第67話 美月の初恋 1
雫は自分の部屋でコスプレイベントに持っていった荷物の整理を終え、その後、美月に今日の画像の共有フォルダの場所を連絡した。雫はようやく大きく息を吐いたが、大変なのはこれからだという予感がある。つむぎに連絡を入れるともう解散して家だというので音声通話を入れた。
『雫ちゃん、お疲れ様。楽しかった?』
「うん。楽しかったし、バラも温室の南国の花もきれいだった。今度ゆっくり行こうと思う」
『私の妹分も楽しんでくれたかな』
「ウチよりはまったことは間違いない」
『今度また声をかけてもいいかな』
「それはウチの質問に対するつむぎちゃんの回答次第だと思う」
一瞬、間が開いた。
『穏やかじゃないなあ。何かあった?』
「つむぎちゃんは忙しそうにしていたから気がつかなかったよね。うん。細野さんとるりりんって本当に付き合ってないの?」
それを聞くのはつむぎから2人はつきあっていないということを、美月が聞いていた可能性が大だからだ。
『本当に穏やかじゃない! 何があったの雫ちゃん!?』
「こっちは真剣なんだよ、つむぎちゃん。親友の初恋かもしれないんだ」
『親友ってことは我が妹分だね。それは我がことでもあるよ』
「じゃあ、教えてくれるよね」
『本人たちはつきあっていないっていうけど、恋人つなぎはしているし、毎朝、河川敷でイチャイチャしてるし、学校では公認カップルだよ』
「真っ黒じゃないかー!」
『そこは黒じゃなくてピンクとかにしようよ』
『色は問題じゃない。みーちゃんが、本人たちがつきあっていないっていう情報を聞いていることが問題なんだ!』
つむぎの呼吸音が止まったのがスマホ越しでもわかった。
『犯人、私だ! でも細野くんなの? どうして細野くん?!』
「ジェダイト効果かもしれないけど、見てても優しいし、頼りになるし」
『るりりんみたいなこと言うじゃないか』
「るりりんは細野さんのこと好きなんでしょ?」
『好きってもんじゃないよ。私とるりりんのやりとりは細野くんへののろけが7割だよ』
「いい迷惑だな」
自分ものろけるのは控えようと雫は思う。さくらや美月にのろけているつもりはないが、自覚がない可能性も多々ある。他人の振り見て我が振り直せというものだ。
『るりりんが好きになった理由もわからんのに我が妹分まで! おのれ、細野!』
「倒れそうになるの抱きかかえて貰って、頭ポンポンされたら、女の子の好き好きスイッチ入るでしょ?」
『チョロくないか?』
「否定はしないし、ウチにはできない」
『あー。わかった。で、これから雫ちゃんはどうするつもり?』
「基本的には静観しますが、朝の河川敷に突撃しないとも限らないので。突撃したところで無害だとは思いますが。常識のある子なので」
『ふむ。それとなく河川敷には来るかもってのは話しておく』
「よろしくです。ところで細野さんってどんな人ですか」
『クラスでは地味っ子。最近、成績があがってきた。これは勉強を教えている、るりりんのおかげだね。基本、ギターやってる。この前、駅前の屋外ステージでコスプレして「2人は
「予想外にパワーワード連発」
『根はすごく真面目で「面倒」が口癖の合理主義者』
「みーちゃんのこと、面倒とか言われないかな?」
『優しいからそれはないと思うよ』
「心配だ」
『私も心配だ』
何も起きずに済めばいいのだが、と思わざるを得ない。早速、美月から返信があったようだ。
「そろそろ切るね」
『連絡を密に取ろう』
「うん!」
そして音声通話を終了した。
美月からの返信は、ありがとうのスタンプだった。舞い上がっているのかハートマークを連発するマジカル・オパールのスタンプも早速送られてきた。これはマジカル・オパールのコスは美月に譲らねばなるまい。
〔マジカルのスタンプ買ったんだ?〕
〔うん。お父さんに言ったらOKでたから〕
〔そっか、良かったね〕
〔またコスプレできるようにしたいね〕
〔そうだね〕
そのためには軟着陸させなければならないだろう。
〔2人で交代もいいけど、つむぎさんに新しいコスを考えて貰いたいな〕
〔ウチ、悪役でもいいよ。そうするとつむぎちゃんと合わせられる〕
〔じゃあ、私はオパールでもいいんだ? アイデアが広がるね!〕
美月は上機嫌のように思われた。初恋即失恋は辛いなあと雫は思いつつ、やり取りを終えた。蒼が河川敷でギターの練習をしていることを、美月は気がついていないはずだ。
明日の朝、河川敷に行こう、と雫は決めたのだった。
雫に河川敷に行こうと誘われた日曜の朝、静流はピンときた。昨日、雫がマジカル・ジェダイトと話をしていたときに、朝、河川敷でギターの練習をしていると言っていたことを思い出したからだ。
「細野くんとるりりんさんにご挨拶?」
「正解です」
「いい心がけだね。ちょっと待ってね。何か差し入れを持っていこう」
「さすが静流」
食品棚を漁り、ドライフルーツとナッツを出して、冷蔵庫からチーズを取り出し、電子レンジで温かくしてやわらかくしてから混ぜ、丸いクラッカーの上に乗せてタッパーに並べる。飲み物はボトルに詰める。またとってきたミントで作ったハーブティーだ。タッパーを水平に保ったまま家を出て、河川敷まで歩く。
「人の輪が広がるのはいいねえ。館山から出てきて人と会う機会が減っていたのにこのところどんどん増える。雫ちゃんやつむぎちゃんのお陰だ」
「ウチは静流を独占する機会が減ってつまらない」
それは彼女の本音だろう。京成バラ園に行っても静流がいないのが寂しかったと帰ってきてから言っていた。だから今度別の季節にそれも自転車で行くことを約束した。
「うん。自転車を買わないとね」
八千代まで小学生と一緒に自転車で行くのはかなりの冒険だ。
「そしたらさくらちゃんとみーちゃんも一緒じゃん」
「そうじゃないこともあるさ」
「確かにさくらちゃんとは機会が減った。ゆうきちゃんが現れたから」
「空手に本気になったからだろうね」
雫は頷いた。
「みーちゃんもコスプレに入れ込んだらそうなっちゃうのかな」
「でも、友達だろ?」
雫は大きく頷いた。
「そうだね。いつも一緒にいなくても友達だもんね」
静流は少し大人になった雫を見られて嬉しく思った。
江戸川の堤防に上るスロープをゆっくり上り、堤防の上に出る。今朝も犬の散歩の人や高齢者のウォーキングが多い。雫は尋ね人を探す前に、既に顔見知りとなったらしいワンちゃんたちと戯れる。
かわいい。
思わずスマホで撮影してしまう。ロリコンだと思われても構わない。
「お兄さん?」
「従兄です」
「なんとなく似てるわあ」
そんな犬の飼い主との会話もいつも通りだ。一通りワンちゃんたちと遊んだ後、再び歩み始める。
「あれ、いないな」
前に見たという河川敷への階段にはおらず、雫は階段を降りていく。そして河川敷の遊歩道に沿ったベンチにギターを奏でる蒼の姿を見つけ、雫は小走りで駆け寄った。隣には瑠璃の姿がある。
「青春だなあ。そして絵になる」
ベンチに腰掛ける中学生。1人はギターを手に、1人は歌っている。歌っているのはジブリ映画の主題歌『風になる』だ。雫は歌い終わるまで待ってから声をかけた。
「昨日はお疲れ様でした。いるかなと思いつつ、ご挨拶に来ました」
「はい、お疲れ様でした、従妹ちゃん」
瑠璃は笑顔で出迎えた。本当にきれいな子だ。元気いっぱいの雫とはまた別の方向性のかわいさで、可憐という言葉が似合うきれいさだ。
「来てくれるとは思っていなかったよ。おはよう」
蒼も元気そうだ。昨日、女の子キャラのコスプレをしていたとは思えない。普通の男の子に見える。
「差し入れをもってきたんだ。食べない?」
静流は2人の前に立ってタッパーを見せる。
「従兄さん。ありがとうございます」
2人に手渡すとすぐにタッパーの蓋を開け、蒼が感嘆する。
「美味しそう」
「カロリーはやや高い。ナッツとドライフルーツにチーズだからね」
静流はやや苦笑する。それは紛れもない真実だからだろう。
「美味しいものはカロリーが高いですよね」
瑠璃が口にして、満足そうな笑顔を見せる。
「贅沢な味わい」
「脂質高めですが、洋菓子よりはいいかな」
静流が瑠璃に応え、蒼も美味しいと言わんばかりに頷く。
「こういうのもいいなあ」
「蒼くんも料理が好きなんですよ」
「実は飲み物もある」
静流はハーブティーを紙コップに入れて蒼と瑠璃に手渡す。蒼が一口飲んで頷く。
「ミントティーだ。この辺にも生えているの知ってます?」
「そうなんだ」
「僕も料理で使いますよ」
「おお、同士発見!」
「まめな男子は好感触だよね、従妹ちゃん」
瑠璃はそう言って贅沢クラッカーをまた口にする。幸せそうで見ている静流も嬉しい。雫も手を伸ばして摘まむ。自分も摘まむ。とにかく贅沢で脂質の多い甘い味わいだ。あまり量をとってはならない気がする。雫も褒めてくれる。
「美味しいぞ、静流」
「それは美味しいものしか重ねていないから。ジェダイトくんはギター弾きだったんだね」
「細野です。初心者ですけど。でも、始めて良かったと思っています。ギターがあったから、彼女とのつながりができましたし、自分を変えることができました」
蒼はベンチに立てかけた相棒のギターを手にする。
「そういうことってあるんだね」
雫が何かを発見したようにそう口にした。静流は頷いた。
「うん。それなら続けるしかないね」
「これからは今日はお散歩?」
「うん。静流とお散歩デート」
蒼と雫のやりとりを聞いて静流は少し動揺したが、これだけなら通報案件にはならないだろう。
「従妹ちゃんは従兄さん――大瀧さんが好きなのね?」
瑠璃が聞くと雫は答えた。
「どっちも大瀧だよ。ウチは雫。で、静流」
「結婚しても苗字変わらないね!」
瑠璃にそう言われて雫はびくんと身体を震わせて、ひらめいた顔をした。
「気がつかなかった! 静流、気がついてた?」
静流はややためらいつつも頷き、瑠璃と蒼はくすくすと笑った。
「ちょっと歌っていかない? 気分転換になりますよ」
瑠璃が雫を誘う。
「いいね!」
静流はやや引いたが、雫がいいというなら付き合うしかない。
蒼はコード譜が載った本を開き、ジブリの歌を選んで弾いた。『さんぽ』『君を乗せて』『風の谷のナウシカ』『命の名前』と4曲も歌ってしまった。歌詞が怪しいところはコード譜をのぞき込んだ。
周りに誰もいないからできることだ。とても気持ちいい。
青空の下、4人の歌声が風に凪がれ、雲に吸い込まれていく。
「こんなに歌ったの、高校の文化祭の合唱以来だ」
静流は解放感を味わい、大きく深呼吸した。
「お楽しみいただけて幸いです」
蒼が小さく頭を下げた。雫も満足そうに言った。
「楽しかった! また機会があったら一緒に歌おうね!」
そして手を振って年若い恋人たちと別れた。堤防を上がる階段を上り、1度振り返ると蒼と瑠璃がまだ見ていて、雫と静流は手を振って返した。
「音楽、すっごい! すごい力だ! 細野さんがギターを始めて良かったっていう意味、すっごく分かる!」
雫はいたく感動していた。静流も同感だ。ギター1本でこんなことができるなんて考えもしなかった。静流は現代史で勉強した安保闘争を思い出す。街頭でデモをしながら反戦ソングを歌い、戦った人たちが歴史には記録されている。政治を変えることはできなかったけれど日本人に音楽の力を示したとされる。確かに音楽の力、特にアコースティックには力があると思う。ラップとシャーマニズムの類似点なども研究されているようだし、音楽は奥が深いのだ。
「今日は来て良かったね」
「ホントだ! ――でも、本来の目的は達成できなかった」
雫は残念そうだった。
「本来の目的?」
「なにか、みーちゃんに有益な情報が得られないかなと思ったんだ」
「細野くんが気になっていたみたいだったね。でも」
「うん」
2人して言葉少なになってしまう。もし美月が蒼のことが気になっていたとしても瑠璃との間に割り込める要素はない。ラブラブな2人だ。
「相談にのってあげてね」
静流が言えるのはこれくらいだ。
「思い過ごしならいいんだけど――そうでなくてもいい着地点が見つかればいいんだけど。どうなのかな」
それは美月本人に聞いてみないと分からないことだろう。小学5年生。女の子の初恋なら、ある年齢だろう。そもそも雫が好きだって言ってくれたのは小学4年生だ。女の子が早熟だというのも分かる気がする。
自分は大人として見守ってあげないと、と静流は思いながら、雫とともに家路を辿ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます