第72話 その頃の静流

 雫がいない休日は桃華たちと雫が遊びに行って以来なので、ちょっと久しぶりだった。


 二度寝した後、雫の部屋のロフトベッドから降りて、歯を磨こうとして洗面所に行くと浴室の明かりが点っていた。寝起きで思考が停止していたので、静流はそこで数秒立ち止まり、浴室の扉が開いてもまた思考は止まっていた。


「あれ、ついに事故を起こしてしまったか」


 全裸の澪がバスタオルをとってさっと浴室に戻り、扉を閉めた。


 澪は極めて冷静だった。


 白い裸身が静流の脳裏に一瞬にして焼き付いた。30代にはとても見えないし、経産婦にも見えない素晴らしいボディラインだった。そのことは水着姿で知っていたし、想像もしていたのだが、想像を上回っていた。おっぱいは大きいし、その先端もぷっくりかつピンク色で上を向いていた。下は黒々としていたので分からないが、ウェストはきゅっと絞まっていた。想定外の事故に、静流は更に数秒止まった後、洗面所を後にした。


 興奮が冷めることはなく、頭の中で澪の裸身がぐるぐると回っていた。


 リビングに部屋着に着替えた澪がやってきて静流は立ち上がり、頭を下げた。


「失礼しました?」


「見えた?」


「――見ました」


「どうだった?」


「きれいでした」


「言ったとおり、垂れてなかったでしょ?」


 澪は嬉しそうに微笑んだ。


「は、はい」


「使えそう?」


 おかずにという意味だと静流は捉えた。


「――一生」


「あら、想定外にランキングが高かった」


 澪は口元に手を当てて笑った。


「まだ大きいのね」


 澪は股間を見る。部屋着の澪を見ただけでこれだ。隠しようがない。


「すみません」


「私は嬉しいんだよ。自分で済ませてもいいし、もちろん、私が全部使って手伝ってあげてもいいんだから。ただ任せてくれればいいの。何度も言っているでしょう?」


 とは言っても澪は悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「い、いや、それはガマンします」


「頑固ねえ――からかっているわけじゃないんだけど」


「それでも、やってもらったら毎日お願いしてしまうかもしれないし、そうしたら雫ちゃんの前でどんな顔をしたらいいのか分からないので、ガマンします」


「そっか。せめて追加のおかずを提供しようかとも思ったけどやめておくか」


 静流は安堵する。しかし澪は表情を一変させる。


「まさかあの娘と出来てないよね?」


「それはないです」


「よかった。まあ、昨日、話した限りではないとは思いましたけど」


「羽海ちゃんと澪さん、仲良いですよね」


「自然とね。雫は美月ちゃんのお付き合いだったね。今頃、河川敷か」


 澪はカウンターの椅子に腰掛けた。


「美月ちゃん、上手く話ができているかな」


「初恋かあ。いいよね」


 澪はそう言って冷蔵庫から缶の炭酸水を取り出し、プルトップを開ける。


「飲み過ぎた」


「楽しそうで何よりです」


「結局、静流くんがいなくなった後はスナック菓子で呑んでた」


「食べ過ぎですよ」


「今週はいろいろ摂取を控えようと思う」


 そして炭酸水を一口、口に含んだ。


「それがいいです」


 昼食は澪のリクエストを聞こうと思う。


「大学はどうなの? あまり話を聞かないけれど、専攻で友達できた?」


「それなりに。昼飯を食いに行くこととかありますよ。でも休みの日に遊びに行くと

かはないですね。こっちの家の用事が優先なので」


「そんなに気を遣うことないんだよ。大学も1度きりなんだから」


 澪が困った顔をする。


「うーん、でも、こっちがそれなりに忙しいので。楽しいですし」


「それならいいんだけど、いい子で終わってしまっても、その後に伸びないかもしれないから、心配なんだよ」


 澪は本当に心配そうな顔をしている。


「いえ。お陰でいろいろな体験ができていますよ。地に足がついた体験、かな。自分の責任を持てる範囲で頑張れている気がします」


「なるほど。私の誘惑に乗らないのは自分の責任の持てる範囲を超えているからだね」


「そうとも言えます」


「でもまた時間はあるし、ゆっくり誘惑するよ」


 澪は小さくウインクした。本当に魅力的な人だ。ウインクなんて練習しないとなかなか出来ないだろう。


「雫ちゃんが今も塩対応だったらとっぷり澪さんに溺れていたんでしょうけどね」


「その前にその場合、この下宿話自体が持ち上がらなかったかもしれない」


「確かに」


「じゃあまたマッサージをお願いしようかな」


「ええっ! この状態でですか?」


 それでは治まるものも治まらない。


「そう、その状態で」


 生き地獄だ。拷問だ。


 澪はヨガマットを持ってきて広げ、うつ伏せになる。


「肩こっちゃってさ」


「ちゃんと効いていたら言ってくださいね。痛いときも」


「痛いのはもうみんなどこもかしこも痛い」


「末期だ」


 以前、マッサージをせがまれた後、なんとなくマッサージのやり方は調べた。ゆっくり圧をかけてゆっくり圧を緩めるのが基本らしい。華奢な澪の身体をマッサージしていては、下半身が治まる気配はもう皆無だ。やわらかいしいい匂いがする。フェロモンなのだろうか。好ましい異性の匂いは抗えないものがあると聞くがまさにそうだと思う。


 それでも頑張ってマッサージを続けると時折痛がりながらも澪はまあいいかという。ただ特に痛がるのがふくらはぎで、柔らかい部分を摘まんでマッサージすると激痛が走るらしく、澪はぐわああと恐ろしい悲鳴を上げた。


「も、もうだめ」


「日頃の不摂生が祟っていますな」


「ただいま~」


 雫が帰ってきて、静流はどうしたものかと悩む。大きくなっているところをまた雫に見られたくない。


「あ~ お母さん、また静流をこき使ってる」


「あんたほどではないけど」


「うーむ。否定できない」


「あんまり静流くんこき使うのも悪いから、交代してくれる?」


「うん」


 澪は気を遣ってくれたのだろう。静流はすぐに交代し、気がつかれる前に自分の部屋に戻り、正座して気持ちを落ち着ける。そうすれば時間があとは解決してくれる。


 禅だ、禅の心だと次から次へと浮かんでくる煩悩を余所に追い払う。


 どうにか落ち着き、リビングに戻ると雫はマッサージしながら、河川敷であった出来事を澪に報告しているところだった。


「音楽かあ。お母さんまったく分からないわ」


「ウチも分からないからこそ衝撃だったんだと思う」


 何かあったらしい。


「先週みたいにギターの伴奏で歌ったの?」


「みーちゃんがキーボード持ってきて演奏して、細野さんがギターを合わせて、高村姉弟とさくらちゃんが加わって大勢で歌った」


「キャンプファイヤーみたいな?」


「すごく気持ちがよかったよ」


「それでね、バーベキューをやりたいんだって」


 澪がそれを聞いて面倒くさそうな顔をする。静流もまた面倒くさいと思う。


「また難しいことを言う。いちいち道具を借りるのももったいないし、館山に一式あるから夏、戻ってくるときに叔父さんに持ってきて貰おう」


「じゃあ、夏休みだね」


「ちょうど季節だし、いいでしょう?」


「楽しみだなあ」


「雫ちゃんも下ごしらえを手伝うんだよ」


「もちろんだよ――いや、こういうの得意な人と最近知り合った気がする」


「桃華ちゃんのお父さんだ」


「道具一式持ってそう――」


 静流は桃華のお父さんに連絡を入れて待ちの態勢に入る。


「道具を持っていてもご家庭の分できればいい想定で買っているだろうから、その人数を捌けるとは限らないけどね」


「えーっと、桃華ちゃんでしょ、桃華ちゃんのお父さんでしょう……」


 雫は指折り数える。


「余裕で10人超えた!」


「方法は考えないとなあ」


 返事はすぐに返ってきて、具体的に日程調整をしてもいいですよということになった。日程調整も何も場所も決まっていない。調べてみると防災公園でバーベキューができるところは人数制限があり、抽選らしく、それならば河川敷の火気可能エリアでやったほうが制限がなくていいのではと思われた。桃華ちゃんのお父さんからも同じような返事が来た。大まかなところは任せた方が良さそうだ。


 つむぎたちには期末テストも受験勉強もあるし、あまり支障がない日時を設定したいところだ。急いでやらなくてはならないイベントでもない。しっかり計画を立てようということで、やりとりは終わった。


「どうだった?」


「しっかり計画を立てようということになった。河川敷でできるみたいだから」


「好都合じゃん」


「日差しが暑くない時間帯にしたいね」


 澪が言うのはもっともだ。何せ日焼けはお肌の大敵である。


 いろいろ計画があるが、今回の難易度は高そうだ。


 頑張って楽しんでいこうと静流は思った。

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