第75話 アースダイバー 2
どのくらい悠紀と雫に伝わっているのか、静流は少々不安になりながらも歴史博物館を後にした。特に雫は何も考えずについてきてしまったと思われるので、これで博物館嫌いにならないといいなと思う。館山からこっちに来たばかりの静流にはこの博物館は初来館なので興味深く見ることができた。特に辻切りを知ることができたのは興味深かった。
この世に魔法は存在するのだ。実際に効力を発揮しているのか分からなくても、災いの方も同じように人間には感知することができない。だから機能していると思えば、機能するし、あった方がいいと思えば、それだけで存在する価値がある魔法が現代まで残っている。昔の日本にはそんな魔法がもっともっと溢れていたのだろうかと想像するだけで楽しい気がした。
子供たちの世界にはまだ魔法は残っている。消しゴムのおまじないやミサンガのおまじないなど、数限りなくあるだろう。そのどれもが他愛ないものかもしれないが、学校という小さな閉鎖社会の中では機能する。それは今ほど通信や交通が発達していなかった昔では、同じようなことが集落や藩などの単位で機能していたのかもしれない。
歴史博物館から坂を上って台地の上にある考古博物館に行く。その前に大きな公園があるのだが、どうやらそれが堀之内貝塚らしい。碑を見ると国指定史跡とあるから、かなり重要な遺跡だということが分かる。看板の説明書きを読まず、先に考古博物館に行く。
考古博物館に入ると正面エントランスの吹き抜けに鯨の骨格標本がぶら下がっていて、雫がくいついた。前半分しかないが、後部もあれば7、8メートルはありそうだ。
「おおお、鯨だ。大きい!」
「本当に大きいね。街中で暮らしていたら想像できない大きさだ」
そして入館手続きをして、中に入る。悠紀が案内脇に置いてあったチラシに食いつく。
「火起こし体験会ですって」
「申し込んでいこう」
「決断、早」
雫が口をあんぐりと開ける。
「静流は本当にこういうのが好きだなあ」
「こういうの普通に暮らしていたら巡り会わないし。いい機会だよ」
「いや、ウチも参加するけどさ」
雫は火起こしに興味があるのかそれともただついてきたいだけなのか今ひとつ分からない。無理しないで欲しいとは思う。体験会の申し込みをして、展示物を見て回る。1階エントランスには体験会の成果物の展示があり、毎年土器作りもしているようだ。参加してもいいかなと静流は思う。
2階に行くとまずは原始、そして縄文時代の展示だ。このエリアは縄文遺跡としては貝塚がメインらしい。
「こんなに貝をとってここ人たちが食べてたの?」
雫が素朴な疑問を口にし、悠紀が反応する。
「重要な交易の商品だったんですよね?」
「貝ばっかり食べているわけにはいかないからね。石器も手に入れないといけないし、貝の加工は主要産業で、もしかしたら日々の食料は買い入れている分もあったかもしれない。まあ、ここの遺跡だと近くにどんぐりなんかの灰汁が強い木の実を水にさらす遺構が発掘されているみたいだから、メインは自分たちでとっていただろうけどね。最近の説では貝の日干しは塩がとれない内陸の人々の塩分補給に重要な役割を果たしていたっていうのがあるんだ。日干しだからしょっぱいんだろうね。腐らないから交易にも合っていたんじゃないかな」
「交易。行商人がいたってこと?」
「有名な話ですが、石器に使う石は遠くからすごく運ばれてきたんですよね?」
「専門の行商人がいたのかどうかは興味があるなあ。多分もう絶対に分からないけど。実際には必要なものをやりとりして、徒歩圏でやりとりしていたんじゃないかな。で、隣り合ったエリアの集落とまた取引、と想像。リングみたいに交易圏が連なっていった結果、すごい距離を旅したのではと」
「ふーん。縄文人って原始人じゃないんだ」
「そもそも貝塚って産業廃棄物置き場だから。産業があるのに原始人とは言えないだろ」
「なるほど」
雫は分かったような分からない顔をする。
次のエリアは弥生時代で、この地域でも環濠遺跡が発掘されたことが詳しく展示されていた。雫は文字通り首を傾げる。
「なんでこんなにとりあげられてるの? 環濠遺跡って何? 空堀が2メートル近い深さがあるってなに?」
「敵が襲ってきたときにムラを守るためですよね」
悠紀に静流は頷く。
「弥生時代には大陸から、具体的には朝鮮半島から新しい文化が入ってきて、端的には稲作なんだけど、それと一緒に武器と戦争も入ってきた」
「物騒な時代だったんだ?」
「実際に戦死者と思われる白骨も西日本じゃ発掘されているから戦闘があったことは確か。こんな東の果てまで備えないとならなかったのはちょっと驚き。でも、当時の常識だったんじゃないかな。中国でも朝鮮半島でも戦争ばかりしている時代だもの」
「そう考えると歴史って面白いな。今につながっている」
意外なところで雫が食いつき、悠紀と一緒に静流も頷く。
次は古墳時代で、鉄器や鎧などの展示を見て、そして奈良・平安時代になる。
「この辺に国府台って地名があるからそうかなと思っていたけど、国府があったんだな」
静流は展示を見て頷かざるを得ない。
「どゆこと?」
「当時の県庁みたいな感じ」
「おお。江戸川を上ってきたんだ? 確か当時、海がメイン道路だって館山で聞いた気がする」
「今度、その話は詳しく聞かせてください」
悠紀は興味を持ったようだ。
「うん。でも途中で陸地が広がったから新しく道を開発できて、海路は廃れるんだけどね」
「陸地が広がるってどういうこと?」
「いやだって、さっき縄文時代、この辺は海だったって言ったろ? 徐々に何百年もかけて海が後退していって陸になったんだよ」
「そんな直接的に関係あったんだ?」
「何百年の期間のお話だからね?」
「地球温暖化なんて半世紀でやばいって言ってますもんね」
悠紀が話を戻したがその通りである。
「半世紀で海面が1メートル上昇したら大変なことになる。世界地図が変わる。産業も何もかも変わる」
「歴史でそれを実感できるのは大きいですね」
悠紀が歴史に興味を持つわけだと静流は思う。視野の広い子だ。
「どうなんだろうね。いろんなことを結びつけて学習できると効率も興味も広がると思うんだけどな」
「学校に聞きに来ているだけの子も多いから。自分から何かしようとか考えもしない。遊ぶことしか考えていない」
雫は思うところがあるらしい。
「遊ぶことも重要なんだけど現代は遊ぶことについては過剰だからね。どこかで線引きをしないといけないことも分かるけど、難しいよね」
「僕にとっては今日も遊びの延長ですよ。趣味ですから」
悠紀が胸を張っていい、静流も苦笑する。
「わかる。僕にとっても遊びの延長だ」
「みんなそんな風に思えればいいのにね」
そうちょっと真面目に言う雫に静流は応えざるを得ない。
「それは数学と物理のときに思った」
「大瀧さんでも真面目に勉強できない科目があったんですね」
「そりゃそうだ」
「安心しましたよ」
「ウチも安心した。家庭教師だからそんな素振りを見せないんだな」
「不安に思わせたら申し訳ないから頑張るよ」
「さすがウチの静流だ」
そういって悠紀の前でも雫は静流と腕を組んだ。
「最初からこうすればよかった」
「雫さんは本当に大瀧さんが好きなんですね」
「悠紀くんにはやらんぞ」
「それは困ったな。これから悠紀くんといろんなところを見物にいこうと考えているから。雫ちゃんも今日みたいに一緒に来るなら歴史の勉強をしないとね」
「え~~ついていくだけじゃダメ?」
「つまらないことを続けることほど辛いことはない」
「静流がいればいい――というのは恋愛脳過ぎるな。考えます」
静流は思わず笑ってしまったが、悠紀は呆れていた。
「女の子はすごいや」
「お姉さんもその女の子だよ」
「だからいつも敵わないんです」
「納得!」
雫と悠紀も笑った。
その先に4000年前の海岸線を示したパネル展示があり、やはりこの前は海だったことが分かった。そして小さいながらも資料室と閲覧机があり、今度、2人がいないときに本を読みに来ようと思った。
外に出て、堀之内貝塚公園を散策する。東西約225メートル・南北約120メートルあるという大型の馬蹄型貝塚で、東京から近いので明治時代から学術調査と称する掘削が行われていたらしい。今は公園になっており、雑木林の中に散歩道や小さな社などがあり、地元の人が多く来ているのだと思われた。住居跡が発掘された場所や大まかな貝塚の形が表示され、どこに何があるのか分かるようになってはいるが、かつてどうなっていたのか想像するのは難しい。だが大きいことだけは分かる。
「すぐ下が海だったからここに貝塚があるんだよね」
雫が聞き、静流は頷いたあと、雑木が切れて、台地から低地を眺められる場所に行く。すぐ下には外環道が見え、低い谷地を通って雫たちの家の方へと伸びている。外環道の向こうはまたすぐ台地になっており、左手にも台地が続いている。いわゆる谷津という地形である。かつて海だったが、海が後退したり、土砂の堆積によって埋められ、陸地になったところだ。
縄文時代、貝塚が作られた4000年から2500年もの長い間、ここは入り江だった。貝塚から出てきた貝を分析すると最初は干潟でとれる貝だったが、徐々に泥質にいる貝に変わったと資料にあった。つまり1500年の時間をかけて徐々に入り江が陸地、つまり谷津になったことが分かっている。
「この低いところがみんな海だったんだね」
「想像できないな」
雫の問いに、静流もそう答えるしかない。
「きれいだったんでしょうね」
悠紀は縄文の昔に思いを馳せているようだった。
「そうだね。だけど1500年かけてこんな産業廃棄物の山を作ったのと比べものにならない短い時間、かつ膨大な量で、人類は廃棄物を量産してる。これから地球はどうなるんだろう」
「それをいい方向にしていくのは大人の責任だと思う」
雫は賢いな、と静流は思う。
「そうですよね。1500年かけてやっと陸になったのに、22世紀にはまたここが海になっているかもしれない。たった100年ですよ。でもその大人は僕らでもあるわけで」
「2人とも、模範解答ありがとう」
5年生ではなかなか答えられることではないだろう。悠紀が少し考えたような顔をした後、言った。
「なんか今日はアースダイバーみたいでしたね。昔の地形とか考えて」
「うん。いや、あの本よりはこっちの方が現実に即しているぞ。博物館の資料だし」
悠紀と静流は笑う。雫は仲間はずれにされたと思ったのだろう。いかにも面白くなさげに聞いてきた。
「なに、アースダイバーって?」
「古い地形と歴史と織り交ぜつつ、考察・想像しながら散歩する、いわゆるブラタモリ風お散歩ブームの先駆けとなった本なんだ。あまり学術書でなくって、読み物かな。僕は参考文献なしに自分の意見をつらつら書き連ねるタイプの学術書風エンタメは受け付けない体質だから1回読んだくらいなんだけど」
「大瀧さんはあの本はダメですか。僕は面白かったですよ」
「あとから勉強すると元ネタをどこから拾って切り取ってきたのか分かるからいいんだけどあれだけ読んでアカデミックな本だと思われてもね」
「なるほど参考文献――元ネタをきちんと書くのは大切なことなんですね……」
「この前借りた紫陽花の本も参考文献が載っていたから今度それを参考に本を借りようと思っているから、それがないのは不親切だと思うし、元ネタを書かないと自分が調べたり考えたりしたのかどうかすらわからないから、ズルいよね」
静流は大きく頷いた。
「本当だ」
「今日は最初はどうなるかと思ったけど、結果オーライで面白かったよ」
雫は腕組みをして頷いた。
「そりゃよかった」
「いやだってさ、昔のことなんて知らなくても生きていけるじゃん?」
「そうやって考えなくて済むように国が仕向けてるからね。特に戦争の辺りから現代までの歴史。都合が悪いから」
「僕も古代ばっかり調べててもダメですかね?」
悠紀が自信なさげに言う。
「そんなことないよ。好きなことを覚える方が楽だもの。でも比較できるものを知っておくことも大切だからね」
「あ、それそれ。今には興味あるもん、ウチ」
雫は真面目な顔をして静流を見上げる。
大きな視点から言えば静流も雫と悠紀も若い世代で、重い環境負荷をどうにかしなければならない世代だ。そしてそれは決して避けられない。
「きちんと学んで、正しい選択をする、そして考えられる有権者になりたいね。まあ、僕もまだ1回も投票していないけど」
「そうなんですね」
「近々選挙がある。必ず投票する」
悠紀の言葉に静流は頷いて答えた。
「さて、この近くに業務用のスーパーがあるから、水分補給してアイスを食べて帰ろう。おごるよ」
「やったー!」
「ありがとうございます!」
そして静流は2人を伴って、大昔の産業廃棄物場をあとにしたのだった。
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