4-2.無痛の代償

          †

 私を身籠った時、母は十三歳だった。相手が誰だったのかは、決して明かさなかったらしい。

 当然といえば当然だけど周りからは中絶を勧められたみたい。厳しい家庭だったそうで、特に家族からは、中絶しないなら勘当するとまで言われたとか。当時中学生だから、ほぼ脅迫だ。

 それでも母は頑なに、私を産むことを選んだ。

 身重の母の面倒は見てくれていたものの、十四で出産したら、宣言通りに家を追い出された。

 そんなわけで私にとって、血の繋がりがあるのは母一人だけ。祖父母の顔も名前も知らないし、母に兄弟がいたのかすら知らない。

「……十四歳、しかも赤子連れで放り出すって、揃って野垂れ死ねと言ってるようなものだ」

「たしかにそう感じますし、法的にも何かしら問題ありそうですよね。でも母にとっては、そこから生きていくのは、そう難しい話でもなかったようです」

 独立する力も術もない。それでも取れる手段は簡単。面倒を見てくれる男を捕まえればいい。

 年端もいかない少女を囲えるなら、子供がいようとまとめて面倒を見てやる。そんな溢れんばかりの慈愛と下心を持つ男性は、捜してみれば案外いるもの。

 ましてや、娘が言うのもなんだけど、母ほどの美人を私は知らない。母自身、身体を許すだけでいいのだから仕事を探すより簡単、と言っていた。

 そうして、妊娠中に既に籠絡していて、放逐された当日に頼った男性が、便宜上一人目の父。

「一人目? それは生みの親の事ではなく?」

「まあ、私にとっての、ですから。母が全員と籍を入れたわけでもありませんし、生まれてから関わりもない人をカウントしてもしょうがないです」

 尤も、一人目なんて言ったものの、そんな人の事は全く憶えていない。

 それどころか三人目までは、幼くて私自身の記憶には全然ない。

「ほんの数年で三人、か」

「母が狙った相手は、子持ちの十代っていうレアな女の子を味わおう、なんて考えているろくでなしですから。長続きするなら、その方が不思議ってものですよ」

 四人目も、小学校に上がる前後ぐらいの期間だから、うっすら覚えている程度。

 割とはっきり憶えているのは、五人目以降。

 私が初めて父に犯されたのが、七歳の時だったから。

「…………桁が足りない、気がするのだけど」

「そんなわけないじゃないですか。十七歳になるのは来年ですよ」

「……いや、違う、言いたいのはそこじゃないな」

「言ったばかりですよ。私の父が、まともなはずないでしょう?」

 実は五人目のお目当ては、母ではなく、その子供の私だった。

 母は母なりに、娘である私を愛して大事にしていたから、それを知った時、相当キレていた。五人目との関係を絶つだけじゃなく、ボコボコの半殺しにするぐらい。

 けど母もやっぱり、類友というか、頭のネジがズレた人というか。

 その頃には母はもう成人していた。つまり、男寄せに使っていたアブノーマルな付加価値は失われている。かといって、年齢に見合わない子供を連れた女とは、いくら美人でもまともな男性なら深い関係になろうとはしないわけで。

 そこで母が、新しいプレミア価値として目を付けたのが、私。

 穢された時は憤慨したものの、あらかじめ受け入れてしまえばむしろ有用、と考えたみたい。

「………………」

 そんなわけで、五人目との関係は切ったけど、きっかけにはなった。

 さすがに小学生の玩具に食いつく変態を見つけるのは難儀したようだけど、八人目までは母ではなく私を楽しむ異常者だった。

 しかし、やむを得なかったとはいえ、六人目からは母に別の問題が生まれた。

 それまでと違って、夜の相手がいなかった。ランドセル現役に欲情するような男性が、成人女性にとって使い物になるわけないから。

 次々に相手を乗り換えてはいたものの、相手は常に一人だけ、っていう妙に律儀なルールが母の中にはあったみたいで、浮気はせず、セフレの類もいなかった。

 そこで私の出番。生活基盤の確保だけでなく、母の欲求不満解消にも私が役立った。

 大抵は一方的になって勝手に盛り上がる父達と違って、情熱的な交わりを好んだ母は色々教えてくれたから、今じゃ女性相手の方が得意かも。私自身の性的志向はどうなんだろうな。いまのところ興味ないアセクシャルに一票ってところ……かな?

「……君は、なんていうか、抵抗しなかったの? 君が言うところの父親達や、実の母親に」

「仮に抵抗したところで、子供じゃどうにもなりませんね。腕力だけじゃなく、色んな力が足りません。それに最初の時にしたって、知識はなくとも母がそういう行為をしているのは知っていましたから、受け入れるものと思っていましたし、嫌だと感じたこともないです。私から望んだこともないですけどね。ま、痛みをどうとも思わないから、そういられたのかもしれませんが」

 ともあれ、私の小学校時代はそんな感じ。

 シノさんもお察しかと思うけど、新しい父が来る度、別れる度に転校していたから、学校生活に関する思い出はほとんどない。

 強いて言うならその頃から既に、死への憧れがあった、というぐらい。

 習字で将来の夢を書かされた時に気付いた。何もない、ということに。

 夢がなかったんじゃない。何もない、世界も私自身の存在すらもない、完全な虚ろ、それが夢だって。歪みが生んだ将来の夢か、生まれた時から歪んだ生来の夢かは、わからない。

 私を生き甲斐にしている母の手前、その生粋の願いを見せはしなかったけど。

 八人目と別れるのと同時期に中学へ進学し、そこを境に、母の在り方も少し変わった。

 娘は大きくなって手がかからなくなったし、二十歳前後の時期はほとんど私のために費やしてきたから、そろそろ自分の為というのを考え始めた。それでも第一は私だったけど。

 私が中学生になってしばらくは、母は男を作らず、二十代後半になってようやく趣味作りというか、色んな所に顔を出していた。習い事の体験コースに行ってみたり、種々の仕事に就いてみたり、大学の講義に混じってみたり。

「大学? いままでの話だと、中学もろくに通っていなかったようだけど」

「私に高校レベルの勉強を教えたのは母ですよ? 安っぽい言葉ですけど、簡潔に言えば天才なんです。私に教えてあげられるし、何かの役には立つから、って暇を見て勉強していましたけど、その頃にはいくつかの学科で講師か助教をやれるぐらいの能力はあったと思います。ま、実態は中卒で高認の取得もしていませんでしたから、道楽の域は出ないんですけどね」

 話を戻すと、出入りしていた大学で母と親交を深めた教授がいた。多方面に類稀な才覚を持っていながら奔放な生き方をする母に、人として興味が湧いたそう。

 ある日その教授から、娘の私も一緒にとの事で母にお誘いがあった。息子さんが出るコンクールに是非、と。

 ……いま思い出しても、あの衝撃は鮮明だ。私と一つしか違わない男の子が弾く、ハンマークラヴィーア第一楽章。私だけじゃない、全ての観客が、旋律の波に呑まれ溺れていた。

 シノさんも、もうお分かりかと。その教授の名前は挟倉。シノさんのご友人の父親で、私の九人目の父親。

 十人の中では唯一まともな人。真面目な人だし、私達母娘を欲目で見ず、生い立ちを知った上で毅然と、心から気遣ってくれた。子持ちの人というのも初めてかな。

 初めてといえば、母の狙いが私の父親を作ることじゃなかったのも、初めてだ。

 母のお目当ては、私の義兄となった遥空さん。彼と近づくために、結婚した。

 遥空さんはあの容姿だし、若くして母さえ届かない領域にある綺麗な才能。それまでオトしてきた人達と違って、母の方から純粋に惹かれた。まあ、遊び相手としての意味合いも強かったようだし、どこまで真剣だったのかはわからない。

 そんなわけで、父を家族の大黒柱としながら、なんとか遥空さんと親しくなろうと、母は色んな手管を使った。勉強を教えようとしたり、興味のありそうな事に手を回してみたり……なにより、今までそうしてきたように、誘惑してみたり。

 でも成果はなし。遥空さんは、自分の父と結婚しておきながら息子の自分に色目を使ってくる母を毛嫌いしていたから。何をしても逆撫でにしかならなかった。

 それに彼の性格だから、好きな相手がいるのに、他の人から構われるのは鬱陶しさしかなかったんだろう。

「……気付いていたんだね。挟倉が、君を好きだって」

「感情を隠せるほど器用じゃありませんからね、あの人。それに私も経験上、そういう興味を向けられたらわかります。比べれば遥空さんのは、初々しくて可愛らしいものでしたけど」

 彼は父親や私を気遣って、大きく反発する事はなかった。でもきっちり固めた堪忍袋の緒だって、きっかけがあれば切れるもの。

 遥空さんの反応が芳しくなく、溜まる一方の母の欲求は、私が解消していた。ある時彼は、それに気付いた。

 私としては何年も続けている日常の一部でしかなかったのだけど、遥空さんには許し難い事だったみたい。自分への誘惑がうまくいかないからと、実の娘、しかも自分が好きな相手を慰み物にしていた事は。

 遥空さんは、知る全てを怒りと共に、父へ打ち明けた。

 ま、彼が知っていたのは、母の興味の対象が遥空さんである事と、母と私が肉体関係にある、って程度だけど。それだけで鬼になったぐらいだから、私達の全てを知ったら、発狂しちゃうかも。

 九人目の父は、亡くなった前の奥さんとの息子がぶち撒けた不満を受け入れた。そこまでくるとさすがに母も諦めて、同意のもと離婚となった。

 ……個人的なことを言えば、余計な真似をしてくれた。私自身は挟倉家での生活に何の不満もなくて、むしろ今までで一番充実していたぐらいだったから。

 舞台上で奏でる純粋に美しい演奏もだけど、なにより私のために弾いてくれるピアノが、心から好きだった。ずっと、義妹のために楽しく演奏してくれる義兄のままでいてくれたらよかったのに。

 一応離婚後も、私と遥空さんは時々連絡を取り合っていた。あくまで友達として。彼はそれ以上の関係に発展したがっていたけど、私は突き放した。

 あの人の事は嫌いではなかったけれど、客観的に見て、ろくでもない生き方をしている私が釣り合うはずはなく、私なんかのために落ちぶれることもない。星というのは遥か遠く、空の向こうにあるから輝いて綺麗なのだし、その方がいいと思った。

 ……まさかピアノをやめるなんて、思いもしなかったけど。

 そういえばこの頃か。九人目の後、十人目までの期間に在籍した中学で、以前話した同級生の自殺があったのは。

 そしてほどなく、最後になる、十人目の父が出来た。

 その人は、正真正銘の私の父でもあった。

「正真正銘、って」

「血の繋がった実父、ですよ。当時十三歳の母との間に私を作った、正体不明の男性」

 母と関係を持っていた当時、国立大に通う学生だったとか。他人から見れば意外かもしれないけど、二人は真剣な恋愛関係だったそう。

 でも母が妊娠した事で状況は変わった。それもそうだ。大学生の身で中学生を孕ませただなんて、発覚すれば破滅待ったなしだ。愛さえあれば乗り越えられるほど世の中甘くない。それを察していた母は、愛しの彼との関係を断ち、繋がり得る情報全てを隠滅した。

 そうした事で長年連絡も取れずにいたのだけれど、母が趣味作りで方々に出向いていたのは、その人に繋がる手がかりを探すのも兼ねていたらしい。長い年月を経て、母は父と再会した。

 父は父で、母以外に特定の相手を作らなかったらしく、私達を快く迎え入れた。

 母が身籠ったところまでしか知らない父は、初めてわたしに会って、泣いて喜んだ。

 そしてその晩、わたしは母と一緒に父に抱かれた。私を初めて味わう男が自分じゃないことを、父は泣いて悲しんだ。

 なかなかのイカれっぷりだけど、だからこそ母と本気で惹かれ合ったのだと思う。二人が一緒にいる一瞬だけを切り抜けば、絵に描いたように幸せな夫婦そのものだったから。

 母と父は本質的に通ずるところがあったんだろう。情事は母に似て、欲望ではなく愛情をぶつけるような感じ。母の相手をしたり、父の相手をしたり、時々セットだったり。私にとって肉親との家庭とは、そういう日々のこと。

 そうして巡り巡って行き着いた家族との生活を送り、ある意味、起こって然るべき出来事があった。

 妊娠した。母と同じ人の子を、私が。

 でも産むことはなかった。母の時と違って、関係を絶てば凌げる状況でもなかったし。

 妊娠を知った父は、私のお腹を殴った。殴って、蹴って、内臓全部潰れそうなぐらい徹底的に。血反吐を出して動けなくなった私に、念の為にと椅子を叩きつけようとしたのは、さすがに母が止めたけど。

 ま、そのための暴行なのだし、中身が無事で済むはずがない。年齢上の都合もあるし、元々プライバシーへの配慮もあるはずだから、堕ろすなら普通に産婦人科でよかったんじゃないかとは思う。

 私は一応望まれて生まれてきて、それでいて死ぬことを夢見ているけれど。

 私のお腹にあった、まだ命とも呼べない存在は望まれず、生きたいか死にたいかの意思も持たないまま、ちっちゃな肉片としてトイレに流れていった。

 でも結局、産婦人科に行く事になった。暴行の傷が治っても、私の調子がおかしかったから。

 ……この篠咲家でお世話になって一ヶ月近く。もしかしたらシノさんもとっくに気付いているかもしれない。私が生理用品を持っていないのを。

 検査してみたら、私はもう子供を産めない身体になっていた。完全に機能を失って、治療しようがない状態だった。

 私もまだ中三だったし、死にたがりだし、将来家庭を持つとか考えていなかったから、別に悲観はしなかったのだけど。検査に同行していた母は、泣きながら私を優しく抱き締めて、慰めてくれた。

 いつか好きな人が出来て愛し合うようになって、その人の子が欲しくなったら、代わりに産んであげるから――って。

 ふふ、我が母ながら、素敵な狂い方。

 まあ、それが今年の初め頃。それからの私の日常に変わりはなく、中学も卒業して、そこそこの高校に入って。

 高校生っていうのは面白い。誰もが楽しい出来事を探したり、恋人が欲しいと躍起になったり、好きな趣味に打ち込んだり、将来を見据えて勉強なり部活なりで自分を磨いて。

 そうやって誰もが、自分の生き方を見定めている。

 ……そんな同級生や先輩達を見ているうちに、今更だけど、気付いてしまった。

 私が過ごしてきたのは、私の生き方じゃない。生かされ方でしかない、って。

 思えばそれまで、私が自分から何かした事はなかった。ここまで話の中心に母がいたように、私の十六年の人生全て、母の行動の結果でしかない。なまじ、ありのままを受け入れてしまえたから、自ら何かを決める事なく、だらだらと生を享受してきた。

 私の歩む道は、いつだって母が手を引いていた。どこまで行っても、私だけの道はない。

 生きることを漫然と受け入れていただけで、命とも呼べないうちに虚ろに消えたあの子と変わらない。

 気付いた時、私は、自殺した同級生の事を思い出した。あんな風に、最後だけでも心から笑って死ねるなら、それより素敵な事なんてあるはずがない。

 だから、決めた。誰もが求める幸せを手に入れよう、って。

 私だけの幸せを、私の手で、私の足で、闇雲でもいいから。

 そして安直だけど、家出を決行した。何かと入用だから、父の財布から、洗濯が必要なお金を頂戴して。

 母とはずっと一緒だったから、結構寂しいものだけど……もう、会う事はない。

 ま、その後の事は、シノさんもご存知の通り。

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