第6章 続・荒俣堂二郎の冒険 弐 フェリー『さん・ふらわぁ号』

 第一章 フェリー『さん・ふらわぁ号』


「フェリーというより、豪華客船だな!」

と、分厚い、ダークブラウンのダッフルコートに身を包んだ青年が、桟橋に停泊中の白い船体に赤い日の出の太陽をあしらった大型フェリーを見上げて、呟いた。

時刻は午後9時5分前。那智勝浦ゆきの大型フェリー『さん・ふらわぁ号』は、今、タラップが船内に引き上げられ、後部の車両の乗り口も、閉じられようとしている。

船を岸壁とつないでいた『もやい』もボラードから外された。間もなく、出港のドラか汽笛が鳴らされるだろう。

(おかしいな?指定された、最後尾の『もやい』をつないでいる、ボラードという杭の横に置いてある、『オレンジ色のハンドバッグ』に現金を入れろ!という、ハンドバッグはこれに間違いないはずだ!船の出港間際に現れる、と予想していたのだが……、もう、船の出港時刻だ……)

政雄の足元には、腰掛けのように出っ張りのある、赤錆色の大きな杭がある。その横に、人目をひく、ショルダーバッグにもなりそうな大きさのハンドバッグが置いてある。手紙のコピーの指定は、午後9時10分前までに、現金をそのバッグに入れろ!というものだった。

ただ、それと引き換えに、問題の真澄の手紙を渡す、とは書いていない。だから、脅迫者が現れるのを、待っているのだが……。

「ボー!」

と、汽笛が鳴った!船が岸から、離れようとしている。

「おじさん!これ……!」

船を見上げていた、政雄の背中に声がかけられた。振り向くと、読売ジャイアンツの野球帽を目深にかぶった、スタジャン姿の小学高学年と思える少年が、二つ折の紙片を差し出していた。

何か、政雄に言ったようだが、汽笛の音で聞き取れない。

「えっ?」

と、聞き返したら、少年は、紙片を政雄に突きつけ、クルリと背を向けると、波止場の見送り客の雑踏に走り去って行った。

(なんだ?)

と、その紙片を広げてみる。そこには、下手くそな文字で、ひと言!

『あばよ!』

ハッとして、ボラードの横に眼をやる。オレンジ色のハンドバッグは、消え失せていた……。

「バカ野郎!船の上だ!狐の秘術で、船に乗り込むぜ……!」


「フーテン!なんでお前がここにいるんだ!しかも、サンシロウのテレポート能力を使って、フェリーの甲板に運ばれることになるんだよ……!」

フェリー埠頭から、突然、フェリーの後方の車両駐車区画の隅に、政雄はテレポートしてしまった。もちろん、自分の意思ではなく、エスパー・キャットの能力が発揮されたからだ!

「バカか?金の入ったバッグが、釣竿のようなもので、船の甲板の上に引き上げられたんだぜ!その野郎かババァか知らねえが、取っ捕まえるためには、船に乗り込むしか、手がねえだろうが!」

政雄の問いに答えているのは、トラ猫のフーテンだ。ただし、政雄の飼い猫でもなければ、オトやリョウの飼い猫でもない!はっきり言うと、野良猫だ!

「そうだ!僕が野球帽の少年に気を取られている隙に、釣竿に鉤針をつけたテグスで、甲板からハンドバッグを釣り上げたんだな?それで、手提げ部分が大きなバッグだったんだ!」

「まったく!油断しやがって!俺が見張っていなかったら、鞄の行方を見失っているところだぜ!」

「ありがとう!礼を言うよ!しかし、なんで、お前がハンドバッグを見張っていたんだ?」

「はあ?俺が偶然、あんな桟橋にいるわけ、ねえだろう、が?ゾロの野郎に対する『一宿一飯の恩義』ってやつよ!」

ゾロというのは、リョウのことだ!フーテンと初めて会った時、リョウは黒ずくめに黒い頭巾の覆面をしていた。『怪傑ゾロ』のなり損ない。しかも、サンシロウの能力を使って、フーテンと戦ったものだから、フーテンはリョウが、稲荷の遣い、狐の化け物と思っているのだ!また、リョウの姉のオトも『キャット・ウーマン』姿でフーテンの前に登場したため、フーテンは、猫科の妖怪が人間のふりをしていると思っている。しかも、オトを妻にしようと、勝手に決めているのだ!それで、たびたび、リョウの家に遊びに訪れる。リョウの祖母は猫好きだから、フーテンを不憫に思って、鰹節のご飯を与えてやるのだ!フーテンは、それを『一宿一飯の恩義』と表現したのだった。

「まあ、話すと長くなる!スペード・クインに、おめえのボディーガードを頼まれたのよ!前に病院で、ナイフで刺されそうになった時のことを、覚えているだろうが!俺さまがいないと、おめえひとりでは、心もとないのよ!」

スペード・クインというのは、オトの『キャット・ウーマン』姿の時の変名なのだ。

「そういうこと!名探偵、荒俣堂二郎には、エスパー・キャットと、少年助手のリョウが必要なのさ!」

車両スペースの階段口に、白い子猫を抱いた少年が立っていた。

「リョウ!まさか……、君まで……、無銭乗船したのか……?」

「うん……、まあ、緊急事態だったからね!乗船キップを買う暇はなかったよ!まあ、降りる時も、タラップは通らないから、無銭乗船には、ならないよ!たぶん……」

「おい!それより、ハンドバッグを釣り上げた人間を探さないといけねぇんじゃないか?ぐずぐずしてたら、帰れなくなるぜ!船が外洋に出る前に、カタをつけねぇと、狐の秘術の距離短縮の術が使えねぇんじゃなかったか?」

「そうだった!サンシロウのテレポート能力にも限界があるんだ……!」

「海の中にテレポート、なんてイヤだよ!寒過ぎるからね……」


「リョウ!どうやら、この釣竿でバッグを釣り上げたようじゃ!」

そう言ったのは、若いキジトラ猫のキチヤだった。ただし、人語をしゃべっているのは、キチヤの曾祖父のキチエモンだ。そこは、一般客は立ち入り禁止の船尾のデッキ。柵が設けてあるが、乗り越えることは、容易い。柵の間から侵入したキチヤが、一本のルアー用の釣竿を咥えて、柵の前に置いたのだった。

「スターシャ!この釣竿を使った人間の残影が見えないかい?」

と、リョウが腕に抱いている、白い子猫に尋ねた。

「無理ね!そいつは、この竿に執着していないから、思念が残っていないわ!」

未来予知能力のあるスターシャだが、釣竿からは、特定の人間が浮かばないようだ。

「キチエモン!ハンドバッグは見つからないのか?」

「ないのう!大事なバッグを抱えて、邪魔な釣竿を残して行ったようじゃ!しかし、其奴は、この船に乗っておる!我等、エスパー・キャットが手分けして探せば、すぐに判明されよう!」

「そうだね!スターシャ、乗船客を調べてくれるかい?怪しい人物がいたら、サンシロウにテレポートしてもらってくれ!僕らは、展望デッキにいるから……」

「へっ!オレンジ色のハンドバッグを見つけりゃあいいんだろう?任せておきな!俺さまの忍びの速さで、すぐに見つけてやらぁ!」

フーテンは、そう言うと、身を翻らせて、客室のある区画に向かった。

「サンシロウ!キチヤは待って!」

と、三毛猫とキジトラ猫が走り出そうとした背中に、リョウが声をかけた。

「キチヤには、別のお願いがあるんだ!」

「なんじゃ?ワシにしか出来んことか?」

「ああ、キチエモンしか頼めない!もうすぐ、この船は外洋に出る。それまでに、犯人を見つけられる可能性は低い!僕らは、このまま、那智勝浦まで行くことになるだろう……。姉貴に連絡が取れなくなるんだ!被害者、というか、嶋岡真澄さんの周辺の調査が進んでいないんだよ!特に、真澄さんの旦那さんと、手紙の相手の青柳守男の周辺のことが、ね……。キチエモン!サンシロウのテレポートで、君は姉貴の元に帰って、茂雄叔父さんに調査をお願いしているから、結果をもらってくれ!」

「しかし、その結果をどうやって、リョウに伝えるのじゃ?」

「猫屋敷の『スカラ』のふたり、サラとプリンスに連絡する方法を頼んでくれ!彼ら『地球外生命体』なら、通信方法を考えてくれるはずだ……!」

「なるほど!彼らなら、テレポートもテレパシーも、サンシロウやサファイアの何倍も強いはずじゃ!彼らと交渉できるのは、ワシくらいじゃからのう……!若いモンには、ちと、荷が重い!サンシロウ!時間がない!さあ!テレポートじゃ……!」


「ゾロ!怪しいやつを見つけたぜ!」

キチヤがテレポートで姿を消し、サンシロウが再び、船内に帰って来た。リョウと政雄は、展望デッキにいる。そこへフーテンが現れたのだ。

「ああ、船尾近くの右側のデッキだ!白い封筒を誰かに手渡していた!確か、『エミ、これが、頼まれた物だ!』と言っていた!」

「それで、そのエミというのは?」

「そいつは、船内にいたから、姿は見てねぇ!早く、野郎を取っ捕まえりゃあいいんだよ!こっちだ!」

フーテンは、身を翻し、船尾の方に走りだす。政雄とリョウは、その姿を見失しなわないことに必死だった。

船が外洋に出る。舵が大きく取り舵に切られる。身体が、デッキのテスリにぶつかった。

「きゃあ~!」

という、女性の悲鳴が彼らの行く手の方から、聞こえてきた。船尾のデッキにふたりの若い男女が居て、女性の方が、悲鳴の声を抑えるように、口に両手を当てている。男性が、海面を指差していた。

「どうなさいました?」

と、政雄が尋ねた。

「ひ、人が……!この下のデッキから……、海へ……」

と、悲鳴を上げた女性が、怯えるように答えた。

「海へ?落ちたのですか?それとも、飛び込んだのですか?」

「わ、わかりません!今、船が曲がった時、テスリに寄りかかったんです!その時、下のデッキから、誰かが海へ……。たぶん、落ちたのだ、と思います!」

海面は、船のスクリューが作り出す白波以外は、もう真っ黒だ!人間の姿は、視界の中には、見えなかった。

「この下のデッキですね!係員に報せましょう!」

何人かの乗客が集まってきた。そして、船員と思われる男が現れたので、事情は、最初の男女に説明を任せて、リョウと政雄は、フーテンに先ほどの怪しいやつを探しにいかせた。

「マズいぜ!この匂い、さっきの怪しいやつの匂いだ!」

「何だって?」

「匂いが薄れているが、一番最後に、このテスリに寄りかかったのが、俺が見た怪しいやつの匂いだ!しかも、血の匂いまでしているぜ!」

「何だって!血の匂い?それじゃあ、そいつは、怪我をしていたのか?」

と、政雄が尋ねる。

「怪我くらいならいいけど……」

と、リョウの腕の中にいる白猫のスターシャが言った。

「残像が残っているわ!背中にナイフを刺された、制服姿の男が、テスリから落ちるシーンが、ね……」

「背中にナイフ?それは……、誰かに刺されたっていうことかい?」

「まあ、自分で刺せる位置ではないわね!よっぽど、手が長くて、変わり者だったら、わからないけど……」

「それじゃあ、殺人事件だぜ……!」

「そんな気がしていたのよ!あのルナちゃんのおばあさんからの依頼だからね……」

「しかし、死体がないよ!目撃者もいない!しかも、僕らは、乗船名簿に名前のない、無銭乗客……」


「とりあえず、那智勝浦に着く、明日の朝までに、『エミ』という金を受け取った女性を探さないと……」

政雄とリョウ、それに、三匹の猫たちは、空き部屋だった二等船室に落ち着いている。

「サファイアがいれば、テレパシーで、犯人の心を読み解けるかもしれなかったね?」

「リョウ!わたしだって、テレパシー能力はあるわよ!ただし、眼の前に犯人がいて、その眼を覗き込む必要が、あるけど、ね……」

「しかし、我々は、オオッピラに捜査活動はできないよ!殺人事件が起きているのは、誰も知らない!海に落ちた死体が見つかるまでは……、単なる、転落事故として、扱われるだろうね……」

「まずは、転落した人物を特定しないとね!その周辺に、『エミ』がいるはずだから……」

「それは、簡単よ!わたしが、船長室に忍び込めば、今頃、転落した人物が特定されて、報告を受けているはずよ!サンシロウ!行くわよ!」

そう言うと、スターシャとサンシロウの姿が部屋から消えた。

「だいぶん、苦労をしているようだね?」

その時、部屋に新たな声がした。部屋の電灯近くに、七色に光る、黄金虫が飛んでいた。

黄金虫が、床に舞い降りると、七色の光の中から、黒い猫科の動物が現れ、次第にその身体が、猫のサイズに大きくなった。その動物は、黒猫の身体に、少し、尖った鼻をした容貌だ。額に半月模様の白い毛があり、その瞳は、右眼がブルーサファイア、左眼がエメラルドグリーン色をしている。地球上には存在しない、オッド・アイの黒猫だった。

「プリンス!来てくれたのか?」

「まあ、オトに頼まれたら、断れないよ!ただし、地球の歴史を変えるような活動はできない!だから、オトと通信ができる機械を持ってきたよ!」

そう言って、プリンスと呼ばれた黒猫は右前足を差し出す。手の中にあったものが、大きくなった。

「何だ?ああ、トランシーバーに似ているね!アンテナのような角がある!だけど、ずいぶん、小型だね……?しかも、数字の書かれたボタンや、三角マークとか?何のためのものなの?」

「簡単に言えば、未来の電話だ!そうだな……、あと二、三十年後には、存在するはずだ!『携帯電話』と呼ばれる通信機器だよ!ただし、現在では、存在しないし、利用するための通信基地もない!」

「じゃあ、使えないんじゃないか!」

「使えないものを持ってくるわけないだろう!通信基地代わりに、我々の飛行服、君たちには黄金虫に見える飛行物体を空中に何機か飛ばしている。その通信機能を使って、オトの持っている、もう一台の携帯電話と通話できる!ただし、通話料金がかかるよ!支払いは、三十年後になるがね……。つまり、その機器は、三十年後にマサが持っている機器なのさ!とりあえず、緑の受話器マークを押して、次に、090✕✕✕番を押してごらん!」

「この電卓のような数字の部分を押すんだね?」

政雄が言われたマークと番号を押すと、電話の呼び出し音のような、機械音がその機器から聞こえてくる。

「電話の受話器のように、耳に当てれば、普通に会話ができるよ!ただし、一分間で千円ほどになるかもしれないよ!」

「ええっ!そんなに高価なのか?」

「まあ、初回、三分間は、無料サービスだ!じゃあ、僕はこれで……。ああそうだ!その機器は充電池が入っている。連続通話で、約八時間かな?無駄遣いはしないことだね……。では、グッド・ラック!名探偵、荒俣堂二郎君……」

と言って、黒猫は消えた。

「もしもし!聞こえている!」

と、携帯電話とプリンスが言っていた機器から、女性の声がした。

「ああ、オトか?不思議だが、はっきり聞こえているよ!そっちは……?」

「うん!普通の電話の受話器と同じよ!これ、便利ね!電話を持ち運べる時代がくるのね!」

「それより、大事な話だ!三分間しか、タダで通話ができないそうだ!」

「まあ、それ以上話したかったら、お金を払えばいいのよ!しかも、三十年後にね!」

「いや!すごく高価だ!国際電話並だ!オト、いいかい、今、僕とリョウは船の上だ!」

「知っているよ!キチヤに聞いて、猫屋敷に行ったんだよ!こんな夜中に!まあ、サンシロウのテレポートで、だけど……。それで、サラにお願いしたら、未来の電話通信機器を取り寄せてくれて、通信網をすぐに作ってくれたのよ!」

「ああ、プリンスから、聞いたよ!それより、親父の調査は、どうなっているんだ?その結果が知りたいんだよ!」

「それね!キチヤに叔父さんの調査結果のレポートを背中に袋を縛り付けて、そっちにテレポートさせるわ!まだフェリーが手結ていの辺りだから、サラのテレポート能力で、キチヤを飛ばせるようなの!だから、また、事件に進展があったら、電話して。荒俣堂二郎君では、事件の解明は難しいでしょうから……。リョウによろしくね!スターシャにも……。彼女が頼りになりそうね……。『ア・イ・シ・テ・イ・ル・わ!』マサさん!」

「待って!姉貴!」

と、政雄の耳元で、リョウが叫んだ。

「ひとつ、早急に調べて欲しい!関係者の中に、『エミ』という、人間がいるはずなんだ!」

「エミ、ね!了解!こちらも、スーパー・キャットを総動員するわ!リズがフーテンを心配しているのよ!バカだから、自信過剰になって、人語を話すことがバレていないかって……」

「だ、誰がバカだ!」

「あら?フーテンも側にいるの?しかも、この声が聞こえるのね?すごい機械ね!でも、『バカ』って言ったのは、リズよ!わたしじゃないわよ!わたしは、フーテンの実力を信じているわ!きっと、犯人を捕まえるのは、フーテンよ!この前の事件の噛み傷が証拠となったように、ね……」

「スペード・クイン!やっぱり、おめえはいい女だぜ!俺の女房になってくれ!」

「バカ!すぐにオダテに乗るんだから……、オトは、人間だよ!それに、もう、マサと結婚する未来は決まっているんだよ!」

「そ、その声は……、姉御……?」


「キチヤ、いや、キチエモンか?ご苦労だったね!」

携帯電話をオフにして、数分後、キジトラ猫が、身体にナイロン製のヒモつきの袋を縛り付けて、船室に現れた。

船室には、リョウと政雄がいるだけで、猫たちは、船内に散って、情報を集めることになった。

「ウゲェ!何じゃ?この感覚は……?テレポートも、あまりに長い距離を翔ぶと、船酔いのような気持ち悪さじゃぞ!」

「そりゃあ、肉体(=キチヤ)と、憑依している魂(=キチエモン)が違っているんだもの!わたしは平気だったわよ!」

「あっ!リズも一緒にテレポートしてきたのか……?」

一瞬、遅れて、シャム猫が船室に現れたのだ!

「リョウ!久しぶりね!フーテンのことが心配でね……。あいつ、この前の病院での事件で、マサの危機一髪を助けた、と思っているだろう?あれは、三毛猫がフーテンを振り上げた、犯人の手首の前にテレポートさせたんだよね?フーテンは自分の忍びの能力だ、と勘違いしているんだよ!今回も、どうやら、テレポートやテレパシーといった超能力が必要になるんだね?わたしの能力が役にたてると思ってね!わたしは、リョウが好みなのさ!何かあったら、フランス人の彼女が悲しむからね!スターシャやサファイア以上の能力はあるつもりだよ!実は、もう、人間の子供には、変身できるんだよ!この鈴があればね……」

リズの首に赤いリボンが巻かれていて、その先に、鈴の形をした黄金の飾りが付いている。

「これは、狛犬に封印した、ルシファーの部品から作ったものさ!地球にはない金属で、潜在能力をフル活動できるようになるんだ。ただし、短時間にしとかないと、身体が悲鳴を上げるけどね……。ちょっと変身してみようか……」

そう言って、リズは身体をふるわせる。すると、身体が大きくなると同時に、前後の足の形が変わる。二足歩行の動物になったと思うと、次の瞬間、洋服を身にまとった、金髪の女の子に変身したのだ!

「どうだい?ルナに似ているだろう?まだ、完璧ではないけど、ね……」

「確かに、ルナちゃんに似ている……。ルナちゃんは、フランス人じゃないけど……。ハーフなんだよ……。だけど、妖精というより、小悪魔に見える……、どうしてだろう?」

「まあ、ルナとは、経験が違うからね!修羅場をくぐった場数が、ね……」

「しかし、すごい能力だ!人間の少女にしか見えない!」

と、政雄が驚く。

「さて、まずは、オレンジ色のハンドバッグを見つけに行くわよ!わたしのことは、リズはマズイから……、リサと呼んで!時間がないから、テレポートするわ!何かわかったら、リョウにテレパシーを送るわ!じゃあ、ね……」

「我々は、まず、親父の調査結果を確認しよう。まだ、数時間の調査だから、人間の関係表くらいだろうが、『エミ』がいるかもしれない……」

リサ(=リズ)がドアをすり抜け、消えたあと、キチヤの背中の袋を外して、政雄が言った。

「リズの能力……、どこまで伸びるんだろうね?猫又以上だよ!」

と、リョウは政雄の言葉とは無関係の会話をした。

「ああ、だが、リョウのことが好きみたいだ!味方になってくれるようだ!頼りになりそうだね……」

リョウの言葉に相づちを打ちながら、政雄は袋の中のレポート用紙を取り出し、二つ折の紙を開く。

「まず、手紙の宛名にあった『青柳守男』について、N大学四年の冬、山岳部のパーティの一員として、立山連峰を登山中に雪崩に合い、三名が滑落。内、一名が、奇跡的に助かる。残り二名は、行方不明。遺体は見つかっていない!その不明者の一人が青柳守男。もう一名が、嶋岡雄大。学生結婚をしていた、真澄の夫だ。助かった一名は、保森祥一。ただし、下半身不随の状態で、現在も車椅子生活らしい……。十七年前のことだ!ふたりは、死亡の認定がされている」

「青柳と嶋岡さんの家族は?」

「青柳には、姉がいたらしい。名前は美幸さんだ。現在の状況は、調査中。嶋岡雄大には、弟がいる。洋史というひとつ違いのね!こちらも調査中……。真澄さんには、娘がいる!真湖さんという、高校生だ!つまり、父親の雄大さんが亡くなる、半月前くらいに生まれているようだね」

「真澄さんと、青柳守男の関係は?手紙が恋文だとしたら、高校時代のことになるよね?まさか、真澄さんが青柳と嶋岡の二股をかけていた、とは、思いたくないんだけど……」

「真澄さんも、青柳も、そして、嶋岡も同じ高校の卒業生だ!僕の大先輩になるようだね!真澄さんは、ひとつ年下だが、三人は同じ、写真部に所属していたらしい。嶋岡雄大の卒業アルバムに、写真部のメンバーの記念写真があって、真澄さんも写っているそうだ。ただし、真澄さんの隣には、青柳守男が笑顔で写っているそうだよ!」

「その写真が欲しいね!スターシャに見せれば、三人の過去と未来がわかるかもしれないよ……」


「わかったわ!真澄さんに連絡して、すぐに、写真をテレポートさせるわ!」

と、携帯電話の向こうで、オトが言った。

「真夜中だぜ!大丈夫かい?」

「大森さん家に待機中よ!だって、事件が進行中なんだもの……。あっ!それから、大森のおばあさんから伝言よ!その船に、清華さんが乗っているって!東京の出版社に用事があって、上京する予定だったの!本当は、新幹線を利用するつもりだったんだけど、サファイアのテレパシーを受けたルナちゃんが、フェリーにして欲しい、と言ったの。それで、マサさんとリョウの乗船キップも購入しているようよ!一等船室だって!係員に訊けば、船室がわかるはずよ!無銭乗船じゃあないから、堂々と調査ができるでしょう?」

どうやら、スターシャの未来予知が働いて、政雄とリョウがフェリーに乗り込む可能性を姉のサファイアにテレパシーで伝えていたらしい。それをサファイアの飼い主のルナから、大森清子に伝え、フェリーの乗船キップを購入しておいたようだ。

「それと、関係者に『エミ』という女性は、見当たらないわ!卒業名簿には、いるけど……、関係性は薄い人間よ!」

「わかった!じゃあまた、何かあったら、連絡するよ!」

と、政雄は、携帯を切った。

「無銭乗船じゃなくなった!清華さんのいる、一等客室を探そう……」

 ふたりが部屋を出ようとした時、サンシロウとスターシャが帰ってきた。

「あら、部屋を移るの?たぶん、17番の部屋ね!マサの知り合いがいるから……」

 と、いきなり、スターシャが未来予知をする。

「それより、海に落ちたと思われる男がわかったわ!厨房でアルバイトをしている予備校生で、山内拓也。大学浪人だそうよ!出港間際に、お腹が痛いと言って、トイレに走ったきり、下船した気配はないらしいわ!厨房係が船長室にいたけど、わたしが見た残像の制服と同じものを着ていたから、ほぼ間違いないわね!」

「山内拓也の知人、関係者を調べないと……」

「明日の朝までに?無理よ!それより、乗船客を当たるほうが早いわ!」

「いや、五百名くらいいるんだ!しかも、夜だから、寝ている人もいる!仕方ない!罠を張ろう!」

「罠?」

「例のオレンジ色のハンドバッグと同じかよく似たものを用意する。スターシャ!マサさんの頭の中を覗いて、ハンドバッグの映像をシズカにテレパシーで送るんだ!フーテンをサラのテレポート能力で、送り返して、ハンドバッグを……店から、一時的に借りてきてもらう!それを我々が見つけたことにして、犯人を誘き出す……!」

「確かに、ハンドバッグは見つかっていない!その山内という男がどこかに隠した可能性が高いね……」

「おそらく、山内が釣竿で釣り上げて、竿はその場に棄てて、バッグを持ってフェンスを越えた。そのあと、現金の入った封筒を取り出し、『エミ』に渡したんだ!封筒だけ、を……。バッグは、エミの手には渡っていないし、エミはその行方を知らないはずだ!そして、そのバッグを用意して、あの桟橋においたのは、山内ではないはずだよ!あんな目立つバッグを男は提げていけないからね……」

「確かに……、エミはハンドバッグの行方を気にしているだろうね?唯一の証拠品だからね……」

「でも、借りてくるって、黙ってよね?まあ、フーテンの得意芸か……」

「フーテンにフィリックスの助っ人を頼めば……、完璧だね……」

「名探偵が、『猫の手』を借り過ぎよ……!」


「あら、マサ君じゃない!お久しぶりね!すっかり、好青年になったわね!」

そう言ったのは、今年、御歳おんとし六十歳、還暦を迎える老女だ。

「す、いや、梅沢先生!」

政雄は、その老女のニックネームを言いかけて、言葉を飲み込み、本名を呼んだ。

「あら、『砂かけババァ』って言いかけたわね?懐かしいわ!もうそのあだ名で呼んでもらえなくなったもの……」

政雄の高校時代の恩師?である梅沢園子は、去年の暮れに、退職したのだ。理由は、いくつかあるようだが、一番の理由は、最愛の夫が癌のために亡くなったことらしい。夫も教育者で、夫婦とも、戦後の若い世代の育成に人生をかけてきたのだ。そのパートナーを失くしたとたん、彼女も、教壇から降りる決心をした。

「先生、お元気そうで、なによりです!ご退職なさったと、伺いましたが?まさか、こんな船の上で、お目にかかるとは……、しかも、大森清華さんとご一緒とは……?」

政雄とリョウは、一等客室にいるはずの清華を探そうと、部屋を出た。その時、船内アナウンスが流れて、政雄の名が呼ばれ、大森清華が、レストランでお待ちだと知らされた。最上階のレストランに行くと、席に案内された。そこに、清華と一緒にいたのが、『砂かけババァ』こと、梅沢園子だったのだ。

「まあ、偶然よ!わたしは東京の娘に、四人目の孫ができてね!会いに行くところ……。清華さんは、わたしの教え児よ!二年、三年と、担任していたの」

「ええ、高校時代の恩師ですわ!東京の大学へ進学しなさい!と、背中を押してくれたのも、梅沢先生ですし……」

清華は、大森家の一人娘。両親は、婿養子をもらって、大森家の安泰を図りたかったのだ。清華は、文学が好きで、将来、文筆家として生きたい夢があった。全国作文コンクールで、優秀賞ももらったこともある。だから、夢を実現するために、東京の大学へ進学を希望した。両親の反対を口説き落としてくれたのが、担任の園子だった。現在、多少なりとも、文筆家として収入を得ているのは、その時の園子の後押しのおかげなのだ。

「清華さんには、才能があったのよ!マサ君には、ないみたいだけど……。そう、ルミさんと同じか、それ以上に、ね!ただし、ミステリー小説ではなく、純文学のほうだけど……」

「先生!純文学では、生活できませんのよ!エッセイとか、評論とか、編集の手伝いとかで、やっと暮らしていたのです!マサさんは、才能がありますわ!名探偵としての、ね……」

「そうらしいわね……高校時代も、謎解きが得意だったわね?懐かしいわ!名探偵『荒俣堂二郎』……」

「まあ!マサさん、高校時代から、荒俣堂二郎を名乗っていたの?」

ふたりの女性の会話が続く。政雄は、口を挟むきっかけを探し出せないでいた。

「あら、荒俣さん、こんなところにいらっしゃったの?ずいぶん探しましたわよ!」

政雄の背中に声をかけたのは、金髪に青い瞳。シルバーブルー系のドレスに、毛皮のコート。まるで、『おしゃれ泥棒』のオードリィ・ヘップバーンと見間違えるほどの美人だった。

「ルナ!な、わけがないわね……。ごめんなさい!娘にそっくり……、と言うか、娘が成長した姿に見えてしまって……」

と、清華が息を飲み込むように言った。

「あっ!リズ、じゃない!リサさん!」

「えっ!リョウ!これが……り、リサさんなのか……?」

「ど、ドレスに衣装替えされたから、別人に見えましたよ!」

「あ、ああ、そ、そうだった……」

リョウと政雄も、言葉を探すように言った。

そこには、変身したシャム猫のリズこと、人間の名前はリサが、少し大人びた容姿にバージョンアップして現れたのだ!

「マサ君!あなた、外国人の彼女がいたのね……!」


拾壱

「わたしは、リサ。荒俣堂二郎の助手ですわ!実は、事件の調査でこの船に乗り込むことになったのです!」

と、リサが席について、園子に自己紹介と、事情を語った。

「先生!その事件というのが、わたしの友人の嶋岡真澄、旧姓、村上真澄さんに関わることなんです!」

「まあ、村上さんの?あの方は、新婚の時に、旦那さんが事故でお亡くなりになって、小さなお子さんを女手ひとつで育てているんでしょう?」

「ええ、高校生の女の子がおいでです!確か、真湖まこさんと、おっしゃったと……」

「堂二郎さん!よろしいですか?調査の進展状況です!海に落ちたと思われる、山内拓也の行方は、海上保安庁の巡視船が調べるようです。彼の身の回りに、怪しいもの、事件につながるものは、発見できていません」

と、リサが清華と園子の会話を遮るように言った。

「あら、やっぱり、誰かが、海に落ちたのね?船内放送で、行方のわからない人間がいないかって言ってたわね……」

と、園子の雄弁は収まらなかった。

「そうだわ!母から、荒俣さんとリョウさんの乗船キップを頼まれていたのよ!はい!これが一等客室のキップよ!」

と、清華が急に思い出したように、ハンドバッグから、乗船キップを取り出して、政雄に手渡した。

「では、清華さん、梅沢先生、良い船旅を……!我々は、調査がありますから……」

と、政雄が立ち上がる。

「あっ!梅沢先生!村上真澄さんと、青柳守男さんは、高校時代、恋人同士だったのですか?それと、嶋岡雄大さんと結婚したいきさつをご存知ないでしょうか?」

と、リョウが尋ねた。

「この子は?」

園子が訝しげに政雄に尋ねる。

「はい!政雄の従弟で、リョウと言います!探偵の助手です!」

「まあ!マサ君の従弟さん?おいくつ?小学五年生?じゃあ、ひょっとして、『ミステリー同好会』の同人誌に、コラムを書いた、オトさんの弟さんなの?あの方はマサ君の従妹だったから……」

「そうです!あまり似ていない姉弟ですが……。それより、真澄さんのことを……」

「あっ!そうね!清華さんもよくご存知でしょ?真澄さんと守男君は、写真部の部長、副部長で、それは似合いのカップルだったわ!雄大君は、やんちゃ坊主で、八方美人。モテたのは、雄大君ね!だから、大学に入った後で、雄大君が真澄さんに猛アタックした、と訊いているわ!真澄さんの心変わりは知らないけど……」

「清華さんは、その辺りの事情はご存知ですか?」

「さあ、大学時代は、あまり付き合いがなかったのよ!お互い、シングル・マザーになって、親しみが湧いたのよ!ただ、真澄は、雄大を選んだのを悔やんでいた、って気がするのよ!理由は、よくわからないけど……」


拾弐

「本当に、あの梅沢先生って、お喋りだね!結局、真澄、守男、雄大の関係ははっきりしない!でも、事件は、そこから始まっているはずだよ!」

「まあ、定年退職近くまで勤めた教育者だ。大目に見てやってくれ!それより、このハンドバッグ、よく見つけたね!確かに、これと同じものだ!」

一等客室に入った政雄とリョウの元に、フーテンがテレポートされてきた。その首にオレンジ色のハンドバッグがぶら下がっていて、中に一枚の写真が入っていた。真澄と守男が並んだ、写真部の卒業写真だ。ふたりから離れた位置に『雄大』とペンで名前の書き込みがある、ハンサムボーイが写っている。

「さて、フーテンにまた活躍してもらうよ!罠を仕掛ける。まず、船内アナウンスで、オレンジ色のハンドバッグが見つかった。忘れ物と思われる。心当たりの方は、船内カウンターにお越しください!と伝えてもらう。おそらく、罠を恐れて、犯人ではない、別人が代わりに受け取りにくるだろう。そこで、フーテンがそのバッグをカッパらって、船尾の立ち入り禁止ゾーンへ逃げ込むんだ!代わりにきた人間は、諦めて、犯人にそのことを伝える。犯人は、まさか、猫が罠を仕掛けているとは思わない。自ら、バッグを取り返しにくるはずだ!」

「そこで捕まえるんだな?」

「いや!見逃す!ただし、フーテンにまた、噛み傷を手首に付けてもらう!共犯者がいる可能性もあるし、警戒されないように、フーテンだけの活躍を期待しよう!バッグは本物ではないから、犯人の手に渡すわけにはいかないからね!一時、借りただけだから……」

「そうだった……汚したら……?」

「買取りだね!まあブランド品ではないから、高額ではないだろうから……」

「よし、僕が船員に頼んで来よう!猫たちは目立たないように、怪しい人間を探ってくれ!」

そう言って、政雄はロビーに行く。リズは元のシャム猫に戻って、デッキのイスの下に入った。フーテンとサンシロウは、バッグをカッパらう、その瞬間をロビーの隅で待機している。リョウはスターシャを抱いて、行き交う船客を見回している。キチヤは、船室の辺りを回遊しているのだ。

船内アナウンスが流れて、何人かの客が、バッグを眺めにきた。リョウが、スターシャを使って、サンシロウに合図を送る。フーテンがテレポートして、何人かの視線が集まっていたオレンジのハンドバッグの持ち手に首を突っ込み、あっという間に、ロビーを後にして、船尾に駆けて行く。ロビーにざわつく声が響いた。

それから、約一時間後、船尾の立ち入り禁止の柵の前に、辺りを気にしながら、何者かがやってきた。右手に懐中電灯を提げている。

柵のすぐ中に、トラ猫がうずくまり、その身体の下にオレンジ色のハンドバッグが敷かれる形で見えていた。猫は、寝ているようだ。

(シメシメ、猫はハンドバッグを座布団代わりに寝ているようだ!今のうちに……)

その人物はそっと柵の隙間から手を伸ばし、トラ猫が敷いているハンドバッグの持ち手を掴んだ。

「ギャア~!」

という悲鳴が、船尾に響き、足音も高く、その人物は走り去る。

(チエッ!噛みごたえのない野郎だぜ!今回は、反撃もしねぇのかい……)


拾参

「さて、ガニマール警部になった気分だよ!」

朝日が登り、『さん・ふらわぁ号』は、最初の寄港先である、那智勝浦に接岸している。このあと、東京へと船旅は続くのだが、スターシャの未来予知では、犯人はこの那智勝浦で下船する、と出ていた。確かに、始末した、山内拓也の死体が発見されれば、船内の乗客、乗員は取り調べのため、足留めを喰らう。まだ、死体が発見されないうちに下船するのは、当然の行動だ!現金は手に入れたはずだから……。

政雄とリョウは、船が接岸する前に、岸壁にテレポートしている。下船する乗客を見張るためだ!フーテンとサンシロウ、キチヤは、車で下船する乗客を見張っている。ただ、フーテンが噛みついた人物は、タラップを降りてくる、と、スターシャだけでなく、リズも予知しているのだ!

「フーテンが言うには、手首と掌の間を噛んだそうだよ!その掌を噛んだ感触では、どうも、男性のようだ、というんだ!『エミ』ではないかもしれないね……」

「パーカーで、頭まで隠していたんだね?今は、違う格好だろうけど、スターシャが教えてくれるさ!」

「本当に『猫頼み』な探偵だ……」

政雄は、中折れ帽を斜めにかぶっている。コートはダッフルコートだが、前は開けていて、スーツ姿だ。手には、伸縮式のスティックを杖か、警棒の代わりに持っている。彼が『ガニマール警部……』と言ったのは、『怪盗ルパン』シリーズの第一作目『ルパン逮捕』のニューヨーク港の場面を言っているのだ。豪華客船から降りてくるルパンの変装をガニマール警部が、ステッキを使って、見破るシーンだ。

タラップが降ろされ、乗客が下船を始めた。数人のグループ客、年寄夫婦のあとから、青いニット帽に、スタジャンを着た若い男性が、左右を気にするように、視線を送りながら降りてきた。

「ミャー!」

と、スターシャが鳴いた。

「よし、あいつだな!」

そう言って、政雄は足早に男に近づく。

「あっ!申し訳ありません!内ポケットに仕舞われている、封筒をお返し願いますか!」

「はぁ?な、何のことだ?」

政雄の喚びかけに、青年は驚いて、ジャンバーのポケットから、両手を出した。

「これが、証拠だ!」

政雄は、右手に持っていたスティックで、青年の右手首を軽くしばいた。

「い、イタタ!」

「ほら、昨夜、というより、今朝、早朝!フェリーの船尾で、オレンジ色のハンドバッグを取り返そうとして、トラ猫に噛みつかれた傷痕だ!名探偵、荒俣堂二郎をナメるんじゃないぜ!」

「クソゥ!」

と、男は痛めた傷痕を押さえ、そのあと、身構えたが、目の前の男の持つスティックに恐れを感じたのか、いきなり、脱兎の如く、駆け出して行った。その方向は、フェリーから降りてくる、車の列がある方向だった。そして……。

「あっ!危ない!」

と、政雄が叫んだ時、脱兎は、大型トラックにぶつかり、宙を舞っていた。

「きゅ、急に飛び出して来やがって!」

と、急ブレーキを踏んだトラックの運転手が運転席から降りて来ながら、呟くように言った。

「まだ息がある!早く!救急車を!」

政雄が、駆け寄り、跳ねられた男の身体を抱える。そのすぐ脇で、白い子猫と三毛猫がなにやら確認し合っていた。

「また、大事な糸が切れたわね……!現金を入れた封筒は、かえってきたけど……」

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