4-3.無痛の代償

          ●

 カチ、という音と共に灯された火。甘ったるい芳香が漂う。

 一通りの話が終わる頃、酒瓶の中身は半分以上が空いていた。

「これが香込会音という女の子のあらすじです。面白いものでしょう?」

「吐きそうだ」

「お酒、弱いんですか?」

 そこまで酔っていないとは断言できないけど、その面白い話のせいだとは断言できる。

 語り口が淡々としていたからまだ良かった。もし聴き手を引き込むような語りをされていたら、頭がどうにかなっている。

「ニュースになっている件は知っています。買い直したスマホを試しがてら、家出への反応があるかエゴサしましたから。ですからこれが、シノさんが聞きたかった話じゃないのは承知しています」

 僕達の間を紫煙がふわふわ泳ぐ。

「でも同時に、自分がどういう立ち位置にいるのかも理解していますから、その事について私からお話しできる事はありません」

 どうとでも取れる言葉だ。たとえば「やっていない」という言葉が信用に値しないなら口にするだけ無駄、だとか。

 ……まあ、酒のせいか、正気が不在の長話を聞いたからか、そんな事を憂慮する気ももう失せたが。

 代わりに、当初の疑問と似ているようで、案外そうでもない疑問を投げてみた。

 それは単に、彼女の在り方を確かめる為だけのもの。

「君は、母親や父親を恨んでる?」

「そう聞こえました?」

「まともな人間ならね。君がまともじゃない事はとっくに知ってる」

「ふふ、ご理解頂けていてなによりです。当然、恨んでなんかいませんよ。私はそういう風に生まれて、そういう風に育ってきた。恨むというのがどんな気持ちかも、わかりません」

 彼女は盃を呷ると、指で挟んだ煙草の火をじっと見つめた。

「こんな生き方を幸福だと思わないのはせめてもの幸福なのでしょうけれど、不幸だとも思わない程度には不幸なんでしょうね」

 僕も盃を傾ける。少しずつとはいえ何杯目だろう。下手糞な飲み方なんだろうな。

「私の探しものは、どんな形、どんな色をしていて……どこかに、あるんでしょうか」

「確かに、そんな生かされ方をして何も感じなかった香込会音は、幸せになれないまま死ぬしかないのかもしれない」

 目を閉じて嘆息する彼女に、「でも」と付け足す。

「君は、カイネだろう?」

 僕は自分で思っているより酒に弱いんだろう。

「行方不明でお尋ね者な香込会音の所在なんか、僕は知らない」

 酔ってなければ、こんな陳腐な方便、使ったりしない。

「ここにいるのは、幸せな瞬間に死ぬなんて下らない目的のために、全てを捨ててでも生き直そうとしてる、カイネとかいうセンスのない名前の女の子だ」

 呼吸も瞬きも忘れたように、カイネは微動だにせず、僕を見つめた。

「…………ふふ、色々ひどい言い草ですね」

「話を聞いて、言いたい事はそれだけだよ。僕達の関係は変わらない」

 今の気分がそうさせるだけかもしれないが、当初考えていたリスクだ何だというのは、些末な問題だ。むしろ今は、仮に彼女が望む幸福な死が十三階段の先にあったのだとしても、僕達の同盟関係のもとに足並みを揃えようとすら思っている。

 僕達が望む結末さえ迎えられるのなら、何を抱え込もうと墓まで持っていくだけ。

 香込会音とかいう誰かさんの話を聞く事は、元々はリスク管理のつもりであって、何かを得るつもりではなかった。

 でもひとつ気付いた。いつ死んでもいい僕がどうして、今まで死ねなかったのか。

「それ、ちょうだい」

 カイネが短くなった煙草を消そうとしたのを止める。首を傾げて手渡してきた煙草を、一口だけ吸って灰皿に捨てる。

 煙草も、いつまでも燃え続けているわけじゃない。

 いつかカイネは、幸福の価値をケーキとイチゴに例えていた。

 僕に必要だったのは、小さなケーキだったのだ。

 シノさん、とカイネが呼びかけてくる。

「私はろくな人間じゃないですけど、一緒にいてくれますか?」

「最初に会った時から、不良なのはお互い様でしょ。死ぬまで一緒にいるつもりだよ」

 いいじゃないか。仮面優等生な死にたがりの狂人と、裏表なく狂った存在しない虚人。並んで歩くには相応しい。

 カイネが、テーブルに置いた互いの盃に酒を注ぎ、自分の盃を僕の方に差し出してきた。

 僕も彼女の前に置き、交換した盃を掲げ合って、同時に飲み干す。

「私があなたに出会えたのは、きっと、これ以上ない僥倖です」

 カイネの顔はアルコールのせいか赤みがさし、濡れた目で僕を見据える。僕もいま、似たような状態なんだろうな。

 僕達が一緒にいる理由をちゃんと認識しないと、勘違いしそうになる。



 ……相当な酒が入っていた事を言い訳にするのは情けないけど。

 後になって思えば、リスク管理が甘かったと言わざるを得ない。

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