第71話 美月の初恋 4

 美月と瑠璃の『風になる』が終わると見物客らは動き出した。雫は何も考えずに自然に拍手を送っていた。


「すごいすごい! 感動した。背筋に電気が走った!」


「大瀧さん、ありがとう」


 美月が照れくさそうに階段に座る雫を振り返った。


「ストレートに褒められると照れるなあ」


 瑠璃も照れ照れしていた。かわいい人だが照れると更にかわいい。そして蒼を振り返った。


「どう思う?」


「うん。入りと間奏はお任せかな。間奏で僕がソロをできればいいんだけどそれはまた別の話だ」


 蒼は頷いてギターを構えた。


「じゃあ、3回目行こうか」


「ちょっと休みます。ブランクがあるのできつい――」


「ごめんごめん。じゃあ休憩しようか」


 蒼がベンチに座る。美月の隣だ。蒼の隣に瑠璃が座り、蒼は両隣に美少女2人の両手に花の状態になる。


「カフェオレ飲む?」


 蒼が保温ボトルと紙コップを取り出し、美月は驚く。


「いつも用意していたりするんですか?」


「基本、毎日。今日はたまたまカフェオレ」


「マメすぎてプレッシャーを感じるくらい」


 瑠璃が小さくため息をつくと蒼が困った顔をした。


「それは知らなかった」


「そんな自然体なのも蒼くんでしょう」


 美月は蒼からカフェオレが入った紙コップを受け取り、雫も立ち上がって受け取りに行く。甘いミルクの香りがほどよかった。甘さも控えめでコーヒーの味がくっきりしている。美月が嬉しそうに言う。


「美味しいです」


「ホント、静流と被るなぁ。ミントティーとかも作ったりするんでしょう?」


 雫が聞くと瑠璃が代わりに答えた。


「ミントのヨーグルトソースとかも作ったりして、美味しいんだよ」


「それ、この前、静流さんが作ったのを食べました」


 美月がいうと雫が補足する。


「ちゃんとみーちゃんも手伝ったじゃん」


「混ぜただけだよ」


「ふふ、仲良いのね」


 瑠璃は嬉しそうな顔をする。


「つむぎと私もこんな風に見えるのかな」


「そうだね。こんな感じだね」


「私、友達が少なくって、仲良いの、あこがれちゃう」


 瑠璃が笑うと本当にかわいい。雫は聞く。


「意外だなあ。クリスタルさん、美人なのに」


「我が強いから。同調圧力嫌いなの」


「大変そうですね」


 美月が頷く。さくらを含めて3人とも同調圧力が嫌いだ。


「あ、そうだ。おにぎり持ってきたんですけど食べます?」


 雫はタッパーを取り出す。


「喜んでいただくよ」


 蒼がそういうので雫は美月にタッパ-を渡す。タッパーを蒼に見せ、蒼はおにぎりを1つとり、脇から瑠璃がとっていく。


「美味しい。肉が入っている。甘い~」


 瑠璃が笑顔になる。蒼がおにぎりをモグモグしながら分析する。


「豚の角煮だ。シンプルな味付けだな。手作り?」


「豚の角煮は静流の手作りです」


「従兄さんすごいなあ」


 蒼は心から感心している様子だった。


「外で食べるの気持ちいいね」


 美月が立ったままの雫に言う。雫は拳を握ってかざす。


「そのうち、バーベキューやりたい」 


「そのときは誘ってね。きちんと手伝うから」


 蒼が笑った。美月がぐっと雫に視線を向け、雫は親指を上げて応えた。


 おにぎりを食べ終えて、少しして3回目をやろうという話になる。キーボードのリズムパターンを使うことにして、美月は8ビートにリズムパターンを合わせて、演奏を開始する。瑠璃の歌声がキーボードのメロディに乗り、同時に蒼のコード演奏が被る。初回にしてはいい感じだ。


 順調に演奏は進行していき、間奏はキーボードだけ。そして歌詞の始まりに合わせてまたギターのコード演奏が始まる。無難な合わせ方なのかもしれない。


 また堤防の上では立ち止まる人たちが現れ、今度は動画を撮る人もいた。爽やかな初夏の河川敷で始まった突然のセッションは居合わせた人の足を止めるだけの力を持っていた。


 演奏が終わると、1度も失敗せずに済んだ美月はどっと疲れたようで、がっくりと項垂れていた。


「もうだめですわ。集中力がもちません」


「こればっかりは練習しないと取り戻せないのかな。お疲れ様でした」


 蒼がやってきてコスプレイベントのときと同じように美月の頭をポンポンする。そして今度は抜かりなく瑠璃の頭もポンポンする。瑠璃は満足げだ。


「おーい、来たぞ!」


 堤防の上からさくらの声がした。ゆうきと悠紀も一緒で、階段を駆け下りてくる。


「大坂さん、高村さん」


「遅いぞさくらちゃん。ゆうきちゃんたちも一緒だったんだね」


「うん。上から見ていたよ。すごくよかった」


 悠紀が美月にいうと、蒼と瑠璃はほんわかした顔をする。


「どうもありがとうございますです」


 しかし美月は悠紀には塩対応だった。悠紀は想定内らしく、さほど気にしていない。世の中は上手くいかないものなのだ。


「えーと、3人は初めましてですよね」


 雫が紹介しようとするとさくらがいった。


「ちなみにお2人の存在はもちろん知ってます。毎朝イチャイチャしてるのは目立つんだ」


 イチャイチャしていると言われて蒼はそっぽを向き、瑠璃は喜ぶ。


「そう見える? そう見える? 嬉しいな」


 ちょっと美月には辛い感じのリアクションだ。


「坂本です。こっちは細野くん」


「初めまして大坂です」


「大坂さんのトレーニング仲間の高村です。こっちは弟」


「初めまして。従妹ちゃんのお友達はいっぱいいるんだね」


 蒼が感心したように言う。さくらは蒼を見上げる。


「雫からは河川敷で歌うって聞いた。今日も歌うのか?」


「ご要望とあらば」


 そしてギターをじゃーんとかき鳴らした。 キーボードのリズムパターンだけ使って、蒼のコード演奏で歌い始める。最初はみんな知っている『勇気100%』。次に『翼をください』。そして『君を乗せて』と戻って『風になる』の4曲を続けて歌った。


「やばい、楽しいぞ、これ」


 さくらは自分に驚いていた。ゆうきもちょっと驚いていた。


「カラオケじゃなくても歌えるんだなあ」


「新鮮です。楽器はなにもできないから憧れます。アコースティックギターっていいですね。電源いらないのにこんなに音が出るんだ」


 悠紀が蒼と美月を見て感心する。


「わかるわ」


 雫が悠紀に同意する。


「歌はそれこそ世界中にあるから、人間が地球に広がる前からきっとあるんだよ。それが今まで続いているんだからとても人間には大切なものなんだ」


 蒼が解説するのを聞くと雫はやはり蒼と静流はキャラが被る気がする。好きなものの方向性は違うがやはり似たもの同士のようにしか思えない。蒼が美月に言った。


「また今度、一緒にやろうね」


「あ、あの、それなら連絡先を交換してください!」


 美月は勇気を出して言ったのだろう。俯いてスマホを差し出した。


「うん、いいよ。坂本さんとグループを作ろう」


 蒼がスマホを取り出し、美月と連絡先を交換し、すぐに瑠璃のスマホも鳴った。


「僕らは受験生だからそんなに時間はとれないけど、機会を作るよ」


「うん。練習を続けようね」


 瑠璃も美月に言った。美月に対する警戒心はやや薄れたように雫には思われた。


 小学生たちは2人に別れを告げ、階段を上る。キャリーカートをを持ち上げるのは男の役目とばかりにここは悠紀が頑張った。家の方向が違うので堤防の上で高村姉弟と別れる。


「悠紀くん、キーボード持ってくれてありがとう」


「どういたしまして」


 美月に礼を言われたので悠紀も来た甲斐があったとばかりに喜んでいた。


 別々の方向に歩き出してから雫は美月に言った。


「みーちゃん、えらい」


「労力を労っただけです」


「いやいや。美月には男を狂わす才能があるのかもだよ」


「そこまで言われます?」


 美月はふくれる。


「でも今回、みーちゃん、めっちゃ頑張った。まさか連絡先の交換までこぎつけるとは思いもしなかったよ」


 雫は本当に感心する。美月は恥ずかしそうに照れて俯いた。


「自分なりにがんばったんです」


「あれが美月の初恋の人か。思ったより柔な感じだな」


 さくらが素直な感想を述べ、美月が過剰に反応する。


「初恋?! ああ、初恋。はつこい……」


 美月は俯いたまま、今度は考え込み、ついに足を止めた。


「頭ポンポンされて嬉しくって、いつもその人のことばかり考えて、笑顔を思い出すとドキドキして、また会いたくなって、何を話そうか考えてしまって眠れなくなってしまう、というのが恋ですか!?」


 美月は顔をあげて振り返ったさくらと雫を見た。雫はさくらと呼吸を合わせた訳ではないのだが、同時に頷いた。


「まさか気がついていなかったとは」


「美月の場合、いつも理詰めで考えるから、こういう感情先行型のパターンになれていないんだろうな」


 さくらが冷静に分析し、美月はその場にうずくまる。


「私、初恋と同時に失恋ですか!」


「美月、思ったより冷静だな」


「みーちゃん。そんな悲観しないで。さくらちゃんを見習えばいいんだよ。何度失恋してもめげないんだから」


「――もっと素敵な初恋を夢見ていたのに」


 さすがマンガ好きの美月の発言である。乙女チックだ。


「十分、素敵な初恋だと思うけどな。あたしと比べれば」


「さくらちゃんの初恋っていつだったの?」


「年長組のときの男の子だな。今頃、何しているんだろ」


「意外と前だった。そして普通」


「それにさ、まだ会う機会があるんだからゆっくり気持ちを整理すればいいんだよ。後悔しないようにね」


「さすが達人」


「雫に言われると腹立つな。それなら静流お兄さんよこせよ」


「お断りです」


「でも静流お兄さんが好きと思うことで安定してる自分がいる。ちょっと驚き」


「さくらちゃんがいうことはよく分からないな」


 自転車や歩行者の邪魔にならないように堤防の上の道の端に雫とさくらは移動する。美月はまだうずくまったままだ。


「私――どうしよう」


「どうするもなにも、細野さんからは小学生としか見られていないし、あんな素敵な彼女さんいるし」


 雫は端的に言い切ってしまう。


「そんなの分かってるよ。でも、心が落ち着かない」


「寝なさい」


 さくらが美月に言う。


「睡眠が全てを解決する。脳が休まるし、いい脳内物質がでてストレスが減るらしいぞ。受け売りだけど」


「――そうする。何も考えたくない」


 想像もしたくないが、静流に彼女がもしいたらと思うとこうなっていたに違いない。今はそっとしておいてあげようと思う。


 美月はようやく歩き出し、堤防から降りて別れる。美月の足取りは本当にトボトボという表現がぴったりだった。初恋に気がついてこの様子では失恋で落ち込み激しいと思われた。


「なんか上がることしてあげよう」


「賛成だ。ホントにバーベキューでもするか」


 さくらが雫に期待の眼差しを向ける。


「ウチ、田舎でしかしたことないよ」


「あたしもキャンプでしかしたことがない」


 ちょっと考えて、何か思いついたら連絡すると言ってさくらとも別れた。


 雫は落ち込む美月をなんとかしてあげたいと思いつつ、家路を辿ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る