第64話 静流、羽海ちゃん先生の家の手直しをする

 羽海から梅雨の前に平屋の手直しをしたいと静流が相談を受けたのは5月最後の金曜日の夕方のことだった。


〔ウチ、縁側の縁側の前の屋根、あるじゃない?〕


〔透明な波板ですね〕


 縁側の前に洗濯物を干せるように後付けの大きな庇があるのを思い出す。


〔今、こうなのよ〕


 画像が送られてきたのだが、いっぱい穴が開いていた。どうやら数年前に騒ぎになった大きな雹が降ったときに割れてしまったらしい。もともと透明な波板が経年劣化していたのもあるのだろうが、さすがにひどい。屋根の用をなしていない。


〔気がつかなかったな〕


〔君が来たときは晴れの時だったからね〕


〔それでつまり。僕に直せと。大家さんにいえばいいじゃないですか〕


〔こっちで直したら家賃1万円引いてくれるということで工具と脚立も貸してくれることになった〕


〔もう話ができあがっているじゃないですか!〕


〔無報酬とは言わないよ。期待してくれたまえ〕


 また健全エッチな画像だろうと思いつつ悩む。羽海は自分の懐が痛むわけではないし、また、静流なら画像を拡散される心配はないと考えているのだろう。実際、拡散など絶対にしないが。そしてすぐにまた爆弾が落とされた。


〔おっぱい揉んでもいいよ!〕


 そしてすぐに送信が取り消された。


〔わざとですね。大丈夫ですよ。それくらい報酬なしでやりますよ〕


〔お見通しか〕


 そして今度は干されているパンツの画像が送られてきた。白いレースのパンツで、羽海っぽくはあった。そういえばスカートめくりしたときも白だった。


〔こういうのなくてもやりますから〕


〔動揺しないのはつまらないな。明日、待ってるからね〕


 ふむ。困ったことに明日は別に何の予定もない。


 一方、雫にはいつもの2人と新しくできた友人の高村姉弟、そして桃華ちゃんとお父さんでお出かけの約束がある。内緒にするのはちょっと気が引けるが、雫に言ったらその予定が空中分解しかねない。なので言うのは止めて、静流は1人で行くことにする。羽海にセクハラはされるだろうが、実害はないだろう。健全な男子としてはご褒美だ。単にブレーキを掛ける多大な労力が必要になるだけだ。


 そう思いつつ、布団に入ったが、今まで羽海が送ってきた画像の数々が思い出されて、静流はなかなか寝付くことが出来なかった。




 翌朝も幸い晴れ渡った5月の空が広がっていた。雨が降っているときに屋根の修理などするものではない。良かった。バイトのシフトもなかったので朝早く8時には行くと連絡を入れ、既読がついたので海の家に時間通りに向かった。


 しかし呼び鈴を鳴らして出てきたのは、パジャマ姿で目をこすっている羽海だった。女性特有のいい匂いがくーんと漂ってきて、静流の理性が崩壊しそうになる。このまま押し倒してしまいそうな衝動に駆られ、静流はいったん、玄関から離れて外の洗濯機に頭を打ち付けて理性を取り戻す。


「しずるちゃん、どうしてこんなに早く?」


「連絡入れたでしょう。既読つきましたよ!」


「うーん。寝ぼけてたな。二度寝したんだ。あがって」


 静流は大きく深呼吸して、家に上がり、雨戸を開けて朝の光を入れる。


 その間に羽海は台所でやかんでお湯を作っていた。お湯が出来たらお茶を入れて座卓まで持ってくる。パジャマは乱れており、胸元は大きく開いていた。寝ているときはノーブラ派らしく、振り返ると深い谷間に静流の視線は釘付けになった。一歩歩くだけで胸は大きく揺れた。


「んん? こんなの重いだけだよ」


「前、閉めてください」


「報酬はおっぱいでもいいよ~」


「冗談でもそんなこと言わないでください」


「生じゃなきゃ揉んでもいいよ――あれ。おっきくなってる?」


 静流の股間を見て羽海はニタリと笑い、静流は開き直る。


「悪いですか?!」


「嬉しい。非常に嬉しいよ。しずるちゃんは大人の女性に興味がないのかと思っていたから安心した」


「だから試すようなことをしていたんだ?」


「うーん。それは半分くらいかな。もう半分は面白いから」


 タチが悪い初恋の女性である。


「ごめんね。処女だからどう処理してあげればいいのか分からない」


「聞いてないし、そのうち治まりますから大丈夫です!」


「パフパフはちょっと勇気ないな」


「だからいいですって!」


「言っておくけど、こういうことを言ってからかうのはしずるちゃんだけだから。今まで誰にもこんなこと言ったことないし、おっぱいを触らせたこともないから安心してね」


 羽海は真顔になって言った。


「安心しました。初恋の人が痴女じゃないと分かって」


「痴女だと思われていたんだ?」


「セクハラ教師と澪さんが言っていたのは納得して聞いていましたが」


「うーん。紙一重な気がしなくもない」


「羽海ちゃんは美人なんですから、僕だってセクハラされたら理性を保つので精いっぱいですよ」


「そう言ってくれてありがとう。ストレスがたまったらまたやるとは思うけど。そのときは本当におっぱいくらい揉んで貰うかもしれない。揉んでいいよじゃなくて、たぶんそのときは私が揉んで欲しいから、かな」


「すみません。また大きくなりました」


「自己申告しないで!」


 羽海は真っ赤になった。自分がセクハラするのはよくてもされるのはダメらしい。


「ど、どうしろと……おかずを提供すればいいのかい?」


 羽海は目を背けながらパジャマの前のボタンを外し始める。


「いいです! そんなことしなくても。そのうち落ち着きます!」


 羽海は真っ赤になってボタンを閉め始めた。ボタンを閉めたら閉めたで、今度は胸の突起の形がはっきりと分かるようになる。静流が落ち着くはずがない。結局、隣の部屋で羽海に着替えて貰い、どうにか落ち着いた。


「やあ、すまなかった」


「本当ですよ」


「是非、今夜使ってくれたまえ」


「用法、分かって言ってます?」


「想像だけどたぶん、合っていると思う」


「もう止めましょう、このやりとり」


 静流は大きく深呼吸した。


「そうだね。所期の目的は忘れてはいけないね」


 羽海も大きく深呼吸していた。


 静流が庭の方に出て、縁側の上の張り出している後付けの庇を見ると、作りは簡単で、透明な波板を2畳分、横に貼り付けただけのものだった。枠は無事なので交換だけで済むだろう。確かに1万円引いだだけで直して貰えるなら大家さんもありがたいに違いない。


 大家さんは近所の梨農家さんで、いかにも農家といった大きな古民家に行くと、もう軽トラックの準備ができていた。脚立も工具も荷台に載っている。


「弟さんかい?」


 結構お歳な大家さんが静流を見て言い、羽海が答えた。


「同郷の幼なじみなんです」


 100%合ってる。


「頼りになりそうじゃないかい。君はペンキ塗れる?」


「教えて貰えばたぶん。高校の文化祭でしか経験がないので」


「経験がありゃいいさ。もしやる気があったらペンキも塗ってよ。水性だから」


「はい。なんでも経験という主義なので」


 大家さんは大笑いした。


「いい幼なじみさんが近くにいて良かったね。先生、このまま婿に貰っちまいなよ。ちょっと歳が離れてるか~」


「そうなんですよ~ それが残念で」


 羽海が本当に惜しそうに自分を見るので静流は照れてしまった。


 羽海が軽トラックの運転席に収まり、静流が助手席に座る。


「羽海ちゃん、運転できるの?」


「ペーパーじゃないよ。館山に帰ったときは運転してるから。好きだし」


「よかった。お約束の展開にならなくて」


 軽トラックは軽快に発進し、大家さんは気をつけてな~と言って見送ってくれた。


 羽海の運転は不安がなく、安全運転そのものだった。アクセルを急に踏むこともなく、ブレーキも優しい。人柄が出る。軽トラはすぐ近くのホームセンターに向かう。朝早くても資材売り場は開いている。なのですぐに必要になる透明波板6尺を2巻、買い求め、羽海の借家に戻る。領収書を大家さんの名前にしていたから必要経費で落ちるらしい。


 作業を始める前に静流は羽海の家の冷蔵庫を見る。すると消費期限が1日過ぎた鶏モモ肉が見つかったのでさっそく塩こしょうで揉んで冷蔵庫に戻す。米も炊飯器にある。


「もしかしてお昼ご飯作ってくれるとか」


「ええ」


「しずるちゃん、好きー! 恋愛的な意味じゃないよ」


「分かってますって」


 それでも好きと言われたことにはドキリとする。


 波板用の傘釘は大家さんが用意してくれてあったので安心だ。静流は脚立に乗り、釘抜きを使って丁寧に今、留めてある傘釘を抜いていく。螺旋釘なので抜くのも一苦労だ。抜けたところから割れた波板を下に下ろし、羽海に燃えるゴミ袋に入るよう割って貰う。結局、2間分を2列抜くのに昼までかかってしまった。


 お昼前には仕込んで置いた鶏モモ肉をとろ火でじっくりと焼き始める。そして野菜室にあった野菜をレンジで温野菜にしてサラダを作り、簡単にお昼の準備を済ませてしまう。そして焼き上がって座卓に持っていき、2人で一緒にお昼ご飯を食べ始める。


「美味しいね、これ。3時間くらいでこんなに味が染みるんだ」


 羽海は鶏モモの塩焼きを一口食べて声を上げた。


「塩こしょうして寝かせるだけで味が浸透するので美味しくなるものです」


「料理上手のしずるちゃん、おつまみ作りに来てよ」


 いろいろ含みはあるが、歳の離れた幼なじみだとしか思っていないことは今回、よく分かった。サービスは過剰だが。だから頷いた。


「そのうち」


「やった!」


 羽海は片手を上げてガッツポーズをした。


 そして昼食が終わると、ようやく新しい波板を取り付ける作業を始める。波板を枠に載せて、仮にマジックで位置決めをし、最初の穴を電動ドリルで開ける。いきなり釘を打ったら波板が割れてしまうからだ。


 釘を打って端の位置が決まったところであとは丁寧に穴を開け、打ち付ける。その繰り返しだ。最初に穴を開けて――とすれば効率はいいのだろうが、静流は素人だ。脚立の上で足下がおぼつかないのと失敗が怖いので位置を確認しながら慎重に作業を進め、3時には無事作業を終えた。


 穴があいていない庇を見て、羽海は感動の声を上げる。


「これで外にお洗濯ものを干しても雨の心配がない」


「雨の心配がなくても下着泥の心配はありますよ」


「最近はちゃんと下着は中に干してるって……もしかしてしずるちゃん、私の下着欲しい?!」


「犯罪者扱いされるだけなのでいりませんし、そういう趣味はありません。というか今日はもうこの手の話題はやめましょう」


 羽海はしゅんとなった。


 しかしほぼ1日がかりの作業になってしまった。これで引いて貰えるのが1万円では割に合わない気がする。それでもいい経験をしたと静流は思う。


 大家さんに軽トラックを返し、領収書で現金を貰って終了だ。施工はスマホの写真で確認して貰った。歩いて羽海の借家まで帰る途中、羽海が言った。


「今日はありがとうね。とっても楽しかった。考えてみると2人きりなの初めてだね」


「そうですね。いつも3人娘の誰かしらがいましたからね」


「久しぶりにいいストレス解消になった」


 静流は大きく頷いた。静流は基本的にこういう作業が好きなのだ。


 そして借家に戻ると、庭の側から改めて今日の施工結果を眺める。


「うむ。合格点」


「じゃ、お礼だ」


 羽海は静流の頬に顔を寄せる。


 温かな吐息がかかり、柔らかい髪の毛が触れ、静流を刺激する。


 そして羽海は小さく静流の頬にキスをした。


 静流は予想を遙かに上回る羽海の攻撃に余裕で1メートルは後退した。


「な、なにをするんですか」


「だから、お礼だって。足りない?」


 羽海は本当に愉快そうに見える。静流は大きく首を横に振った。


「たいへん、満足いたしました」


「じゃあ、次も機会があったらよろしくね」


 そして羽海は満足そうに微笑んだ。


 どうにもこの初恋の女性ひとには叶わないな、と雫は嬉しい苦笑をせざるを得なかったのだった。

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