透けたつばさ
西野ゆう
第1話
冷たさが残るドアに指をかける。何十年と開閉を繰り返されてきた古い引き戸は、金属のレールの上で独特な音を鳴らして滑る。
入口のすぐ右手には、照明のスイッチが六つ並んでいる。その全てを指で撫でるように切り替えると、カチカチと小気味よい感触が伝わってくる。その感触が自分自身のスイッチにもなっていた。
だがそのスイッチは、昨日を最後に働かなくなってしまった。
「はぁ……」
私を迎え入れたのは、幾重にも扇状に並んだ譜面台と椅子だ。それぞれの使用者が、次はいつこの部屋に来るのか。溜息として吐き出した息は、目に見えることなくその部屋の一部となった。
自分の腕を抱く程の寒さを感じていた私は、白くならない息に現実を見た気がした。
昨日の帰り際、保護者に淡々と告げられた言葉たちが、無数の矢になって身体を突き抜け続けている。
「『コンクール』は顧問の為にあるのか?」
「子供たちの持つ可能性を指揮者が抑えつけている」
「うちの子はもっと表現できる」
「うちの子が……」
昨日の私は、正に公開処刑されている気分だった。華やかな称号を得て会場を去る、他校の生徒から受ける冷ややかな眼の下に、薄く横に引かれた侮蔑の笑み。私の存在は確実にその場に居た全ての人間たちに否定されていたのだ。
毎日立っていた指揮台に立つ。仕事場であったその場こそ、私に用意された処刑台にも思える。見慣れた子供たちの顔も、譜面台に置かれていた個性的なステッカーで装飾されているクリアファイルも、今はひとつもない。
ただ、蛍光灯の冷たい光を反射する、太古の禽類(とり)の骨格のような譜面台たちが、私をその視線で射すくめる。
不意に聴こえたパヴァーヌに、私はこの部屋に入った瞬間から流れていた涙を拭った。聴こえるはずのない曲だった。私がタクトを振った経験のない曲。幻聴かと思ったが、その曲は頭の中で確かに響いていた。ただし、指揮台で聴く完璧なバランスを持った音ではない。演奏者として扇の一部となっている時に聴く、酷く偏って歪な音だ。その音が響く原因を探って視線を動かした。
窓に、秋の細く柔らかい雨がぶつかっている。数百メートルの高さから落下してきたとは思えない程に、ゆっくりと窓にぶつかる。そのリズムが、初見でゆっくりと音符を追って演奏していたあの頃と重なったのだろう。
「先生!」
扉の軋み開く音をかき消すような声で呼び掛けられた。
「ちょっと練習していっても良いですか?」
二年生の生徒が三人。私とは対照的な顔をしている。
何の曲を練習するのか、という問いに生徒は即答できない。わかっている。今この時も、お互いの音で繋がっていたいだけなのだ。曲など何でもいいに違いない。
「分かった。じゃあ、終わったら施錠だけはよろしく」
私が生徒に部屋を譲ると、骨格だけだった三対のつばさに、羽根が生えた。
透けたつばさ 西野ゆう @ukizm
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