7-2.灰色のイチゴ
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来訪した、四十代と三十手前ぐらいの二人の刑事をリビングに通す。
若い方は部屋の隅で両手を腰に回して直立状態。捜査一課と名乗った年かさの方が腰を下ろしたのは、いつもはカイネが使っていたソファ。
社交辞令的な慰労の言葉は、面倒だから適当な相槌を打つだけで無視した。
「篠咲悠都くん、で、合ってるよね? 我々の用件はわかってると思うけど、香込会音さんの事で――」
「カイネです」
「うん?」
「カイネ、という名前ですから」
読み方違ってたっけ、と二人の刑事が首を傾げ合う。
下らない事かもしれないけど、譲ってはいけない気がした。
「……失礼。カイネさんについて、こんな事になってしまったのは残念だし、一刻も早く快方に向かってくれる事を我々も祈っています」
仕切り直して、中年の方が一見すると人の好さそうな顔つきで、愛想笑いを浮かべた。
「ただそれまで、カイネさんを匿ってくれていたこと、警察としても感謝しています。本当なら警察に保護を頼んでほしかったけど、最初は容疑者の一人だったし、隠匿になるけど心情を考えたら仕方ないね」
内心で、今度は僕が首を傾げる番だった。微妙に話が読めない。
食い違いが生まれないよう慎重に相槌を打ちながら聞いてみる。
――香込夫妻が刺殺された事件の折、カイネは隙を見て逃げ出した。そしてかつて家族だった挟倉家を頼ったが、もし犯人に縁者の線を辿られたら危険だと考え、カイネとは直接の繋がりがなく、身を隠しつつ面倒を見る余裕のある僕の家に預けられた。
警察の、少なくともこの二人の認識では、そういう事になっているらしい。
……先に聴取された挟倉教授が手を回してくれていたのか。叔父の言葉に違和感があったのは、そのシナリオを聞いていたから。感謝しかない。ありのままでは、どこをどう突かれるかわかったものじゃない。
閑話休題だ。警察の用件はそこじゃない。
「それで、何だったんですか、カイネを刺した男は」
「……君も無関係とは言えないからね、ちゃんと話すよ。あれね、香込夫妻……カイネさんのご両親を殺害した犯人だったんだ」
一瞬、思考が停止する。
ずっと、カイネが殺したものと思い込んでいた。疑いを抱いたまま受け入れていた。
明言されたこともないのに、どうしてだろう。その過去を聞いたからか? 動機は充分で、現場から失われた大金を盗んだのは彼女だった。
『その事について私からお話しできる事はありません』
当然のことだった。彼女は殺しについて、何も知らなかったのだから。
中年刑事の口から、かつての事件の真相、一人の殺人鬼について、語られていく。
彼は真面目で誠実な、家族想いの会社員だった。家族を少しでも楽にしてやりたいと、日々仕事に精を出し打ち込んでいた。
彼には妻と一人の娘がいた。
娘はカイネと同い年の高校一年。優しく天真爛漫な性格の、どこにでもいる少女。
妻は専業主婦。夫と娘の生活を支えることが生き甲斐で、不思議な愛嬌があると評判だった。
そんなごく普通の、ありふれた家庭。
しかし近年、妻の方は少々問題を抱えてしまうようになった。家族のためだとはわかっているが夫は不在がちで、娘も年頃になり、手がかからなくなった代わりに帰りが遅くなることが増えた。
そうして暇を持て余すようになってしまった彼女は、ギャンブルに手を出した。寂しさを紛らわすためと、勝てば夫の負担を減らせると考えて。それが時間と金の浪費にならない人などほんの一握りで、依存症の入り口である事は想像に難くないのに。
のめり込み、小遣いを使い、夫の稼ぎを使い、生活費も使い、足りなくなって。
バレる前に返せばいい。そんな甘くない借金に頼るようになっても、ギャンブル狂いは収まらない。
金を借りた会社の一つは、タチの悪い金貸しだった。経営者の名前は香込嶺音。無惨に殺された被害者の一人で、香込会音の父。
表向きにはクリーンな消費者金融だが、実態は暴力団傘下の闇金と業務提携という形で手を結び――手法は警察の口からは言えないようだが――法の抜け道を針を通すようにかい潜り、カモになると睨んだ客の借金を雪だるま式に増やしていた。
瞬く間に返済の目処が立たなくなると、紹介する仕事を娘に手伝わせれば軽減措置を取る、と持ち掛けた。実の娘にも手を出す下衆が紹介する仕事などロクでもないと、聞く前から想像はついた。
娘は、母のためだと引き受けたが、仕事とやらを最初の一度だけ終えた後、首を吊った。
娘を失ってようやく悔いた母も、後を追って首を吊った。
いつも通りに帰宅した夫が目にしたのは、変わり果てた二つのブランコと、懺悔の遺書。
家族想い故に自分の為すべき事に全力を注いでいた彼は、その時まで、想っていたはずの家族の変容に気付かなかったそう。
後を追おう、と決意した。しかしその前に、せめて愛する家族の供養をと考えた。死の原因となった香込嶺音と、その家族の命を捧げる事で。
会社を辞め、探偵を雇って香込家を調べ上げ、繋がっている暴力団の警備が薄いタイミングを狙い澄まして、香込夫妻を襲撃。
その後は、取り逃がした娘を追うが、見つからない。借金を重ねて私財を全て売り払っても興信所への依頼料が尽きると、自らの足で捜し始めた。
そしてあのイブの日、ようやく……目立つ事を厭わなくなり、殺した母親に似ていただろう美しく飾った少女を、見逃すはずもなく。
それが、遺書と捜査状況を照らし合わせて導かれた、事件の実態。
――同情ぐらいはしてもいいが、勝手に死ねばいいだろ。無関係のカイネを巻き込むな。
カイネの生い立ちに続く、反吐が出るような、身勝手に周りを引きずり落とすろくでなし共の話に、僕の中で情報が繋がる。
強盗殺人事件とされていたが、まったく別の出来事が重なっただけ。カイネが夫妻の死の経緯を知っているわけがない。金庫の中身を盗みはしたが、そうして行方を眩ませた後の出来事だったのだから。
その後も、頭の中がぐちゃぐちゃになるような吐き気をこらえながら、刑事と一連の事件についていくつか言葉を交わす。
嘘はつかないが、差し支えのない情報を選んで。彼らからしたら、僕はただの高校生に過ぎない。
最初からずっと感じている。丁寧さと気さくさを備えた話しやすい仮面をかぶって、突ける急所と隙がないか窺い続けているのを。
「被疑者死亡なんて幕引きになるのは、実に不本意な事だと思います。けれど我々にとって、事件はまだ終わっていないんですよ。篠咲くんも知っているかな。香込夫妻の件は強盗殺人事件って報道されてるの」
虎視眈々と、今も。
「香込家にあった金庫から、ごっそりお金がなくなっていたからね……でも、殺人なんて許されない行いをしたのは事実だけど、そこは濡れ衣だ。あれだけの現金があったなら、興信所に支払いが出来なくなった説明がつかなくなるしね」
「……少し話しすぎじゃないでしょうか。その辺はもう、僕に関係ないですし」
「ん? んー、そうね……おい、こっからはほんとはおめーの仕事だろが」
いきなり矛先を向けられた、隅で一言も喋らなかった若手の方が、慇懃な仕草で頭を下げた。
「すんません。自分、同業とヤクザ以外、話すの苦手なんで」
「ったくよ……そうそう、紹介が遅れて申し訳ないですね。あっちの馬鹿そうな奴、四課の所属なんですよ。組対とかマル暴とか言った方が伝わるかな?」
一気に身体が冷えていく。四課と言いながら差し出して見せてきた、令状に。
……一応は関係者だからと、事件の経緯を教えるためにわざわざ居宅まで足を運ぶなんて、警察がそんな親切な組織なわけがない。これが本命だった。
「金庫から失くなったのは、香込嶺音氏が暴力団からマネーロンダリングを任されていた資金でね。カイネさんが逃亡する際に持ち出した疑いがある。事情はどうあれ、存在してはいけないお金なんだ」
まずいな。
「悪いけど、この家を探させてもらうよ」
「……僕はこの家の住人ですが、所有者は後見人でもある叔父です。まずはそちらに話を通してください」
「うん、善良な民間人に手荒な事するわけにはいかないから、ちゃんと筋は通してるよ。別の署員が叔父さんの所に伺ってて、ついさっき合意を取り付けた」
……こうなるなら叔父から一言ぐらい連絡あってもいいだろうと思ったら、そういう事か。警察の欲しい品を隠す暇を与えないために。
「カイネさんが使っていた部屋は、どこかな?」
逡巡したけど、指で示すと、若手刑事の方が入っていく。下手に不服従の姿勢を見せるのは得策じゃない。
カイネの部屋が調べられている間、同居していた僕から洗い出せないかと、中年刑事が訊いてくる。
「結構な額なんだけど、見覚えない?」
「ないですね。あの部屋もカイネに貸してから立ち入ってませんし、女子の荷物を漁る趣味もありませんから」
「ハハハ、真面目だねぇ。でも心当たりぐらいあるんじゃない? 金遣いが荒かった、とか」
「別に普通ですよ。ここに預けられた経緯だってうちに経済的余裕があるからですし、生活上必要な分はこちらで負担していましたから」
そうやって問答が続いていく。金を持ち出したのがカイネだという事は確信しているようだけど、シラを切り通すしかない。
ほどなくして、若手刑事が部屋から出てきた。頭を掻きながら、手ぶらで。
「……ないッスね」
内心、僕も驚く。大金の入っていた鞄は基本的にあの部屋に置いてあるはずだ。イブにだって、そんな荷物など持ってきていない。どこにいった?
「あ? ちゃんと探したのかよ」
「隠せる場所自体少ないンすよ。金額的に、バラして分散しても限界ありますし」
「だー、結局家中探さなきゃいけねえのか」
ぞわ、と全身に寒気が走った。そんな事をされたら最悪だ。
カイネの事だけじゃない。警察が来るというから拳銃は隠してあるが、地下室に立ち入られたら、事件とは全く別の事態が肥大化してしまう。
しかし令状が出ている以上、妨害行為は――
若手刑事の胸元で携帯が鳴る。応答した彼は相槌だけを返していたが、その度に眉間に皺が刻まれていった。
「……先輩、うちの課長からっす」
パスされた携帯電話を受け取って、中年刑事は玄関に向かって行く。
そして間もなく、怒鳴り声が聞こえてきた。
「道理で下っ端一人しか寄越さねえわけですねこのド阿呆! 一課のヤマじゃねえんだぞ、もし押収できてたらどう落とし前つけて頂けんだコラァ!!」
「……あの人、うちの課長とダチなの。色々気にしないだげて」
「…………はあ」
一体なんなんだ? こっちはそれどころじゃないのに。
しばらく若干の敬語を交えた罵詈雑言を飛ばした刑事が、肩を怒らせて戻ってくると、僕の前に令状を突き出して、くしゃりと握り潰した。
「挟倉さんが怒ってたってさ。善意で協力してくれた少年の家を捜索するとは何事だ、出るとこ出るぞ、って。そしたら令状の申請にも不備が見つかってね。証拠不十分、って。だからこれはもう紙クズ」
令状だった丸めた紙クズが、若手刑事に投げつけられる。
……窮地は脱した、のか? あずかり知らぬところで。
「お騒がせしてすみませんね」
薄っぺらい言葉だけ残して、刑事達は去っていった。令状があればまた来るのだろうけど。
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