第65話 いよいよコスプレイベントです 1

 さくらの早朝トレーニングを見物に行って以来、少し早起きになった雫だ。今日も早めに目が覚めてしまい、全員分の朝ご飯を作った後、散歩に出かけた。散歩の主な目的はワンちゃんとのふれあいだ。たまにさくらとゆうきとも遭遇する。一緒に走っているのは最初は毎日だったが、今は週3日ペースのようだ。どうやら2人とも毎日走れるぞと意地を張っていたらしい。


 今日は快晴で風が気持ちよかった。なんとなく顔を覚えた程度の飼い主さんより、ワンちゃんを覚える方が早かった。今日も愛玩犬数頭とじゃれ、堤防の上を歩く。


 河川敷に下る幅の広い階段に腰掛けてギターを練習している男の子が今日もいた。その近くには発声練習をしている女の子もいる。どちらも中学生くらいに見えた。熱心だなあと雫は思う。雫は音楽に興味はあるが、全く触れたことがない。美月はピアノを習っていたはずだが、今はどうしているかわからない。


 今日も2キロほど歩き、帰宅すると静流と澪が雫が作ったサンドイッチを食べていた。


「今日も歩いてきたの?」


 澪が聞くと雫は笑顔で答える。


「ワンちゃんの散歩は大変そうだから飼うのはいい。こうやってお裾分けしてもらえるだけで満足」


「いや、そうだね。お裾分けというか、飼っている人も雫にワンちゃんが愛想振りまくの、楽しいし嬉しいと思うからWIN-WINだね」


 澪も嬉しそうだ。雫は昔、ペットを飼おうと澪にせがんだことがある。もちろん自分も小さかったし、飼えるだけの生活の余裕はなかったので飼わなかったのだが、そのことを思い出しているに違いない。自分がこういうのは成長の証だときっと考えたのだろう。雫は母に大きく頷いて、しばらくの後、登校した。さくらより先に美月が登校してきており、あいさつすると彼女は言った。


「いよいよコスプレイベントだね! 楽しみだね!」


 京成バラ園に行ったときのテンションの低さを思うと、別人のようだった。美月はまだ自分が好きなことの方が優先で男の子のことなどどうでもいいのだろう。しかし雫は、そうではないのかもとすぐに思い直す。それは美月の前にビビッとくる男子が現れていないだけなのかもしれない。自分だってそうだ。静流の存在が大きくならなかったらこうも恋愛脳になっていなかったに違いない。悠紀くんには早々に諦めていただき、美月とはお友達になって貰おうと雫は思う。


「みーちゃん、本当に楽しみなんだね」


「その間は一体――」


「いや、コスプレ、相当に気に入ったんだなあと思って」


「私がマジカル・オパールやりたいくらい!」


「つむぎちゃんに相談するよ。だってサイズが変わらないからできちゃうもんねえ」


「本当!?」


 いっそ、最初から美月でいいと思うくらいだ。メイクをしてしまえば雫でも美月でも関係がないくらいマジカル・オパールになれる。そこはつむぎの努力の賜だと思うが。


 さくらも登校してコスプレイベントの話をするが、参加料1000円が痛いようで、見たいが行くのはやめておくとのことだった。それに練習したいのもあるらしい。最近は空手道場の練習がない日もフリーの時間に参加しているようだ。本格的にエンジンがかかったように見えた。登校が遅くなったのも朝のトレーニングが影響しているに違いない。


 そして6月になりコスプレイベントの当日になった。つむぎは荷物があるので車を出して貰うことになっているとのことで、先行して会場の市営植物園に向かっていた。雫と美月、そして静流は自転車だ。市営植物園までは自転車で1時間かからない距離だが、そこまでは古い幹線道路を使っていくことになる。あまり整備されていない割には交通量が多い道で、静流は引率の2人にかなり気をつけながら自転車を走らせていた。


 そして植物園の手前の最後の坂が激坂で、児童用自転車の雫と美月ではとても上れず、押して上った。市営の植物園は動物園と併設されており、普段は無料だがコスプレイベント参加者は着替える場所が必要なので、別の窓口でイベントパスポートを購入し、市営の同じ敷地内の別の施設を案内された。市内の小中学校が林間学校で使うその施設の前には、イベントにきた車が多く止められているのが分かった。何故ならアニメキャラのラッピングをしてある車が散見されたからだ。


「コスプレと痛車ってリンクするものなのかなあ」


 静流が感慨深げに言った。好きなものにお金を投じる気持ちは静流には分からないらしい。


「好きなものがあるのはいいことじゃないか」


「ええ。もちろん自分のお財布の範囲内なら」


「なら僕のお財布の紐は相当固い」


「そうですか? スポーツ自転車には?」


「緩い。なるほど。わかった」


 雫と美月は笑った。


 女性の更衣室に指定されている研修室の前でつむぎが叔父と一緒に準備万端待っていた。


「雫ちゃん、美月ちゃん、いや、我が妹よ。よく来てくれたね!」


「つむぎお姉さん~~楽しみにしてました~」


「やるぞ~」


 雫は自分的にはそんなにテンションが低いとは思わないのだが、やはり美月のそれには負ける。


「おじさん、外に子ども作った覚えないんだけど他人のそら似って怖いねえ」


 実の父親ですらつむぎと美月が似ていると思うらしい。叔父は2人を見比べて素直に驚いていた。


「叔父さん、引率大変ですね」


「静流くんもね。自転車で来たの?」


「その方が気楽ですから」


「こっちもつむぎのお友達を乗せてきたから乗らなくてねえ。ごめんね。それにしても、これからどうやって時間を潰そうかな」


 叔父は苦笑していたが、娘に頼られるのはこれからどんどん減っていくだろうから、運転手でしかなくても悪い気はしていないようだ。


 早速、雫とつむぎはコスプレの準備を始める。研修室の中はもうコスプレをする人たちがセットアップ中だった。その中に既に完成したマジカル・クリスタルを見つけ、雫は画像の彼女だと思い至った。


「初めまして、坂本瑠璃さかもと るりです。よろしくね」


 マジカル・クリスタルは腰のフリルをスカート風に持ち上げて一礼した。


「かわいい。美少女~」


「2・5次元だ~!」


「あ、那古屋美月です」


「大瀧雫です。坂本さん、もしかして朝、河川敷で歌ってませんか?」


 瑠璃の声には特徴があった。きれいなアニメ声だ。


「やだなあ。誰に見られているか分からないね」


「やっぱり」


「さて、時間が惜しいぞ。マジカル・オパール、セットアップだ!」


 つむぎのかけ声に雫は身構えた。


「じゃあ、私、蒼くんのメイク済ませてきちゃうね」


 瑠璃がメイクバッグを手に研修室を後にする。 


「もう1人いるんですか?」


 美月がきくとつむぎは頷いた。


「るりりんがメイク覚えてくれて助かったわ。雫ちゃん、急ごう」


「合点」


 会議室の隅で雫はマジカル・オパールのコスチュームに着替え、メイクをして貰う。


「瑠璃さんがるりりんなら、みーちゃんはみつきん?」


「じゃあしずりん。大坂さんはさくらん?」


「混乱しかないぞ、それ」


 つむぎがマジで苦笑いする。美月が聞く。


「これからつむぎお姉さんも着替えるんですよね」


「そうなの。だから急いでいるんだ。お、早い、戻ってきた」


 瑠璃が研修室に戻ってきて、雫の準備が完了し、今度はつむぎが変身する番になる。雫は会場に置かれた姿見で自分の姿を確認する。とてもよく出来ているので、自分を見ている気がしない。鏡の向こう側には2・5次元かCG調のマジカル・オパールがいる。


「大瀧さん、よく似合ってますよ」


 美月がぽわわーんとした感じで言う。


「静流に見せてくる」


「いいですね」


 2人で研修室を後にする。廊下には叔父と静流ともう1人、マジカル・クリスタルのパートナーであるマジカル・ジェダイトがいた。昔の魔法少女マジカルなので、女の子キャラなのだが、研修室でジェダイトに着替えていた人を雫は見ていない。どこから出てきたのだろう。


「雫ちゃん、よくできてるね。かわいいよ」


「わー ウチの子、罪だわ」


「初めまして、細野蒼ほその あおです。委員長の従妹さんですよね」

 マジカル・ジェダイトが口を開き、雫は頷いた。ややハスキーボイスだが、女の子の声だと思う。マジカル・ジェダイトはボーイッシュ担当なので、もしかしたらと雫は少し考え、聞こうとしたが、先に美月が口を開いた。


「もしかして男の人ですか?」


 美月は雫より先に解答に至ったようだった。


「うん。僕、男だよ。つきあわされてこんなことしているけど」


 ジェダイトは小さな声で答えた。


「ウチの子の罪、重いな……」


 叔父が申し訳なさそうに言った。雫はマジカル・ジェダイトをマジマジと見て言う。


「いやいやかわいいです」


「アニメより美少女です」


 雫と美月がそう言うと蒼は嬉しさ半分、恥ずかしさ半分で小さく俯いた。


「ありがとう……」


 そういうマジカル・ジェダイトは本当に愛らしかった。


 しばらくして、つむぎもシャイン・メタルに変身して研修室から出てきた。イベント開始時間ちょうどだった。撮影はきれいに咲いているバラの前を想定しているだけに、場所取りが激戦となることは予想済みだ。コスプレしている4人が先行し、カメラを持った静流と叔父が後からついてくる。美月はその後からついてくる。


 これからがコスプレイベントの真骨頂、撮影会だ。撮影目的の人たちも多く来ていることだろう。雫は覚悟を決めて、バラ園入りしたのだった。

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