第59話 さくらが通う空手道場に行く

 面倒なことに巻き込まれたな、と雫は思った。


 5月最後の週の土曜日、雫と美月はさくらに懇願され、空手道場の見学に来ていた。見学というのは建前である。


 話は月曜日に遡る。


「頼む。美月、雫! 週末、道場に顔を出してくれないか?」


 朝の教室で開口一番、おはようも言わずにさくらは2人にこう切り出した。


「どうしたっていうんですの。大坂さんらしくない」


「そうだよ。まずは話を聞くからさ、何か事情でもあるんでしょ?」


 雫は実に申し訳なさそうな顔をしてうんうんと頷くさくらを見る。すると桜は見たことがないような心苦しそうな表情を浮かべた。


「道場であたしに突っかかってくる上級生がいるんだけどさ、あたしにブスだなんだっていうのはいいんだけどさ……」


「良くない!」


「ありえません! 大坂さん、こんなにかわいいのに!」


 美月が肩に手を乗せ、感情を堪えるように下を向いた。


「――だって、お前たちほどにはかわいくないよ」


「自分でそんなことを言ってどうするんだ? あり得ないよさくらちゃん!」


「さくらちゃんはかわいいですわ。私が保証します!」


 ここで美月がさくらちゃん呼びをするのは『さくら』が主人公の魔法少女アニメの親友キャラを意識したと思われた。それはさておき。


「静流が中性的なかわいらしさだって言ってた」


「ホントか?! 静流お兄さんがあたしのことかわいいって?」


 静流の名前を出すと一気にテンションがあがるのだからさくらも現金なものだ。雫と美月に呆れられたからか、さくらは咳払いを1つした。


「い、いや、すまなかった。そこは問題じゃない。それでどうせお前の友達もブス揃いだろっていうんだ、そいつ」


「ほう」


「つまり、私たちがかわいいってところを見せればいいんですね?」


「結論としてはそうなる。3人いてさ、1人はウチの学校だけど2人は隣の学校だから、道場に来て欲しいってことなんだけど」


「道場、線路の向こう側ですよね。そんな遠くない」


「仕方ない。さくらも含めてブスと言われる筋合いがないところを見せてやろう。自分が万人から見てかわいいなどと言うつもりはないが、ブスだと決めつけて人を傷つける奴は許さん」


 雫は腕組みをして天井を仰いだ。さくらの怒りが移ったらしい。


 そして土曜日の午前中の稽古に見学と称して道場に2人で来たのだった、が。


「ねえねえ、君たち、見学だけ? 本当にやろうよ、空手!」


「体幹が鍛えられるし、みんな優しいよ。いじめっ子だって逃げてくし!」


「なにより成長が促進されて、きれいになれるよ」


 小学校高学年から中学生が合同で稽古する時間だったらしいのだが、休憩時間になると、道場の隅で見学していた2人を数人が取り囲み、ものすごい勧誘が始まった。


「おいおい、お前ら、か弱い女の子を囲むなよ」


 さくらが割って入るが、男の子たちは無視する。


「いや、だって、大坂、お前、お前の友達、あり得ないくらいかわいいじゃんかよ」


「2人とも読モかなんか? チョーかわいいんだけど」


「男ばっかりでむさい道場に女の子の潤いが欲しいと思わないのか、大坂!」


 さくらの前にいた上級生らしい男子がそう断言した。


「あたしは女だ!」


 そして言い切った男子にさくらはローキックをかました。


 その男子が片足で立って蹴られた方を手で押さえている間に、さくらは雫と美月の手を引いて、道場の入り口の方に連れて行った。


 空手道場は京成駅近くの雑居ビルの2階にある。下を京成電鉄の電車が通るのが見え、通過音が響いてきた。


「2人とも、名前なんていうの?」


「ねえ、ねえ、連絡先を交換してよ」


「オレ、絶対優しく指導するぜ」


 空手少年たちは諦めることはなく追ってきて、雫は少年たちに目を向けて微笑したあと、言った。


「ノーサンキューです」


 そして美月も後に続いた。


「がっつく男についていくなんて、それだけで女の子の魅力半減でしょう?」


「「ではごきげんよう~~♪」」


 そして2人は声を合わせて空手道場を後にした。雑居ビルの階段を降りていると、さくらに呼び止められ、2人は足を止め、振り返った。


「雫、美月、ごめん。本当にごめん!」


「所期の目的は達成できましたわ」


「まさかあんなに飢えた男どもに囲まれていたとはさくらちゃんが心配になるよ」


 さくらは雫にそう言われ、俯いた。


「あたし、女だと思われてないからさ」


「どうかな? ローキックした上級生が主犯でしょう?」


 雫はさくらの顔を階段の下からのぞき込んだ。


「どうして分かるんだ?」


「さくらちゃんのローキックは照れ隠しだから」


「アレは違う」


 さくらは真顔だった。


「でも、まあ、仲良いんでしょ?」


「雫が思っているようなことはないよ」


「まあ、静流を見てしまうと同世代の男の子なんてガキ以外の何ものでもないもんね」


 雫は静流がいかに得がたい存在か、改めて確認するためのイベントだと、今、思い至った。それは現在進行形で静流が好きなさくらは稽古に来る度に痛感しているだろう。


「そう、そうなんだよ」


「だからだ」


 美月はうんうん頷いた。


「どゆこと?」


「最近、さくらちゃんが落ち着いているから不安なんだ。前は誰が好きだ彼が好きだってところ構わず言っていたのに、この2ヶ月、落ち着いているもんね」


 美月だってさくらが静流を好きなことくらいすぐに分かっただろう。露骨だし。


「あの上級生、3分の1の確率でうちの学校なんだけど、そうでしょう?」


 雫はさくらを見るが、きっと自分は面白そうな目をしていたと思う。


「どうして分かるんだ?」


「うーん。ウチの脳内のシミュレーターは、月曜日にあの上級生がウチらのクラスまで来ると予想している」


 雫はきっとそうだと確信した。


「え、どうして?」


「分からないのですか?」


 美月も面白そうだ。


「わ、わかんないよ!」


 動揺するさくらを余所に、上の階から指導員さんがさくらを呼んだ。休憩時間が終わったらしい。さくらは道場に戻り、指導員さんは2人に礼儀正しくお詫びした。早く止めさせるべきだったと頭まで下げた。武道家という人種は大人になるとこんなにも礼儀正しいのかと感動したほどだ。


「いえ。ウチらも冷やかしじゃないですけど興味本位で来たのが悪かったんです」


「でも、勉強になりました」


 指導員さんは申し訳なさそうな顔をした後、フィットネスクラスもあるから考えてね、と最後はCMをして戻っていった。


「あいつらがいないなら考えるな」


「結構、月謝、お高いですよ」


「そうだね……でも、やることが決まっていないなら、考えるだけならありかな」


 雫は再び階段を降り始める。


「いつもの大瀧さんっぽくないですね」


 雑居ビルを出て、駅への道を歩いて行く。


「この前、従姉が来て、コスプレさせられたの」


「コスプレ?!」


「みーちゃん、好きそうね」


「是非、ご紹介してください!」


「つむぎちゃんっていって中3なんだけど、みーちゃんと同じタイプなの。髪型も、委員長やっているところまで同じ。でも、なんか急にコスプレ始めちゃって、キラキラして、コスプレの魔法とか言い出しちゃって、いいなあって思って」


「へえ~」


「コスプレがいいんじゃないよ。一生懸命、何かをやるってことがいいなあって」


「わかります!」


「さくらちゃんには空手があるからさ、みつけてるの、いいよね」


「私も見つけたいです。あ、でも、近々はTRPGをまたやりたいです」


「あ、それはウチもだ。じゃあ今、ウチは園芸もってことかな」


「私も私も。じゃあ、問題ないじゃないですか」


「そっか。そうだな。どっちも静流から始まったんだった。わすれな草を買ってくれたの、静流だから」


「大瀧さんの場合、静流さんに会ったのが、いいきっかけになったんですね。私はそのお裾分けを貰っているんだ」


 美月は微笑む。


「みーちゃんは静流に惚れないでくれよ」


「私が好きなのは大瀧さんでーす!」


 そして美月は雫の腕をとり、がっしりと腕組みする。静流とは機会があれば逃さないが、美月と腕組みすることがあるとは思っていなかったので雫は動揺する。


「みーちゃんがこんなに積極的に動くなんて!」


「大瀧さんと那古屋さんの影響なんだからしょうがない」


「そっか。ウチもみーちゃん好きよ。さくらちゃんもだけど」


「私も那古屋さんも好きですよ~」


「あと静流も同じ大瀧さんだから、さっきの発言は信用ならん」


「じゃあ言い直します。好きなのは雫さんでーす!」


 2人は腕組みをしながら家に帰った。


 その話を帰宅してから静流に話すと彼はこう言った。


「その子、さくらちゃんのことが好きなんだね」


「静流もそう思う?」


「でも、自覚はないかも。あっても、態度は変わらなさそうだけどね」


「静流はどうだった――ってスカートめくりしたんだったか」


「蒸し返して欲しくなくても無限に蒸し返される苦い過去」


 静流は落ち込んで、独りでコーヒーのドリップを始めた。


 まあ、男子のことは興味がないから分からない。しかし惚れっぽいさくらが相手にしていなかった男子ということは逆に本命だからこそと邪推できないこともない。月曜日に何か動く予感がしつつ、今夜は雫がご飯を作ることになっていたので、キッチンへ行き、その支度を始めた。


 翌日の日曜日には手直しした衣装をつむぎが持ってきて、カツラを被ってメイクまでしたのだがそれはまた別の話だ。


 月曜日の朝は期待外れなことに何もなかったが、昼休みの間に雫の予想が現実化した。さくらはいつも体育館でトレーニングを欠かさないので、最近はいつも雫と美月も昼休みは体育館で過ごすようになっていた。ドッジボールなどを他の子がする中、肋木で懸垂をしたり、手の力だけで身体を支えて水平を保ったりとアクロバティックな動きをする。最初はアクロバティックなムーブはさくらしか出来なかったが、いつの間にか雫ができるようになり、最近は美月も形になってきた。継続は力なりである。


 そんなときに見た顔の上級生が現れ、ははーんと雫は内心ほくそ笑んだ。


 3人は肋木から離れ、直立する。


「すごいなお前ら」


「何の用?」


 さくらは上級生を見上げる。名札には榊久遠さかき くどうとある。


「謝りに来た。代表して詫びる。気分を害したことだろうと思って」


「謝罪は受け入れます」


 美月はそう言うと、あっち行けとジェスチャーをした。


「受け入れるだけです。これ以上何か言うのは蛇足ですよ」


「謝ったから実はいい奴パターンを狙っているのかもしれないけど、元々謝るようなことをしなければいいので、騙されはしない」


 雫はわざと辛辣にしてみせる。


「そうは言ってもあたしの友達に謝りに来てくれたことは評価する」


 さくらは真っ正面に立った。うん。そういう子だよね、と雫は嬉しくなる。


「お前にも謝る。そうだったよ。お前も女の子だからな。失礼だった」


 おおお、と雫は心の中だけで万雷の拍手をする。これは恋の予感を見ているのではないかと他人事ながらドキドキする。


「美月の言葉を借りる。謝罪は受け入れる」


 それを聞くと、榊は小さく言った。


「師範代に言われたんだ。女の子にはもっと優しくしないといけないんだぞと。時には自分も殺せよ、と。オレは師範代のこと、尊敬しているから、今日からだけど、頑張る。だから謝りに来た」


「蛇足じゃなかったですわ」


 美月がパチパチ手を叩く。


「まだマイナスですが、加算しましたよ、今」


 榊はばつが悪そうな顔をして体育館を後にした。


「うわ、別人みたい」


 さくらは彼の背中を見ながら驚きの声を上げる。


「師範代さんにさぞかし怒られたんでしょうねえ」


 雫はくすりと笑う。素直でいいではないか。さくらとお似合いかもしれない。彼は自分と美月への謝罪はついでだったのだ。


「師範代、怖いからな~」


 予鈴が鳴ったので、さくらは頭の後ろで手を組みながら歩き始めた。榊という上級生はさくらにとって気になる相手なのかもしれない。応援しようと思う。それは別に静流から心変わりして欲しいからではない。見ていて気持ちがいいからだ。これから榊というあの上級生と関わることがもしあったのなら、なにかいいきっかけを作ってあげたいな、と雫は思ったのだった。

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