5-1.幸福な劇毒
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「最近、よくここにいますね」
地下室の隅にある休憩スペースで、持ち込んだノートPCを使って調べ物をしていると、カイネがやって来た。
「あまり入った事ないですけど、広いし、すごい立派な場所ですよね」
この地下室は部屋の区切りがない分、家屋の総面積に近い広さがあり、
父の形から入りたがる性格ゆえか、使った形跡のない物もちらほらあるが……家を飛び出して行った叔父の為に家具を拵えたのがきっかけだそうで、それらは今も、叔父の家で大切に使われ続けている。
「ま、DIY趣味としては本格的すぎるよね。もう少し環境を整えたら、フィクションに出てくる剣とか作れそうだ」
「海外の動画でやってるやつですね」
カイネが近付いてきたので、ウィンドウを別の資料に切り替えて調べ物を隠す。
「パソコンだったら上でやればいいのに」
「ちょっと作ってみたい物があってさ。ここで作るには何が必要か考えてたんだ」
「わぉ、なに作るんです?」
「ちゃんと作れるか断言できないから、完成してからのお楽しみってことで」
実現できる自信はあるけど、現時点では構想でしかない。
そこそこ値の張る3Dプリンターを購入すれば手っ取り早いが、趣に欠けていて面白くない。
こうして取り組み始めてみてようやく自覚したけど、父に似たのか、料理にせよ工作にせよ、何かを作る事に楽しみを見出す性質らしい。
モノがモノだけに妥協が必要な部分も出てくるだろうが、どうせなら徹底的にやってやろう。
「んー……作ろうとしてるのは、ずばり、自殺用のギロチンですね?」
「……作ろうと思えば作れるだろうけど、考え方が物騒だ」
現代日本で生首が転がってる絵面はショッキングすぎる。自殺用途、という点だけは合っているけれど。
「上手く出来たら、カイネの役にも立つと思うよ」
「そうなんです? でしたら、期待して待ってましょうかね」
カイネた悪戯っぽくも柔らかい笑みを浮かべる。
最近、彼女の表情が少し変わってきた気がする。以前よりも感情が見えるようになったというか、物理的でない距離の近さを感じる。
「待つ代わり、私の方にもお付き合いくださいね?」
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取り掛かる製作のイメージとして、作業自体が相当に時間を食う事になるし、試行錯誤を繰り返す事になるのは最初期から予想していた。
しかし元々長期間を要すると踏んではいたが、十月になった現時点で作業に入れておらず、想定以上に遅々として進まない。
その理由は主に、というかほぼ全部、カイネだ。
「ほんとのしあわせは 目に映らずに 案外傍にあって 気付かずにいたのですが」
狭い室内に、元々の歌い手とは質の異なる、儚げに澄んだ綺麗な歌声が満ちる。幸福論、という曲らしい。
地下室でのやり取りの数日後、放課後になってカイネに呼び出されたと思ったら、カラオケに連れて来られた。今までは大抵自宅で気ままに過ごし、幸福に至る物語を漁っていたはずだが、酒を酌み交わした日以来、やたらと僕を連れて遊びに出かけるようになった。
「歌ったのは久しぶりですけど、気持ちいいですね」
「そう? 気分転換にはいいけど」
「シノさんも歌いましょうよ。さっきの一曲上手かったから、聴きたいです」
「僕より桁違いに上手い人に言われてもな。聴き専に回りたい」
嘘偽りなく、カイネの歌は、口を噤み思考停止して聴き入ってしまう程だった。カラオケでの上手さとも違う、歌うことそのものが上手い。
声質の違いからか原曲とは歌い方を変えているけど、そういうアレンジを加えたカバー曲だと錯覚するぐらい完成しているし、歌詞の情感を大切にして紡いでいる。
カイネが歌うのを聴いていると、ふと妄想してしまう。彼女がもし、遥空と家族のままだったら。遥空の弾くピアノに合わせて弾くカイネ、どこかのレストランやバーのステージでの演奏。そんな風景を想ってみると、自然とステージがライブハウスやフェスへとスケールアップしていく。そういえば遥空はメディア露出の実績もあるのだし、伴奏と歌だけじゃなく、ルックスだけでもアーティストとして大いに売り出せそうだ。
……ま、僕に関係のないイフストーリーに思いを馳せたって、無益以外の何物でもないが。
「んふふ、しょうがないですね、歌ってさしあげましょう。でもその次はシノさんが歌ってくださいよ?」
「はいはい」
今度の曲は、DOLLという、これまたカイネが好きなガールズバンドのメジャーデビュー曲らしい。
曲を送信してマイクを握ったカイネは、寝転がって僕の太腿に頭を乗せてくる。歌いにくそうだけど、本人はまったく気にせず上機嫌に歌っている。
僕もまあ、好きにさせる事にした。彼女が楽しめるなら、僕に不都合のない範囲で協力するつもり。膝枕が幸せ探しの足しになるのかはわからないけれど、それは歪な思考回路を持つ彼女のみぞ知るところだ。
この時間、この部屋、この絵面だけを切り抜いたら、高校生活を楽しんでいるように見えるのだろう。というか、はたからすれば付き合っているように見えるんだろうな。実態はかけ離れているのに。
大抵の感性は人並みだと自認している僕としては、こうしているのは普通に楽しいけれど、あまり望ましくない事でもある。
十七年の人生で慣れているし、カイネの頼みなので耐えているが、僕は常に喜ばしい感情と同量の苦しみが生まれる。
何を歌うか、曲を選びながら考える。
早いところ、頭の中にあるイメージを形にしていかないと。
……もしも、僕達が死にたいなどと思っていなければ、いまのこの場面こそが、僕達の生き様を表すものだったのかもしれない。
本当に、益体のない夢想だ。
誰だって辿り着く、けれど誰もが遠回りしていく場所に、僕達はずっと近道を探しながら、自分のペースで向かっている。立ち止まらず、駆け抜けもせず、人々に囲まれながらも、共に歩む者もいなかったからこそ、僕達は出会った。
お互い、努力している真っ最中。奈落に繋がる近道を探して。
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変哲のない日常を送りながら裏で秘密の作業を進めるのは、なかなかに大変なもの。社会人と比べたら遥かに余裕があるとはいえ、学生にも学校行事という繁忙期がある。
カイネのお誘いと違って想定内だけど、目下は十一月の文化祭と、その準備。
この学校の文化祭はさほど大掛かりなものではない。それでも準備期間も含めれば、一年で最も多忙な時期と言える。
帰宅部なのでクラスの出し物だけで済むとはいえ、部活のある面々より多くの取り組みを求められ、それなりに手伝うことになった。
「ねえ、最近ハルくんが相手してくれないんだけど、何か心当たりない?」
担任代理継続中の副担任の雑用を手伝う、とまでは言っていないのだが、有無を言わさずに書類の束を押し付けながら先生が訊いてきた。日直で提出物を持ってきただけなのに。
「さあ? でも最近は大人しくしてるみたいだし、教師としてはいいんじゃないですか」
理由があるとすれば、カイネとの再会だろうな。
「問題起こさないのはいいけど……気になる。ハルくん、なんでか君には なんでも話すから、何か知ってると思ったんだけどなぁ」
「まあ、そういうところはありますが。最近聞いたのだと、中学の頃に父親が再婚して、義理の母親と妹がいた時期がある、って話ですかね」
PCのキーボードを打っていた手を止めて、先生がこちらを見てくる。そして思い出したようにホチキスを手渡してきた。留めろってことか。
「……よくあの子が、その話をしたね」
そんな話を振ってみたのも、カイネについて少し知ろうと思ったから。本人が語った事を疑う気は毛頭なく、僕とは別の角度から見た彼女の事に興味はある。
遥空から聞いてもいいのだけど、まだ引きずっているようだし、多分、色眼鏡がある。
「どんな人達だったんです?」
「興味あるなら、ハルくんに訊いた方がいいと思うな」
「あいつ口下手ですし、気持ち的に話しにくそうですから。いきなり仕事押し付けたんですから、興味本位の暇潰しぐらいお付き合いくださいよ。挟倉ぐらいしか共通の話題もないですし」
「ふぅちゃんも共通の話題じゃない?」
「……僕はただのクラスメイトですってば」
先生は天井を見上げて、んー、と唸りながら考える。答えてくれるのはありがたいけど仕事はして欲しい。
「わたしから話せる事もそんなにないんだけどねー。面識はあるけど、そんなに話したこともないし」
藪蛇の懸念もあったけど杞憂だったようだ。事件については知らなそう。
「それにあの親子、ちょっと苦手なのよ」
「苦手?」
「娘の方はハルくんが意識してたし、母親の方はハルくん狙ってたっぽい気がするし」
ああ……カイネもそんな事を言っていたな。先生からしたら気に食わないのは当然か。
「……母親の方なんか、ハルくんのお父さんと結婚したくせに。あの子のお母さんが亡くなった時、すごい悲しかったから、そんな人が新しい母親なの、ちょっと許せなかった」
「古い付き合いだったそうですね」
「でも、そう思うだけ。文句言うのも違うなーって」
紙擦れとホチキスの音の中、先生は腕を組む。仕事は?
「娘の方は……何ちゃんだっけ、名前忘れちゃった。ハルくんより一つ下だったけど大人びてて、見れば見るほど綺麗な子だったな。嫌な感じもしなくて大人しかったから、ハルくんが惹かれるのも仕方ないなって感じ」
挟倉家では猫をかぶっていたと言っていたけど、その通りみたいだ。篠咲家じゃ人懐っこい悪戯好きな猫みたいな感じなのに。
「母親は、えーと、キリエさんだったっけ。人たらしっていうのかな。問題のある人だったみたいだけど、悪意とかそういうのは感じなくて、許せないとは思っても憎めない感じ。ハルくんのことは、わたしが文句言う筋合いないしね。あー、あと反則的に美人。娘さんもお人形かと思ったけど、華やかさが別次元で、中学生のお子さんがいるとは思えないぐらい若かったな」
まあ、若いだろうな。普通は中学生のお子さんなんている年齢じゃないし。
しかし遥空はその人をひどく嫌っていたようだけど、先生的には思うところはありつつも、ってところか。少し意外だな。色々な事情を知らなければ、そうなのかもしれない。
「なんて言ったらいいかなぁ。幼馴染の格闘家と、スラムの花売りと、女装版なんでも屋、の中間みたいな? あ、リメイク版の方ね」
「僕、ゲームは詳しくないです。ていうか、中間って言うなら三角形作らないでください」
紙束を整えてホチキスで留める、というひたすら退屈な作業をしながら聞いていたが、目新しい情報はなかったな。とっくに灰になったのであろう、カイネの母親、霧会という女性の人物像が少し補完されたぐらいか。
押し付けられた雑用を終えて渡すと、ありがとー助かったー、と礼を言われる。
調子に乗ってまた手伝わされる前に退却しようと「あ、そういえばさ」と呼び止められた。
「篠咲くんって付き合ってる子いるの?」
仕事してください。
「いや、いませんけど」
「うーん、そっか。女子大生っぽいのと一緒のところ見かけた、って言ってる子いたから、てっきり」
カイネのことか。たしかに最近は外で同行していることは多いけど、不用意だったか。彼女の事を学校で知られたら面倒臭そうだな。
先生が探るような、どことなく意地の悪い目を向けてくる。
「……彼女でなくとも、遊び相手、とか」
「良からぬニュアンスを感じます」
もっと悪い関係だ。
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