7-5.灰色のイチゴ

          ●

 電車を乗り継いで、郊外に向かって走る電車に揺られる。

 指定場所は、あの後メッセージで送られてきた。その住所を確認してみて、朝から空けておくよう言われたのも得心がいった。ずいぶんと遠いのだ。

 暇を持て余す電車の中で、もう一度場所を確かめる。駅を下りたら、タクシーだな。

 町から離れた丘陵地帯にぽつんと建てられた施設。

 幸福の丘、と名付けられたガーデンチャペルが、そこにある。



 登校するぐらいの時間に出たというのに、既に真昼。

 入り口よりだいぶ手前にある駐車場に降りて、タクシーが帰っていくのを見届けてから、冬の冷たい風が吹き抜ける坂道をのぼっていく。

 その先に、信じられないものを見た。

「やっと来ましたね」

 小さな会堂の入り口に、珍しくゆったりした赤系の服に身を包み、煙草をふかして立つ少女がいた。

「カイネ……!?」

 思わず駆け寄る。

 近くでも見ても、脳裏に焼き付いた彼女の姿そのもの。僕の知るより肌が白いことを除いて。

「何、やってるの。なんでこんな所に」

「病院、抜けてきちゃいました」

 まるで悪戯を無邪気に自慢する子供のように笑う。

「口を利けるようになったので、無理言って麻酔を減らしてもらって、動けるようになったらこっそり点滴抜いて。着替えて堂々としてたら意外とバレないものですね。お腹に穴が空いていたら歩けないとでも思っているんでしょうか?」

「なんでそんな無茶を――むぐ」

 詰問しようとしたら、煙草の吸口をねじ込まれた。カイネの吸いかけのを。

「……だいたい想像はつきますから。いまはまだ気を遣ってくれていますけど、回復したら、どんな用件であれ警察のお世話になるでしょう? もしそうならなくても、こわーいお兄さん達が来ちゃうかも。どう転んでも、いままでみたいにはいられなくなっちゃいます」

 深く息を吸い込むと、冷気に混じって、苦い煙が肺を満たす。

 ……これだな。味も匂いも何も変わらないけど。

「いつ会えるかわからないです。その時にはもう、カイネはいません」

 差し出された携帯灰皿に、一口だけ吸った煙草を放り込む。

「立ち話もなんですし、奥に行きましょう。ここ結構、見晴らしはいいんですよ」

 それと、と手に提げていた、洋菓子店のロゴがプリントされた箱を掲げて見せてくる。

「途中で良さげなお店を見つけましたので、ご一緒に」



 幸福の丘は屋外がメインの施設だったけど、ちゃんと清掃は行き届いていて、調度品の白さもあって綺麗な印象だった。チャペルとはいうものの宗教的な施設ではなく、あくまでイベント会場としての意味合いが強い。

 主に挙式に用いられるこの場所からは、カイネの言う通り周囲を広く眺望できた。

 生憎と、寒い季節で一面の自然は寂れ、空模様も曇天、遠くに見える水平線も灰色に染まってしまっているが、僕達には丁度良いかもしれない。

「ここ、どうしたの?」

「せっかくですから、奮発してどこか貸し切ってみたいと思いまして」

 それで遥空に頼んで手配させたのか。人払いもしたのか、僕達以外に人の気配はない。

「遊園地とかいいなーって思ったんですけど、いきなりじゃやっぱり無理でした。おかげで、お金余っちゃいましたよ。妥協しているみたいで嫌なんですけどね。私がもっと早く、観覧車あたりで言っていれば、丸く収まっていたんですし」

「……あの時、ツリーの前に行こうって言ったのは、どうして?」

「幸せそうな人達がたくさんいましたから。その中に混じって、雰囲気おすそ分けしてもらって、それで見せつけたかったのかもしれません。私の非常識に付き合って、一緒に死んでくれる素敵な人を」

 普通なら招待状を受け取った参列者が並んで座る長椅子の一つに腰掛ける。

 間に置いた紙箱を開ける。テーブルも取皿もないから、代わりに分解した紙箱を広げて。

 中には二切れのショートケーキ。そういうコンセプトなんだろう、アンバランスに大きなイチゴが載っていた。

「シノさんがちゃんと来てくれてよかったです」

 柔らかいスポンジと甘く溶けるクリームを味わいながら、カイネがそう口にする。

「来るに決まってる。約束とかそういうの抜きにさ」

「……あの後、私の身の回りのことで色々大変だったでしょうし、来れなくなってるんじゃないかって不安でした。身体の痛みはいくらでも耐えられますが、そういう痛みはダメですから」

「僕だって、カイネが死ぬんじゃないかって、ずっと不安だった」

「おかしな話ですね。私達、死ぬのが本望なのに」

「死ぬだけじゃないでしょ?」

 意図するでもなく、二人してケーキ部分を先に食べ終えて、大きなイチゴが残った。

 カイネがそれを器用にプラフォークに乗せて、こちらに突き出してくる。自分の口を開けて待ちながら。

 僕も倣い、小さな心臓のようにも見えるイチゴを食べさせ合う。

 甘みに浸っていた舌に、そのイチゴは酸っぱく感じられた。



 紙箱を片付けると、カイネは長椅子に横たわって、僕の腿に頭を乗せてきた。

「少し、疲れました」

「……本当なら、今だって病院で治療を受けてなきゃいけないんだから」

「こうしてるのは嫌ですか?」

「……ごめん、野暮なこと言った。気の済むまでそうしてていいよ」

 仰向けになった彼女の頬を撫でると、嬉しそうにすり寄せてくる。

 カイネも手を伸ばして、頬を撫でてくる。細くて、冷たい指。

 温めようと手を重ねていると、異質な音が耳に入った。

 風でも、互いの息遣いでも、ましてや鼓動でもない。

 生命の律動を思わせる旋律。

「ピアノ……?」

 それは会堂から聞こえてきた。スピーカーも何も介さない、耳を澄ませてようやく聞き取れる、小さな生のメロティ。

 曲名は知らない。けれど、その曲を知っていた。

「遥空さんですよ。レンタルピアノサービスがありましたし、黙って従え、ってシノさんが言ってくれましたから、追加注文しちゃいました」

 悪戯っぽい笑み。

「携帯を切ってここに来て、即興でもいいから弾き続けて、って。一人だとどうせ迷うでしょうから、お金出すからタクシー使えと」

 病院からカイネ不在の連絡がいくだろう事を見越して、か。入念なことだ。

「カイネがここにいるって事は?」

「伝えていません。ま、察しはついているんでしょうけど」

「だろうね。僕を呼び付けた場所で演奏しろなんて、カイネもいなきゃ意味不明だ」

 でも、何も聞かず、文句も言わず、ただ言われるがままに。そうして借りを返せと僕が言ったから。

 大丈夫、という僕の言葉を信じているのかもしれない。愚直なまでに。

「残酷な頼みだね」

「贅沢でしょう?」

 少し妬けてしまうな。こればかりは遥空にしか務まらないから。

 カイネは目を閉じて、久しぶりに聴く音色に耳を傾けていた。

 静かにしていたのは、自分のための演奏を聴くだけでなく、喋る体力も惜しいからだろう。

 赤い服がそう物語っていた。



「さむくなってきましたね」

 空の灰が色づき始める頃、薄く目を開けながら彼女はそう零した。少しの間、眠りに落ちていた。胸が上下していたからまだ大丈夫そうと思いはしたけど、いつそれが止まるかと、ずっと怖かった。

「ここ、おいで」

 膝枕しているカイネをあまり揺らさないように深く座り直すと、彼女は微笑んで支えられながら身を起こし、開いた脚の間に移動してくる。

 彼女が横たわっていた場所は思っていたよりも染まり、僕の胸に預けてきた背は、服に染みて肌に触れるほど濡れていた。

「おふろで、こんなふうにしていたことも、ありましたね」

「……あの時は、本気で頭おかしいと思った」

「ふふ、ひどいひと」

「温かいと幸せな気持ちになる、って言ってた」

「いま、幸せですよ、わたし」

 後ろから抱き締めるように腕を回して、手を握る。

「僕は、こうしてるだけでも幸せだよ」

 細くて、薄くて、それでも柔らかい、カイネの手。

「……くるしい、ですか?」

「とても、ね」

「それは、うれしいです」

 とても苦しい。二つの苦しみが綯い交ぜになって、胸を蝕む。

 身体の奥底から湧き出す温かな苦しみと、繋いだ手を通して伝わる冷たい苦しみ。

「わたしたち、なんで、死にたい、なんておもったんでしょうね」

 声のか細さには、気付かないふりをした。

「ずっと、こうしていられたら、ずっと、幸せでいられるのに」

 カイネの頭が揺れたのも、気付かないふりをした。

「このまま、いっしょにどこか、いっちゃいたい」

 どこにでも行けばいい。どこにだって行くから。

 ショッピングでもカラオケでも、知らない所を開拓していくのもいい。

 病院だけは行きたくないけど。

「シノさん、あのね」

 来年度になるけど、文化祭だってちゃんと連れて行くから。

 あの幸福が実るツリーにもまた行こう。

 だから、僕達の家に、帰ろうよ。

「わたしね――」

 ――僕の願いなんて届きはしないと、わかってはいたけれど。

 ピアノの音も、自分の呼吸、鼓動さえも聞こえなくなるほど、耳を澄ませても。

 待ち望んだ声も、息遣いさえも、聞こえはしなかった。

 苦しみが一つになる。

 脱力した人間は重いと聞いたことがあるけれど、カイネの身体は、抜け殻みたいに軽かった。

「……………………ちゃんと言ってくれなきゃ、困るよ」

 君が願いを叶えられたなら、それに勝るものはないけれど。

 約束したんだから、守ってくれなきゃ、寂しい。

 約束を果たす前に渡そうと思っていたものがあるんだから。

 もう、勝手に渡すよ。

「カイネ」

 ポケットから出した手作りの指輪を、動かないカイネの手に握らせる。

 治療で散々触れて知っていたから、サイズは合ってるはず。

 でも、君の気持ちは聞いていないから、嵌めるのはやめとくよ。

 冷たい頬に手を添えて、安らかな寝顔を振り向かせる。

 前は勝手にされたから、今度は僕が勝手にさせてもらう。

「好きだよ」

 唇を合わせる。

 同じ感触のはずなのに、何も感じない。

 温もりも、高揚も、苦しみさえない、ただただ空虚な、冬があるだけ。

 ああ……これか。

 意志と感情が一致した、この感覚。

 虚無的な世界。

 生涯には短く、抱擁には長い、幸福の残滓。

 命の灯火に燃え尽きた灰こそ、僕が求めてやまなかったモノ。

 いまこの瞬間こそ。

 二十一グラムの平穏ピースを。

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