第3章 荒俣堂二郎の冒険 参 探偵、猫を利用す

「金八さん、先日の恭一郎さんの葬儀の場で、会社の関係者にお会いしましたか?」

と、政雄が尋ねる。

事件の所為で、靖子が予定していた、関係者への紹介は、滞っていた。葬儀の場で、靖子の祖父、望月五郎八とは、会話を交わした。あとは、陽一郎の父親の辰彦、聡一郎の父親の勝也には、挨拶しただけだった。三人の元お妾さんと、翔平には、視線を交わしただけだった。

「俺は、何のために、この別荘に泊まらされているんだ?別に、失踪はしないから、アパートへ帰っても、いいんじゃないのか?」

「弥生さんが、いつ目を覚ますかもしれません。その時、あなたがいると、いないでは、後継者選びが、全然違ってくるのです!」

「目を覚ます?息を引き取るほうが、可能性が高いんじゃないのか?」

「その場合でも、瞳さんの側にあなたがいる必要があるんですよ!」

「まあな……、瞳の側には、居てやらないとな……」

「金八さん、五郎八さんとは、お話しなさったのですか?」

と、リョウが尋ねた。

「探偵さん、この子は?」

「あっ、すみません!荒俣探偵の助手で、従弟のリョウといいます」

「少年探偵助手?小林芳雄みたいなもんか?」

と、金八は、江戸川乱歩の小説に登場する、明智小五郎の助手の名前を例に出したのだ。

「金八さんは、ご結婚前は、タチバナ組で働いていたんですよね?それに、五郎八さんは、父親替わりの方ですよね?積もる話もあったでしょう?」

「五郎八さんも、弥生との結婚には、反対していたので、結婚後は、縁切り状態だった。葬儀の最中だったから、挨拶して、会社の近況を尋ねただけだった。いずれ、ゆっくり、と言って別れたよ。そのあと、妾の旦那と挨拶したからな……」

「靖子さんとは、ご結婚前とかに、会ったことはないのですか?」

「ああ、五郎八さんのひとり息子は、東京の大学へ行って、学生時代に知り合った女性と結婚したんだ。こちらも、親に反対されたようだ!孫が生まれたが、たぶん、顔を見せに、帰省したことなどなかったんだろうよ。だから、孫がいることは知っていたが、それが彼女だとは、全く知らなかったよ……」

そこまで、会話が進んだ時、部屋のドアが強くノックされた。

「荒俣さん、急用です!」

と、今、話題になっていた、女性の声がした。

「まさか、弥生が……?」

そう金八が呟いた時、ドアが勢いよく、内側に開かれた。

「今、翔平さんから連絡があって、加奈子さんが、自宅で倒れているそうです!しかも、毒と思われるものを飲んで、意識がなくて、救急車を呼んだそうです!」

「毒らしきものを飲んだ?それは、自殺を図ったってことですか?」

「わかりません!翔平さんが、会社から帰ってきたら、居間のソファーの上で、倒れていたそうです。床に、吐血の跡があるそうです。病院は、県立総合病院だそうです!ご一緒に行っていただけませんか?」

「警察には?」

「いえ、服毒とは、限らない。食中毒かもしれないんですもの……」

「ヒ素化合物と思われる、毒物の摂取による、中毒死。自殺と他殺の両面から、捜査している」

と、安田警部補が言った。

「まあ、ヒ素で自殺する人間は、まず、いないな!苦(にが)いし、マズイ!自殺するなら、睡眠薬を使うだろうからな……」

「では、他殺……、殺人事件なんですね?」

と、政雄が確認するように、尋ねた。

靖子と総合病院に駆けつけた時には、加奈子は死亡していた。毒物の摂取による死亡であることから、警察に届けられ、捜査が始まったのだ。

「殺人だとすると、息子さんの恭一郎さんの事件に関連している、と、考えられますよね?」

と、リョウが尋ねた。

「政雄君、この子は?」

と、安田警部補が、不思議そうに尋ねた。

「ヤスさん、この子は、政雄君の従弟で、探偵助手のリョウ君です」

と、相棒の北村刑事が説明した。

「フウン、賢そうな眼をしているな!シゲさんに似ているか……?」

「いや、母方の従弟でして……」

と、政雄が説明を加えた。

「まだ、断定はできないが、短期間に、同一家族が殺されたんだ。関連がある、として捜査を進める」

「連続殺人事件、か……。手口は違っていますね?毒物は何に含まれていたのですか?」

「胃の中から、チョコレートの成分が見つかった。自宅に、ウィスキー・ボンボンの包み紙と、プラスチックの容器に入った、チョコレート菓子が見つかった。今、そのチョコレートを調べている。まず、間違いなく、チョコレートにヒ素化合物が混入されているはずだ!」

「そのチョコレートの入手先は?」

「加奈子は、チョコレート・ボンボンが大好物で、常に、プラスチックケースに入れていたそうだ。周りの人間は皆、知っていただろうな……」

「誰かが、毒入りのチョコレートをケースのチョコレートと入れ替えた、ってことですね?」

「ああ、一番、怪しいのは、夫の翔平だが、動機がない!翔平にとって、加奈子と恭一郎は、出世するための貴重な人間だからな……」

「動機か……?橘家の後継者争い、では、ない可能性もあるんですよね……?」

「ああ、そこなんだよ!我々が知らない、一族の秘密が、あるのかもしれないからね。政雄君、橘家の人間のことで、何か情報を掴んだら、すぐに連絡してくれよ!どこかの探偵さんのように、秘密主義は、ご法度だぜ!」

「そういえば、加奈子が、急に恭一郎君は、豪三郎の息子ではない、と言い出した理由が、永遠の謎に、なってしまいましたね……」


拾壱

「スターシャ、どうだい?あと、会っていない、五郎八さんと、元お妾さんの旦那、三人と瞳さんの写真はこれだよ!」

別荘の与えられた部屋で、政雄が手に入れた写真を床に並べた。白い子猫がゆっくり、それを眺めている。

「無理だわ!瞳さん以外は、凡人ね!五郎八さんは、頑固者かな?」

「瞳さんは、どうなんだい?」

「彼女は、なかなかの才女ね!もし、犯罪を計画するとしたら、完全犯罪を企むタイプかもね……?」

「十五歳だぜ!」

と、政雄が言った。

「才能の問題よ!例えば、オトだって、その才能はあるわ!ただ、その才能を犯罪には使わないだけよ!」

「ええっ!オトが?」

「充分あり得るね!」

と、政雄は驚き、リョウは納得した。

「しかし、そうなると、今回の殺人を計画して、実行できる人間は……?」

「今のところ、元お妾さんのふたりと、聡一郎と瞳さん……?」

「あと、靖子って女性も、瞳に負けないくらいの才能がありそうね……」

「スターシャ!まさか、靖子さんを疑っているのか?」

「マサさん、才能の話だよ!その才能を使ったかは……、スターシャには、わからない。そこからは、我々、人間の捜査に関わることだろうね……」

「金八は、犯罪者には、なれそうにないけど、何か、心に秘密を抱えているみたいね!それが五郎八に関係しているかもしれないわ」

「金八さんは、五郎八さんの息子のように育てられたんだろう?まあ、家庭内のいざこざとか、秘密にしたいことは、あるだろうな……」

「スターシャ、その秘密が、今回の事件と関係しているようなのかい?」

「うん、たぶんね……」

「よし!まずは、その秘密、金八さんと五郎八さんの過去を探ってみるか……」

「リョウ、過去って、どうやって、探るんだよ?」

「五郎八さんに尋ねたら……?金八さんは秘密にしたいことでも、五郎八さんにとっては、どうでもいいことかもしれないだろう?」

「なるほど、それは、あり得る……」

「金八さんの秘密としたら、出生に関することか、弥生さんとの結婚のことだろうからね!五郎八はどちらも知っているはずだよ!」

「出生?」

「ああ、だって、『金田金八』って、本名がわかっているんだよ!そしたら、普通は、両親を探して、親と暮らせるようにするよね?それをしなかったのは、理由があるはずさ!五郎八さんは、それを知っている、と思うよ……」

「金田某(なにがし)が父親なんだろうね。確か、最初に会った時に、『金のない親父が金だらけの名前をつけた』って、自虐的に自己紹介をしてくれたよ」

「金八さんが、そう言ったの?」

「うん、正確ではないかもしれないけど、だいたいは……」

「孤児だったんだよね?それなのに、名前をつけたのが、父親だと知っているなんて、不思議な気がする……」

「そういえば、そうだな?父親のことを覚えているくらい、大きくなってから、孤児になったのかな?」

「それとも、母親の書き付け──守り袋に入っていた、という──に、詳しく書かれていたか……?あとは、単なる、笑いを取るための、創り話か……?」

「荒俣さん、お電話ですよ!北村さんって方から……。刑事さんですよね……?」

靖子が、ドアをノックして、廊下から声をかけてきた。政雄とリョウは、玄関脇にある、電話室に向かった。

「政雄君、ちょっと、新しい情報が入ったものでね……」

と、北村刑事が切り出した。

「音阪病院の看護婦の話なんだ。あの恭一郎が殺害された朝に、彼の死体を発見した看護婦が、思い違いかもしれないんですけど……、と、切り出して……」

夜中の病棟見回りは、別の看護婦が行った。その時、末期ガンで入院中の患者が、苦しんでいたので、担当医師を呼んで、鎮痛剤を注射した。その看護婦は、夜勤明けで、事件発覚時には、帰っていた。

「で、遺体を発見した看護婦が言うには、病棟へ入るドアの鍵を、夜勤の看護婦が閉め忘れてたんじゃないかと……」

確実ではないが、ドアの鍵を差し込んで、回した時、逆に鍵が掛かってしまった。その時は、自分の操作ミスだと思ったので、気にもしなかった……、と彼女は申し訳なさそうに言ったのだ。

「つまり、午前三時過ぎから午前七時頃まで、ドアの鍵が掛かっていなかった、可能性があるんですね?」

と、政雄が念を押すように言った。

「ああ、ただ、夜勤の看護婦は、鍵の閉め忘れは、否定的だ!患者の急な対応があったので、絶対にない、とは言えないそうだが……」

と、言って、北村刑事は電話を切った。

「夜勤の医師と看護婦が、鎮痛剤の処置をしていた時間帯は、鍵が掛かっていなかったはずだよね?」

と、政雄から、北村刑事の電話の内容を訊いたリョウが、確認するように言った。

「ああ、中に鍵を持った職員がいる時は、ドアには鍵が掛かってない、っていうことだったね」

「犯人は、その間に、侵入して、殺人を犯したのかもしれないね……」

「確かに、二十分から、三十分くらい、鍵の掛かっていない時間帯があった、ということか……」

「ただし、ドアの側には、ナース・ステーションがあって、職員の眼が光っていたはずだけどね……」

「それと、鍵の閉め忘れがあったとしたら、かなりの時間、鍵の掛かっていない状態だった……。密室殺人では、なくなったね……」

ふたりが、そんな会話をして、電話室を出る。そこへ、

「荒俣さんだったっけ?みんな、探偵さんって呼ぶから、名前を忘れそうになったよ……」

と、陽一郎が声をかけてきた。どうやら、電話室に、政雄とリョウがいることを知って、待ち伏せしていたようだ。

「探偵さん、で、いいですよ。ところで、何かご用ですか?それとも、自首をするつもりですか?」

「じ、自首?まさか!俺は殺っていないぜ!恭一郎も、加奈子おばさんも……。それどころか、次は、俺の番だ!狙われるとしたら、だがな……」

「あなたを殺したい人間が、いるのですか?」

「後継者問題を考えている人間、あるいは、後継者問題による殺人と、世間に思わせたい人間なら、いるんじゃないか?」

「思わせたい人間に、あなたは狙われるのですか?聡一郎さんでなく、あなたのほうを……?」

「どちらでもいいのかもしれない。本命は、恭一郎だった。それの動機をゴマかすために、加奈子おばさんと、俺を殺すんだ!ほら、『ABC殺人事件』っていう小説があるだろう?本命はひとりだが、動機を隠すために、まったく関係のない人間を殺すってやつ……」

「しかし、本命が恭一郎さんなら、もう危ない橋は渡らないのでは?動機も『後継者争い』だと、考えている捜査官もいるようですし……」

と、政雄が否定的な意見を述べる。

「陽一郎さん、例えば、逆に、あなたが『後継者問題』以外で、誰かに、殺したいほど、恨みを買っている、としたら、恭一郎さんと加奈子さんの殺人が、動機をカムフラージュするためのもの、だと考えられますけどね……?」

と、リョウが陽一郎の反応を伺うように、切り込んだ。

「まさか!俺には、そんな人間はいない!しかし、予感がするんだよ!俺は誰かに狙われているってね……。それで、ここからは、内緒の話だ!今夜、俺は、『ネハン病院』に泊まることになっている。犯人は、その期を見逃さず、俺を殺しにやってくるはずだ!どうだい?犯人を捕まえる、絶好の機会(チャンス)だとは、思わないか?俺と代わって、病棟に泊まり込めば、犯人に、お目に掛かれるぜ……!」


拾弍

「まったく、何で俺の提案を受け入れないんだ!絶好のチャンスだぜ!」

音阪病院の病棟の一室で、陽一郎は、ベッドの端に腰をかけて、独り言を呟いた。荒俣探偵は、

「まあ、今夜は大丈夫でしょう?またの機会に……」

と、言って、陽一郎の提案を無視したのだ。

夕食後、別荘から車で病院に向かった。靖子が同行している。靖子は、陽一郎が間違いなく、病棟に入るのを確認して、車で別荘に帰っていった。

「きちんと、鍵は掛けておいてくれよ!明日は、日曜日だから、起こさなくていいぜ!夜中の見回りも不要だ!中から、ドアが開かないように、ベッドを移動させておくからな!」

と、ナース・ステーションの夜勤の看護婦に言って、陽一郎は、病棟に入った。部屋は、恭一郎が殺害された部屋ではない。弥生が眠る部屋に近い、個室だった。

ベッドは、窓際にボルトで固定されていて、彼の目論見は果たせなかった。ほかに、ドアを中から支える、バリケードになるものはない。元、精神病患者の病棟である。患者が中からドアを閉め込む手段など、あるはずがないことに、彼はその時気づいたのだ。

「こんなことなら、荷物の中に、鉄アレイでも入れてきたらよかったぜ!今夜は、徹夜だな……」

そう言って、荷物から文庫本を取り出して、ベッドに寝転んだ。だが、その目論見も、午後十時の看護婦の見回りと、消灯により、儚く消え失せた。

「何だよ!本も読めないのか?朝まで、この闇の中で、まんじりとしていろ!ってことかよ!」

その時、ドアの側に、何かが動く気配がした。慌てて、荷物の中から、懐中電灯を取り出したが、その前に、ドアの側で、懐中電灯の灯りが点った。

「しっ!陽一郎さん、静かに……。僕です。探偵の荒俣堂二郎ですよ……」

と、懐中電灯の光を自分の顔に向けながら、政雄が言った。陽一郎には、胆試しの幽霊役のように見えている。

「な、何で、探偵さんがここにいるんだ?どうやって、この病棟に入ってきたんだ?」

と、懐中電灯を持ったまま、灯りはつけないで陽一郎が尋ねた。

「あなたの提案を受けるためです。病棟には、医院長にお願いして、事前に入っていました」

と言いながら、政雄は、ベッドの側に歩み寄った。

「しかし、今、ドアが開いた気がしなかったんだが……」

「先ほど、電気が消えて、看護婦さんが出た時に、入れ違いに入っていたのですよ!」

ベッドの上に、懐中電灯を置いて、政雄は説明する。

「何で、そんな、ややこしいことをするんだ?しかも、一度は、俺の提案を断ったくせに……?」

「あなたと入れ替わることを、誰にも知られたくないからです!『壁に耳有り、』ですからね……。それでは、入れ替わりますよ!」

「でも、ベッドはひとつで、しかも、シングルだぜ!ベッドの下には、入れないし、何処に隠れるんだ?」

「あなたは、外に出てもらいます。僕ひとりが、ベッドに入って、犯人を待ちます!」

「どうやって、俺は出るんだ?看護婦と話がついている、としたら、交替したことがバレるぜ!」

「大丈夫です!特別な方法を用います。今から、目隠しをします。僕の助手がそれを外しますので、それまでは、じっとしていてくださいね……」

そう言って、政雄はポケットから、黒い巾広の布を取り出し、陽一郎に目隠しをした。陽一郎は不安そうに、両手を膝の上に乗せて、じっとしている。隣に座っている、政雄が立ち上がる気配がした。その時、急に目眩に似た振動に襲われ、一瞬気を失った。

「いったい、何が起こったんだ……」

「マサさん、陽一郎はリズとフーテンのいる、稲荷神社の社殿に、縛りつけて、監禁してきたよ!サンシロウのテレポート能力が向上していて、よかったよ!」

と、怪傑ゾロのなり損ない姿のリョウが言った。彼もサンシロウのテレポート能力によって、音阪病院の病棟に瞬間移動をしてきたのだ。

「サンキュー!これで、誰にも知られず、陽一郎と入れ替わることができた。あとは、この餌に、犯人が食いついてくれるかだな……」

実は、政雄自身も、テレポートによって、病棟に運ばれたのだった。陽一郎に語った、『医院長、ウンウン』は、創り話だったのだ。医師にも、看護婦にも知られていないのだ。

「スターシャの予知では、夜中に、誰かが、この部屋に侵入して、ナイフを振りかざす映像が見えたらしい。おそらく、今夜のことだよ!ベッドに寝ているのは、マサさんだったそうだから……」

「犯人の顔は、見えなかったのか?」

「何か、小さな灯り、懐中電灯のポケットサイズほどの灯りが点っているのが見えたらしい。犯人が手に持っているんだろうね?心臓の位置を確認するために……」

「その後は?僕は無事で、犯人を逮捕できるのかい?」

「さあ、映像は、そこまでだよ!まあ、サファイアと、キチヤとサンシロウが見張っているから、マサさんが刺されて、殺されることはない、と思う。だって、姉貴と、友達の赤ちゃんを見ている未来があるんだから……。ただ、無理して、犯人を捕まえようとは、しないこと……。現行犯でなくていいんだ!犯行を起こしたってことで、その人物が特定できるからね……」

「わかったよ!無理をせず、犯行を食い止めたら、犯人を特定できるんだよね?エスパー・キャットが控えているからね……」


拾参

「さて、三時の見回りが終わった。看護婦の足音が、ドアの向こうに消えて、ドアに鍵が掛けられた音がした。病棟内は、密室状態。前回の恭一郎の時とは、条件が違うけど、犯人はやってくるのかな?としたら、もう、病棟に侵入している、ってことか……?」

午前三時の看護婦による回診が終わり、病棟が再び、静寂と、暗闇に包まれた。政雄は、ドアの前に耳を押し当てて、病棟との境にある扉の鍵が閉まる音を確かめたのだ。

リョウは、病棟の外の駐車場の植木の陰で、スターシャとサファイアと共に潜んでいる。サンシロウとキチヤは、政雄の部屋に潜んで、時々、廊下にテレポートしたりして、病棟内を警戒している。そして、もう一匹、フーテンも、病棟内を彷徨(うろつ)いているはずだ。犯行を防ぐために、フーテンの『バカ力』が必要になるかもしれないので、リョウがおだてて、助っ人を頼んだ。

「まあ、猫屋敷の猫どもじゃあ、刃物を持った人間には、太刀打ちできねぇよな!仕方がねぇ、毎度のことだが、俺さまの出番か……」

と、鼻の孔を膨らまして、フーテンは言ったのだ。

「リョウ!そろそろ、始まるよ!」

と、足元にいる、白い子猫が、リョウを見上げながら言った。

「ミャー」

と、小さな猫の鳴き声が、病棟の中で聞こえた。

「フーテンの声だ!何か、変わったことがあったんだな?」

「動きがあったのね?サファイア、サンシロウとキチヤに、テレパシーを送って!警戒をするように……」

すぐに、政雄のいる病室に、キチヤが現れた。

「マサ、いよいよじゃ!背中を向けて、眠ったフリをしておくのじゃ!我々、エスパー・キャットが守っておる!決して、犯人に手向かいするでないぞ!」

と、若いキジトラ猫が、爺ィ臭い言葉で忠告する。喋っているのは、キチヤに憑依している、曾祖父のキチエモンだ。

「サンシロウ、タイミングを計るのじゃぞ!スターシャが言うには、犯人は、ナイフを振りかざして、マサを刺そうとするそうじゃ!その時じゃぞ!」

「頼んだよ!遅れないでくれよ……」

「きた……!」

政雄は、ベッドの上で、ドアに背中を向けて、眠ったフリをしている。猫たちは、何処に消えたのか、気配を感じない。

ドアノブが、ゆっくり回り、徐々に、内側にドアが動いてくる。廊下にも、灯りはないから、闇の中で、空気が動く気配だけを背中に感じているのだ。

人が入れる隙間まで、ドアが開く前に、何物かが、スルリと部屋に忍び込んだ。音もなく、ドアが閉じられた。

小さな灯りが、空中に点った。豆電球の光が、闇を切り裂く。光が、ゆっくり動き、ベッドの上の人形(ひとがた)の膨らみに届いて、止まった。光が前に動いて行く。そして、ベッドの側で再び、静止する。人間の息遣いが、静寂の中で、微妙な音を奏でる。自分の心臓の鼓動が早くなっていることを、側に立つ人物に気づかれるのではないか、と、眼を閉じたまま、政雄は呼吸を止めていた。

懐中電灯の小さな光の中に別の光が、キラリと輝く。ナイフの刃が、政雄の横たわるベッドの上から下に向かって、まさに振り下ろされようとしていた。

「ギャ、ワッ!」

黒い影のような人物の口から、悲鳴とも、呻き声とも言い切れない声が発せられた。突然、振り上げた、その手首に、大きなトラ猫が、噛みついたのだ。ナイフが勢いを失って、ベッドの脇に転がった。

「誰だ!」

と、政雄が上半身をベッドの上に起こして、その人物に向けて声を発した。ベッドから床に立ち上がった政雄の左肩口に、衝撃が走った。その人物が片手に持っていた、短い杖を政雄に向けて、突きだしたのだ。その衝撃で、政雄は、ベッドの上に背中から倒れ込む。その隙に、影は、ナイフを拾って、ドアをすり抜けてしまった。

「ケッ!声をかけるなんて、愚の骨頂だぜ!せっかく、俺が鋭い牙で腕に噛みついて、ナイフを落とさせたのに……」

と、フーテンが闇の中で、瞳を光らせながら、ベッドの上に起き上がった政雄に言った。

「右手に持っていた、杖を咄嗟に突きだしたのが、おめえの肩口にカウンターで当たっただけだ!刃物でなくてよかったな!」

「犯人は、誰だったんだ?」

政雄は、枕元の小さな電灯を点しながら、フーテンに尋ねた。

「知らねぇよ!顔をスカーフのような布で隠していたし、もともと、匂いも俺さまが知っている人間じゃあねぇからな!」

「じゃあ、犯人は、わからないままか……?」

「バカ野郎!犯人の腕、手首の上に、俺さまの牙の傷痕が残っていらぁ!」

「そうか!右手首を見れば……」

「はあ?バカか?杖を突きだしたのが、怪我をしていない右手だぜ!ナイフを持って、おめえを刺そうとしたのは……」

「あっ!犯人は……、左利き……?」


拾四

「さて、皆様、お集まりいただけましたね?」

橘家の別荘。談話室のソファーに座っている人々を見回しながら、荒俣堂二郎を演じている政雄が会話をスタートさせた。

ソファーと椅子が用意されて、橘家の関係者がほぼ全員、荒俣探偵に視線を注いでいる。それ以外には、リョウがスターシャを抱いて椅子に座っていて、安田警部補と、制服姿の警察官がドアの側に立っていた。

「いったい、何事かな?孫の靖子に緊急招集をかけられたんだが、内容については、訊いていないんだよ……」

と、白髪頭の五郎八が、ソファーに座ったまま、政雄に尋ねる。

「おじいさま、こちらは、大森さまから、ご紹介された、私立探偵の荒俣さんです。恭一郎さんの殺人事件の捜査をお願いしていたのです。進展があったようなので……」

と、靖子が説明した。

「進展があり、皆さまに確認したい事柄ができました。まず、その確認のほうをさせていただきます!皆さま、左手を上に上げてください。できるだけ高く、挙手をするように……」

全員が戸惑いを持ちながら、視線を交わし、それぞれ、左手を頭より高く差し延べた。

「安田さん、お願いします」

政雄の声に、安田警部補と制服姿の警察官が、手を差し上げた関係者、数名ずつ、その左手首を確認して行く。警官が、確認し終えて、首を横に振る。安田警部補がそれに応えるように、頷くと、警官は無言で部屋を出て行った。

「ありがとうございました。左手を降ろして、結構です」

と、政雄が言う。

「何の確認でしたの?」

と、一番若い、瞳が尋ねた。

「今回の殺人事件の犯人を確定するためです!」

「まあ、では、この中に犯人がいる、ということですか?」

「いえ、この中には、いないことを確認したのです。今、真犯人を逮捕に向かいました!」

「ええっ!犯人がわかったのですか?」

「はい、まだ、逮捕状による、正式な逮捕ではなく、身柄の確保ということになると思うのですが……」

「誰が犯人なのですか?」

「この場にいない、関係者のひとりですよ……。左利きの、ね……」

と、荒俣探偵がもう一度、座っている人たちを見回した。

「五郎八さんにお尋ねしたいことがあるのですが……」

と、視線をソファーの真ん中に座っている初老の白髪の男性に向けて、尋ねる。

「何かね?事件に関わることかね?」

と、逆に五郎ハが質問をする。

「おそらく、関わっていると思うのですが……、犯人の動機がわからないもので、いくつか確認したいのです」

荒俣の視線を受け止めながら、五郎八は応諾の意思で、大きく頷いた。

「そこにいらっしゃる、金田金八さんのご両親をご存知ですか?お会いしたことはなくても、名前とか、どういった人物であったのか……?」

「お、おい!俺の両親が事件に関係しているっていうのかよ?」

と、五郎八とは離れて、反対側のソファーに座っている、金八が怒ったような口調で言った。

「金八さん!黙って訊いていてくれますか?事件と関わりがあるか、どうかは、五郎八さんの答えを訊かないと、判断できないでしょう?」

荒俣の言葉と視線に、金八は黙る。荒俣の視線が、五郎八に戻った。

「ワシが金八の両親を知っていると、どうして考えるのかな?」

「まず、金田金八という、本名がわかっていることです。両親の姓が『金田』とわかっているのに、金八さんは両親の元に戻っていない。つまり、両親には、金八さんを養育できないとわかっていた。少なくても、五郎八さんか、豪三郎さんか、その妻の聖子さんのいずれかは、金八さんのご両親のことを知っていた。特に、聖子さんが金八さんを拾ってきた、と伝わっていることから、聖子は知っていたはず。養父となった五郎八さんにも、聖子さんから、伝えられていると思うのです」

「それと、もうひとつ!豪三郎さんも五郎八さんも、弥生さんと金八さんの結婚に猛反対して、結婚後、関係が悪化していますよね?想像すると、弥生さんと金八さんは、非常に近い血縁関係。従兄かあるいは、異父兄妹か……」

と、リョウがスターシャを抱いたまま、意見を述べた。皆の視線がリョウに移った。

「ミャァー」

と、スターシャが鳴き声をあげた。リョウが、その口元に右耳を近づけた。

「えっ……?」

と、リョウが不思議な声を発した。

「主任!」

ドアが急に開いて、警察官が飛び込んできて、安田警部補の耳元で、囁いた。

「何!なくなった……?」

「それで、犯人は逮捕できたの?」

翌日、疲れ果てた顔をして、惣菜売場の丸椅子に腰をおろした、政雄にオトが尋ねた。

政雄は、声を出すのも、億劫(おっくう)なのか、無言で首を横に振った。

「オト、政雄ちゃんは、大活躍だったそうだよ!清子さんが、お礼を言いにきたよ!タチバナ組を救ってくれた、ってね……」

と、祖母が湯飲みを政雄の前に置きながら言った。

「タチバナ組を救ってくれた?いったい、何があったの?事件は解決した、ってことなの?」

「姉貴、話せば、長い物語になっちゃうよ!期末テストが近いんだろう?」

座敷から、白い子猫を抱いて、リョウがテーブルに歩み寄りながら言った。

「大丈夫、試験勉強は、バッチリよ!リョウは、事件の結末を知っているの?」

「恭一郎殺害と、陽一郎殺害未遂の犯人はね!ただし、動機については、まだ未確定だし、加奈子殺害については、同一人物による犯行とは、断定できないんだ!それに、ほかにも僕らの知らない、橘家の秘密があるようなんだ……。五郎八さんに、金八さんのご両親のことを訊き出す前に、事件が急展開してしまったからね……」

「つまり、犯人はわかったけど、未確定部分が多い、ってことなのね?で、犯人は誰なの?」

リョウは橘家の別荘に関係者を集めた場面を姉に伝えた。

「姉貴、ここまで話したら、あとは考えれば、わかるだろう?それより、事件の動機は、単なる、後継者問題ではないようなんだ。それを調べないとね……!でも、警察は、犯人がわかれば、動機については、深く追求しないかもしれないよ。特に、犯人が死亡した場合は、ね……」

「犯人、死亡?なるほど……、わたしにも犯人がわかったわ!それで、マサさんが大変だったんだ?警察も大変だったでしょうね?」

「ひとつの解決策として、恭一郎殺しの犯人を母親の加奈子にして、加奈子はそれを悔いて、自殺した……、という結論を出すことになるかもしれないね……。動機や、病棟への侵入方法は、無視してね……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る