6-1.約束と平穏
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あのアクシデントを経て、揃ってメンヘラとしか思えない誓いを立ててから、はや一ヶ月が過ぎ、十一月下旬。
地下室での作業は順調に進んでいる。様々な資材や工具を追加で買い揃え、防音素材で囲った仮設実験室を作ったりと、もはや面影のない工房と化しているけれど、そうした投資を惜しまない事でやって来れた感はある。
そして今現在、新たなアクシデントが発生している。
「………………」
「……機嫌直してよ」
「………………」
カイネが拗ねていた。ソファで膝を抱えながらそっぽを向いて。
彼女が住み始めて三ヶ月程になるが、こんな反応をするとは思わなかった。
発端は、僕の通う学校で行われた文化祭だ。別段トラブルがあったわけじゃない。
問題は、トラブルの種になりかねないと思ってカイネを連れて行かなかった、もとい開催すら知らせなかった事だ。
カイネは目立つ風貌でこそなく、色眼鏡をかけているつもりもないのだが、容姿だけで人目を惹き付ける。異性への興味が強い年頃ばかりの学校で、幾分か非日常的な気分の高揚がある文化祭に紛れ込んだら、どれほど注目されるか。
それに僕だけならなんとでも誤魔化しようはあるけど、遥空や先生のような既知もいる。
事情を知らない先生は当然として、カイネが来るかどうか気にしていた遥空も不安が残る。誤魔化しきれるとは思えないし、良い意味で目立つ見た目だから、一緒にいるだけでまずい。
最近のカイネはやたら僕を連れて遊びに行きたがるし、留守番を言い付けるぐらいなら、知らせない方がいいと判断して黙っていたのだが……
休日に登校し、打ち上げで帰りが遅くなった上に、色々と持ち帰ってきた品物を見て何か察したようだったので、何気ない風に文化祭の事を事後報告したら、へそを曲げてしまった。
「……いいですよねー学生さんは。楽しそうなイベントが自然発生して」
カイネも一応高校生だろうと思ったけど、口にはしなかった。
失踪してから三ヶ月ほど経過しているから、在籍していた学校での扱いがどうなっているか。事情が事情だけに休学扱いだと思うが、本人なりには十六歳無職ってとこなんだろう。
まあ、その経歴は香込会音のものだと言ったのは僕だし、指摘するのも野暮だ。というか、下手なことを言って余計むくれられたらたまらない。
「文化祭なんていっても大層なのじゃないから、わざわざ行っても楽しめるものじゃないよ」
「そんなの私が決めることですー」
ソファに寝っ転がって、心底未練がましくぼやく。
「……イベント自体つまんなくたっていいんですよ。楽しむ口実なんですから。私達は長生きする気ないですし、いまのうちに思い出ぐらい作ってもいいと思いません?」
「……ド正論だよ。ごめん」
言われてみると、カイネが抱えるリスクを排することばかりに意識が向いて、純粋に彼女と一緒に過ごすことは想像していなかった。僕達が遠からず死のうとしてることを踏まえたら、カイネの不満は尤もだ。
思えば最近のカイネは外出頻度が増えているあたり、いまは僕が懸念するほど、当人は気にかけていないのだろう。
「せめてお土産あるからさ」
スマホの動画ファイルをカイネに送信する。元々見せるつもりだったけど、こんなご機嫌取りみたいな形になるとは。
身を起こしたカイネが怪訝そうにする前で、自分のと同期させたテレビで動画を再生する。
「スマホで撮影したから、画質と音質は大目に見て」
主に生徒達による喧騒の中、映ったのは体育館のステージと、そこに立つ五人の男女。
その真ん中でエレアコギターを提げた風璃が、マイクに向けて軽い挨拶とメンバー紹介をしている。その最中、カイネがある事に気付いて目を見開いた。
「……わぉ」
彼女が注目したのは、バンドメンバーの隅で馴染んでいない空気を醸しながらも、その長身で存在感のある、見慣れた仏頂面。
挨拶を終えた風璃が、ボーカル兼任のベーシストにセンターのマイクを譲って下がり、メンバーに目配せすると、それを合図に演奏が始まる。
この舞台を見ていた時に初めて知ったのだが、風璃の属するバンドは部活やサークルではなく、どんな人脈なのか学外で結成したものだった。元々のメンバーで高校生なのは風璃と、他校で三年生のドラムスだけ。ベースは音大生で、控えめに立つサックスはジャズバーで働いているという。
そんな構成の時点で想像できる事だが、ぱっとしない高校文化祭で披露するには、あまりにレベルが高すぎた。
ただの同級生でクラス委員ぐらいにしか思っていなかった風璃も。
新メンバーとして紹介された遥空も。
変則的な編成ということでオリジナル曲だそうで、それぞれの個性が発揮されながらも、主張は強すぎず滑らかに混ざりあった演奏。
カイネは呼吸を止めてさえ見えるほど耳を澄ませ、聴き入っていた。
残念ながらピアノではなく、電子音を奏でるキーボードだが、きっと、まぎれもなく遥空の弾く音なんだろう。
正直、見せつけられている気分になるほど、圧巻のステージだった。
僕達と違って、生きていく未来を映したようなひと時を。
曲が終わると共にあがるテレビスピーカーからの大歓声に、カイネが深く息をつく。
「よかったです」
それだけ、感慨深げに言った。
僕も撮影しながら圧倒されたものだが、ひとつ気になる事もある。
遥空だ。長いブランクがありながら、これだけの演奏についていけるのだから技量は相当なのだろうけど、聞いてきた絶賛には遠いものに感じた。
もちろんピアノかキーボードかの差異もあるだろうし、まだかつての感覚を取り戻している途中なのか――
「でも、惜しいですね。多分間に合わせで用意したんでしょうけど、キーボードが安物です」
そんな風に思っていたのだが、よく知る彼女の評価は違った。
「安物だとそんなに違うもの?」
「楽器自体ピンキリなのが多いですけど、あのキーボード、キー感度が一定になっていて調整できない仕様なんだと思います。そんなんじゃ譜面をなぞるのが限界ですし、遥空さんの実力を半分も引き出せませんよ」
「さすが、近くで聴いてきただけある」
「ま、完璧じゃないですけど、心残りがひとつ解消できてよかったです」
耳の中の残響を味わうように、安心した顔をしていた。
紹介の時、別段ゲストとして扱われてはいなかった。遥空本人からは詳しく聞いていないけど、きっとこのままバンドメンバーとして活動していくんだろう。
「ていうか」
一転、カイネがジト目で睨んでくる。
「こんなのやるなら、なおさら連れて行って欲しかったんですけど」
……機嫌を直すつもりが藪蛇だった。
「悪かったって。埋め合わせはするから」
「埋め合わせ、ねー」
刺々しい言い方をしながら、煙草に火をつける。やさぐれ感が半端ない。
下手に口も出せず、黙考すること煙草半分の時間、カイネが口角を上げた。
「それじゃ、クリスマス」
その一言だけで、彼女が頭の中でどんなプランを描いたのか、ある程度の想像がついた。
「イブまでに、シノさんがいま作っている物、完成させてください」
カイネは僕が何を作っているのか、まだ知らない。ただ、自殺に使える道具というだけ。
まあ、それは言われるまでもなく間に合うと思うが……
「それと、とっておきのデートプランも用意してくださいね」
……それは保証しかねる。
「私も準備しておきますから」
何の準備かは訊かなかった。
僕達の目標なんて、出会った時から少しも変わっていないのだから。
●
大きな出来事が起こる事もなく日々は過ぎ、十二月半ば。
期末試験目前、皆が帰るなり勉強場所に移動しているなりで誰もいない教室で、日直の僕と風璃は日誌を書いていた。
「挟倉って、バンドで上手くやれてる?」
「本人はどうか知らんけど、みんな歓迎しとるよ」
遥空はあれほど逃げ回っていたのに、文化祭の準備が本格的になってきた頃、自ら加入を志願したそう。
「特にほら、ジャズバーで働いてるゆーサックスの人おったやん? あの人なんかめっちゃ気に入ってて、店に呼んでピアノ生演奏してもろたんやて。そしたらえらい惚れ込んでな、最高の楽器用意したらんともったいない言い出しよって。自腹でも構わんゆーから、それはみんなで止めたんやけど」
「随分な入れ込みようだね」
「そらな。文化祭ん時のは急やったから軽音部の古い備品借りたんやけど、挟倉の音出せへんし、うちも演りながらモヤモヤしてキレそうなったもん。ギターでボード叩き割ったろかってな」
「破壊パフォーマンス?」
「ちゃうわ!」
風璃は元々よく喋る方だけど、遥空の加入から目に見えて生き生きしていて、幾晩でも語り明かせるとばかりに饒舌だった。良いことだ、と素直に思う。
「でも楽器ぐらい、自分で買わせればいいのに」
「ええ音はバンドの共有財産やから、みんなで出し合って買う事にしたわ。元々うちがしつこく誘ってたんやし、挟倉本人にはビタ一文払わせん」
強い意気込みが伝わってくる。そういえば結構前に、音楽業界の人だという先生の旦那さんとの繋がりも出来たし、そう遠くないうち、体育館ではないステージで目にする日が来るのかも知れないな。
「そゆわけで最近はバイト三昧や」
「いいのそれで? バンド活動もあるんでしょ」
「かまへんて。お遊びでやっとるんとちゃうし、屁でもないわ」
イヒヒ、と歯を見せて風璃が笑う。日誌を書く手がさっきから止まっているけど、良い話をしてもらってるし大目に見よう。
「……ん? でも納羽がバイト増やしてるなら、挟倉は何してるの? 最近、放課後になるとすぐいなくなってるみたいだけど」
すぐ学校からいなくなるのは前からだけど、いまはもう、拳を傷める意味などないはずだ。
「あー、それな。楽器買えるまで暇やから、リハビリゆーて色んなとこでストリートピアノしとるらしいわ」
「へえ……面白いことしてるね。動画とか撮ってないのかな」
「自分じゃ撮っとらんみたいやな。つべかSNS探したら誰かが撮ったのあるかもしれんけど」
「見てみたいけど、それはさすがに骨が折れるな……」
家では暇してるカイネに教えてみたら、探すのかな。
「んぁ、そーいや挟倉、こないだ曲の作り方教えてくれゆーてきたんやけど、なんか心当たりある?」
「作曲?」
「せや。なんやピアノソロのを作りたいってんやけど、うち作れてもバンド向きになってまうし、あんま力なれんなって。ねこちゃんに訊いたらええのにな。急にバンド入ったのも、あーんな逃げまくっとったのに、なんの心変わりやろ?」
……先生には訊きにくいだろうな。多分それらの変化は、死んだかもしれないと思っていたカイネに会って、叱咤されたからだろうし。
「もう少しでクリスマスだし、曲を贈りたい人でもいるんじゃないの?」
そのあたりについて風璃に話すわけにもいかないから、適当なことを言ってみたけど……当たっていたらどうしよう。そうだったら気まずい。
「クリスマスなー……篠咲は、予定あるん?」
「あるよ」
カイネとの大事な約束が。
がたっ、と風璃が椅子を蹴って迫ってきた。
「カノジョおるって噂、ほんまやったんか……!」
「違う違う、違うから」
カイネとの関係はそういうのじゃない。
互いの命を預け合った日以来、彼女は宣言通り、線引きして過度の接触は控えていた。
そのラインを超える時が、僕達の終わりの合図。彼氏彼女の関係になる日は永遠に来ない。
……イタい発想だな本当に。でもそれでいいと開き直れてしまうのだから、重病的な感情だ。
「ちょうど冬休みだから、親戚のとこ行くだけだよ。年越しぐらい一緒に過ごそうと思って」
親戚って両親の事だけど、という冗談は胸に秘めておいた。
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