第2章 荒俣堂二郎の冒険 弐 密室殺人事件らしきもの、発生す

「荒俣さん!起きていらっしゃいますか?」

翌朝、そろそろ、朝食の時間か、と着替えを済ましていた政雄の部屋のドアが、大きなノックの音を立て、望月靖子の彼を呼ぶ声が響いた。

「はい、起きていますよ。食事の時間ですか?」

そう言って、政雄はドアを開ける。

「いえ、申し訳ないですが、すぐに出かけます!病院から電話が、あって……」

「弥生さんが、お亡くなりになったんですか?」

「いえ、亡くなったのは、恭一郎さんです!」

「ええっ!恭一郎さん、何か、持病があったのですか?」

「持病?いえ、病死ではなく、こ、殺されたようなんです!」

「こ、殺された?」

と、驚きの声をあげ、髪の毛をかきまわす。

「あら、金田一耕助なんですね?」

と、変なところで感心した言葉を靖子は発した。

「看護婦さんの連絡で、朝七時に起こしてくれ、と恭一郎さんに頼まれていたので、モーニングコールをかけたけど、電話に出なくて、部屋へいったら、ベッドが血だらけで……」

「自殺ではなくて、誰かに、殺された状態だったのですね?警察には?」

「はい、連絡して、すぐに、警官が駆けつけるそうです。関係者に、立ち会いを求められることに、なりそうなので、わたしが行くことになりました。でも、ひとりでは、不安ですし、警察官への対応なんて、自信ありません……」

「わかりました。一緒に参ります。ところで、恭一郎さんのご家族は?」

「はい、母親の加奈子さんには、連絡をしています。直接、病院に向かうそうです」

「この別荘に、おいでではなかったのですか?」

「はい、昨晩は、恭一郎さんが病院に泊まる番でしたので、加奈子さんは、ご自宅にお帰りになりました……」

「なるほど、周りは敵だらけ、息子がいないと、不安になったってことですね……」

「何だ?事故でもあったのか?病院に行くなら、俺も行くぜ!こんなところに、ひとりにされちゃあ、こちとらの身体が危ねぇや!毒でも盛られそうだぜ!」

政雄の隣の部屋に泊まっていた金八が、靖子の声が聞こえたのか、身支度をして廊下に出てきた。

それで、三人は車を頼んで、音阪病院に向かった。

病院の玄関前には、警察官がいて、被害者の関係者とわかると、別の警官が三人を病院内に案内した。

病院の二階には、鑑識の警官が、現場検証をしている。ナース・ステーションの前で、ふたりの私服刑事が、看護婦になにやら、質問を繰り返している。

「廊下と病室を隔てているドアの鍵は、ここにあるものだけなんですね?そして、今朝もその鍵を使って、病室に入った。病室からの出入りは、このドアだけ。窓には鉄格子。じゃあ、犯人はどうやって、病室に侵入して、ガイシャを殺害して、どうやって、出て行ったんですか?」

と、若い刑事が、困ったように、確認している。

「密室殺人か……?まあ、どこかに入れる場所があるか、まだ、病棟にかくれているか、合鍵を作ったか……。仮説なら、まだまだ考えられる。まあ、鑑識の調べが終息したら、もう一度、現場を調べよう。それで、ガイシャの身元確認は?母親が来ると言っていたが……?」

年輩の刑事が、側にいた警察官に尋ね、それから、三人のほうに視線を移した。

「主任!こちらが、ガイシャの関係者ということで、お連れしました。タチバナ組の社長秘書だそうです!」

と、三人を案内してきた、警官が年輩の刑事に言った。

「秘書?秘書が三人もいるのか?」

「いえ、秘書は、こちらの女性のかたで……」

と、警官は言葉を濁した。

「事件の担当刑事さんですね?僕は……」

と、政雄が説明しようと前に出る。

「あれ?政雄君じゃあないか?」

と、若い刑事が言った。

「政雄君?北村、お前の知り合いか?」

「ヤスさん、係長の息子さんですよ!」

「ああ、シゲさんの……。そう言えば、そっくりだな!しかし、シゲさんの息子が何でここにいるんだ?確か、大学生のはずだろう?タチバナ組と何の関係があるんだ?それで、もうひとりのおっさんは?」

「あっ!ヤスさんっていうと、安田警部補ですね?以前、父とコンビを組んでいた。我が家にもおいでになったことがありましたよね?僕が小学生の頃……」

「ああ、あのおチビちゃんが、こんなにデッカクなったんだ!」

と、安田警部補が懐かし気に語りかけた。

「荒俣さん、お知り合いの刑事さんですの?」

と、靖子が遠慮がちに尋ねる。

「荒俣?」

と、安田警部補がいぶかしがる。

「安田さん、実は、僕、今、こういう肩書きで活動しているんです」

と、例の名刺を差しだし、タチバナ組の継承問題で、依頼を受けたこと。この病棟に、社長が意識不明のまま入院していること。被害者の恭一郎さんは、昨晩、交代でこの病棟の部屋に泊まり込みをしたこと。そして、社長秘書の靖子と、社長の夫の金八を紹介したのだ。

そこへ、恭一郎の母親、加奈子が、青ざめた顔をして、駆けつけた。

「きょ、恭一郎は何処なの……?」


「担当の主任刑事が、茂雄叔父さんの知り合いでよかったね!」

と、政雄の従弟のリョウが言った。

「それで、殺されたのは、恭一郎で間違いなかったの?」

と、リョウの姉のオトが尋ねた。

「たぶんね……」

「たぶんってなによ!」

「僕は、恭一郎さんの顔は知らない!母親が息子の恭一郎で間違いない、と、言ったから、たぶんっていうことさ。被害者はナイフのような刃物で心臓、ひと突き。おまけに、顔まで、メッタ切り。母親以外は、確認不能だったんだよ」

「顔を?それって、『顔のない死体』なの?だとしたら、密室、顔なし死体。ミステリーの王道のような事件ね……」

「ミステリーの王道だとしたら、次は、連続殺人事件かな?」

「おいおい、顔がない死体って、恭一郎の死体で、ほぼ間違いないんだよ!今頃は、指紋の照合も済んでるはずさ。密室も、鍵はナース・ステーションのフックにかかっているんだ。合鍵を作ることもできるんだよ!まして、連続殺人なんて……」

「動機が問題だわ!恭一郎って、誰かに恨まれるタイプなの?」

「まだ、そういう段階じゃあないんだよ!人間関係や、仕事上のトラブルなんかの捜査は、始まったばかりさ……」

「マサさんが、金八という、危篤状態の社長の夫を連れてきた、その晩に起きた殺人よ!関連性は高いと思わない?」

「否定はしないが、タイミング的には、早すぎる気がするなぁ……」

「確かに、計画的な犯行と、金八さんの発見を並べると、時間的な余裕がないね?」

「そうね!どう見ても、計画的な犯行だから……、一日足らずでは、無理か……?殺人と金八の発見は、無関係、単なる、偶然かなぁ……」

「いや、待てよ!僕が依頼を受けたのは、四日前。しかし、その金八探しを計画、あるいは、発案したのは、もっと前だろう……。病室に交代で泊まることも、前からスケジュールにあった。合鍵を作る準備もできるってことだ……」

「あら、本当に、探偵をする気になったのね?殺人事件に発展したから、あとは、警察に任せたほうが、無難よ!」

「事件のほうは、警察が調べるだろう。でも、金八さんのボディー・ガードというか、立ち会い人の依頼は受けているからね。別荘に戻るよ」

「秘書の靖子さんって、美人なの?」

と、リョウが何気なく尋ねた。

「あっ、そういうことか……!」

「ち、違うよ!大森さんからの依頼だし、担当刑事のふたりも、親父の知り合いだから、協力を頼まれたんだよ!」

「姉貴、まあ、そういうことに、しておこうよ……」

「探偵さんよぅ!俺はどうすればいいんだ?この別荘に足止めかよ?」

橘家の別荘。麻雀台やビリヤード台がある、娯楽室の小さなテーブルで、政雄は靖子から預かった『人物相関表』を眺めている。そこへ、金八がドアを開けて、入ってくるなり、愚痴をこぼしたのだ。

「靖子さんから、何か言われましたか?今後の予定とか……?」

金八をテーブルの対面の椅子に導いて、政雄が尋ねる。

「しばらく、ここで過ごして下さいって言ってた……。しばらく、って、いつまでだ?俺は、弥生とは、離婚……」

「シッ!誰が訊いているかもしれません!離婚は成立していないのですよ!弥生さんは、離婚届を役場に提出しなかったのです。ただし、離婚届を廃棄してもいない。あなたと弥生さんの署名と印鑑が押された離婚届が、存在しているかもしれないんです。悪用する人間がいない、とは限りませんよ……」

「ああ、そうだな……。現状は、夫婦のまま。瞳の保護者だから、俺を確保したいんだろう?あの秘書は信用できるのか?大番頭の孫だろう?今、会社を牛耳っている男の孫だぜ……」

「確かに、可能性はあります。しかし、会社にとっては、今の望月五郎八氏の手腕に期待するほうが正解でしょうね。豪三郎氏の元妾の夫たちや、息子たちが実権を握るよりは……」

「まあ、会社のためを考えれば、探偵さんの言うとおりだが、こっちは迷惑だぜ!また元の窮屈な人間関係に戻されるんだからな!しかも、殺人鬼が側にいるかもしれないんだぜ!探偵さんよ、恭一郎を殺した犯人の目処は立っているのか?恭一郎の母親、加奈子っておばさんが、ふたりの元妾に、『恭一郎を殺したのは、このふたりよ!』って怒鳴り散らしていたぜ!」

「つまり、後継者争いが、事件の動機だと考えているんですね?自分の考えることは、相手も考えている、と加奈子さんは思ったのでしょうね……」

「つまり、虎視眈々。隙あらば、ナイフで刺される、ってことだぜ……」

「金八さんは、元妾たちと面識がありますか?その家族と関わりは……?」

と、政雄が話題を変える。

「いや、豪三郎さんとは、弥生との結婚を反対されていたから、プライベートの付き合いは、結婚後はない。俺は、会社をクビになった。まあ、そのほうが、妬まれないと思ったよ。住まいも我々はマンションを買ったからね。だから、豪三郎さんに妾がいること、しかも複数いることは訊いていたが、事業には関係を持たせなかったはずだ。何せ、豪三郎さんの奥さんの聖子さんが賢くて、しかも寛大だった。仕事と私生活のケジメは、きちんとさせていたからな……。俺が離婚と失踪を決めたのは、聖子さんが亡くなったことが、きっかけだったんだ……」

「この表を見ると、お妾たちは、会社の重役クラスと結婚していますね。加奈子さんの夫は翔平。営業部長。ふたり目は、奈美子さん。夫は子会社のホームセンター『タチバナ』の社長、辰彦。息子は陽一郎。三人目は、美加子さん。製材工場の工場長、勝也。息子は、聡一郎。三人の娘は、全員、既婚者で、独立しているか……」

「ああ、それも聖子さんの采配だろう。妾たちの将来を考えて、会社の、それなりの優秀な独身者に嫁がしたんだな。俺が弥生と結婚した後の話だから、詳しくは知らない。ただ、会社では、出世と引き換えに、社長の妾を引き受けた、と、噂されたようだ……」

「三人とも、結婚後、すぐ、月足らずの男児を産んでいるんですね?だから、豪三郎氏の種だ、と、三人が主張しているんだとか……?」

「その辺りも、俺は知らない。想像だが、婿選びに、結婚──籍を入れる──前に、三人の立候補者と三人の妾が、相性を確かめ合ったんじゃあないかな?それとも、三人の妾が、つまみ食いをして、できちゃったか、どっちかだろう……」

「血液検査とか、したんでしょうか?」

「さあな?バレることは、しないと思うぜ!その辺りは、秘書の靖子にで訊くことだな……」


「刑事が張り込みをしていますわ!」

金八が部屋を出て行くと、しばらくして、秘書の靖子が入ってきた。靖子は、刑事に橘家の状況を詳しく知りたい、と言われて、事情聴取に立ち会っていたのだ。だから、疲労感を伺わせている。

「警察は、恭一郎さんの殺害の動機を、やはり、後継者争いにある、と考えているようですか?」

「ええ、恭一郎さん、陽一郎さん、聡一郎さん、皆さん、大学を卒業して、一昨年、入社したばかり。仕事上で、恨みを買うことは、まず、ありません。金銭関係でも……」

「なるほど、では、女性関係は?」

「それも、ご両親がスキャンダルを恐れて、女性とは縁がありません。恋人とか、ガールフレンドの噂もないようです」

「色と恨みの線がない……。残るは、相続権絡みの、金か名誉の欲望絡み……」

「やはり、そうなりますか?だとしたら、犯人は、橘の関係者?困ります!スキャンダルになっては、会社の名前に傷が……。荒俣さん、どうか、早急に犯人を見つけ出し、自首させてください!それが、会社を守る最大の方法です!」

「ま、まあ、それは間違いなく、会社のためには、そうすることが……。しかし、僕は犯罪捜査は素人ですよ!ましてや、殺人事件なんて、警察の仕事です!」

「でも、ルビー盗難事件を解決したんでしょう?推理小説も沢山読んでいるそうですね?大森さま、ご推薦の名探偵でしょう?お願いします!警察より早く、犯人を見つけください!証拠がなくても、犯人と推定できれば、自首を薦めることができますから……」

「証拠がなくても、か……。逮捕して、告訴するわけではない。犯人と断定する必要もない……。推定できれば、自首を薦める、か……。よし、やってみましょう!結果は、保証できませんけどね……」

「お願いします!わたしも全面的に協力しますから……」

「で、結局、犯人捜しを引き受けたのね?美人秘書に頼まれて……」

と、オトが言った。

「確かに、靖子さんは美人だよ!でも、オトほどじゃあないし、僕は探偵として、既に雇われていたんだ。金八さんのボディーガードとしてね。殺人事件が、会社の経営の継承問題に絡んでいるとしたら、その仕事の延長線だ。逃げるわけにはいかないだろう?」

「まあ、僕がマサさんの立場なら、そうするね!」

と、リョウが言った。

「でも、犯人捜しをするのに、何で我が家に来るの?ここは、事件とは無関係の場所だよ!」

「無関係だからいいんだよ!犯人捜しの仮説の話ができる。推理能力はオトが上だからね!」

「姉貴の推理は、勝手な思い込みだよ!ミステリーで、こうなったほうが面白い!って発想なんだから……」

「まあ、失礼ね!犯人が賢いなら、そうするっていうことよ!現実の犯罪者は、ミステリー作家ほど、賢くないだけよ!」

「いいんだよ、証拠を集めて、犯人はあなたです!っていう展開はいらないんだ。犯人と思われる人間に自首を薦めるだけだからね!リョウのテレパシー能力の直感でもいいんだ……。つまり、スターシャとサファイアの超能力でもね……」

「あっ、そうか!金八さんを見つけるために使った手をもう一度ってことなんだ?」

「なるほど、スターシャの未来予知と、サファイアの透視能力を組み合わせれば、犯人の映像が浮かぶ。金八さんが、日雇いの肉体労働をしている映像を、サファイアが浮かべて、スターシャが、マサさんと金八さんが出会う場面を予知したから、あんなに早く、金八さんを見つけ出したんだものね……」

「スターシャ、何か見えないかい?ほら、これが、関係者の名簿だよ……」

政雄が、橘家の人間関係表を白い子猫の前に広げた。

「マサさん、文字では無理よ!わたしは、漢字は読めないもの……。金八さんの時のように、写真があれば、何か見えるかもしれないけど、本当は、直接会って魂の波動を感じることが一番ね……」

と、スターシャが残念そうに言った。

「ふうん、後継者争いの元妾の息子たちはみんな、『一郎』さんなのね?」

オトが、子猫の前の白い用紙を手にとって言った。

「あっ、これ、偶然にしたら、面白いわ!」

「オト、何が面白いんだ?」

「お妾さんの名前よ!みんな『子』がついているけど、『子』を除くと……」

「加奈、奈美、美加……」

「ね!『加』と『奈』と『美』の三文字よ……」

「しり取りに、なっているんだ……」


「政雄君、警察は、まだ犯人像が掴めないんだよ……。動機については、まあ、会社の後継者争いに絡んだものだと、考えているんだが……」

県警本部近くの喫茶店で、北村刑事が白いコーヒーカップをテーブルに戻しながら言った。

恭一郎の葬儀を済ませた、翌日のことだ。

「関係者のアリバイは、どうですか?」

と、政雄の隣に座っていたリョウが尋ねた。

「リョウ君だったっけ?政雄君の従弟で、探偵助手だって?推理小説の愛読者のようだけど、現実の事件で、夜中の出来事だ。アリバイなんて、誰にもないよ!まあ、家族同士で、お互い部屋にいた、っていうのはあるけどね……。それより、病棟に入る方法を考えているんだ。合鍵を使った、と思われる。そこで、合鍵屋を当たっているんだが、今のところ該当はないんだ……」

「病棟に入るには、ナース・ステーションの前を通って、廊下のドアを開けないといけないんですね?ほかに、入る方法はないのですね?非常口とか……、どこかの部屋の窓とか……?それと、ドアは、病棟側からは、開かないんですね?」

「非常口はあるんだが、内側から、閂(かんぬき)がかかっていてね、しかも、錆びている。最近動かした形跡はないんだ。窓は、全て、鉄格子がついている。壊れた場所もなかった。ドアは中側からは、開かない……」

「つまり、侵入口は、そのドア一ヵ所。鍵は、ナースステーションに保管されている、か……」

と、政雄が呟くように言った。

「看護婦さんが、病棟に入った時は、そのドアは開いているんですか?中側からは開かないなら、閉められないですよね?マサさんが、病棟の弥生さんの部屋に案内された時は、どうだった?」

「ああ、鍵はかかっていなかった。出る時は、ドアの横のインターホンで、看護婦さんを呼んだんだ……」

「リョウ君、そのことに何か問題があるのかい?看護婦が病棟の中にいる時は、鍵も中にある。だから、ドアの鍵は開いている。しかし、ナースステーションから、監視をしていて、誰かが、ドアを開ければ、気がつくはずだ……」

「でも、病院の関係者なら、素通りですよね?あの病棟には、ほかに患者さんはいないんですか?」

「いや、末期ガンの女性患者が一名。老衰のじいさんが一人。それぞれ、個室に入っている。しかし、ふたりとも、ほとんど寝たきり、ベッドからは動けない状態だ」

「夜の患者さんの見回りは?」

「ああ、十時と、夜中の三時に回っていてね。恭一郎の部屋も覗いたそうだ」

「では、犯行時刻は、三時以降なんですね?」

「おそらく、三時半頃だろうね……」

「被害者の恭一郎のライバルのふたりに、怪しいところはありませんか?」

「陽一郎と聡一郎か……?ふたりとも、あの日は、別荘に泊まっている。夜、七時頃、会社の車で到着して、夕飯と風呂の後、娯楽室で、水割りを一杯飲んで、各自の部屋へ入って、朝まで部屋にいたそうだ。アリバイは、お互いの母親が一緒にいたと言っているが、部屋は続き部屋だが、それぞれ、ドアがある。夜中に出て行っても、わからないだろうね……。それより、陽一郎のほうだが、次は自分が狙われる。警察に警護をしてくれ!と言ってきたよ」

「聡一郎さんは、何も言ってこないんですか?」

「ああ、ふたりに、恭一郎を恨んでいる人間に心当たりはないか?と尋ねたら、陽一郎は、聡一郎か、その母親の美加子が殺(や)ったんだろう。次は、自分が狙われる、と言ったんだ。聡一郎のほうは、後継者争いと、今回の事件は関係ない。恭一郎を恨んでいる、女の仕業だろう!と言っている……」

「そんな女性がいるんですか?」

「いや、聡一郎には、心当たりはないそうだが、遺体の顔を切り刻んでいるのは、恨みのある証拠だ!しかも、男女のもつれからの犯行だろう!と言っていたね……」

「確かに、後継者争いによる、犯行としたら、顔の傷はおかしいですね?」

「マサさん、逆に、男女の遺恨に見せかけるための、傷かもしれないよ!どちらとも考えられるね……」

「荒俣さん、お願いがあるのですが……」

カワサキのバイクに乗って、政雄とリョウが橘家の別荘に到着すると、早速、靖子が現れて、政雄に声をかけた。

「お願い?どんな事ですか?」

「あの……、こちらの方は?」

と、黒ずくめ姿のリョウに視線を向けて、靖子が尋ねた。

「荒俣探偵の助手で、従弟のリョウと申します。望月靖子さんですね?どうぞよろしく!」

政雄が紹介する前に、リョウは右手を差し出しながら、自己紹介を済ませた。

戸惑いながらも、靖子はその右手に、自分の右手を差し出した。

「実は、病棟に交替で宿泊する順番なんですが……。昨日までは、警察の要請で、泊まり込みができなかったのです。今夜からは、許可がおりました。順番だと、陽一郎さんなのですが……」

「本人が、イヤだ!と言っているんですね?命に関わるから、と……」

と、リョウが結論を推測して言った。

「はい、そのとおりです……」

「それで、お願い、ということは、陽一郎さんの代わりに……、と、いうことですよね?」

「まあ!わたしの心の中が読めるんですか?」

「しかし、何故、弥生さんの病棟に、誰かが夜間、泊まり込みをしなくてはならないのですか?何事か、急変があれば、病院から連絡があるでしょう?」

「疑心暗鬼ですわ!急変を告げる電話をとった者が、自分の有利な選択をするのではないかと……」

「それは、どういう意味でですか?」

「急変というと、弥生さまがお亡くなりになるほうを、お考えでしょうけど、逆があるのです。つまり、意識を取り戻す、可能性もあるのです……。その場合、連絡を受けた者が、周りに知らせず、弥生さまに、自分に有利な嘘をつく……、その可能性を皆さん心配しているのです」

「交替で見張れば、嘘がつけない?」

「ええ、泊まった人間以外に、病院から連絡が来ます。少なくても、複数の人が、異変をほぼ同時に、知ることになりますから……」

「しかし、嘘は直ぐバレるでしょう?」

「例えばですよ!意識が戻った時に、弥生さまに何かを囁く。弥生さまが、後継者をその言葉によって、指定する。医師が立会人として、それを証言する。弥生さまは、また、昏睡状態に戻る……」

「それなら、かえって、一人を病棟に泊まらすのは、マズイでしょう?」

「いいえ、弥生さまが、その一人に有利なことを告げたとしても、それは認めないことになっています。つまり、病棟に泊まる人間は、その日に、弥生さまに異変があれば、利益を与えられないのです……」

「ならば、嘘をついても無駄ですね?」

「いいえ、本人に利益は与えられないけれど、別の人間には、与えられるでしょう?」

「その家族か、利益を共有できる人間を嘘によって、指定する……、って手があるか……?」

と、政雄が納得したように呟いた。

「誰も泊まらず、連絡を受けた者だけが、駆けつけて、遺言のような指定を受ける、という状況を無くし、且つ、順番により、利益が得られない日を決めておく……。二重の保険をかけておくって、ことですか……?」


「私立探偵?つまり、シャーロック・ホームズってわけだな?事件の調査を頼まれたのか?」

と、政雄とリョウに言葉を発したのは、陽一郎だ。場所は別荘の空き部屋を借りている。リョウの足元に、スターシャが前足を揃えて、しゃがんでいる。関係者のひとりひとりに面談し、スターシャが何かを感じるかもしれない、と期待をしているのだが……。

「陽一郎さん、不躾(ぶしつけ)な質問をしますけど、許してくださいね?恭一郎さんを殺すほど、橘家の後継者争いは、熾烈な争いなのですか?誰かが、一歩進んでいるような状況なのでしょか?」

「後継者争い?そんなものは存在しないよ!あるとしたら、加奈子、美加子、そして、俺の母親の奈美子の三人の心の中に、黒い闇の渦が回っているのさ!」

「豪三郎さんの元お妾さんの三人ですね?三人とも、息子さんは、豪三郎さんの血を引いていると主張しているのですね?」

「ああ、母親たちは、そう言っているが、息子たちは、誰も信じちゃいないよ!そうだ!最近のことだが、加奈子おばさんが、恭一郎は、やっぱり、翔平の子供のようだ、と言い出したんだ……」

「ええっ?何故、今頃?」

「それは、俺には、わからない。弥生さんが、ああいう状態になったことが、きっかけだとは思うけどね……」

「後で、本人に訊いてみましょう!」

と、リョウが言葉を挟んだ。白猫が、「ニャー」と、鳴き声をあげた。

「本人が、正直に話すものか……」

と、陽一郎が疑問を呈した。

「陽一郎さん、最後に、もうひとつ。恭一郎さんを殺したのは、誰だと思いますか?あなたでない、としたら、ですが……」

「お、俺ではない!誰が?と問われても、思いつかない。俺と同様、聡一郎は殺したいほど、恭一郎を憎んではいないよ……」

「スターシャ、どうだい?陽一郎さんの魂は……?」

「凡人ね!人殺しができる人間では、なさそうね。殺される側には、なりそうだけど、ね……」

「じゃあ、次は、聡一郎を呼ぶよ」

政雄がそう言って、部屋を出て、聡一郎を連れて帰ってきた。

聡一郎にも、同じ質問をする。彼の答えも、陽一郎とほぼ同じだった。ただ、恭一郎を殺した人物については、女の恨みではないか?と、持論を述べた。

「あなたのお母さまの美加子さん、あるいは、陽一郎さんの母親の奈美子さんが、自分の息子の出世の邪魔になる人間として、恭一郎さんを殺害した、とは、考えられませんか?恭一郎さんの母親の加奈子さんは、そういう疑いを、持っているようですが……?」

「まさか!ふたりとも、それほど、馬鹿ではないだろう!人殺しをしても、息子が後継者になるとは、限らないんだぜ……」

そう言って、聡一郎か部屋をあとにした。

「聡一郎は、陽一郎よりは、野心家ね!ただ、人を殺して、までの度胸は、なさそうだわ……」

と、スターシャが言った。

その後、奈美子と美加子と面談したが、新たな証言は、得られなかった。ふたりとも、息子は豪三郎の子供だ、と主張し、加奈子が何故、息子が豪三郎の子供ではない──かもしれない──と、いいだしたのか?わからない、と言った。

「奈美子も美加子も、野心の固まりね!息子を後継者にして、夫をナンバー・ツーに添える。自分は、『西太后』にでも、なる気かしら……」

「次は、加奈子……?いや、彼女は、自宅にいるようだ」

「金八さんを呼んでみよう!」

「金八?彼が容疑者になるのか?」

「容疑者ではないけど、関係者だよ!しかも、一番の利害関係者……。そのあとは、望月靖子さんも、スターシャと面談させてみよう!いろいろな人間関係の組み合わせが、未来予知に繋がるかも、しれないだろう……?」



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