幕間 神目 のぞみ③

 難産でした…重い話はむつかしいですねぇ…。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 次にわたくしが目を覚ましたのは、白い天井、変わらぬ病院の風景でしたわ。


 その時にわたくしは、ああ…夢じゃなかったんだなって暗い気持ちが胸に広がりました。


 お兄様が言ったことは真実…お父様とお母様はもう…。


 目が潤む、夢だったらどれだけよかったかと。


 もう両親に会う事は出来ない、会う時はわたくしの命が消える時だろう、だけれどそれをしたらお兄様が一人になってしまう、それだけはだめだ、わたくしにはもうお兄様しかいないのに。


 そうだ、これからはお兄様と二人っきり、二人で支え合わないといけない、これからは強くならないと…。


 だから、今だけは…。


「ふぅっ…うっ、ううっ…。」


 今だけは泣いてもいいですわよね?お父様、お母様。


 ☆ ☆ ☆


 しばらくリハビリの日々を過ごし、体力は落ちたものの、普段通りに動けるようになった為、退院することになりました。


 退院の際には、わたくしの事情を知る担当の看護師さんとお医者様には大変だろうけど頑張って、と激励の言葉を貰いました。


 そして思った以上に懐かしく感じる我が家へと帰ってくることになり、お兄様が迎えに来てくれることになっていました。


「希望、ようやく退院だね。」


「はい、お兄様。」


 お兄様は、安心したように笑顔で私を迎えてくれましたわ、本当に心から喜んでいるようにその気持ちが伝わりました。


 そう、事故の日からわたくしはどこか身体がおかしくなってしまったようなのです。


 何がおかしいのかというと、一つは感覚が鋭くなった事、以前よりも明らかに自覚できるレベルで反射神経が良くなりましたわ、実演できるものではないので意味はあまりないのですが。


 他には…その、オカルトとか超能力のようなものになってしまうのですが…。


 人の心が、はっきりとわかる訳ではないのですが、わかるのです。


 どのようにわかるかというと、今、お兄様はわたくしに対して安心と喜び、そして重圧を感じているようです。


 はっきりとはわからないと言いましたが、かなり強い想いを向けられると、声のようなものも聞こえる時があります、耳を抑えようが聞こえてくるので、わたくしの人見知りがより強くなったように思います。


 この超能力もどきは自分自身の制御が利かないので、最近は常に人の心を盗み見ているような気分になります、正直に言って憂鬱ですわ。


 お兄様の重圧はどうやらお父様たちが亡くなった事で麗明院家の当主にならざるを得ない事、わたくしの存在が重荷になっている事…のようでした。


 悔しいけれど今のわたくしはお兄様にとって保護対象でただのお荷物…お勉強を沢山頑張ってお兄様のお手伝いをしないと…。


 そう思っていても他人の悪感情が恐ろしく、習い事の先生も失敗をした時などの笑顔の裏に隠れた苛立ちなどが見えてしまい、以前よりも人とのやり取りが上手くいかなくなってしまいました。


 家に戻りしばらくたったある日の事でした、普段わたくしたちのお世話をしてくれている老年の使用人夫妻、長年家に尽くしてくれていた二人だったのですが…生まれた時から祖母がいなかったわたくしにとっては優しい祖母のように思っていた人でしたわ。


 数少なくわたくしが慕っていた相手だったのですがそんな彼女が。


 暗い感情をわたくしに向けてきたのです。


 正確に何を考えていたのかは分かりません、ですが、長年一緒にいて家族のような関係だと思っていたのに…その時のわたくしは裏切られたような気分になりましたわ、それと同時に何かの間違いだとも、ただ日頃の疲れがたまっていて暗い気持ちになっていただけだと。


 どうしても信じたくなかったわたくしは彼女に聞きましたわ、何か悩みはありませんか?ここの所疲れているように見えます、と。


 その時の彼女は。


「いいえ、お嬢様やお坊ちゃまの方が大変でしょう、旦那さまや奥様までいなくなってしまわれたのです。我々の事は気にせず、ご自分の事を大事に思ってください。」


 と、言っていました。


 その言葉は嘘ではありませんでした、ですが話を濁したようにも見えましたわ。


 それからしばらく、そのまま日常を過ごしていたある日、わたくしが習い事で精神的な疲れが溜まり部屋で休息をとっていた時の事でした。


 トイレに行こうと部屋を出た歩いていたら暗い感情が見える彼女が目に入ったのです。


 わたくしは気になって彼女の後を付けましたわ、どうしたのか気になり後を追い、たどり着いたその先は。


 かつてのお父様の仕事部屋、現在はお兄様が使われている部屋に鍵を使って入っていったのです。


 お父様が生きていたころここには大事な書類がいっぱいあるから入らないようにね、と言われていたところで、今の兄にも同じように言われていました。


 どうしてそんなところに?と感じたわたくしはそっと扉を開けて隙間から中をうかがいました、そこでわたくしが見たものは。


 何かの書類を入れ替えている、そんな彼女の姿でした。


 そんな彼女を注視していたからか彼女の心の声が聞こえてきたのです、お金が欲しい、横領、という声が。


 わたくしは怖くなってしまいました、そっとその場を離れトイレに駆け込み震えていました。


 どうして?どうして?信じていたのに。


 そんな言葉が脳裏に浮かびながらわたくしはしばらくそこで震えていました。


 ☆ ☆ ☆


 その後、何度か彼女の様子を探り、何度も書類の入れ替えなどを行っているのを知ってお兄様に報告することにしましたわ、悪いことはいけないことだと、罪は罰さなければならないと思っていたから。


 ですが…今思えば、あの時わたくしがもっと彼女に親身に接していれば、また違った結果になっていたのではないかと思う事があります、しかしそれはもしもの話であり現実は違いましたわ。


「お兄様…その…お話があるのですが…。」


「ん?希望?何か用事かな?何でも言ってくれ。」


 お兄様は笑顔でわたくしに話を促します、疲れが溜まっている様子が見えるのにわたくしの話を聞いてくれるお兄様に申し訳ない気持ちが浮かびました、これからするお話は、お兄様の心を曇らせるだろうから。


「その…ばあやが…この間、お父様のお仕事部屋に入って…書類の入れ替えをしているのを見てしまったのです…。」


「…えっ?」


 お兄様は言葉が出ないようでした、お兄様にとっても生まれてからずっとお世話になっていた相手で、この家の使用人で最も信用していた相手だと思っていただろうから。


「一回だけじゃないんです。もう何度も同じことをしていて、お兄様に知らせないとって思って…。」


「…そうか…、うん、教えてくれてありがとう希望、この事は僕に任せて、希望は何も気にしなくていいからね。」


 暗い表情を一瞬浮かべたお兄様は無理やり作ったような笑顔で私に笑いかけました、その心はとても悲しみに溢れていました。


 それからしばらくして、老年の使用人夫妻は、麗明院家を去ることになりました。横領をしていたのはばあやだけだったのですが、大恩ある両親を裏切ったこと…それだけでは示しがつかないとじいやもけじめをつけると言い辞めることになりました。


 後から聞いた話なのですが、使用人夫妻の息子夫婦が大きな借金を抱えてしまい、それをどうにかしようとうちのお金に手を出してしまったことが原因だったようでした。


 お兄様は、世話になった相手だからと、きちんと退職金は払いながら、使用人夫婦に別れを告げたそうです、わたくしはもう他人が信用できなくなりました、人と関わることすらまともにしなくなり使用人とのやり取りも最低限になりました。


 …どのように噂が広まったのかは知りませんが、なぜか老使用人夫妻を追い出したのがわたくしだという事になっていたのは驚きでしたわ、お兄様に相談しに行ったときに誰かに聞かれていたようだったのと、使用人夫妻が他の使用人に大変慕われていたことから、噂に尾ひれがついたようでした。


 お嬢様の我儘で家に尽くしていた使用人が辞めさせられたと…人間一度信用を無くせばそれを取り戻すのは凄く難しいですわ、そして、悪意というものはたとえ善行を行っていてもなかなかに消えないものです。


 その日からわたくしは多くの使用人から負の感情を持たれることになりました、噂を流した本人もこうなるとは思っていなかったでしょう、そしてこの状況でわたくしがどうなるかなんて。


 結論から言えば人間不信が極まり誰も信用できなくなりました、家でも負の感情を向けられる苦しみで眠っているとき以外安息の時間はなかったほどです。


 この時わたくしは思いました。


 もうわたくしが信じられる相手はもうお兄様しかいないのだと、お兄様さえいれば何もいらないと。


 それが後でわたくし自身を苦しめる結果になるだなんてこの時のわたくしは思いませんでした。

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