第68話 美月の初恋 2
これまで学校に行くのに気が重くなるなんてことがなかった雫だ。いろいろなトラブルが今まであったし、イヤだと思ったことも何度もあった。しかし気が重くなるのは初めての体験だ。どよーんとした気分で誰もいない教室に行き、机にうつ伏せになる。いや、別に自分は気が重くならなくてもいいのだ。きっと大変なのは美月だから。
クラスメイトが登校してきて、美月より先にさくらが教室に入ってきた。
「どうした雫?」
雫はさくらに声をかけられてようやく面を上げた。
「うん。じつは」
かくかくじかじかと雫はコスプレイベントと日曜の朝の件を包み隠さず話す。
「圧倒的不利。そして悠紀くんも圧倒的不利だ」
さくらは雫から話を聞き、愕然とする。
「不利というか両方とも始まってないよね」
「うーん。そもそも美月はその人のこと、好きなのかな?」
「え?」
確かに確認はしていない。しかし雫の経験的には確定だ。
「おはよう!」
美月は大きな声で2人にあいさつをした。美月の笑顔は輝いている。雫とさくらは挨拶を返したものの、微妙な笑顔を向けざるを得なかった。
「――どうしたの2人とも」
「そんなことないよ。寝不足だっただけ」
雫は露骨に嘘をつく。
「私に隠れて2人でネット対戦でもしてたの?」
「いや、別々に」
さくらが首を横に振る。
「ふーん。大瀧さん、土曜日はありがとう。とっても楽しかったね」
「うん。疲れたけど、疲れた甲斐があった」
「大坂さんに写真見せた?」
雫が首を横に振ると美月が自分のスマホでコスプレ写真を見せる。
「すごい、完成度高いね。雫と美月で交代したって聞いたけど、見分け付かないな。この白い人、かわいい。黒い人もボーイッシュで格好いい」
さくらは美月の求めそうなコメントを言ってくれた。キャラの名前を知らないのは世代が違うからだ。3キャラともオールスターズでしか見たことがない。
「すごいでしょう? 大坂さんにも見て欲しかったな。」
「お金かかるんじゃちょっと」
「そうだよね。それも分かる」
「市のイベントだって聞いたけど成功だったのかな。成功だったらまたやるのかな」
「やって欲しいね」
美月は大きく頷くと予鈴が鳴り、それぞれ席に座った。美月はあまりにも楽しそうにしていたから、いい思い出はいい思い出としてそっとしておいた方がいい気がして、もう美月の方から話を振られたときだけ、話をしようと雫は思った。
放課後になり、雫はさくらと美月と一緒に帰る。途中から1人になるが、それまではいろいろな話をする。今日の話題は美月がふるコスプレの話題だ。
「つむぎさんと盛り上がって、あと1回くらいはやりたいねってことになって……つむぎさん受験生だから」
「これが中学時代最後のコスプレだって言っていたのになあ」
つむぎがそんなことを言っていたような気がして雫はそう応えた。
「だから邪魔しないようにしようと思う。うん」
「それがいい。美月も受験生の立場だったらそうなるだろう?」
さくらも事情を分かっているだけに言葉を選んでいるようだ。
「あーあ。それなら大坂さんにも来て欲しかったな」
「ごめん。そこまで考えていなかったから」
「マジカル・ジェダイトがとっても格好良かったの。見て欲しかったな、ね!」
美月が雫に話を振るが想定内だ。
「マジカル・クリスタルだってすごい完成度だったよ」
「うん。でも、マジカル・ジェダイトの中の人が優しくて格好良かったから。どう育ったらこの辺にいるお子ちゃま男子が、あんな男の人になるのかなあ。素敵だったなあ。ああ。つむぎさんに頼んだらもう1度会えないかな」
今まで見たことがない夢見る乙女の表情を浮かべる美月に、朝の河川敷の話をすべきか迷う。迷い、雫は梅干しを食べたような酸っぱい顔をしてしまう。ぐっ、と堪えるが。
「どういうリアクション?」
「ほっぺ噛んだ」
雫は誤魔化し、さくらも応じる。
「痛いよな~」
そして分かれ道に来て、美月は笑顔で別れる。ここでさくらともお別れだ。雫も笑顔でまた明日と言い、メチャクチャ気が重くなりつつ帰宅する。洗濯物を取り込み、夕ご飯の準備をして、静流が帰ってくるのを待つ。
「ウチ、言うべきなのかな……」
河川敷で蒼と再会しても、きっとショックを受けるに違いない。瑠璃と蒼はお似合いだ。しかしつきあっていないなんて聞いていたから、ほんの少しでも希望を持ってしまっているかもしれない。友達に傷ついて欲しくない。だが、自分は美月が知らない情報を知っている。だから気が重いのだ。つむぎもおそらく情報を伝えることはないだろう。
静流が帰ってきて、明かりを点けた。もう室内は暗かったが、考え込んでいたため気にならなかった。
「どうしたの、暗いままにして」
「ウチ、細野さんと坂本さんと日曜日に会った話、みーちゃんにしなかった。すべきだったのかな」
静流はうーんと腕組みをして考えてから答えた。
「雫ちゃんは美月ちゃんが細野くんに再会したら、きっと傷つくと思って話さなかったんだよね。なら、それは正解」
「ホントに?」
「でも、話していても正解」
「どうして?」
「話したとしても実際に会いに行くかどうか決めるのは美月ちゃん本人だから、それも正解。後悔しないようにしてあげたいと思うなら、今からでも教えればいい。会わなければ傷つかずに済むのだからと話さないのも、傷つかないのなら正解。雫ちゃんが美月ちゃんの立場だったら、どうしたい? 知らずにずっと後悔して過ごしたい? 会いに行って後悔してもいいからすっきりしたい?」
雫は自分の立場だったらと考えると悲しくて仕方がないことに気がつく。静流に彼女がいたら、もしくはできたら――そんなことを考えるだけでも辛い。だけどそれを知らずに、ずっと想っているのはもっとしんどいだろう。知ったときのショックは大変なものがあるだろう。なら、知ってすっきりしたい。
「すっきりしたい」
静流は腕組みを解き、笑顔になった。穏やかな笑顔だった。
「じゃあ、黙っていたことを謝って、明日の朝、一緒に行こうって言えばいい」
雫は大きく頷いた。そしてスマホを取り出し、入力する。
〔ごめん。ウチ、みーちゃんに話していないことがあったんだ〕
静流は夕食の支度をするためにキッチンに向かった。
美月からの返事は遅かった。塾があったからだろう。1時間以上経ってからだった。返事を見て、雫は本当にホッとした。
〔なんです? そんな謝るようなことありましたか?〕
〔ウチ、みーちゃんに黙ってた。日曜日、細野さんと河川敷で会ったんだ〕
〔そうなんですか?〕
〔みーちゃんがまだ着替えているときに、河川敷で朝、ギターの練習を聞いたから、いるかなって思って静流と一緒に行ってみたんだ〕
〔そうしたらいたんですね〕
〔うん。ギターを弾いて坂本さんと一緒に歌ってた〕
少し、間があった。
〔そうですよね。2人お似合いですものね〕
〔そして、ウチらも混ざって歌ったんだ。全部ジブリの主題歌だったけど〕
〔それは楽しそうですね〕
そして雫は思い切って文字を入力した。
〔だから週末みーちゃんも一緒に行かない?〕
〔私もですか。行きたいですよ。ううん。行きましょう〕
どういう気持ちで美月がこの返答を入力しているのか、文字だけでは分からない。しかし前向きなのは分かった。それが救いだ。
〔晴れるといいね〕
〔はい。そうと決まったら練習しなくっちゃ!〕
〔なんの?〕
〔ジブリだったらたぶんまだ弾けるから。キーボードを引っ張り出します〕
雫はその文字を目にして、2度読み返してしまった。美月からピアノの話を聞いたのはずいぶん前だ。まだそれほどブランクが空いていないということだろうか。それにしてもこのやりとりだけで自分で弾いてギターに合わせようなんて発想ができる美月が素敵だ。
〔それでこそウチが好きなみーちゃんだ!〕
〔いいアイデアでしょう?〕
〔じゃあ、時間がないだろうから早速練習してよ。時間が決まったら連絡するから〕
〔ようし、頑張るぞ〕
〔じゃあね〕
そしてアニメキャラの頑張るぞスタンプが返ってきた。
「どうだった?」
できあがった料理をお盆で座卓に運ぶ途中で、静流が雫に声をかけた。
「週末、一緒に行くことにした」
「それは――楽しみにしてあげよう。そして応援してあげてね」
「何を?」
「美月ちゃんの、勇気が出ますようにって。いろいろな意味でね」
うん、と雫は答える。
美月の蒼へのそれはただの憧れなのかもしれない。蒼に美月がどんな感情を抱いているのか聞く勇気は雫にはない。それでも美月に付き添うと決めた。だから、応援しようと雫は思う。
「さくらちゃんは呼ぶの?」
「とても1人でいられる気がしない」
静流は頷き、キッチンに戻って汁物をよそい始める。
さくらに連絡を入れると、絶対に行くと返ってきた。
ちょうど澪が帰ってきて、いいタイミングで夕食になる。ラジオをつけ、ニュースを聞き始めると天気予報が始まった。週末まではだいたい晴れという長期予報を気象予報士さんが言っていた。
できれば土曜日はお天気だけでなく、美月の心の空模様も最後まで晴れたままだといいな、と雫は思ったのだった。
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