6-4.約束と平穏

          ●

 一緒に出掛けたり遊びに行ったりというのは何度もあるけれど、端からデートという名目で予定を立てて行動するのは初めてだ。

 計画を任された以上、相応の心構えで準備はしていた。知識はいくらでも仕入れられるし、予算も潤沢にある。

 ……だが、いかんせん経験不足とは覆し難いもので、気の利いたプランも演出も思い浮かぶものではなかった。

 結局は無難で定番のコース。カイネがあんなに気合を入れたのだから、僕ももっと張り切るべきだったと、情けないぐらい後悔している。

 それでも、まあ、今日という日を楽しく過ごせたのは事実だ。

 昼過ぎに合流してから、星をばら撒き天の川を垂らしたように飾られた街を歩いて、オープンテラスの瀟洒なカフェで休憩を挟み、屋外イベントホールで行われたグループアイドルのフリーライブを鑑賞して。

 二人で他愛のない話をした。学校での話をして、カイネが最近読んだ小説が映画化するらしいという話をして。雑談なんか普段からしているから目新しい話題もないけど、僕達が過ごした、たった四ヶ月の日々を振り返っているようで、時間が過ぎていくのは早かった。

 日が沈んだ頃、予約していたレストランに。かなり前に取っていたけれどイブだけあってギリギリだった店は、見晴らしの良い商業ビルの高層階。

 奮発した店だけあって、他の客は僕達より二回りは歳上だった。我ながらクサい事をしたし場違い感もあったけれど、窓から見下ろす街の輝きはお世辞抜きに綺麗だったし、コース料理はどれも僕が作るものよりよほど美味しい。

 何よりテーブルの向こうから、カイネの高揚感が伝わってくる。最後の晩餐としては上等だ。

 本当はここでクリスマスプレゼントを渡すものなんだろうけど、僕達のタイミングは、いまじゃない。



 レストランを出た後、食事中に見えていた観覧車に乗った。予定にはなかったけれど、近くまで来たらたまたま列が切れていたから、せっかくだしと思って。

 ゴンドラに乗って対面に座ると、すぐにカイネが隣に移動してきた……普通そうだな。家ではいつも向かい合っていたから、無意識の癖だった。

 しばらくして地面が離れてくると、僕の肩に頭を預けていたカイネが笑い始めた。とても楽しそうに。

「今日のデート、見事に失敗ですね」

「……笑ってる割に、手厳しいね」

「すみません、焚き付けた私のせいなんですけど」

 失敗だと言う割に、満足そうに、頭をすりつけてくる。

「こんなにコテコテのプラン立ててくるなんて思っていませんでしたから」

 ……夜景ってこんなに綺麗なものなんだな。カイネも見ればいいのに。

「シノさんも、見栄っ張りの男の子なところあるんだなぁって。失敗って言われてふてくされてるところも」

「……不満なら延期する?」

「違いますって。嬉しいんですよ、私のために頑張ってくれて。それと、あたなが可愛くて」

 少しだけ、苦しくなる。

 少しだけ、寂しそうに、カイネが言う。

「失敗なのは、シノさんが全然苦しそうじゃなかったから」

 図星を突かれて、息が詰まった。

 今日はカイネに満足してもらう事に主眼を置いていて、逆にそれ以外の事は度外視していた。

 許されるなら、延期してやり直したいのは僕の方だ。

「私は楽しかったです。でもあなたが同じ気持ちじゃないと、幸せ半減です」

 僕の膝に、カイネが手を乗せてくる。

「とっておきのデートプラン考えてこい、なんて言っておいてなんですけど、私はシノさんと一緒に過ごせたら、それで良かったんです」

 かすかな上昇感が消えて、ゴンドラが頂上に着いた。

「なら、今は?」

 手を重ねると、裏返して細い指を絡めてくる。自然とそんな反応をされて、喉が狭まる。

「一緒どころか、二人きりだ。こうしてるだけでも、結構しんどい」

 カイネが視線を上げてきて、見つめ合う形になった。

「この後のプラン、どうなってます?」

「ホテルのスイート取ってある」

「わぉ」

 嬉しそうに笑う。

「腹は括ってる、って言ったでしょ」

「首を括ってる、の間違いでは?」

 ゴンドラが下降を始めると、カイネの指に力がこもり、強張った。

 いつ刻限が訪れてもいいように、心構えを整えていく。

 けれど、今日はとことん空回りする日なのか、カイネはゴンドラの外を見下ろした。

「なら最後に、あそこ行きましょう」

 彼女が指差したのは、きらめく街の中でも一際輝く、巨大なクリスマスツリーだった。



          ●

 何組ものカップルが取り巻く広場の真ん中に、クリスマスだけは世界中に幸福が溢れているのだと主張するような、人工的な希望が無数に飾り付けられたツリーがそびえ立っていた。

 カイネが強く、腕を抱き寄せてくる。じっと僕を見上げて。

 ――言外に、準備をしろ、と告げていた。

「……カイネ?」

「せっかく用意してくれましたけど、ホテルには行きません」

 真摯で強い眼差しに、一抹の不安が揺れている。

「どんなにあなたを苦しめても、私は我慢したくありませんから」

「それこそ本望だよ」

 カイネは力なく首を振る。

「……怖いんです。あなたにがっかりされたらどうしよう、って」

「そんなわけ――」

「わからないじゃないですか。私はうぶな女の子じゃない。歪んだ欲求に穢されてきた身です。私が欲しいと思ったのは本当に初めてで……そんなの、気にしたことなかったのに。どんなにオシャレしたって、どんなに頑張ったって、その中身は変わりません」

 色んな彼女を見てきた。普段の飄々とした彼女も、自分にドライな彼女も、垣間見える感情的な彼女も。でもこんな、弱気なカイネを見るのは、初めてだった。

「知ってるよ。今更、気にするわけない」

 諭すように伝えると、少しだけ笑った。淋しげな色を残したまま。

「シノさんならそう言ってくれると思っていました。けど、私の問題なんです」

 我慢しないから、深い意味もなくただ一緒に過ごすなんて選択肢はないと。

 今日のために練習してきた、「最高に幸せなカイネ」に、お色直しがされていく。

「気持ちが強いほど不安が浮き彫りになっていって、きっと不安がなくなる頃にはもう、最高の瞬間は過ぎちゃっていますから」

 そうして向けてきた笑顔は、息を呑んでしまうほどに、僕を苦しくさせた。

「綺麗でいられる魔法が解けないうちに」

「…………わかった」

 カイネがそう望むなら。

 そういう約束だ。カイネの告白合図で、彼女を殺し、僕も命を絶つ。

 一度だけ深呼吸して、心の準備を整える。

 既に弾を込めてある拳銃の在処を、懐の重みで確かめる。

 心臓にしよう。自分のでなければ充分狙える。

 カイネの魔法を、なるべく僕が解いてしまいたくはない。

 望むまでの数秒間の苦痛を、彼女ならきっと耐えてくれると信じて。

 別れの挨拶とばかりにカイネが軽く抱きついてくる。その背に僕も腕を回す。

 刹那の喜びと、惜しむ気持ち、待ち焦がれた想いと、胸が捩れる苦しみが、綯い交ぜになる。

 感情の渦に心を委ねる。余計な思考はいらない。

 迷いなどないように。

 生きたいなどと思わないように。

 生きて欲しいと思わないように。

 やがて彼女が身を離す。カイネという少女を、目に焼き付けられるよう。

 手を繋ぎ直す。

 満足そうな、穏やかな表情で、僕を見上げる。

 約束の時間だ。

「シノさん――」

 僕を呼んだ後の言葉は、続かなかった。

 カイネの身体がかすかに揺れる。前方から歩いてきたホームレスがぶつかったのだ。

 待ち望んだ瞬間を邪魔された憤りは一瞬だけ。

 すぐに、困惑が上回った。理解が追いつかない。

 繋いだカイネの手が固く強張る。

 ホームレスは小柄な男だった。痩せこけ乾き、汚れた肌は死者のよう。

 なのにカイネの横顔を睨む、目やにで淀んだ双眸だけが、異様な生気にギラついていて。

 気持ちを紡ぎかけた唇が引き結ばれ、歪む。

 どこからか悲鳴があがる。

 カイネが力なく小男を押しのける。

 小男が尻餅をつき、カイネがふらつく。

 濡れた音。

 何? 何だ? 何故?

 小男の手が赤い。

 イルミに照らされた真っ赤な包丁。

 カイネが僕に寄りかかって、崩れ落ちる。

 屈んで、

 支えて、

 熱い、

 濡れた、

 腹が、

 赤い。

 悲鳴の連鎖。

 小男の狂ったような哄笑。

「やっと、やっと、やっとだ、クソが、ちくしょう、やっとだ、やった!」

 汚れた肌が、滂沱の涙を吸って、黒く、黒く。

「あのクソッタレのガキが! いっちょまえに楽しみやがって! ふざけんな! クソが!」

 何を言ってるんだ?

 何をやってるんだ?

 ………………

 ああ、カイネを殺す前だったのに。

 殺意というものを初めて知った。

 人体に撃ったことはない。

 だから、試してやる。

「――シノ、さん」

 縋るように腕を掴まれて、わずかに冷静さが戻った。

「カイネ、しっかり」

 背中を支えて横たえながら、横腹の傷を押さえる。

 脈打つ度に、グラスを零したように血が溢れ、手を濡らす。

 膝が、靴底が、濡れていく。

 カイネの魔法が、赤い生命に汚されていく。

「……きつい、ですね、これは」

「痛いのは大丈夫なんでしょ、こらえて!」

「それは……平気です、けど……熱くて、力、入らな……目、ぼやけて……」

「喋らなくていいから!」

 異常な事態に、誰かがスマホに叫ぶ声が聞こえる。

「キヒヒ、ィァハハァハ……またせて、ごめんなぁ……父ちゃんも、いま、いくからなぁ……」

 視界の端で、小男が血塗れの包丁で己の喉を突き、引き裂くのが見えた。

 きらきら輝くツリーが揺れるような絶叫がこだまする。

「ちょっと、待って……ね」

 浅い呼吸を繰り返すカイネが、僕の耳元に口を寄せて、絞り出すように囁く。

 頭が割れそうな阿鼻叫喚の中、カイネは一度、深く息を吸い込んで、

 けほ、と咳き込んで、

 ――そのまま、力を失った。

「カイネ!!」

 喉が破れそうだった。

 こんな苦しみを、こんな結末を、望んでなんかいない。

 君だってそうだろう?

 だから、頼むから――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る