちらと視線を向けられる。
「ちょっとお話ししない?」
「いいんですか?」
「昔を思い出したんだ」
悠紀は小さく首を傾げたが、静流の後をついて、外のベンチまできて座った。
「君は小5だっけ。ウチの雫と同い年だよね」
「はい」
「それなのに一般書架にきて本を探すなんてすごいと思うよ」
「怪しい話が好きなんです。巨石信仰とかストーンヘンジとか。分からないことがまだまだいっぱいあるっていうのが漠然とわくわくして……」
悠紀の瞳は少年の輝きを抱いている。
「わかるよ。僕もそんな小学生だったから」
「凄いですよね。三輪山にいってみたくて。たぶん、1600年はずっとあの山で信仰が続いているっていうのがもうロマンとしかいいようがない」
小5とは思えない知識だ。三輪山というのは奈良の三輪山のことだろう。古代にヤマト王権が奈良を本拠地としたときから祭祀が行われている。
「箸墓古墳が3世紀なら1700年だね」
「どういうことですか?」
「古事記にでてくる倭迹迹日百襲姫命の墳墓っていう説があって、三輪山にある大神神社のご祭神は大物主神で、倭迹迹日百襲姫命はその妻だから」
「うわあ。大神神社だけ調べてもだめなんだ」
「今はとにかく知識を吸収するといいよ。あとであれはこういうことだったんだって知識がつながっていくの、とっても楽しいから」
「はい」
少年の笑顔はまぶしい。
「三輪山に行って、当時からあるストーンサークルを見てみたいです」
「三輪山内は撮影禁止だからね。ネットにも転がってない。でも昔の本、しかも大神神社の宮司をされた方が書いた本の初版にはそのストーンサークルというか磐座の写真が載っている」
「行かなくても見られるんですね。でも初版?」
「僕、持ってるよ。館山に置きっぱなしだけど」
「残念」
「帰省したら持ってきて貸してあげるよ」
「わあ、嬉しい! 大瀧さんは本当にお詳しいんですね」
「まあ専門だからね。史学専攻だし」
「そうなんですね。好きなことを勉強するのは時間が足りませんよね」
「それだけじゃダメだよ」
「朝、姉と一緒に走っていますよ。大坂さんとも」
「そうだってね。三輪山が神奈備山って言われているのは知っているよね」
「はい。山の字にもとになったようなきれいな形の山ですよね」
「あれに興味があるなら館山はオススメだよ。館山開拓時代、たぶん3世紀とか4世紀にヤマト王権がきた頃、神奈備山にした山が今も伝説とともにあるから」
「そうなんですか。同じ千葉なのに知らなかった」
「とはいえ奈良も行きたいよね」
「行きたいです」
「吉備もいきたいなあ」
「北九州もいきたいです」
年齢差関係なく、歴史オタクの会話になる。
「何が言いたいかというと、本を読んでいるだけでなく現地を見ることも刺激になるってこと。本だけ、ネットだけじゃ足りないよね」
「ストリートビューは便利ですけど」
「いやまったくその通りだ。僕もよく使うよ」
「この前みたいに中断されないのが安心ですね」
「まったくだ。あのときは確か、雫とさくらちゃんと美月ちゃんが――」
そこまで言って失言を悟る静流であった。彼は美月をデートに誘い、うまく誘い出せたが京成バラ園ではうまく行かず、美月はその後に現れた蒼に初恋を捧げてしまったのだ。その後、どうなったか知らないが。一緒に河川敷で歌ったらしいが、難航中なのは間違いないだろう。
「そのご様子だと聞いてますね」
「いや、すまない」
「いいんです。かわいい女の子に声をかけられて舞い上がっていただけなので――」
「美月ちゃん、かわいいもんね」
「すごい好みのタイプで。でもぜんぜん相手にされませんでした」
「そんなこともあるさ。僕なんか未だに彼女ができたことがない」
雫は心の恋人である。それを明言することは社会的に抹殺されることを意味する。考えてみれば雫がいなかったら澪が――いや、そうしたら下宿がないからそれもなくて、羽海ちゃんにも会っていなくて、結局モテないままだったわけだ。
「そうなんですか? 雫さんに大いに好かれているじゃないですか」
あまり自分たちを見たことがない人間でもすぐに分かるものらしい。
「雫ちゃんが大きくなるまで僕のことを好きでいてくれる保証がない」
「そうですよね。大学生が小学生に好かれても……せめて高校生くらいにならないと厳しいですよね」
「うん……」
改めて言われると凹む。
「でも那古屋さん、あのギターを弾いていた人に憧れ目線がすごかったです。やっぱり5年生の女の子だと年上が好きになるんでしょうか」
「どうなんだろうね。人が人を好きになるのは年齢よりその人だと思うから。ある程度の年齢がないと得られない資質の有無があるからそこじゃないかな」
「頼りがいとか?」
「使い勝手とか」
これは羽海のことだ。あと、亡くなった旦那さんの代わりとか言いそうになる。そっちの方は口に出来ないが。
「でも大瀧さんはどうして今日、僕と話をしようと思ったんですか?」
素直な目を向けられるとなんでも話したくなるものだと静流は思う。
「そうだねえ。僕にも君くらいの頃、近くに変な大人がいたのさ。すなふきんさんっていう、野宿人」
「野宿ですか」
「ぶらっと館山に来て、いろんなところにいって、僕もついていって、ガスストーブで袋ラーメン作って食べたり、米炊いたり、テント張ったり無人駅で寝たり――僕はそれはそのときしていないけど。その人の影響が大きいんだ。子供の僕に面白い話をしてくれたり、いろんなところに導いたり、でも自分のことは自分で責任をとらせようとしたり。変な大人だった」
「スナフキンなだけに」
スナフキンは説明不要かもしれないが、児童文学のムーミンシリーズに出てくるテント暮らしの人間で、いつもムーミンに助言をして導く役柄だ。釣り糸を垂れているシーンが有名かもしれない。
「本人はすなふきんってひらがなだって言っていたけどね。土日とか連休にしかいなかったから、普段は社会人だったんだろうね」
「へえ。それで、変な大人なところを見せたいってことですか」
「まあ、自覚はあるよ。人から貰ったものは人にあげることで消えずに繋がっていくからね。君のすなふきんさんに僕がなれるとは言えないけど、そんな大人を見つけるといいと思うな」
「そんな大人、ですか。姉には師範代がいますね」
「空手のお師匠さんだね」
「ええ。でも誰にでもそんな大人がいる訳じゃないでしょう」
「いた方がいいんじゃないかなって話」
「じゃあ、やっぱり大瀧さんが僕のすなふきんさん候補ってことで」
悠紀はにっこり笑った。
「あれほどのことができる自信がない」
「それは受け取る人によるのでは? 僕には分かりませんが」
「それはそう」
「なにかイベントの時は声をかけてください。行きますよ」
「お姉さん経由で話が来るとは思うけど」
静流はスマホを出した。
「何か質問でもあったら気軽にね」
「ご丁寧にありがとうございます」
連絡先を交換し、悠紀はまたまた笑顔になった。
「こんな女の子と見間違うような美少年に興味がないなんて、美月ちゃんもどうかしているなあ」
「頼りなく見えるんですよ、僕、きっと」
悠紀は寂しそうに呟く。
「いつかいいことあるさ。それまで自分を磨けばいい」
「はい!」
いい返事だった。では自分が磨いているのかと言われると怪しい。しかし自分が面白く思う事柄をこなすだけでも、自分の世界を広げている自覚はある。以前の自分だったらほとんど面識がないに等しい悠紀に用もないのに話しかけることなどなかっただろう。これはここ数ヶ月の、主に雫の影響に違いなかった。
そして図書館に戻り、少し書架を歩いて、悠紀と別れた。
館山から出てきて、休みの日にどこか行くような友人が初めてできたことに気づき、静流は自分に呆れた。恋人が小学生なら、こっちで初めてできた友人も小学生だ。自分の精神年齢が幼いと言うことだろうか。
いや、そうではない。あの夏にすなふきんさんが自分を1人の人間として扱ってくれたように、小学生であっても一個の人格を大切にしたいと日々考えているからだと思う。恋人と友人が小学生なのはたまたまだ。この先、桃華ちゃんのお父さんだって友人になれるかもしれない。彼は静流より1周り以上年上だろう。そんな幅広い年齢層で友人が作れるというのは、学校という小さな社会にとらわれていないからだと思う。そう思いたい。
帰ったら雫に悠紀くんと友だちになったことを報告しようと静流は思う。そして美月のことはもうそんなに気にしていなかったことも伝えよう。男ならかわいい子に一時的に舞い上がることなんてよくあることだ。そしてその程度で済ませておけば、美月の蒼への思いがひと段落したときに、また悠紀に機会が巡ってくるかもしれない。人生は考えようだ。
久しぶりにすなふきんさんに会いたくなってきた。最後に偶然会ったのが、高校1年生のときだったから、もう3年も会っていない。もう野宿旅はしていないのだろうか。病気などしていないだろうか。少し心配になる。
それでもまたふらっと彼が自分の前に現れる気がして、静流は勝手に安心する。そうしたら話をすることは山ほどある。でも、何から話せばいいのか分からない。
ふふふ。いいんだよ、順番なんて。君が話したいことから話せばいいんだ。
そう言ってくれたすなふきんさんの言葉を思い出し、本当にそうだな、と静流は思ったのだった。
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